The Reversed Star――逆位置の星―― 作:ほいみん
実は作者は原作の終局特異点を未プレイです。原作再現よりも、この物語で描きたかったことや『The Reversed Star』としての展開を優先して組み立てています。
相違点も含め、ひとつのIFとして見守っていただければ幸いです。
詳細 https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=342933&uid=332978
焼却炉の底で、星の歌はまだ進んでいた。
青白い線となって、星詠みの詩は赤い空の底を抜けていく。
深海の城塞が開いたことで生まれた通路。
焼却式から切り離され、未来側保存領域へ伸びる経路。
だが、人理焼却の本流は、それを逃がさない。
歌だけではない。
歌が届く先。
未来へ伸びる経路。
それを受け取るはずの場所。
すべてを灰にするため、赤い炎が牙を剥いた。
マシュが盾を構えたまま叫ぶ。
「先輩、外部記録の経路、焼却式の本流に追いつかれます!」
通信越しに、ダ・ヴィンチの声が響く。
『未来側の保存領域が狙われている!
このままだと、歌が届く前に、届ける先そのものが焼かれる!』
焼却式のログが、赤い空へ浮かぶ。
『対象再取得、不能』
『経路および接続先を、焼却対象へ変更』
ロマニの声が続く。
『経路の固定が必要なんだ。
でも、通常の魔術回路では足りない。これは記録領域だけの問題じゃない。未来側との接続そのものを、誰かが支えないと……!』
ダ・ヴィンチが、観測値を追いながら言う。
『未来側保存領域――特異点の中から見れば、観測しているカルデアの現在こそが未来だ。
人理修復後の世界まで持ち越せるよう、観測系の深層に領域を確保した!』
赤い空が軋む。
焼却炉の奥から伸びた炎が、青白い線を追う。
炎なのに、足音があった。
重い。
近づくたびに、終局特異点の地面が一拍遅れて沈む。
焼けた空白が、形を持って歩いてくる。
星詠みの詩の旋律が揺らいだ。
高い音がひとつ、赤い熱に引っかかって歪む。
線になっていた星図が細くなり、また繋がる。
まだ消えていない。
まだ届いていない。
アトラスは、紺碧の城塞を開いたまま立っていた。
鎧の隙間から、青い光が漏れている。
閉ざすために作られた王宮外壁は、外へ渡すために開かれ続けている。
だが、それは負荷を伴う。
城塞が軋む。
王宮の壁が、炎の熱にさらされる。
深海の門が、赤い空の中で裂け目を保っている。
罅の奥で、海底の光が震えた。
閉じるための城が、開き続ける。
それは守りだけではなく、消耗だった。
ギルガメッシュは、その横に立っていた。
黄金の門が開き、炎の追撃を叩き落とす。
宝具が炎を貫くたび、赤い空に乾いた音が走る。
金属がぶつかる音ではない。
焼かれかけた記録を、力ずくで現在へ引き戻すような音だった。
しかし焼却式の本流は、宝具の雨を呑み込みながら進む。
数で止められるものではない。
それは、世界を焼く式だった。
立香は、青白い線を見た。
歌が届こうとしている。
でも、届く前に焼かれる。
届く先まで、焼かれる。
胸の奥が冷たくなった。
けれど、足は動いた。
「私がやる」
マシュが振り向く。
「先輩!」
ロマニが通信越しに叫ぶ。
『待って、立香くん!
危険だ。経路固定に君を使えば、焼却式が君を接続点として認識する!』
「それでも」
立香は、赤い空の下で言った。
「私は、沈まないって言った」
炎が迫る。
歌が震える。
アトラスが、わずかに視線を向けた。
「汝が背負うべき記録ではない」
「記録じゃないよ」
立香は、青白い星図を見た。
王宮の奥で聞いた歌。
終局の炎の中で守ろうとした歌。
アトラスが残すと決めたもの。
それを、自分のものにはしない。
アトラスの名を、勝手に呼ばない。
王の裁定を、代わりに答えない。
歌を、所有しない。
でも、見ることはできる。
覚えることはできる。
届くまで、ここにいることはできる。
「魔術のことは、全部はわからない」
立香は、礼装の袖を握った。
指先が震えていた。
恐怖ではない、と言い切ることはできない。
焼却式が自分を見ている。
今から自分は、歌と未来を繋ぐ小さな目印になる。
焼かれるかもしれない。
それでも、離せなかった。
「でも、私はここにいる。
カルデアも、ここにある」
赤い炎が、青白い経路の先へ伸びる。
「未来にいる私たちが、覚えている」
立香は、息を吸った。
「だから――ここへ届いて」
魔術礼装が起動する。
それは高度な魔術ではなかった。
神代の秘儀でもない。
王権でもない。
星の触覚でもない。
ただ、人間がまだここにいるという証。
カルデアが、未来から過去を見ているという事実。
藤丸立香というひとりのマスターが、見て、覚えて、手を伸ばしているというだけの線。
その線が、星詠みの詩の経路へ刺さった。
衝撃は、腕から来た。
礼装の回路が熱を持つ。
肩へ、胸へ、背骨へ、焼けた針のような痛みが走る。
けれど、その痛みの奥に、かすかな音があった。
星詠みの詩だった。
青白い旋律が、一瞬だけ強く光る。
ダ・ヴィンチが叫ぶ。
『マスターの接続、経路へ同期!
未来側保存領域へのアンカーが立った!』
ロマニの声が震える。
『でも、焼却式がマスターを認識した!
炎が来る!』
赤い空から、巨大な炎が落ちた。
歌と立香と未来への経路を、まとめて焼くための炎。
マシュが盾を構える。
「通しません!」
白亜の盾が、炎を受ける。
衝撃が終局の大地を割った。
マシュの足が沈む。
盾の縁が赤く焼ける。
腕が痺れ、肩が軋む。
それでも、盾は下がらない。
マシュの息が白く乱れる。
熱の中なのに、白かった。
炎が奪おうとしているのは温度だけではない。
その場に立ち続ける意味そのものだ。
エミヤの矢が、炎の芯を射抜く。
矢が刺さった瞬間、赤い流れが一拍だけ止まる。
ニトクリスの碑が、歌の意味を守る。
碑文の縁が焦げても、文字は崩れない。
アルトリアの剣光が、道を切る。
赤い空に、星ではない白い線が走る。
ボイジャーの小さな星が、青白い線の先を照らす。
その光は弱い。
けれど、弱いまま消えない。
スカディの氷が、炎の脚を縫い止める。
王たちの声が、遠くから響く。
遺産。
道。
未来。
碑。
幸福。
星。
記憶。
あらゆる定義が、焼却式の分類を押し返す。
だが、赤い炎は止まらない。
『マスター接続、焼却対象へ追加』
『未来側経路、焼却対象へ追加』
『人理外記録、焼却処理再開』
限界を超えた劫火が、立香を、歌を、未来へ伸びる線を呑み込もうと殺到する。
その時、アトラスが一歩前へ出た。
音がした。
鎧が砕けるような音だった。
今度の音は、道を譲るだけの音ではなかった。
紺碧の城塞が、自壊をも厭わずにさらに開かれる。
罅が走る。
青い光が漏れる。
王宮の外壁だったものが、炎の中で無理やり門へ変わっていく。
周囲の声が遠のく。
炎の轟きも、宝具の衝突音も、遠い。
焼却炉の底に、深海の王の声だけが満ちた。
「外部記録、経路固定」
青い門が、赤い空に食い込む。
「焼却式の管轄権を棄却」
赤い炎が軋む。
裁定の場から締め出されたものが、軋むような音だった。
「王宮の所有権を棄却」
開いた城塞が震える。
沈んだ王宮の壁が、過去の深さごと軋んだ。
「己の所有権を棄却」
アトラスは、星詠みの詩を見た。
王宮の奥に残っていた歌。
沈めなかった歌。
焼かせなかった歌。
己のものではない歌。
「星詠みの詩を、未来へ渡す」
その声に、所有の響きはなかった。
青い門が、赤い空を貫いた。
最後の消去炎が、青白い線を呑み込もうとした瞬間。
黄金の門が、空を覆った。
無数の宝具が、炎の牙を叩き潰す。
今度の音は、さらに近かった。
立香の耳の奥で、赤い炎が砕ける。
砕けた火の粉が頬を掠める。
熱いはずなのに、触れた場所から記憶が剥がれそうになる。
その前に、黄金が届く。
剣が火を断つ。
槍が炎の根を縫い止める。
鎖が赤い光を絡め取る。
財が、歌へ伸びる牙を一本ずつ折っていく。
ギルガメッシュは、笑っていなかった。
「我の前で、二度同じものを奪えると思うな」
アトラスが、炎の中で言う。
「己のものではないと言った」
「知っている」
「財ではない」
「それも知っている」
黄金の光が、赤い炎を裂く。
ギルガメッシュは、前だけを見ていた。
「貴様が残すと決めたからだ」
アトラスは、ほんの一瞬だけ黙った。
それから、視線を戻す。
「ならば、通す」
「通せ」
黄金の門が、さらに開いた。
炎が砕ける。
砕けた炎が、また歌へ伸びる。
そのたびに、黄金が先に届く。
岸が、海の出口を守っている。
海は、未来への道を開いている。
立香の接続が、青白い線を支える。
腕の痛みはもう熱ではなく、音になっていた。
星詠みの詩が、自分の骨を通って未来へ伸びていくようだった。
マシュの盾が、炎の余波を受け止める。
盾の縁から赤い火花が散る。
それでも白亜は割れない。
カルデアの記録領域が、未来側保存領域へ光を伸ばす。
星詠みの詩が、進む。
赤い焼却炉の底を抜ける。
青い門を通る。
黄金の雨の下を抜ける。
藤丸立香という小さなアンカーへ触れ、未来へ手を伸ばす。
その瞬間、赤い音が途切れた。
焼却炉の底に、一拍だけ静寂が落ちる。
そこへ、星の歌が通った。
細い。
けれど、折れない。
遠い。
けれど、消えない。
青白い旋律が、未来側保存領域へ触れた。
触れた瞬間、赤い空の底に星図が広がる。
空には星がない。
だが、音が、未来の底に星を描いた。
ダ・ヴィンチの声が響いた。
『未来側保存領域、接続成功……!
外部記録、通過!
音響データ、意味階層、裁定署名――全て保持!』
ロマニが息を呑む。
『記録、安定している。
消えてない。届いているよ!』
立香は、青白い線が未来へ消えていくのを見た。
それは消滅ではなかった。
王宮の奥に沈んでいた歌が。
焼却炉の底で炎に触れた歌が。
アトラスが残すと決めた歌が。
未来へ、届いたのだ。
赤い空には、まだ星がない。
けれど、立香には見えた。
水底に沈んだまま、消えずに光る星。
「消えなかったね」
立香は言った。
声が少し掠れていた。
アトラスは、開いた城塞をゆっくりと閉じていく。
紺碧の鎧が軋む。
青い光が収まり、深海の門が閉じる。
城塞の罅は、完全には消えなかった。
けれど、それは損傷だけではない。
一度、外へ渡した跡だった。
「焼けなかった」
その声は、いつものように静かだった。
立香は首を振る。
「焼かせなかった」
アトラスは、ほんの少しだけ沈黙した。
「……そうだ」
ギルガメッシュが横目で見る。
「認めるのが早くなったな、大洋王」
「不快な評価だ」
「事実だ」
「……否定はしない」
ギルガメッシュは笑った。
赤い空の下で、星詠みの詩の余韻が残っている。
遠く、カルデアの記録領域の奥で、青白い旋律が安定していく気配があった。
ダ・ヴィンチが、観測値を確認する。
『マスターへの焼却指定も切れてる。
接続ごと対象認識が消えた。存在履歴への干渉もないよ』
戦いは、まだ終わっていない。
終局特異点の炎は、なお燃えている。
けれど、星詠みの詩は届いた。
その事実だけは、もう焼けない。
立香は息を吐いた。
足が震えている。
礼装の出力も落ちている。
けれど、倒れなかった。
沈まなかった。
マシュが駆け寄る。
「先輩、大丈夫ですか?」
「うん。大丈夫」
ロマニが通信の向こうで大きく息を吐いた。
『無茶をしたね、立香くん』
「ごめん」
『謝るなら、あとでちゃんと診察を受けておくれ』
「はい」
ダ・ヴィンチが笑う。
『でも、よくやった。
星詠みの詩は未来側に保存された。焼却式の干渉からも切れている。
アトラス、君の裁定は通ったよ』
アトラスは答えない。
ただ、少しだけ顔を上げた。
赤い空の下に、星はない。
それでも、その瞳は何かを見ているようだった。
冷たい血色の瞳が、未来へ消えた青白い線の余韻を追っている。
ふと、立香は音を聞いた。
小さな旋律だった。
カルデアの記録領域からではない。
王宮に残る星図音響層の再生でもない。
アトラスの口元からだった。
ほんの一節。
星詠みの詩。
立香は目を丸くした。
「アトラス」
アトラスは止まった。
「歌ってた」
「記録の再生だ」
ギルガメッシュが即座に言う。
「言い訳が雑だぞ、大洋王」
アトラスはギルガメッシュを見る。
「雑ではない」
「では、精度が低い」
「同義だ」
「ならば雑だ」
立香は少し笑った。
「歌ってたよ」
「口に出しただけだ」
「歌ってた」
「分類不能だ」
エミヤが遠くから言った。
「便利な言葉だな」
アトラスは不快そうに振り返る。
「汝まで感染するな」
マシュが小さく微笑んだ。
立香は、アトラスを見た。
「覚えてたんだ」
「記録している」
ギルガメッシュが言った。
「違うな」
アトラスの視線が戻る。
「何が違う」
「記録はただ残るものだ」
ギルガメッシュの声は、嘲りではなかった。
「覚えるとは、残すと決める意志のことだ」
アトラスは沈黙した。
彼女の口から漏れた旋律の断片は、もう途切れている。
けれど、立香には分かった。
王宮の奥に閉じ込められていた歌は、今、アトラス自身の中にも残っている。
記録としてだけではなく。
裁定としてだけでもなく。
覚えているものとして。
立香は、静かに言った。
「沈めなかったから、ここで守れた」
アトラスは何も言わない。
「ここで、届いた」
赤い空の底に、青白い余韻が残っている。
「だから、意味はもうあったんだと思う」
アトラスは、少しだけ目を伏せた。
「結果が伴わぬ裁定は、脆い」
「うん」
立香は頷く。
「でも、結果だけで意味が決まるわけじゃない」
アトラスは沈黙した。
その沈黙は、拒絶ではなかった。
炎の音が、遠く聞こえる。
終局特異点の戦いは続く。
人理焼却は、まだ完全には止まっていない。
それでも、ひとつの歌が届いた。
アトラスは、赤い空を見上げる。
「未来とは」
その声は、深海から浮上するように静かだった。
「確約された道ではない」
立香は、アトラスを見る。
「残すと決めたものが、誰かへ届く可能性だ」
ギルガメッシュが、満足げに目を細めた。
「それでこそ、王の語彙よ」
アトラスは即座に返す。
「元から王だ」
「知っている」
その返答は、あまりに自然だった。
アトラスは、しばらくギルガメッシュを見ていた。
かつて山門で、届いた。
だが、届いたことを勝利とは呼ばなかった。
深海王権特異点で、沈めなかった。
終局の炎の中で、焼かせなかった。
そして今、歌は未来へ届いた。
アトラスは小さく息を吐く。
「……外れてはいない」
ギルガメッシュは笑う。
「ならばよい」
立香も、少しだけ笑った。
星はない。
終局特異点の空には、まだ星がなかった。
けれど、それは空だけの話だ。
星詠みの詩は未来へ届いた。
水底の星は、空へ戻ったわけではない。
正位置になったわけでもない。
沈んだまま。
逆位置のまま。
それでも、誰かへ届く可能性を得た。
アトラスは、紺碧の鎧をまとったまま立っている。
鎧を脱いだわけではない。
罪が消えたわけでもない。
沈めた夜が、なかったことになったわけでもない。
けれど、王宮の奥に閉じたままではない。
沈める王は、残すものを選んだ。
所有せず、焼かせず、未来へ渡した。
立香は、赤い空を見上げる。
希望は保証ではない。
けれど、可能性は渡せる。
その可能性を残すと決めた者がいる。
その裁定を見届けた王がいる。
それを覚えている人間がいる。
終局特異点の空には、まだ星がなかった。
それでも、逆位置の星は、逆位置のまま。
未来の底で、光っていた。
お読みいただきありがとうございます。
次回、第一部最終回、幕間EXです。
【new】
冬木編『The Reaching Shore――届かせるもの――』連載開始しました。
https://syosetu.org/novel/420096/
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ストーリーの展開
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