The Reversed Star――逆位置の星――   作:ほいみん

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FGO二次創作長編『The Reversed Star――逆位置の星――』です。

※独自解釈/女性体オリジナルサーヴァント/ギルガメッシュ×アトラス/本文に文章生成AI補助あり
※掲載イラストは作者による手描きです。

詳しい注意事項・制作FAQはこちら:
【作品案内URL】
https://docs.google.com/document/d/1GdwYLijsN-D6iR4MKAlV2ziDaThI6rrddGUy8nim0KE/edit?usp=drive_link


裁定の在り処

 昨日よりも長く、重い警鐘の余韻が、まだ石壁の間に残っていた。

 その音が消えるより早く、城壁の上から怒鳴り声が落ちてくる。

 

「西の尾根に魔獣群! 大型を確認!」

 

 別の伝令が、ほとんど同時に駆け込んだ。

 

「南の谷にも土煙! 補給路へ向かっています!」

 

 指揮官の顔から、朝の柔らかな表情が消えた。

 

「全隊、戦闘配置」

 

 声が変わる。

 

「西壁へ第一、第二隊。南監視所は現位置を維持。住民区画への門を閉じろ」

 

「了解!」

 

 復唱が飛ぶ。

 兵たちは動いた。

 昨日より速い。

 

 だが、西の尾根に現れた影を見た瞬間、その流れが崩れた。

 

 石壁の向こう。

 

 樹冠を押し退けるように、大型の魔獣が姿を現す。

 

 一頭ではない。

 その後ろにも、小型の群れが続いていた。

 

 弓兵の一人が、一歩下がった。

 

 西壁へ向かう兵と、門内へ戻ろうとする兵がぶつかる。

 

「第一隊、西壁!」

 

 指揮官が声を張る。

 

「第二隊は門内で予備! 勝手に持ち場を変えるな!」

 

 命令は届いている。

 それでも、目の前の数と大きさが、足を止める。

 

 指揮官は歯を食いしばった。

 

 それからカルデア一行へ向き直った時だけ、ほんの少し声を戻した。

 

「うぉっほん。昨日の今日で申し訳ありませんな」

 

 西の尾根から、低い咆哮が響く。

 

「どうやら、今回は本隊のようですぞ」

 

 ギルガメッシュが尾根を見た。

 

 赤い瞳が、群れの先頭から最後尾までを一度なぞる。

 

「西の群れは我が潰す」

 

 それだけだった。

 

 弓兵が、弓を握り直した。

 

 後ろへ下がりかけていた兵が止まる。

 

 誰かが息を吐いた。

 

「英雄王が西をやるなら――」

 

 その言葉に続くように、別の兵が自分の持ち場へ戻る。

 

 怖くなくなったわけではない。

 敵が減ったわけでもない。

 

 ただ、どこまでが自分たちの仕事なのかが、一度で見えた。

 

「西側は英雄王に任せる!」

 

 指揮官は、そこを逃さなかった。

 

「第一隊は西壁を維持。第二隊は門内へ戻れ! お前たちは、お前たちの仕事をしろ!」

 

「了解!」

 

 今度は、声が揃った。

 兵が走る。

 弓兵が射線へ戻る。

 

 閉じかけた門の内側で、補給係が荷を運び直す。

 

 指揮官はその様子を見て、短く息を吐いた。

 

「……いやはや、助かりますな」

 

 昨日と似た言葉だった。

 けれど、今日は笑っていない。

 

「あの一声で、全員が自分の足を思い出した」

 

 ギルガメッシュは返さない。

 

 黄金の波紋を背後へ開きながら、西門へ向かう。

 

 その後ろへ、二人ほど兵が続きかけた。

 

「持ち場を離れるな」

 

 指揮官の声が飛ぶ。

 

「西側は英雄王に任せる。お前たちは私の命令を聞け」

 

 兵たちははっとして止まり、すぐに戻った。

 

 今度は、それで足りた。

 

     *

 

 司令室へ戻ると、机の端に昨日の記録が残っていた。

 

 立香は通信端末を受け取りながら、その紙へ目を留める。

 

 大洋王による崩落予測。

 英雄王の了承。

 最高指揮官による閉鎖命令。

 人的損失なし。

 

 短い四行だった。

 

 どれも、起きたことではある。

 

 アトラスもその紙を見た。

 

 血色の瞳が、一度だけ文字の上で止まる。

 

 何も言わない。

 

「南監視所より!」

 

 通信兵が声を上げた。

 

「突進型、南路へ侵入! 現在十二、後続あり!」

 

 指揮官は即座に南側の地図へ向き直る。

 

「監視所は門を閉じろ。橋を守れ。援軍を――」

 

「迎撃を棄却する」

 

 アトラスが言った。

 

 指揮官の指が止まる。

 

 アトラスが見ているのは、魔獣の印ではなかった。

 

 南路の斜面。

 

 前日、地下水路の崩落で変わった水の流れ。

 

 擁壁上部の亀裂。

 監視所と本砦の高低差。

 跳ね橋。

 そこへ至る東側階段。

 

 地図の上に散らばっていたものが、彼女の中で一つになる。

 

「南監視所を放棄しろ」

 

 指が、退路をなぞる。

 

「全員、東階段から撤退」

 

 次に、監視所の物資庫を示した。

 

「物資は棄てろ」

 

 最後に橋。

 

「最後の兵が橋を渡った後、跳ね橋を上げる」

 

 アトラスは南路の擁壁へ指を置いた。

 

「七分後、擁壁が落ちる」

 

 指揮官が彼女を見る。

 

「七分ですかな」

 

「長く見積もっている」

 

 その返答で、男の表情が引き締まった。

 

「あの道を棄てれば、次の補給は北側だけになりますぞ」

 

「道を残せば、兵を失う」

 

 一拍。

 

「南路の閉鎖と水路の開放は、己が裁定する」

 

 アトラスは指揮官を見る。

 

「砦の部隊運用は、汝が決めろ」

 

 そして、時刻を確認した。

 

「撤退を命じる時間は、今だ」

 

 指揮官は地図を見た。

 

 七分。

 南監視所。

 補給路。

 

 西側では、地響きと金属の衝突音が断続的に届いている。

 その向こうに、ギルガメッシュがいる。

 

 机の端には、昨日の記録がある。

 

「西側の英雄王へ照会」

 

 指揮官が言った。

 

「南監視所放棄の了承を求めろ」

 

「不要だ」

 

 アトラスは即座に返した。

 

「しかし、これは昨日の保管区とは規模が違いますな」

 

「ゆえに、期限を示した」

 

 指揮官は口を結ぶ。

 

 迷っている。

 

 判断そのものを理解していないのではない。

 

 むしろ、分かっているからこそ、早く確実に兵を動かしたい。

 

「兵が動くには、英雄王の反対がないと分かる方が早いのです」

 

 立香は西壁の方を見た。

 

 ほんの少し前。

 

 ギルガメッシュの一声で、崩れかけた兵たちは自分の持ち場へ戻った。

 

 指揮官の命令も、一度で通った。

 

 昨日も同じだった。

 役に立った。

 だから、使う。

 

「南監視所へは撤退準備。実行は英雄王の了承を待て」

 

 指揮官が命じる。

 

「伝令、急げ」

 

「了解!」

 

 兵が走った。

 アトラスは止めなかった。

 ただ、時刻を記録した。

 

     *

 

 南監視所へ届いた命令は、撤退命令ではなかった。

 

「撤退準備!」

 

 伝令が叫ぶ。

 

「英雄王の了承が届き次第、退路へ移れ!」

 

 少し掠れた、よく通る声が復唱した。

 

「撤退準備。実行は待機!」

 

 昨日、第三保管区で年若い兵たちをまとめていた男だった。

 

 彼は命令を受けると、すぐに動いた。

 

「負傷者はいるか!」

 

「なし!」

 

「記録だけまとめろ。箱はまだ動かすな。橋の鎖を確認!」

 

 兵たちが散る。

 橋までの通路を空ける。

 東階段へ向かう順番を決める。

 撤退の準備は、短い時間で整っていった。

 

 それでも、誰も橋を渡り始めない。

 

 若い兵が男へ寄った。

 

「大洋王は、今すぐ撤退と言っていたんじゃないのか」

 

 男は一度、砦の方を見る。

 

「英雄王がまだ何も言ってない」

 

 遠くで、金色の光が西の空を裂いた。

 

「準備だけ進めろ」

 

 若い兵は少し迷ってから、頷いた。

 

     *

 

「ギルガメッシュ、聞こえる?」

 

 立香は通信機へ声を張った。

 

「南監視所を撤退させたい。アトラスの判断で――」

 

 雑音。

 遠くで獣の咆哮。

 返答はない。

 

「通信が不安定です!」

 

 マシュが別の回線を確認する。

 

「西側の魔力反応が大きすぎます。中継が途切れています!」

 

 指揮官が時計を見る。

 アトラスも見る。

 

「二分経過」

 

 平らな声だった。

 

 立香の背中に、冷たいものが走る。

 

「もう一度、信号を」

 

 指揮官が言う。

 

「返答は必要ない」

 

 アトラスが返す。

 

 男は答えなかった。

 

 通信機の向こうでは、何も聞こえない。

 ギルガメッシュは、撤退を止めていない。

 承認していないとも言っていない。

 ただ、何も答えていない。

 

 それでも司令室では、その沈黙がまだ一つの可能性として残されていた。

 

 反対しているかもしれない。

 承認していないかもしれない。

 だから、待つ。

 

 アトラスは南側の地図へ手を置いた。

 

「マシュ。南へ」

 

「はい!」

 

「橋の内側で待機しろ。崩落開始時、残存者を保護」

 

「分かりました!」

 

 マシュが走り出す。

 

「私も行く」

 

 立香が立ち上がる。

 

「汝は通信を維持しろ」

 

 アトラスが止めた。

 

「南と西、双方の声が要る」

 

 立香は足を止めた。

 

 行きたい。

 

 けれど、今ここから消えれば、西と南をつなぐ声が一つ減る。

 

「……分かった」

 

 アトラスはもう地図を見ていた。

 

 紺碧の光が、砦の南側へ薄く走る。

 

 王宮外装。

 

 水路へかかる圧を散らし、砦本体側の擁壁へ支えを入れる。

 

 本来なら、まだ使わなくてよかった力だった。

 

 撤退が始まっていれば。

 

     *

 

 西側で、巨大な音がした。

 獣の咆哮が途切れる。

 

 次の瞬間、通信機の雑音が少しだけ薄くなった。

 

『何を騒いでおる』

 

「ギルガメッシュ!」

 

 立香はすぐに回線へ寄った。

 

「南監視所。アトラスが放棄を裁定した。七分で擁壁が落ちるって」

 

 指揮官が通信へ入る。

 

「英雄王。大洋王より、南監視所放棄の裁定が――」

 

『我に問うな』

 

 指揮官の言葉が止まった。

 

『裁定したのは大洋王であろう』

 

 短い。

 

 昨日と同じ訂正だった。

 

 指揮官は目を閉じた。

 返答を得た。

 その返答は、承認ではなかった。

 そもそも返答を求める必要がなかったという訂正だった。

 

「三分十秒」

 

 アトラスが言う。

 

 指揮官は目を開けた。

 

 顔つきが変わる。

 

「南監視所、即時撤退!」

 

 軍人の声だった。

 

「物資は全放棄! 跳ね橋を上げろ!」

 

     *

 

「撤退開始!」

 

 南監視所で、少し掠れた声が響いた。

 

「走れ! 荷を持つな! 後ろを見るな!」

 

 準備は終わっていた。

 兵たちは一斉に東階段へ流れ込む。

 

 中堅の兵は最後尾に立ち、一人ずつ橋へ押し出した。

 

「急げ!」

 

 若い兵が物資庫の脇を通る。

 

 昨日と同じ形の箱が積まれていた。

 

 薬。

 持てる。

 そう思ったのだろう。

 

 反射のように一箱へ手をかける。

 

「棄てろと言われただろ!」

 

 少し掠れた声が飛ぶ。

 

 次の瞬間、箱が蹴り倒された。

 

 中堅兵だった。

 

「走れ!」

 

 若い兵は箱から手を離した。

 今度は迷わず、橋へ向かう。

 

 物資は棄てろ。

 その裁定を、彼は聞いていた。

 分かっていた。

 

 それでも身体には、昨日の成功が残っていた。

 

 荷を救った。

 人も物資も失わなかった。

 成功した。

 だから、今日も。

 

 その一瞬を、中堅兵が蹴り落とした。

 

     *

 

 最後の集団が橋へ入る。

 

「あと三人!」

 

 マシュが砦側から数える。

 

 二人。

 

 一人。

 

 若い兵が渡り切った。

 

「上げろ!」

 

 中堅兵が跳ね橋の機構へ手をかける。

 

 鎖が鳴った。

 橋がわずかに持ち上がる。

 そこで止まった。

 

「何だ!」

 

 土砂が噛んでいる。

 片側の鎖が動かない。

 中堅兵は歯を食いしばった。

 昨日なら、時間があった。

 

 崩落までに余裕があれば、二人で土砂を除き、機構を確認し、それから橋を上げられた。

 

 今は違う。

 

「先へ行け」

 

 男が言った。

 

 若い兵が振り返る。

 

「俺が外す」

 

「でも――」

 

「行け!」

 

 声が飛ぶ。

 

 若い兵は動けない。

 

「行け!」

 

 二度目。

 

 今度は走った。

 

 中堅兵は一人で機構へ戻る。

 

 それは、彼自身が選んだことだった。

 

 誰にも命じられていない。

 

 部下を先へ行かせ、自分が残った。

 

 けれど。

 

 その選択を、崩落寸前の時間にしなければならなかった理由は、別にある。

 

「六分五十秒」

 

 司令室で、アトラスが時刻を読む。

 

 地面が鳴った。

 

「崩落開始」

 

     *

 

 南側の擁壁が割れた。

 最初に石。

 次に土砂。

 その奥から、溜まっていた水が一気に噴き出す。

 

 突進してきた魔獣の群れまで巻き込み、補給路全体が谷へ向かって崩れた。

 

 紺碧の光が砦側へ立ち上がる。

 

 王宮外装の壁が、連鎖する崩落を受け止めた。

 

「間に合ってください!」

 

 マシュが橋へ駆ける。

 

 中堅兵は噛んだ石へ鉄棒を差し込み、最後の一片を跳ね上げた。

 

 鎖が走る。

 橋が上がり始める。

 

「外れた――」

 

 その直後だった。

 崩れた石材が男の肩へ当たった。

 身体が横へ投げ出される。

 さらに大きな岩と濁流が迫る。

 

「っ!」

 

 マシュの盾が、その前へ入った。

 

 轟音。

 

 盾の向こうで石が砕け、魔獣が弾かれる。

 それでも衝撃までは消えない。

 男の身体が石床へ叩きつけられた。

 

「先輩!」

 

 通信の向こうでマシュの声がする。

 

「一名負傷! 意識――」

 

 一瞬。

 

「あります! でも、左脚が……!」

 

「固定して運べ」

 

 アトラスの声は変わらない。

 

 同時に、地図上の水路へ手を置く。

 

「南水路、開放」

 

 紺碧の線が走った。

 

 押し寄せていた濁流の向きが変わる。

 

 砦ではなく、谷へ。

 

 魔獣の群れが土砂ごと呑まれていく。

 

 跳ね橋は上がった。

 他の兵は、全員こちら側にいる。

 砦本体も残った。

 死者はいない。

 担架だけが、一つ増えた。

 

     *

 

 西側の主群も、ほどなくして沈黙した。

 

 報告は次々に上がる。

 魔獣群、撃退。

 民間被害なし。

 死者なし。

 砦本体、防衛成功。

 南路は失われた。

 だが、それ以外は守られた。

 

「全員、生きて戻れた」

 

 兵の一人が、力の抜けた声で言った。

 

 安堵だった。

 責任逃れではない。

 生きている。

 それが嬉しかっただけだ。

 

「無傷ではない」

 

 アトラスが言った。

 

 兵が口を閉じる。

 

 担架が運ばれていく。

 

 布の下から、泥にまみれた左脚が覗いた。

 

 立香はその担架を見送った。

 昨日も、作戦は成功した。

 今日も、報告だけなら成功だった。

 けれど、同じ言葉には見えなかった。

 

     *

 

 治療区画は、薬草と血の匂いがした。

 

 治療を受けた中堅兵は、会話のできる程度には落ち着いていた。

 

 左脚は固定され、肩から胸にかけて厚く布が巻かれている。

 

 息をするたび、わずかに顔が歪んだ。

 

 マシュが寝台の横にいる。

 

 立香とアトラスも、その後ろに立っていた。

 

 指揮官は少し離れたところで、帽子を手に持っていた。

 

 咳払いはしなかった。

 

「私の命令が遅れた」

 

 男は言った。

 

「すまなかった」

 

 寝台の兵は、少し掠れた声で答えた。

 

「指揮官のせいじゃありません」

 

 呼吸を整える。

 

「昨日も、命令が出たあと、みんな英雄王を見てた」

 

 それから、アトラスを見る。

 

「あんたの声は聞いてた」

 

 一拍。

 

「今すぐ退けって」

 

 アトラスは黙って聞いている。

 

「でも、英雄王が何も言わなかった」

 

 男は天井を見る。

 

「だから今日も、あの人の返事を待つんだと思った」

 

「待機を命じたのは私だ」

 

 指揮官が言う。

 

「俺も待つのが正しいと思った」

 

 兵はゆっくり息を吐いた。

 

「あの状況じゃ……仕方なかった」

 

「仕方はあった」

 

 アトラスが言った。

 

 兵の目が彼女へ戻る。

 

 指揮官も見る。

 

「汝が傷を負わずに済む経路は存在した」

 

 アトラスの声に責める響きはなかった。

 

「己は七分前に、それを裁定した」

 

「ゆえに、この負傷を不可避とは記録しない」

 

 兵の眉が少し動いた。

 

 自分が橋へ戻ったことを責められているのか。

 

 そう思ったのかもしれない。

 

「汝が機構へ戻った選択も記録する」

 

 アトラスは続ける。

 

「汝が部下を先へ行かせたことも」

 

 男は黙る。

 

「だが、それだけで他の経路は消えない」

 

 もし、最初から撤退していれば。

 

 もし、三分があれば。

 

 鎖が噛んでも、もっと早く処理できた。

 

 そもそも、最後の一人だけが残る状況にならなかった。

 

「無傷で済ませられたことを、救出できたことへ置き換えるな」

 

 アトラスは寝台の脚側へ視線を落とした。

 

「これは成功の内へ埋めない」

 

 誰も、すぐには返さなかった。

 

     *

 

 検証は、その日のうちに行われた。

 

 司令室へ、関係者が集められる。

 アトラス。

 ギルガメッシュ。

 立香。

 マシュ。

 現地最高指揮官。

 伝令担当。

 南監視所から戻った兵たち。

 

 机の上には、二つの記録が並んでいた。

 

 昨日の成功記録。

 今日の時刻記録。

 

「最初から確認しよう」

 

 立香が言った。

 

 アトラスが最初の時刻を示す。

 

「零分。南監視所の即時撤退を裁定」

 

 指揮官が続ける。

 

「三十秒後、私が英雄王への照会を命じた」

 

 伝令が答える。

 

「一分。南監視所へ撤退準備と待機を伝達しました」

 

「二分」

 

 通信兵が記録を見る。

 

「西側との通信、不成立」

 

 立香も自分の端末を確認した。

 

「ここで私がギルガメッシュを呼んだ。返事はなかった」

 

 アトラスが次を置く。

 

「三分十秒。英雄王から返答」

 

 指揮官の声が少し低くなる。

 

「三分二十秒。即時撤退を正式命令」

 

 マシュが続けた。

 

「六分半ごろ、大半の方が橋を渡り終えました」

 

 アトラスが次の時刻を置く。

 

「六分五十秒。崩落開始」

 

 さらに十秒。

 

「七分。擁壁崩落」

 

 マシュが自分の記録を確認した。

 

「七分二十秒。負傷発生」

 

 数字が並んだ。

 

 感情の入り込む余地がないほど、簡単だった。

 

 完全撤退に必要だった時間は、およそ四分半。

 

 零分で動けば、全員が安全圏へ入った後にも余裕が残る。

 

 三分二十秒で動けば、残らない。

 

「私が橋へ着いた時には、もう安全に機構を処理する時間は残っていませんでした」

 

 マシュが言った。

 

 判断は間に合っていた。

 

 照会を挟んだことで、間に合わなくなった。

 

 壁一枚向こうの治療区画から、金属の盆が小さく鳴った。

 

 布を絞る水音。

 誰かが痛みを堪える、短い息。

 

 司令室の誰も、すぐには次の言葉を継がなかった。

 

 指揮官は、最後に記された時刻を見ていた。

 

 負傷発生。

 数字にすれば、数分。

 その数分は今も、壁の向こうにある一人の身体から消えていない。

 

「西側では」

 

 指揮官が口を開いた。

 

 いつもの咳払いはない。

 

「英雄王の一声で兵が立ち直りました」

 

 ギルガメッシュは黙っている。

 

「私の命令も、あの後は一度で通った」

 

 男は机の端へ置かれた昨日の記録を見る。

 

「だから南でも、その声を使おうとしたのです」

 

 言い訳ではなかった。

 

 起きたことを、そのまま述べていた。

 

「西側では有効だった」

 

 アトラスが言う。

 

「その結果を棄却しない」

 

 一拍。

 

「力を誤りとは裁定しない」

 

 血色の瞳が、時刻記録へ向く。

 

「適用範囲を誤った」

 

 西側では、兵たちは恐怖で動けなくなっていた。

 

 ギルガメッシュが自分で主群を引き受けると宣言した。

 

 それによって、各自が自分の持ち場へ戻れた。

 

 南側では違う。

 必要な判断は、もう出ていた。

 期限もあった。

 

 必要だったのは、別の王の声ではない。

 

 今すぐ動くことだった。

 

「英雄王への照会を命じたのは私です」

 

 指揮官が言う。

 

「責任は私にあります」

 

「汝の項目は記録する」

 

 アトラスは答えた。

 

 指揮官が頷く。

 

「汝一人の失策として閉じることを棄却する」

 

 男が顔を上げた。

 

「汝の命令も、既に英雄王への照会を必要としていた」

 

 昨日。

 

 自分が命令した後で、兵たちがギルガメッシュを見た。

 

 今日も、西側でそれが起きた。

 

「汝は有効だった力を、別の盤面へ接続した」

 

 アトラスは続ける。

 

「同時に、その力によって権限を遅延させられていた」

 

 指揮官は動かなかった。

 

 昨日、自分の兵がしたこと。

 命令を受けた。

 理解した。

 そのあとで、英雄王を見た。

 

 今日、自分がしたこと。

 アトラスの裁定を聞いた。

 理解した。

 そのあとで、英雄王を見た。

 

「……そういうことでしたか」

 

 男は小さく言った。

 

 責められた顔ではなかった。

 

 ようやく、自分がどこへ押し出されていたのかを見つけた顔だった。

 

「しかし」

 

 少しして、指揮官はアトラスを見る。

 

「大洋王には責任はありません」

 

「ある」

 

 即答だった。

 

 立香がアトラスを見る。

 

「己は、前の作戦で当該経路の故障を認識した」

 

 アトラスは自分の端末を開いた。

 

「人的損失が生じない範囲で、観測対象として存置した」

 

 昨日の最後に加えた一行。

 

「その条件が、次の作戦へ継承されないことを確認しなかった」

 

 画面に、その記録がある。

 

「己は、当該経路を観測対象として存置した」

 

 アトラスは読み上げた。

 

「ゆえに、己の項目も残す」

 

「それでは」

 

 指揮官が眉を寄せる。

 

「すべてを予測できなかったことまで、大洋王の責任になるのでは」

 

「予測できなかったとは記録しない」

 

 アトラスは首を振らない。

 ただ、言葉を分ける。

 

「予測した危険の終了条件を、接続しなかった」

 

 それ以上でも、それ以下でもない。

 

 自分の項目だけを、正確に残した。

 

     *

 

「では今後」

 

 指揮官が腕を組んだ。

 

「大洋王の裁定には、あらかじめ英雄王の承認を付けておくというのはどうですかな」

 

「我の名で通せば、次も我に問う」

 

 ギルガメッシュが即座に切った。

 

 指揮官が黙る。

 

「我が不在ならば、また止まる」

 

 赤い瞳が男を見る。

 

「裁定した王が目の前に立っていてもな」

 

 立香は昨日の司令室を思い出した。

 

 助言ではない。

 裁定だ。

 

 言葉を直しても、見る先は変わらなかった。

 

「我の名を、大洋王の王権へ貼りつけるな」

 

 ギルガメッシュは不機嫌そうに言う。

 

「それでは軍師の案へ戻るだけだ」

 

「連署を棄却する」

 

 アトラスも言った。

 

「……お二人とも、そこは揃うのですな」

 

 指揮官が少しだけ困った顔をした。

 

「当然であろう」

 

 ギルガメッシュが鼻を鳴らす。

 

 英雄王の声を使わない、という話ではない。

 

 西側のような戦線なら、これからもその一声は人を立たせる。

 

 ギルガメッシュ自身が何を引き受けるかを宣言することもある。

 

 棄却されたのは一つだけ。

 その力を、他の者が下した裁定の恒常的な承認権へ変えること。

 

     *

 

 その日の遅く。

 

 南監視所から戻った兵たちが、治療区画へ見舞いに来た。

 

 寝台の中堅兵は、まだ起き上がれない。

 

 若い兵が、包帯の巻かれた脚を見て、口を引き結んだ。

 

「英雄王がもう少し早く答えてくれていれば――」

 

「そっちを見るな」

 

 少し掠れた声が止めた。

 

 若い兵が顔を上げる。

 

 周りの兵も黙った。

 

「英雄王は、撤退を止めてない」

 

 中堅兵は言う。

 

「撤退を裁定したのは大洋王だ」

 

 息を整える。

 

「俺はその声を聞いてた」

 

 一度、包帯の巻かれた自分の脚を見る。

 

「それでも、別の王の返事を待った」

 

 若い兵の顔が強張る。

 

 橋の前で箱を持とうとした自分を、誰が先へ行かせたか。

 

 その相手が今、寝台にいる。

 

「次は、裁定した本人に聞け」

 

 長い返答はなかった。

 

 若い兵はただ頷いた。

 

「……分かった」

 

     *

 

 翌朝。

 

 現地最高指揮官は、砦の兵を集めた。

 

 今日は最初から、軍人の声だった。

 

「全隊へ通達する」

 

 兵たちが姿勢を正す。

 

「大洋王が裁定した事項は、大洋王本人へ直接照会せよ」

 

 一度、全員を見渡す。

 

「私の承認も、英雄王の裁可も不要だ」

 

 兵の中で、わずかに視線が動いた。

 けれど、誰も口を挟まない。

 

「この砦の部隊運用は私へ問え」

 

 次。

 

「英雄王の戦闘判断は英雄王へ問え」

 

 そして最後に、強く言った。

 

「誰が何を決めたかを混同するな」

 

「了解!」

 

 復唱が返る。

 

 指揮官はそれを確認し、兵を解散させた。

 

 それからカルデア一行へ向き直る。

 

 肩から、ほんの少しだけ力が抜けた。

 

「……うぉっほん」

 

 いつもの声に戻る。

 

「これでよいのですな、大洋王」

 

「己へ問うな」

 

「……あ」

 

 指揮官は本当に少し目を丸くした。

 立香は思わず口元を押さえた。

 昨日までなら笑ってよいか迷った。

 

 今日は、少しだけ違う。

 

「汝が、汝の兵へ裁定した」

 

 アトラスが言う。

 

 男はしばらく彼女を見る。

 それから、ゆっくり頷いた。

 

「……そうでしたな」

 

 アトラスはそれ以上、何も言わなかった。

 

     *

 

 数日後。

 南水路の水位が上がった。

 

 司令室へ、一人の兵が駆け込んでくる。

 

「報告! 南水路、水位上昇!」

 

 あの若い兵だった。

 室内には、現地指揮官もいる。

 ギルガメッシュもいる。

 アトラスは地図の前に立っていた。

 

 若い兵は、最初にアトラスへ向き直った。

 

「大洋王。南水路を閉鎖しますか」

 

「閉じるな」

 

 アトラスが答える。

 

「東側へ流せ」

 

 地図上の水門を示す。

 

「三分後、第二門を開けろ」

 

「了解!」

 

 若い兵は復唱する。

 その後で、ギルガメッシュを見なかった。

 そのまま通信兵のところへ走る。

 

「東側へ流す! 三分後、第二門開放!」

 

 入れ替わるように、別の兵が駆け込んだ。

 

「指揮官、第三隊はどこへ!」

 

「東壁へ移せ」

 

 指揮官が答える。

 

「水路へ近づけるな」

 

「了解!」

 

 兵が走る。

 誰も止まらない。

 誰も、余分な顔を見ない。

 

 ギルガメッシュは腕を組み、その様子を見ていた。

 

「ようやく、見る先を覚えたか」

 

「うぉっほん」

 

 指揮官が咳払いする。

 

「三度目がないことを願いたいですな」

 

「ある」

 

 アトラスが言った。

 

 男が振り返る。

 

「ありますかな」

 

「習慣は残る」

 

 遠くで、水門を開く合図が鳴った。

 

「ゆえに、規則を残した」

 

 南水路からの報告。

 東壁からの報告。

 

 それぞれが、それぞれの相手へ返ってくる。

 

 ギルガメッシュは何も言わなかった。

 今度は、誰もその沈黙を返答にしなかった。

 




活動報告で、制作裏話や本編に採用する場所のなかった掌編などを公開しています。
https://syosetu.org/?mode=kappo_view_list&uid=332978

この作品の興味をもったところは?

  • アトラスのキャラクター性・内面
  • ギルガメッシュとの関係性
  • 王としての在り方・王権のテーマ
  • ストーリーの展開
  • その他
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