The Reversed Star――逆位置の星――   作:ほいみん

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FGO二次創作長編『The Reversed Star――逆位置の星――』です。

※独自解釈/女性体オリジナルサーヴァント/ギルガメッシュ×アトラス/本文に文章生成AI補助あり
※掲載イラストは作者による手描きです。

詳しい注意事項・制作FAQはこちら:
【作品案内URL】
https://docs.google.com/document/d/1GdwYLijsN-D6iR4MKAlV2ziDaThI6rrddGUy8nim0KE/edit?usp=drive_link


王は再び並ぶ

 坂道は、次第に岩の多い道へ変わっていった。

 

 立香は水瓶の紐を肩へ掛け直した。

 村を発つ時、あの男が貸してくれたものだった。泉の水がまだ汲めるなら、少しでも持ち帰ってほしいと。空の瓶は軽かったが、歩くたびに腰へ当たる。

 

 前を行くアトラスが、倒れた枝を槍の柄で脇へ払った。

 立香もその横を通り抜け、足元を見ながら口を開いた。

 

「……王様に、見限られたのかな」

 

 紺碧の肩が、僅かにこちらを向いた。

 

「己(おれ)に訊くか」

「本人には、今、訊けないから」

 

 通信が繋がらないから、というだけではなかった。

 今ここにギルガメッシュがいたとしても、もう一度あの目を向けられるのは怖かった。

 

「あの男は、汝に帰れと言った」

 

 アトラスは歩きながら答えた。

 

「見限った者を帰すために、己へ槍を退けろと命じるか」

 

 立香は、剣と槍が触れ合っていたところを思い出した。

 自分へ向いていた赤い目が、アトラスへ移った。あの時も、ギルガメッシュは立香が帰ることを譲らなかった。

 

「でも、怒ってたよね」

「ああ」

 

 そこには、少しの躊躇いもなかった。

 立香は小さく息を吐いた。

 

「……そうだよね」

 

 道の真ん中にあった石を避け、アトラスの隣へ並ぶ。

 しばらくは、二人の足音だけが続いた。

 

「人理焼却の間は、自分だけは生き残らないとって思ってた」

 

 アトラスは前を向いたまま、聞いていた。

 

「怖いこともあったし、迷うこともあったけど。帰ることだけは、決まってた。私が戻れなかったら、その先へ行けなくなるから」

 

 自分を庇って傷を負った者も、先へ行けと送り出してくれた者もいた。

 そのたびに、立香は進んだ。生きて戻ることを、引き受けていた。

 

「今は、そうじゃない。私が帰るために誰かが困るなら、その人の方を優先したっていいんじゃないかって。そう思ったんだけど……」

 

 水瓶が腰へ当たった。

 手で押さえて、音を止める。

 

「誰も困らない、は違った。マシュにも聞こえてたのに」

 

 帰る場所がなくなったわけではなかった。

 帰らなければならない理由を一つ失って、残っているものまで数えなくなっていた。

 

「それでも、あの人たちの薬をなくしていいとは、思えなかった」

「だから調べた」

 

 アトラスが答えた。

 

「そのための時間だった」

 

 立香は頷いた。

 病人を生かすための条件は、少しずつ揃えられた。それはわかっている。聞き取りが無駄ではなかったと、アトラスも言ってくれた。

 それでも、まだ訊けていないことがあった。

 

「アトラスも、がっかりした?」

 

 槍を持つ手が、持ち直された。

 血色の瞳が、立香へ向く。

 

「倉で言いかけたのは、それか」

「……うん」

 

 今度は、目を逸らさずに答えた。

 

「あんなふうに迷って、帰らなくてもいいなんて言って。もう、一緒に行くマスターとしては駄目なのかなって」

 

 アトラスは、少しの間、立香を見ていた。

 先ほど仕事の成果を告げた時よりも、答えが返ってくるまでに時間があった。

 

「迷ったことを、己は咎めぬ」

 

 低い声が返った。

 

「汝が汝を勘定から外すことは、認めぬが」

 

 立香は水瓶の紐を握ったまま、次の言葉を待った。

 アトラスの視線が、道の先へ戻る。

 

「己は生前、沈めるもの、閉じるものを裁定してきた」

 

 足元の小石が、槍の石突に触れて転がった。

 

「何を終わらせるかは決めた。その責は、今も己にある。だが、それだけで足りたとは思っていない」

「……何か、ほかにしたかった?」

「先へ届ける裁定をしたかった」

 

 立香は横顔を見上げた。

 遠い国の話をしているのに、アトラスの声はいつもと変わらなかった。過ぎたことを懐かしむようでも、慰めを求めるようでもない。

 

「終わらせるだけではなく、その先に残るものを。己の手で届けたかった」

 

 岩の間を風が抜けた。

 水青の髪が肩の上で揺れ、また落ち着く。

 

「召喚され、人理を修復する旅に加わった。己には、それだけでも得難い機会だった」

「人類の未来を、取り戻せるから?」

「ああ」

 

 アトラスが頷いた。

 

「その旅を、汝と歩いた」

 

 立香は足元へ目を戻した。

 大きな石を越える。一歩先で、紺碧の鎧も同じように進んでいた。

 

「世界を戻せば、その先を汝が生きる。己は、それを望んだ」

 

 立香の足が、半歩遅れた。

 

「私が?」

「ほかに誰がいる」

 

 アトラスがこちらを見る。

 

「人理は戻った。だからといって、汝を先へ届けたいという願いまで終わったわけではない」

 

 立香は、返す言葉を探した。

 マスターとして果たす仕事なら、いくつもあった。ここでも村人から話を聞き、記録を集め、竜との戦いへ向かっている。

 けれどアトラスは、次に何をしろとは言わなかった。

 戻った世界の先を、生きる。

 それを、望んだと言った。

 

 ――ただし、沈むな。己は、沈む者を拾うために来たのではない。

 

 召喚された時の声を思い出した。

 厳しい言葉だった。沈まないようにしなければと、あの時は思った。

 

「最初に、沈むなって言ったよね」

「言った」

「……あれも?」

 

 アトラスは立香を見た。

 

「沈んだ後を拾うばかりでは、届かぬものがある」

 

 水瓶を押さえていた指が、少し緩んだ。

 

「汝は、英雄王に終わるわけにはいかぬと答えた。己も聞いていた」

 

 立香は喉元へ手をやりかけ、下ろした。

 

「怖くて、うまく言えなかった」

「二度言った。聞き違えようがない」

 

 思わず、息が漏れた。

 少しだけ笑ったのだと、遅れて気づいた。

 あの時は震えていて、何をどの順番で考えたかも曖昧だった。それでも、自分が答えたことを、隣の王は覚えていた。

 

「帰るよ」

 

 言って、立香は足を進めた。

 

「患者さんたちのために、記録を持って帰る。それもあるけど……私も、帰りたい」

 

 マシュに顔を見せて、ただいまと言いたかった。

 ギルガメッシュにも、もう一度会わなければならない。何を言うかは、まだ決まっていなかったけれど。

 

「そのために、私にもできることをする」

 

 アトラスが立香を見た。

 

「それでこそ、沈まぬ娘だ」

 

 短い言葉を受け取って、立香は頷いた。

 今度は遅れず、その隣を歩いた。

 

 道が折れると、水音がはっきり聞こえるようになった。

 木々が途切れ、剥き出しの岩肌が続いている。男から教えられた分かれ道で、アトラスが手を上げた。

 立香は足を止め、示された岩の陰へ入った。

 

 眼下に、泉があった。

 

 岩に囲まれた水面は、空よりも明るく見えた。その縁に、黒い鱗の巨体が横たわっている。

 太い尾が水へ浸かっていた。胸がゆっくり膨らむたび、畳まれた翼の縁が動く。

 竜は、村から続く道へ頭を向けていた。

 

 立香は身を低くした。

 ここから先は、道の両脇に身を隠せるものが少ない。人が下りていけば、泉へ着く前に気づかれる。

 

「待ってるんだね。村の人が来るのを」

「ああ」

 

 アトラスの視線は、竜から側方の岩場へ移っていた。

 立香もそちらを見る。道を外れて回り込めば、巨体の脇へ近づけそうだった。ただ、最後の短い距離だけは、竜の前を横切ることになる。

 

 肩の紐を外し、水瓶を足元へ下ろした。

 

「私が先に出たら、そっちから近づける?」

 

 血色の瞳が戻ってきた。

 

「生贄のふりをして、話しかける。水を汲む人たちは、後から来るって。こっちを見ている間に、アトラスが横へ回れれば」

 

 アトラスはすぐには答えなかった。

 道の先と竜を見比べ、泉の手前にある平たい岩を指した。

 

「あそこまでだ。それより先へは進むな」

「うん」

「竜が動いたら己を呼べ。そこで動かずとも、呼べ。近づかせるために待つ必要はない」

 

 立香は岩の位置を確かめた。

 そこから右手に折れれば、張り出した岩壁の陰へ入れる。

 

「合図したら、あっちへ走る。それでいい?」

「己が初撃を入れる。陰へ入るまで止まるな。支援はその後でよい」

 

 立香は、水瓶の紐を短く結び直した。走る時に足へ絡まないよう、余った部分をまとめる。

 それから通信機へ口を寄せ、短く作戦を伝えた。

 マシュの返事を確かめ、アトラスを見る。

 

「準備できた」

 

 アトラスが頷いた。

 

「では、行け」

 

 紺碧の姿が、側方の岩陰へ移った。

 立香は水瓶を持ち上げた。

 

 竜の爪が、泉の縁を掻いた。

 石の砕ける音を聞きながら、一度息を吸う。

 呼ぶ場所と、走る方向を確かめて、立香は岩の陰から踏み出した。

 

 *

 

 泉へ続く道に出ると、竜が目を開けた。

 

 長い首が持ち上がる。

 立香は水瓶を抱え直し、歩いた。足元の砂利を踏む音が、やけに大きく聞こえた。

 

「村から来ました」

 

 声は出た。

 竜の目が立香を捉える。黒い鱗の間から、熱を帯びた息が漏れた。

 

「今日の、生贄です」

 

 唇が乾いていた。

 舌で湿らせたくなったが、その前に次の言葉を続けた。

 

「水を汲む人たちは、後から来ます」

 

 竜の喉が鳴った。

 

「遅い」

 

 人の言葉だった。

 太く濁った声が、泉の水面を震わせた。

 

「喰い終えるまでには来させよ。水を待っておるのは、そちらであろう」

 

 立香は返事の代わりに、一つ頷いた。

 平たい岩が近づく。アトラスが示した場所だ。

 その脇へ水瓶を置いた。

 

 竜が前脚を持ち上げた。

 

 掴もうとしている。

 そう思った時には、爪の影が足元へ伸びていた。

 

「アトラス!」

 

 立香は右へ走った。

 

 竜の脇で、青い光が閃く。

 鱗の砕ける音がした。背後から吹きつけた風に肩を押され、立香は前のめりになりながら足を運んだ。

 止まらない。岩壁の陰へ入るまでは。

 

 飛び込むように身を隠し、そこで初めて振り返った。

 

 三叉の槍が、竜の肩の下へ深々と突き込まれていた。

 

 掴もうとした前脚は、立香へ届く前に横へ弾かれていた。黒い鱗の欠片がまだ宙にあり、泉の縁へ血が飛ぶ。

 竜が吼えた。

 

 アトラスは槍を引き抜き、巨体の前から退いた。

 踏み潰すように落ちた爪が、そこにあった岩を砕く。紺碧の足は既に、その外へ出ていた。

 

「こざかしい――」

 

 竜の言葉を、もう一撃が遮った。

 アトラスが槍の柄を返し、伸びてきた爪を横へ逸らす。穂先が、傷ついた肩へ向き直った。

 

 血が止まった。

 

 立香は目を凝らした。

 鱗の剥がれたところで、裂けた肉が寄り合っている。深く穿たれた穴が、内側から盛り上がるように埋まった。

 その表面を、黒い鱗が覆っていく。

 

「傷が……」

 

 村で、水を飲んだ老人の呼吸が落ち着いた。

 目の前では、竜の傷そのものが消えようとしていた。

 

 泉へ落ちた血の周りに、淡い金色の光が広がった。

 薄い波紋になって、水面を渡っていく。

 

「泉に流れていたのは、こやつの生命力か」

 

 アトラスが言った。

 竜は治った前脚を岩へ下ろし、爪を立てた。

 

「傷をつければ殺せるとでも思うたか」

 

 太い尾が、水を跳ね上げた。

 

 アトラスの肩と腕の装甲が開いた。

 青い光の壁が斜めに立ち、尾を受ける。ぶつかった巨尾が壁を滑り、岩場を深く削って抜けた。

 砕けた石が立香のいる方へ飛んだが、その前にも薄い青が差し込まれた。

 硬い音が続けて鳴った。

 立香は頭を低くし、石が落ちきるのを待って顔を上げた。

 

「マシュ、今の傷、完全に塞がった!」

『確認しています。魔力の供給も途切れていません。再生速度が――』

 

 声が乱れた。

 竜が翼を広げる。

 

 立香は岩へ手をついた。巻き起こった風が砂を打ちつけ、目を開けているのも難しくなる。

 翼の影が、水面から離れかけた。

 

「上がらせぬ」

 

 巨体が落ちた。

 

 持ち上がったはずの胸が、地面へ叩きつけられる。前脚が踏ん張り、爪が岩へ食い込んだ。

 広がっていた翼が軋む。

 アトラスは槍を構えたまま、一歩進んだ。

 

 その一歩に合わせて、竜の脚がさらに沈んだ。

 

 泉の縁がひび割れた。水の上にまで重いものが伏せられたように、波が押し潰されている。

 立香は、岩を掴んでいた手を離した。

 竜へかかっている圧を、こちらには感じない。

 

 アトラスが巨体を押さえている。

 ならば、今なら手が出せる。

 

「アトラス、支援できる!」

 

 血色の瞳が、一瞬こちらを向いた。

 

「次で穿つ。合わせよ」

 

 立香は頷いた。

 礼装へ魔力を通す。まだ放たず、槍を持つ腕を見た。

 

 竜が首を振り上げた。

 開いた顎の奥が赤くなる。喉から口へ、火がせり上がってきた。

 

 炎が噴き出すより早く、泉の水が立った。

 

 水の塊が、横から竜の顎を打った。首が跳ね上がり、吐き出された炎が頭上の空を焼く。

 熱が立香の頬を撫でた。

 けれど、その目は槍から離さなかった。

 

 仰け反った竜の胸が見えた。

 まだ前脚は、岩へ押しつけられたままだ。

 

 アトラスの足元に、青い面が生まれた。

 踏み込む足を受け止める。岩が崩れても、その足場は揺れなかった。

 

 槍が引かれた。

 

「――今!」

 

 立香は魔力を送り込んだ。

 礼装から迸った光が、紺碧の輪郭を一瞬だけ縁取る。

 

 アトラスが地を蹴った。

 

 三叉の穂先が、竜の胸を貫いた。

 

 押し込まれた槍に沿って、胸の鱗が砕ける。背の側が内から弾け、血と破片が岩壁へ叩きつけられた。

 竜の顎が開いた。

 吼える声は出なかった。

 

 アトラスが槍を引き、横へ抜ける。

 巨体が傾いた。

 

 立香は岩へ身を寄せた。

 地面が跳ねたような衝撃が、靴底から膝へ突き上がる。水が高く上がり、砕けた鱗と一緒に降った。

 

 それきり、竜は動かなかった。

 

 首が泉の縁へ落ち、開いた顎から血が流れていた。胸の穴は塞がらず、片方の翼が折り重なるように水へ浸かっている。

 アトラスが槍を構え直した。

 

『竜の生命反応、消失しました!』

 

 マシュの声が、耳元ではっきり響いた。

 立香は通信機を見た。

 

『干渉が低下しています。帰還座標の照合、開始します!』

「繋がった……?」

『ああ、今なら拾える。二人とも、そのまま動かないでくれ』

 

 ダ・ヴィンチの声にも、雑音がなかった。

 立香は大きく息を吐いた。

 岩陰から顔を出すと、アトラスは倒れた竜を見下ろしていた。槍の穂先から、血が滴っている。

 

「アトラス、帰れるって」

 

 紺碧の肩がこちらを向いた。

 立香は記録をしまったところへ手を当てた。

 ちゃんとある。村で聞いたことも、残した薬の量も、持ち帰れる。

 

『ギルガメッシュ王の座標も――』

 

 声の途中で、アトラスが竜へ向き直った。

 

 岩の上を流れていた血が、止まっていた。

 

 立香は眉を寄せた。

 血の端が、少しずつ動いている。

 流れていく方へではない。岩の傾斜を遡り、竜の胸へ戻っていく。

 

「……マシュ?」

 

 潰れていた胸の奥で、何かが光った。

 裂けた肉が持ち上がる。折れた骨が、音を立てて向きを変えた。

 竜の胸が、一度、大きく膨らんだ。

 

『生命反応が再出現――そんな、さっきは確かに……!』

 

 立香の手首で、通信が軋んだ。

 聞こえていた声に、鋭い雑音が重なる。

 

 横たわった首が、ずるりと動いた。

 

 傷が塞がっているだけではない。

 息も、鼓動も、止まったところから戻ってくる。

 

「帰還処理は!?」

『照合が、まだ――座標を維持できません!』

 

 黒い瞼が開いた。

 立香は足を引いた。

 

 帰るための光は、まだどこにも現れていなかった。

 

 *

 

 竜が、前脚を立てた。

 

 胸に残っていた穴が塞がっていく。まだ揃いきらない鱗の間で、肉が脈打っていた。

 立香は通信機へ声を張った。

 

「もう一度止めたら、その間に帰れる!?」

『今の復活速度では、処理が追いつかない。座標を確定する前に、また――』

 

 ダ・ヴィンチの声が途切れた。

 空を仰ぐと、太陽は細い弧になっていた。

 

「マスター、下がれ」

 

 アトラスが、槍を横へ構えた。

 

「岩の後ろへ。泉から離れよ」

 

 立香は走った。

 岩壁の裏を回り、上ってきた道の方へ出る。振り向いた先で、竜がアトラスへ首を伸ばしていた。

 

 爪が振り下ろされる。

 アトラスはそれを槍で逸らし、踏み込んだ。竜の前脚が滑り、半ば水へ落ちる。

 巨体が泉側へ傾いた。

 

 アトラスが立香を見た。

 

「そこにいろ」

 

 鎧の縁に、青い光が走った。

 肩と腕の装甲が開き、溢れた光が足元へ流れ落ちる。

 そこから泉の周囲へ広がり、岩の上にも、水の下にも、同じ青が線を引いた。

 

「――不可侵なりし紺碧の城塞」

 

 光が立ち上がった。

 

 平らな、半透明の壁だった。

 泉の一角を切り取り、竜と紺碧の姿を囲んで、上空まで閉じる。

 壁が広がるにつれ、アトラスの肩や胸を覆う装甲の重なりが減っていく。槍を握る腕には、薄い装甲が一層残るばかりだった。

 竜を囲む壁へ、彼女自身を守るはずの装甲を回している。

 

 竜の尾が壁を打った。

 立香はとっさに身を縮めたが、風も、砕けた石も届かなかった。

 

『先輩!』

 

 通信機から、マシュの声が飛び出した。

 

『干渉が途絶えました。座標を再取得しています!』

「今なら帰れる?」

『はい。今度は安定しています。帰還処理を進められます!』

 

 立香は壁の向こうを見た。

 青く透ける境界の内側で、アトラスが竜へ槍を向けていた。

 

「アトラス、できたよ。今度は――」

『待って』

 

 ダ・ヴィンチの声が、立香を止めた。

 

『立香ちゃんの座標は取れた。ギルガメッシュも、反応のあった地点を捕捉できている。ただ、アトラスはその内側だ』

 

 立香は一歩、壁へ近づいた。

 

「こっちへ出てくれば……」

「己が出れば、隔離を維持できぬ」

 

 声が届いた。

 竜の尾が岩を打つ音は聞こえないのに、アトラスの声だけが、はっきりと壁を越えてきた。

 

「竜の干渉が戻る。帰還が終わるより早く」

 

 立香は足を止めた。

 アトラスは、出口へ向かおうとしていなかった。

 

「なら、私から魔力を渡して、もっと長く――」

「その間も、己はここに要る」

 

 竜が身を起こした。

 アトラスの槍が、その前脚を打った。爪が壁へ届く寸前で落ち、巨体が低く沈む。

 立香は境界の外から、その一連を見ていた。

 

 時間はできた。

 アトラスが内側で支えている間だけ、帰るための時間が。

 

「マスターと英雄王の帰還を進めよ。英雄王にも、使える座標を知らせておけ」

 

 アトラスは、管制へ告げた。

 

「マスター。村の記録と、今の戦いを持ち帰れ。薬と、竜の復活を止める手を整える」

「待って。それじゃ、アトラスは」

「ここを保たせる」

 

 短い返事だった。

 立香は通信機を握り直した。

 

「私が帰った後も、ここにいられるの?」

 

 返答は、カルデアから来た。

 

『この状態で君だけが帰還すれば、彼女への魔力供給は維持できなくなる。残った魔力を使い切れば、現界も……』

 

 ダ・ヴィンチが一度、言葉を切った。

 

『カルデアには霊基グラフがある。再召喚はできるよ。けれど、今回の記憶の同期は戻っていない。声は届いていても、城塞の内側にいる彼女の霊基までは繋がっていないんだ』

 

 立香は、青い壁へ目を戻した。

 

「今日のことを、覚えていないアトラスが戻ってくるの?」

『このまま消滅すれば、そうなる』

 

 泉へ来る道で聞いた声が、蘇った。

 

 世界を戻せば、その先を汝が生きる。

 己は、それを望んだ。

 

 あの言葉を聞いて、立香は帰ると言った。

 言った本人が隣にいない帰り道を、考えてはいなかった。

 

「さっき、一緒に来たのに」

 

 声が小さくなった。

 立香は唇を噛んで、顔を上げた。

 

「記録が残れば、それでいいわけじゃない。帰ってから話せても、今のアトラスは、それを覚えてないんでしょう」

 

 血色の瞳が、こちらを向いた。

 

「承知している」

 

 答えは聞こえた。

 すぐに竜の顎が迫り、紺碧の姿が横へ動いた。槍が顎の下へ入り、噛み合わせを逸らす。

 アトラスはそのまま巨体を押し戻した。

 

「……村は?」

 

 立香は訊いた。

 

「アトラスがいなくなったら、この壁もなくなるんだよね」

「ああ。竜は残る。だから、次の手が要る」

 

 槍を構え直す手が見えた。

 

「患者の水には猶予がある。汝が戻れば、もう一度ここへ届く道を作れる」

 

 立香は、記録をしまったところへ触れた。

 乾いた紙の角が、布越しに指へ当たった。

 

 竜を倒す方法は、まだわからない。

 それでも、食べてはいけないものと、薬が必要な人の数はわかった。傷を治すだけではなく、死んだ後からも戻ってくることを、今知った。

 これを持ち帰れば、続きを試せる。

 

 壁の向こうで、竜が翼を開いた。

 アトラスが槍の石突を岩へ打ち込む。持ち上がりかけた翼が止まり、巨体の足元で水が押し下げられた。

 紺碧の鎧の隙間から、青い光が絶えず流れていた。

 

「マシュ。今の戦闘、記録は取れてる?」

『はい。途切れた部分はありますが、撃破の直後と、復活が始まったところは残っています』

「村の記録は、私が持ってる。家にある薬の分も、全部」

 

 言葉にすると、するべきことが一つずつ戻ってきた。

 立香は通信機へ口を近づけた。

 

「帰還の準備は進めて。でも、その間に、一緒に帰る手をまだ探して」

『……了解しました』

 

 立香は壁へ向き直った。

 

 竜の爪が、槍の柄を滑った。

 薄くなった腕の装甲が裂け、その縁に血が滲んだ。槍を持つ手は離れなかった。

 踏み込んだ足が岩を削り、爪の向きが逸れた。

 

 立香は手を上げかけた。

 けれど、触れられる距離にはいなかった。青い境界の向こうでは、血が手甲を伝っている。

 

「マスター」

 

 アトラスが、竜から目を離さずに呼んだ。

 

「持ち帰るものは揃ったな」

 

 立香は息を吸った。

 

「……うん。持ってる」

「ならば、帰れるうちに帰れ」

 

 立香は頷こうとして、できなかった。

 握っていた手を開く。掌に爪の跡が残っていた。

 

 その手で、記録を押さえた。

 

 壁は立っていた。

 竜が爪を立てても、身体をぶつけても、その一撃はこちらへ通らなかった。

 内側で、アトラスがもう一度槍を構えた。

 

 カルデアの声は、まだ途切れていなかった。

 

 *

 

『先輩。帰還の最終確認を――』

 

 立香は、青い壁の向こうを見ていた。

 薄くなった装甲。手甲を伝う血。それでも下がらない槍の穂先を。

 

「大洋王」

 

 声が、高いところから落ちてきた。

 

 立香は顔を上げた。

 泉を囲む岩壁の上に、黄金があった。

 

 城塞の外へ張り出した高台。その縁に、ギルガメッシュが立っていた。欠けた太陽を背にしても、黄金の鎧は光を失っていなかった。

 

「ギルガメッシュ……!」

 

 赤い瞳は、城塞の内側を見ていた。

 竜を、槍を構えるアトラスを、その二つを囲む青い境界を。

 

 ギルガメッシュが片手を上げた。

 鈍い金色の壺を、掲げる。

 

 何か言うのかと、立香は口元を見た。

 その前に、壺が空へ放られた。

 

「え――」

 

 思わず目で追った。

 壺が回る。暗い空を横切り、口の内側が金色に光った。

 

 アトラスが顔を上げた。

 その視線が器を捉え、竜の頸へ落ちる。

 

 立香が高台へ目を戻した時、ギルガメッシュは既に跳んでいた。

 

 手元に開いた黄金から、一振りの剣を抜き放つ。

 竜殺しの魔剣、グラム。

 刃を引き、真っ直ぐに竜へ落ちていく。

 

 まだ、城塞は閉じていた。

 

 アトラスが槍を返した。

 竜の前脚を払い、巨体を泉側へ押し留める。踏ん張った胴が沈み、反り上がった頸が、落ちてくる黄金の前へ晒された。

 

 ギルガメッシュは止まらなかった。

 

 触れる寸前、アトラスの空いた手が開いた。

 青い境界が、身体と刃の通る分だけ退く。

 

 黄金が内側へ入った。

 その背後で、城塞は直ちに閉じた。

 

 振り下ろされた魔剣が、竜の頸を断った。

 

 黒い鱗の連なりが、斜めにずれた。

 首が胴を離れる。

 落ちるはずのそれが、宙で顎を開いた。

 

 ギルガメッシュは斬り抜け、アトラスの傍らの岩場へ降り立った。

 

 立香の喉が震えた。

 あの壁の内側へ。

 アトラスのところへ、来てくれた。

 

 頭上で、壺が落ち始めていた。

 

 宙を向いていた口が、回りながら竜の首へ向く。

 切断面から血が噴き上がった。

 地面へ散るはずの血は、空中で一本に束ねられ、器へ向かって弧を描いた。

 

 青い壁を横切るところだけ、細く光が退いた。

 血の流れが、その隙間を通る。

 

 首が暴れた。

 剥き出しの断面から伸びかけた肉が、引き千切れるようにほどけていく。頸を形作る前に、血と金色の光になって壺へ吸い込まれた。

 黒い鱗が剥がれ、顎が崩れた。

 

 胴が跳ねようとした。

 アトラスが槍の石突を踏み込みとともに据える。

 巨体は浮き上がれなかった。翼が一度、泉を叩き、そのまま力を失った。

 

 最後に、牙が砕けた。

 首のあったところから金色の尾が引かれ、それも器の中へ収まった。

 

 落ちてくる壺の下へ、ギルガメッシュが手を差し出した。

 器が青い境界を抜ける。

 

 黄金の手が、それを受け止めた。

 

 竜の胴が、岩の上へ崩れ落ちた。

 血は戻らなかった。

 

 陽が差した。

 

 立香は目を細めた。

 岩壁の頂から、光が流れ込んでくる。黒かった水面に空の青が映り、浮いた鱗の一枚一枚が濡れて光った。

 頬に日差しの温かさを感じた。

 

 空へ食い込んでいた黒が、消えていた。

 

 城塞の壁が、下り始めた。

 上空から薄れて、岩と水を区切っていた線へ戻る。その青がアトラスのもとへ収まり、肩や胸に、再び幾枚もの装甲が重なった。

 最後の境界が消えると、泉の水音が戻ってきた。

 

 ギルガメッシュが、剣を下ろした。

 アトラスは彼へ顔を向け、槍の穂先を下げた。鎧が一度、小さく鳴った。

 

 二人が同じ岩場に立っていた。

 立香との間には、もう壁がなかった。

 

『干渉、消失しました。復活の反応もありません……!』

 

 マシュの声に、立香は通信機を持ち上げた。

 

「アトラスも、帰れる?」

『はい。三人とも、帰還できます!』

 

 立香は足を踏み出した。

 さっきまで境界があった場所を越え、泉の縁へ下りる。二人はその間にも、倒れた竜と、手の中の器を確かめていた。

 

 続いてダ・ヴィンチが、落ち着いた声で村の状況を確かめ始めた。

 

『新しい患者が増えるのは防げる。……ただ、泉の魔力反応は消えているね。村の汲み置きは残っているけど、もう補充はできない。治療を続ける分を確保できればと思ったんだけど――』

 

 ギルガメッシュが、アトラスを見た。

 

「ほう。時を費やしただけのことはある」

 

 その手が、壺を僅かに持ち上げる。

 

「ならば、この薬で事足りよう」

 

 立香は器の中を覗いた。

 深い紅の液が、内壁を濡らしていた。その底で、淡い金色が揺れている。

 

「これで、治せるの?」

「今いる患者の分でよいのであろう。足りる」

 

 立香は、アトラスを見上げた。

 彼女は壺からギルガメッシュへ目を移した。

 

「それでよい」

 

 ギルガメッシュが口の端を吊り上げた。

 アトラスの口元にも、僅かに笑みが浮かんだ。

 

 立香は、二人の顔を見た。

 それからようやく、詰めていた息を吐いた。

 

 *

 

 槍を握る指を緩めると、腕の傷が痛んだ。

 

 アトラスは手首を返し、血のついた手甲を確かめた。城塞を保つために注ぎ続けていた魔力は、もう流れ出していない。戻った装甲が、肩と胸に馴染んでいた。

 息を吐く。

 濡れた岩の匂いがした。頬には日が当たっている。

 

 少し離れたところで、ギルガメッシュが壺を光へかざしていた。

 口の縁を指でなぞり、内側を覗く。こちらへ投げる時には、とうに済ませていたはずの検分を、今はゆっくり続けている。

 

「アトラス」

 

 立香が隣へ来た。

 傷のある腕を見て、それから顔を上げる。何か言いかけ、少し離れた黄金へ目をやった。

 

「アトラスは、ギルガメッシュを信じてたの?」

 

 信じていた。

 立香の言葉を胸中でなぞる。そう言い表すには、あの男が再び姿を見せることは、あまりに当然だった。

 

「わかっていた」

「助けてくれることを?」

「否」

 

 それだけは、初めから想定していない。

 

「あの男は必ず来る。救援のためであれ、雌雄を決するためであれ――己と再び見えるために」

 

 己が王であることを、手放さぬ限り。

 

 立香は黙った。

 アトラスの顔をしばらく見てから、もう一度ギルガメッシュへ目を向けた。

 

 アトラスも、その横顔を見た。

 ギルガメッシュは壺を傾けていた。差し込む陽が、器の内側から頬へ照り返している。

 こちらを見ようとはしない。

 ただ、口元にはまだ笑みがあった。

 

 閉じた城塞へ跳び込んできた時も、あの顔だった。

 アトラスは、黄金が青へ触れる直前の一瞬を思い返した。この手を開くより先に、あの男は既に空中にいた。

 

 傷の痛みも、戻った日差しも、今ここにある。

 アトラスは槍を持ち直し、もう一度その顔を目に収めた。

 

 この顔を、己も覚えて帰る。

 

 *

 

 岩の脇に置いた小さな水瓶は、倒れずに残っていた。

 

 立香はそれを拾い上げ、底についた砂を払った。借りた時と同じ、空のままだ。けれど、村へ持ち帰る薬はある。

 

「マシュ。村に寄ってから帰っても大丈夫?」

『はい。座標は安定しています。帰還地点は、皆さんの移動に合わせて更新します』

「ありがとう。すぐ届けてくる」

 

 坂を下り始めても、声は途切れなかった。

 立香は一度、通信機の表示を確かめた。それから、隣を歩くギルガメッシュの手元へ目を向ける。

 壺の中で、紅い液が揺れていた。

 

「それ、宝物庫にあったんだよね」

「ああ」

「もともと、何が入っていたの?」

「アムリタだ」

 

 立香は壺を見直した。

 鈍い金色の表面には傷もあって、今も、言われなければとびきりの宝には見えない。

 

「……不死の薬の?」

「その器だ。中身はとうに失われていたがな」

 

 ギルガメッシュが、器の縁を指で叩いた。

 

「あの竜め、長く抱え込むうちに、器に染みついた力まで取り込みおった。それで身に余る役を得たのよ」

「役?」

「ラーフ。神々の霊薬を盗み飲み、首を刎ねられてなお生きたもの。日月を呑む、不死の首だ」

 

 立香は空を見上げかけ、眩しさに目を伏せた。

 

「だから、太陽が欠けてたんだ」

「竜の身で、その伝承をなぞっていたのだ。死なぬ身も、あの蝕も、出所は同じよ」

 

 坂の下から風が来た。

 道端の草が、三人の足元へ倒れる。影の動きがはっきりと見えた。

 

「でも、首を切られても生きてるんだよね。それなら、さっきも――」

「首だけで生き続けたであろうな。放っておけば」

 

 ギルガメッシュは、立香の向こうへ目をやった。

 アトラスが、槍を持つ手を僅かに動かした。

 

「こやつが、既に外との繋がりを断っていた。泉へ流れ、竜へ戻る力も、あの囲いの内に留められていたわけだ」

「その中で、首を切ったから?」

「不死を首へ分けた。あとは、元の器へ戻してやればよい」

 

 壺が軽く持ち上がる。

 立香は、血が宙を渡った光景を思い出した。青い壁の一部だけが退き、その細い隙間を、金色を帯びた紅が通っていた。

 

「逃がせば、また竜のものとなる」

 

 アトラスが言った。

 

「ゆえに、器へ至る道だけを開いた」

 

 あの時、二人は何も説明しなかった。

 壺が宙へ上がり、黄金が跳び、青が開いた。立香が息を吸う間に、竜の首は落ちていた。

 今になって、その一つ一つに言葉が追いついてくる。

 

「……あの一瞬で、そこまでやってたんだ」

「眺めていただけの貴様が、なぜ疲れた顔をする」

「見てる方だって、いろいろあったんです」

 

 ギルガメッシュが喉で笑った。

 立香はもう一度、壺を覗く。

 

「じゃあ、これもアムリタになったの?」

「そこまで上等なものではない。竜が取り込んだ力を、その血ごと回収しただけだ。使えば尽きる」

「また泉に入れたりしても、増えない?」

「薄まるだけだ。余計な真似をするなよ」

「しません」

 

 立香は水瓶を抱え直した。

 下り坂の先に、村の屋根が見えていた。

 

 *

 

 集会所の前で、若い男が駆け寄ってきた。

 

「竜は……」

「倒しました。もう、誰かを生贄にする必要はありません。薬も持ってきました」

 

 男は大きく息を吐き、立香から空の水瓶を受け取った。

 その声を聞いて、女も戸口へ出てくる。三人を中へ迎えると、卓上に置かれた壺を覗き込んだ。

 

「これを、飲ませれば?」

「はい。今までの水とは濃さが違うので、量を確かめさせてください」

 

 ダ・ヴィンチの確認を受けながら、患者の記録に合わせて薬を分ける。女が器を取り、男が寝床へ運んでいった。

 

 窓際の老人は、薬を飲むと深く息を吐いた。

 肩の上下が落ち着き、椀を持つ指の震えも収まっていく。立香が手を添えようとすると、老人は自分で椀を持ち直した。

 

『症状を抑えるだけじゃない。傷んだ身体の修復が進んでいるよ。このまま休ませてあげよう』

 

 ダ・ヴィンチの声に、立香はようやく肩の力を抜いた。

 女と頷き合い、次の患者の記録を開く。飲み終えた者の名の横へ、一つずつ印が増えていった。

 

 女が壺へ蓋をかぶせ、ギルガメッシュへ向き直った。

 

「この器は、お返しした方が……。薬を移せるものを探してきます」

「要らぬ。器ごと取っておけ」

 

 女の手が止まった。

 立香も顔を上げる。

 

「壺も、いいの?」

「不老不死の薬ならば、蔵に在庫がある。この程度のために持ち帰るまでもない」

 

 ギルガメッシュは、もう器を見ていなかった。

 立香は女と目を合わせ、それから壺へ視線を戻した。女は蓋がきちんと閉まっているか、両手で確かめている。

 

「……宝を探しに来たのに、置いて帰るんだ」

「我が持ち帰るに値するかは、我が決める」

「それは、そうだけど」

 

 言いながら、立香は少し笑ってしまった。

 村まで抱えて運んできた器を手放して、ギルガメッシュはひどく機嫌がよさそうだった。

 

「ずいぶん大変だったんですけど。今回の宝探し」

「退屈はせなんだろう」

 

 何と答えたものか迷って、立香はアトラスを見た。

 彼女は腕の手甲を直しながら、黄金へ目を向けた。

 

「次は、掘り出すだけで済むものを選べ」

「竜の腹を探るより容易い仕事では、張り合いがあるまい」

「掘るのは汝だ」

 

 ギルガメッシュが笑った。

 立香も、今度は声を出して笑えた。

 

 *

 

 薬の量と飲ませ方を、立香は女ともう一度確かめた。

 食事に使っていた根と、その粉は取り除いてある。代わりの食料も、村で分け合う手筈がついていた。

 女が記録の板を棚へ戻すのを見届け、立香は手帳を閉じた。

 

「それでは、私たちはこれで。皆さん、お大事にしてください」

「本当に、ありがとうございました」

 

 立香は頭を下げ、二人のサーヴァントを追って外へ出た。

 

 村外れまで来ると、海が見えた。

 斜面を渡る風に草が揺れ、その向こうで、波の一つ一つが日に光っている。来た時には気づかなかった色が、遠くまで続いていた。

 

『帰還準備が整いました。先輩、いつでも大丈夫です』

 

 立香は通信機を持ち上げた。

 

「うん。帰るね、マシュ」

『はい。お待ちしています』

 

 足元に光が灯った。

 立香は隣を見た。アトラスの足元にも、同じ光が広がっている。

 槍を手にした彼女が、こちらへ顔を向けた。

 

「どうした、マスター」

「ううん」

 

 立香は首を振り、その顔を見上げたまま笑った。

 アトラスは僅かに目を細め、それ以上は尋ねなかった。

 

「大洋王」

 

 反対側から、ギルガメッシュが呼んだ。

 

「我を迎える門にしては、いささか狭かったな」

 

 アトラスが彼へ目を向ける。

 

「汝なら、あれで足りる」

 

 返事は短かった。

 ギルガメッシュの口元が吊り上がる。

 

「言うではないか」

 

 立香は二人を見比べた。

 朝には、一方が剣を出し、もう一方が槍を構えていた。今も、その剣と槍を持つ手はすぐそこにある。

 手帳をしまった鞄の紐を握り直すと、ようやく指先まで力が抜けた。

 

『レイシフトを開始します』

 

 光が強くなった。

 ギルガメッシュが顔を上げ、アトラスも槍を引き寄せる。

 

「行くか」

「ああ」

 

 立香は頷いた。

 

 風が髪を持ち上げる。潮の匂いを、胸いっぱいに吸い込んだ。

 視界が白く満ちる、その直前まで。

 

 二人の王は、立香の隣に並んでいた。

 

 




活動報告で、制作裏話や本編に採用する場所のなかった掌編などを公開しています。
https://syosetu.org/?mode=kappo_view_list&uid=332978

この作品の興味をもったところは?

  • アトラスのキャラクター性・内面
  • ギルガメッシュとの関係性
  • 王としての在り方・王権のテーマ
  • ストーリーの展開
  • その他
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