The Reversed Star――逆位置の星――   作:ほいみん

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FGO二次創作長編『The Reversed Star――逆位置の星――』第6話です。

※独自解釈/女性体オリジナルサーヴァント/ギルガメッシュ×アトラス/文章生成AI補助あり。
詳しい注意事項・制作FAQは作品案内をご確認ください。
https://docs.google.com/document/d/1GdwYLijsN-D6iR4MKAlV2ziDaThI6rrddGUy8nim0KE/edit?usp=drive_link


第6話 王は名を沈めた

 カルデアの記録保管領域には、海のない海底がある。

 

 実際に水があるわけではない。

 

 床は乾いている。

 

 壁は白く、照明は均一で、空気も冷たい。

 

 けれど、その区画の前に立つと、藤丸立香はいつも少しだけ息を整える。

 

 深い場所に来た気がするのだ。

 

 沈んだ王宮の残響を安置するために設けられた、隔離保管区画。

 

 アトラスの霊基から漏出した記録を、破棄せず、外へも流さず、静かに留めておく場所。

 

 アトラスは、それを墓とは呼ばなかった。

 

 王宮だと言った。

 

 統治機構だと言った。

 

 記録保全だと言った。

 

 けれど立香は、その扉の前に立つたびに思う。

 

 ここには、祈りが眠っている。

 

 届かなかった祈り。

 

 救えなかったもの。

 

 消されず、捨てられず、ただ静かに置かれたもの。

 

 その扉の前に、アトラスがいた。

 

 紺碧の鎧を纏い、三叉槍を携えた大洋王。

 

 淡い水青の髪が、白い照明の下で静かに揺れている。

 

 彼女は扉を見ていた。

 

 開けてはいない。

 

 ただ、その前に立っている。

 

「ここにいたんだ」

 

 立香が声をかけると、アトラスは振り返らずに答えた。

 

「火の記録を見ていた」

 

「昨日の?」

 

「昨日の火ではない」

 

 立香は足を止めた。

 

 昨日の火。

 

 火天八紘。

 

 アパム・ナパート。

 

 水底に眠る火。

 

 世界を沈め、終わりの形を水底から燃やす対界宝具。

 

 アトラスはそれを一段だけ開き、そして閉じた。

 

 使えるのに使わないと裁定した。

 

 立香は、それを見た。

 

 怖かった。

 

 けれど、怖いと思ったことを、アトラスは否定しなかった。

 

 恐怖を抱くべきものだ、と言った。

 

 誤用を避けるための警告にもなる、と言った。

 

 立香はアトラスの隣に立つ。

 

「昨日の火じゃないなら、いつの火?」

 

 アトラスは少しだけ沈黙した。

 

 扉の向こうに、何かを聞いているようだった。

 

 それから、彼女は言った。

 

「マスター」

 

「うん」

 

「汝は昨日、己(おれ)が終わらせる力を持つと言った」

 

「……うん」

 

 立香は覚えている。

 

 アトラスは、終わらせる力を持っている。

 

 でも、終わらせないって決めることもできる。

 

 そう言った。

 

 アトラスはそれを、外れてはいない、と言った。

 

「正確には、持つだけではない」

 

 アトラスの声は静かだった。

 

「己は一度、それを使った」

 

 立香は、息を止めた。

 

 白い廊下の奥で、空調の音だけがしている。

 

 アトラスは扉を見たまま続ける。

 

「己の国を、水底に沈めた」

 

 言葉は、重くなかった。

 

 少なくとも、声だけを聞けばそうだった。

 

 いつものように硬質で、淡々としていて、余計な揺れがない。

 

 けれど立香には、その声が揺れないように作られたものだと分かった。

 

 彼女は泣かない。

 

 震えない。

 

 崩れない。

 

 王だから。

 

 けれど、崩れないことと、痛みがないことは違う。

 

「アトラスが……?」

 

「そうだ」

 

「火天八紘で?」

 

「そうだ」

 

 アトラスは肯定した。

 

 逃げなかった。

 

 言い換えもしなかった。

 

 己が使った。

 

 己の国を沈めた。

 

 その事実を、彼女は王宮の扉の前で立香に渡している。

 

「どうして」

 

 立香の声は小さかった。

 

 責めるつもりはなかった。

 

 けれど、聞かずにはいられなかった。

 

 アトラスは答える。

 

「沈めねば、もっと遠くへ災厄が流れた」

 

 災厄。

 

 立香は、その正体を聞きかけた。

 

 けれど、アトラスの横顔を見て、言葉を止めた。

 

 今、開いているのはそこではない。

 

 立香は黙った。

 

「国は、すでに保てなかった。

 王宮は破綻し、境界は裂けていた。

 外へ流れれば、被害は国の外へ及ぶ」

 

 アトラスの声は、処理記録を読み上げるようだった。

 

「ゆえに、沈めた」

 

 立香の胸が、鈍く痛む。

 

 それはきっと、必要だったのだろう。

 

 アトラスにとって、他に選べる道がなかったのかもしれない。

 

 けれど。

 

 その決定をした者の手は、きっと軽くならない。

 

「理由はある」

 

 アトラスは言った。

 

「妥当性もある。

 記録上、己の裁定は最悪ではなかった」

 

 彼女はそこで一度だけ言葉を切った。

 

「だが、罪でないとは言わぬ」

 

 立香はアトラスを見る。

 

 紺碧の鎧。

 

 城を纏う王。

 

 その鎧の奥に、昨日、火があった。

 

 水底に眠る火。

 

 世界を終わらせる力。

 

 アトラスは、それを使ったことがある。

 

 自分の国に。

 

「……つらかった?」

 

 立香は、そう聞いてから、少しだけ後悔した。

 

 単純すぎる問いだと思った。

 

 つらくないはずがない。

 

 でも、つらいと言えば何かが変わるわけでもない。

 

 アトラスは、すぐには答えなかった。

 

「不正確な問いだ」

 

 やがて、彼女は言った。

 

「つらい、という語で処理できるものではない」

 

「ごめん」

 

「謝罪は不要だ。

 汝の問いは、不正確だが無意味ではない」

 

 アトラスは、ほんの少しだけ立香を見る。

 

「己は、悲しむために沈めたのではない。

 悔いるために沈めたのでもない。

 沈めねばならぬと裁定した。

 ゆえに、沈めた」

 

「うん」

 

「だが」

 

 アトラスの視線が、また扉へ戻る。

 

「沈めたものが、沈めた者を離れるとは限らぬ」

 

 その言葉を聞いて、立香は扉を見た。

 

 この向こうに、王宮がある。

 

 墓とは呼ばれなかった場所。

 

 けれど、祈りが眠っている場所。

 

 そして、アトラスの身には紺碧の城がある。

 

 そのさらに奥には、水底の火が眠っている。

 

 沈めたものは、消えたわけではない。

 

 遠くへ去ったわけでもない。

 

 形を変えて、今も彼女のまわりにある。

 

「だから、ここに残したの?」

 

「削除は不適切だった」

 

「うん」

 

「外へ漏出させることも不適切だった」

 

「うん」

 

「ゆえに、隔離し、保全した」

 

「うん」

 

 立香は頷いた。

 

「でも、消さなかった」

 

 アトラスはわずかに黙った。

 

「……そうだ」

 

 その返答は、とても小さかった。

 

 立香は、それ以上何も言わなかった。

 

 しばらく、二人は扉の前に立っていた。

 

 白い照明。

 

 静かな空調音。

 

 水のない海底。

 

 やがて立香は、いつものように彼女の名を呼んだ。

 

「アトラス」

 

 その瞬間、アトラスが言った。

 

「その名は、兄の名だ」

 

 立香は、言葉を失った。

 

 アトラスは扉を見たまま、静かに続ける。

 

「アトラス。

 それは、己が生まれた時に与えられた名ではない」

 

 立香の喉が、少しだけ乾く。

 

 名前。

 

 真名。

 

 サーヴァントにとって、名はただの呼び方ではない。

 

 存在の輪郭であり、伝承であり、宝具と過去に繋がる鍵だ。

 

 アトラスはずっと、アトラスだった。

 

 大洋王アトラス。

 

 沈んだ国の王。

 

 紺碧のランサー。

 

 けれど、その名は。

 

「兄が、アトラスだった」

 

 アトラスの声は変わらない。

 

「王として立つべき者だった。

 民が祈り、国が望み、星がその名を覚えた王だった」

 

 立香は黙って聞いた。

 

 ここで何かを言ってはいけないと思った。

 

 これは、問い詰めて得る話ではない。

 

 アトラスが、自分で開けている。

 

 城門ではない。

 

 火口でもない。

 

 名の封印を、一段だけ。

 

「兄は、王だった」

 

 アトラスは言った。

 

「己より先に生まれ、己より先に望まれ、己より先に玉座へ至るべき者だった」

 

 少しだけ、沈黙が落ちた。

 

「だが、兄は折れた」

 

 立香の胸が、また痛んだ。

 

 折れた。

 

 死んだ、でもなく。

 

 敗れた、でもなく。

 

 折れた。

 

 その言葉には、重みがあった。

 

「祈りは重い」

 

 アトラスは続ける。

 

「期待も、願望も、王冠も、すべて重い。

 兄はそれを受け、支えようとした。

 だが、王座は空いた」

 

 立香は、召喚時の言葉を思い出す。

 

 己は王を望んだ者ではない。

 

 王座が空いたゆえ、座った者だ。

 

 あの時、アトラスはそう言った。

 

 それは比喩ではなかった。

 

 ただの謙遜でも、王への距離感でもなかった。

 

 本当に、王座が空いたのだ。

 

「ゆえに、己が座った」

 

 アトラスは言う。

 

「兄の名を取り、兄の王冠を取り、兄の祈りを取り、兄の国を取った」

 

「それは……」

 

 立香は言いかけて、止まった。

 

 奪ったのではない、と言いたかった。

 

 でも、それを立香が決めてはいけない気がした。

 

 アトラスは、自分でそれを言わなかった。

 

 なら、立香が簡単に否定してはいけない。

 

 アトラスは立香を見た。

 

「己の名は、エウメロス」

 

 白い廊下に、その名が落ちた。

 

 エウメロス。

 

 水面に、沈んでいたものが一度だけ浮かんだような響きだった。

 

「それが、兄の名の下に沈めた名だ」

 

 立香は、その名前を胸の中で受け取った。

 

 声には出さなかった。

 

 口にすれば、何かを奪ってしまう気がした。

 

 アトラスは続ける。

 

「サーヴァントとして召喚された己は、アトラスである。

 霊基も、宝具も、王権も、その名に紐づいている。

 エウメロスは、王座へ座る前の名だ」

 

「じゃあ……」

 

 立香は、慎重に言葉を選んだ。

 

「今、私が呼ぶべき名前は?」

 

 アトラスは黙った。

 

 すぐには答えなかった。

 

 その沈黙の中で、立香は自分の鼓動を聞いていた。

 

 アトラスでも、エウメロスでも、どちらでもいいとは思えなかった。

 

 どちらも彼女だ。

 

 でも、どちらを呼ぶかは、立香が勝手に決めることではない。

 

 名は、ただの呼び方ではない。

 

 誰がその名で立つのかを、外から決めてはいけない。

 

 やがて、アトラスは言った。

 

「アトラスだ」

 

 立香は頷いた。

 

「分かった。アトラス」

 

 アトラスの瞳が、ほんのわずかに揺れた。

 

 揺れたように見えただけかもしれない。

 

「汝は、名を奪わぬのだな」

 

 立香は首を横に振った。

 

「奪わないよ」

 

「名を知れば、呼べる」

 

「でも、呼ぶべきかは別だよ」

 

 立香は扉を見る。

 

 沈んだ王宮の残響が眠る場所。

 

「アトラスが決めることだから」

 

 アトラスはしばらく黙っていた。

 

 それから、小さく言った。

 

「……汝は、よく境界を見誤らぬ」

 

「そうかな」

 

「見誤る者は、知った名をすぐに使う」

 

「そうかもしれない」

 

「知ることと、通ることは違う。

 見ることと、奪うことは違う。

 踏み込むことと、玉座に座ることは違う」

 

 立香は、アトラスを見る。

 

「それ、褒めてる?」

 

「観測だ」

 

「そっか」

 

「不快ではない」

 

 立香は少しだけ笑った。

 

「それは、ありがとうでいい?」

 

「不要だ」

 

「じゃあ、覚えておく」

 

「汝は何でも覚えようとする」

 

「うん」

 

「不快だ」

 

 その声は、少しだけ柔らかかった。

 

 その時だった。

 

 扉の向こうで、何かが軋んだ。

 

 物理的な音ではない。

 

 記録が反応した音。

 

 深い海底で、閉じていた何かが、わずかに動いた音。

 

 アトラスが顔を上げる。

 

 立香も扉を見る。

 

 白い廊下の照明が、一瞬だけ暗くなった。

 

 水音がした気がした。

 

 いや、水ではない。

 

 石段を踏む音。

 

 夜の空気。

 

 冷えた風。

 

 山門。

 

 黒い空。

 

 黄金の門が開く音。

 

 鎖の音。

 

 そして。

 

 赤い瞳。

 

 誰かの声がした。

 

 ――エウメロス。

 

 立香は息を呑んだ。

 

 アトラスが、額に手を当てる。

 

「アトラス?」

 

「……知らぬ記録だ」

 

 声はいつも通りだった。

 

 けれど、ほんの少しだけ低い。

 

「山門?」

 

 立香が言うと、アトラスは答えなかった。

 

 扉の向こうの気配は、すぐに沈んだ。

 

 石段も、夜も、黄金の門も、鎖の音も消える。

 

 白い廊下が戻ってくる。

 

 ただのカルデア。

 

 ただの記録保管領域。

 

 けれど立香は分かっていた。

 

 今のは、ただの残響ではない。

 

 山門の夜が、少しだけ近づいた。

 

 アトラスは扉を見つめている。

 

「今の声」

 

 立香は慎重に言った。

 

「エウメロスって、呼んだ」

 

「聞こえた」

 

「誰の声?」

 

「知らぬ」

 

 即答だった。

 

 けれど、その即答は拒絶に近かった。

 

 立香はそれ以上聞かなかった。

 

 聞くべき時ではないと思った。

 

 今日は、アトラスが自分で名を出した日だ。

 

 それ以上を、立香がこじ開けてはいけない。

 

「分かった」

 

 立香は言う。

 

「今日は、ここまでにする」

 

 アトラスが立香を見る。

 

「汝は、続きを求めぬのか」

 

「聞きたいよ」

 

「ならば聞けばよい」

 

「でも、今じゃない」

 

 立香は静かに答えた。

 

「アトラスが開ける時に聞く。

 勝手に開けない」

 

 アトラスは、何も言わなかった。

 

 ただ、立香を見ていた。

 

 血を海水に溶かしたような瞳。

 

 冷たく、深く、どこまでも沈んでいくような色。

 

 その奥に、今日初めて聞いた名が沈んでいる。

 

 エウメロス。

 

 立香はその名を知った。

 

 でも、呼ばなかった。

 

 呼ぶべき名は、王が決める。

 

 だから立香は、もう一度だけ言った。

 

「アトラス」

 

「何だ」

 

「話してくれて、ありがとう」

 

「礼を言うことではない」

 

「でも、ありがとう」

 

「不快だ」

 

「うん」

 

 立香は笑った。

 

 アトラスは扉へ視線を戻す。

 

「マスター」

 

「うん」

 

「己が国を沈めたこと。

 兄の名を取ったこと。

 己の名を沈めたこと。

 それらは、汝が背負うものではない」

 

「うん」

 

「理解したか」

 

「背負わない」

 

 立香は頷く。

 

「でも、覚える」

 

 アトラスは目を細めた。

 

「同じことを言う」

 

「違うよ」

 

「どう違う」

 

「背負うのは、アトラスが決めたもの。

 覚えるのは、私が決めたもの」

 

 アトラスは黙った。

 

「汝が覚えたところで、己の裁定は変わらぬ」

 

「うん」

 

「沈めたものも、戻らぬ」

 

「うん」

 

「ならば、無益だ」

 

 立香は首を横に振った。

 

「無益でも、私が忘れたくない」

 

 長い沈黙だった。

 

 けれど、立香は待った。

 

 やがてアトラスは言った。

 

「……不快ではない」

 

 立香は、それ以上笑わなかった。

 

 ただ、頷いた。

 

「そっか」

 

 扉の向こうで、沈んだ王宮は静かだった。

 

 祈りは眠っている。

 

 火は眠っている。

 

 名も、また眠っている。

 

 けれど、その日。

 

 沈めた名が、一度だけ水面へ浮かんだ。

 

 エウメロス。

 

 兄の名を被り、王の名を取った者。

 

 自分の名を海底へ置き、国と共に沈めた者。

 

 沈めねばならぬと裁定し、沈めた罪を罪として持つ者。

 

 藤丸立香は、その名を知った。

 

 けれど、奪わなかった。

 

 呼ぶべき名を、王に選ばせた。

 

 だから彼女は、アトラスと呼んだ。

 

 大洋王が、今も自分の玉座に座るための名を。

 

 そして遠い山門の夜が、深い記録の底で、ほんの少しだけ軋んだ。

 




お読みいただきありがとうございます。

しばらくは毎日20時頃に更新予定です。

本作は、序盤〜中盤は王性・関係性・神話解釈を中心に進行します。
終盤にはバトル展開があります。それまでの静けさは、そのための積み上げです

この作品の興味をもったところは?

  • アトラス
  • ギルガメッシュ
  • アトラスとギルガメッシュの関係性
  • ストーリー
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