The Reversed Star――逆位置の星―― 作:ほいみん
※独自解釈/女性体オリジナルサーヴァント/ギルガメッシュ×アトラス/本文に文章生成AI補助あり
※掲載イラストは作者による手描きです。
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第1話 歴史の船溜まり
ボイジャーは、机の上の紙を覗き込んでいた。
大きな船が一隻。その周りには、山の稜線が幾重にも描かれている。船から少し離れたところに、小さな四つの印があった。
紙を回してみても、山の外へ出られる水路は見つからない。
「何か気になるものでも?」
横から声がした。ボイジャーが顔を向けると、マーリンが椅子の背に手を掛けていた。
「このふね、うみはどこにあるの?」
船の下に指を置く。線の一本も引かれていない、白いところだった。
「彼らが着いた時には、もうなかったんだ。船の上には、町があったけれどね」
「まちが?」
ボイジャーは、もう一度紙へ目を落とした。
船の上に重なっている小さな四角。荷物を積んでいるのかと思った。それが家なら、この船にはずいぶんたくさんの人が暮らしている。
「ああ。なかなか賑やかな町でね。大洋王と英雄王が、揃って訪ねていった」
ボイジャーの指先が、船の手前の四つの印へ戻った。
顔を上げると、マーリンは椅子を引き、向かいへ腰を下ろした。
*
「今回の特異点には、王が要る」
出発前の確認を締めくくるには、少し変わった言葉だった。
立香は手袋の留め具から顔を上げた。管制卓の向こうで、ダ・ヴィンチが画面を切り替える。
「トリスメギストスの演算結果だよ。中でも、アトラスとギルガメッシュ。この二騎の組合せが、最も高い攻略可能性を示している」
「王様が、二人とも必要なんだね」
傍らに並ぶ二人を見る。
アトラスは画面へ目を向けたまま、ギルガメッシュは腕を組んでいる。どちらも、自分の名が挙がったことに驚いてはいなかった。
「何をするのに必要なのかは、分かる?」
「そこまでは、まだ。確認できているのは、神代ギリシャ――英雄時代初期に位置する異常と、陸地にある大規模な構造物。その内部に聖杯反応がある、というところだ」
画面の一角が拡大された。輪郭の定まらない影の奥で、反応を示す光だけが明瞭に点っている。
王が二人。あの中に玉座でもあるのだろうか。
立香が画面と二人の顔を見比べていると、アトラスが口を開いた。
「現地を見れば、分かることもあろう」
「案ずるのは着いてからにせよ。行くぞ、雑種」
ギルガメッシュは早くも踵を返していた。アトラスもそれに続く。
いつもどおりの二人を見送って、立香は手袋の留め具を押さえ直した。
「先輩。通信、装備ともに確認できました」
「ありがとう、マシュ。じゃあ、行こう」
隣で頷いたマシュと、それぞれのコフィンへ向かう。
身を横たえると、頭上を覆っていく蓋に管制室の明かりが映った。
「まずは現地の確認を。こちらでも解析を続けるよ」
「うん。行ってきます」
ダ・ヴィンチへ返した声に、起動音が重なった。
立香は息を整え、目を閉じた。
*
光が退くと、湿った土の匂いがした。
靴底が、柔らかな地面へわずかに沈む。立香は足を置き直し、顔を上げた。
雨上がりの空だった。山々を渡る雲は低く、その向こうまで一面の灰色が続いている。日の位置は分からない。草の葉には水滴が残り、踏み分けられた道の窪みが、鈍く空を映していた。
「先輩、足元に気をつけてください」
「うん。……ありがとう」
返事の途中で、立香は首を反らした。
目の前に、壁があった。
視線を左右へ走らせても端が遠い。上へ追えば、反り上がる外殻の縁が曇り空を大きく切り取っている。幅広い箱を、そのまま山あいへ据えたような巨体だった。
「これ、船……?」
足元を波が洗うことはない。底は土に埋まり、周囲には草が生えている。
それなのに、ずっと高い外殻の継ぎ目には、枝や枯れ草が固く絡んでいた。そこから横へ、泥の色が帯になって残っている。立香はその高さを目で辿り、もう一度、自分の靴先を見た。
船体の上に、屋根が重なっている。
大きさの違う家が段をなし、その隙間を階段と細い通路が縫っていた。張り出した水路から、下の桶へ水が落ちる。低い屋根の一つから煙が上がり、湿った風に、薪の燃える匂いが混じった。
ぱん、と音がした。
立香が目を向けると、上の通路で誰かが布をはたいていた。大きく広がった布が道へ垂れ、籠を抱えた人が頭を屈めてその下を通る。何か言ったらしく、布を持つ人が片手を上げた。
「……人が住んでる」
遺跡の壁を見上げるつもりで、立ち止まっていた。
だが、船へ続く道には新しい轍が幾筋も走っている。遠くの林から薪を積んだ荷車が戻り、その後ろを、束ねた枝を背負う人たちが歩いてきた。車輪が水溜まりを踏む前に、立香は道の脇へ寄った。
「聖杯反応を確認しました。あの船の、さらに奥です」
マシュが手元の表示から顔を上げた。
荷車の向かう先には、人の出入りする大きな口が開いている。
「まず、話を聞いてみよう」
歩き出すと、船の外殻に重なった補修の跡が近づいた。古い板を覆う板、その端をさらに留めた継ぎ板。上から下りてくる水路も、途中で幅が変わっていた。
アトラスの視線が、その繋ぎ目を辿っている。
「継ぎ目ばかり見ておるな」
隣を歩くギルガメッシュが言った。
「継ぎ足した者がいる。何度もだ」
「我は、その上で布を干しておる者どもを見ておる」
また、布をはたく音が落ちてきた。
アトラスが上を向く。張られた紐に一枚が掛けられ、その横へ次の一枚が広げられていく。立香もつられて見上げてから、荷車の後を追った。
搬入口の扉は、厚みだけでも人が隠れられそうだった。
その脇で、作業着の男が蝶番の近くを覗き込んでいる。足元には道具が並び、もう一人が扉の縁へ手を添えていた。
立香は邪魔にならない側へ寄り、声を掛けた。
「すみません。中へ入っても大丈夫ですか」
男は顔を上げ、四人を順に見た。ギルガメッシュのところで目が止まり、何か言いかけて、蝶番へ視線を戻す。
「……話なら上で聞いてくれ。そっちを通れ。扉には触るなよ」
「ありがとうございます」
入口の内側に、一台の荷車が寄せてあった。片側の縁が白く擦れ、削れた木肌が露出している。床には水を流して拭った跡があり、隅の濡れた布には赤茶けた色が滲んでいた。
立香の歩みが少し緩む。マシュも同じところを見ていた。
奥から声が響いてきた。
緩い上りの通路を抜けると、家々の間に少し広い場所があった。開いた戸口から、湯を張った鉢を抱える人が出てくる。腕に布を巻いた男が壁際に座り、その前を行く人々は、皆、広場の中央を避けていた。
薬草の匂いがする。
その中で、二人の男が向き合っていた。
「閉めるなと言っただろう!」
怒声に立香が顔を向けた時には、土に汚れた袖から伸びる腕が、もう一人の胸元を掴もうとしていた。
*
掴まれた襟が、ぐっと引き寄せられた。
「仲間がまだ外にいたんだぞ!」
「お前たちの帰りだけを待っていられる船ではない!」
工具を腰に提げた男が、胸元の手を引き剥がす。日に焼けた手の甲に、古い傷がいくつも走っていた。
押し返されても、若い男は引かなかった。踏み込んだ靴が、二人の間に置かれていた空の桶を蹴る。桶は転がり、戸口から出てきた人の足に当たりかけた。
「スティリオス、よせ!」
誰かが叫んだ。別の住民が、通路にあった荷車を慌てて引き寄せる。
若い男――スティリオスは、声の方を見もしない。
「待ってください、ここで――」
立香が声を張り、マシュが一歩前へ出た。
その時、二人の怒声の間を、よく通る声が抜けた。
「その手をお放しなさい。ここは診療所の前ですわ」
スティリオスの腕は、もう相手へ伸びていた。
そこへ、白い手が添えられた。
金の髪が、ひるがえる。
女の人が二人の間に入った、と立香が見て取った時には、スティリオスの身体が斜めになっていた。伸ばした腕に引かれて一歩、踏ん張ろうとした足が空を踏む。
低い音がした。
男の肩が、女の足元へ落ちていた。
「な――」
スティリオスが顔を上げる。起き上がろうと床に突いた手は、身体を支えきる前に浮いた。女が半身を寄せ、取った腕を背へ回している。
男の背が跳ねた。だが、そこまでだった。膝を立てようとしても腰が上がらず、肩に力を込めると、かえって胸が床へ近づく。
「お、おい。何だ、これ……!」
女は男の腕を押さえたまま、顔を上げた。
青い衣の裾が遅れて床へ落ちる。髪に飾られた花が、小さく揺れていた。
「先に掴んだのは、そいつだ」
工具を提げた男が近づく。
言いながら、まだスティリオスへ手を伸ばそうとした。
「ペトロス。あなたもです」
女の空いていた手が、その手首を取った。
ペトロスの肩が下がる。持ち直そうと踏み出した足の先へ、青い裾が滑り込んだ。腰の工具が鳴り、片膝が床につく。
次の瞬間には、二人の顔が同じ高さに並んでいた。
立香は、差し出しかけた手を止めた。
どちらも、女の足元から動けない。
「だから、私まで――」
「口は動きますわね。言い分は、一人ずつ聞きます」
澄ました声だった。
ペトロスが何か言い返そうとし、隣のスティリオスと目が合った。二人はほとんど同時に顔を背けたが、身体の方は動かなかった。
人垣のどこかで、息が吹き出した。
「だからやめろと言ったのに」
笑いを含んだ声へ、女が目を向ける。
続きかけた声が引っ込んだ。
「こちら、通れます。鉢はそのままお持ちください」
マシュが転がった桶を拾い、壁際へ寄せていた。荷車を引いた住民もそれに気づき、取っ手を持ち直す。止まっていた人の列が、二人の脇を迂回して動き始めた。
湯の鉢を抱えた人が通り過ぎるのを、立香も身を引いて待った。
背後の二王は、武器に手を掛けていなかった。
ギルガメッシュの口元が、わずかに上がっている。
その隣でアトラスは、押さえられた二人から女へ、静かに目を移した。
「もう手は出しませんね」
女の問いに、スティリオスが口を開きかけた。
女は待った。
やがて男は、顎を一度引いた。ペトロスも、床へ向けて短く返事をした。
二人の腕が、同時に解かれる。
スティリオスは起き上がるなり肩を回し、肘を曲げ伸ばしした。ペトロスは手首を擦ってから、指を握り、開く。どちらも女を見上げたまま、すぐには立とうとしなかった。
ギルガメッシュが女を見たまま、立香へ声を掛けた。
「鮮やかな手並みよな。だが気をつけろ、雑種。あれは人ではない。女神の類か――であれば、人に無理難題を仕掛けるのが務めというものよ」
立香の頭に、カルデアにいる女神たちの顔が幾つか浮かんだ。
そんな言い方をしなくても、とは思う。けれど、まったく心当たりがないとも言えなかった。
「アストライア様、あの……」
診療所の戸口から、声が掛かった。
女はそちらへ頷き、それから立香たちを見た。
明るい瞳が四人を順に捉える。立香は止めたままだった手を下ろした。
「見ないお顔ですわね」
間近で見ると、立ち姿まで隙がなかった。つい今しがた大の男を二人、床へ伏せていた人が、髪の一房を肩の後ろへ払う。
「少しお待ちなさい。こちらの話が、まだ済んでいませんの」
立香が頷くと、女は再び二人へ向き直った。
*
「ゾーイ。運び込まれた方の容体は?」
アストライアが尋ねると、戸口の女性は二人の男へ目を向けた。
「手当てはしています。二人とも、続きはここから離れてお願いします。何かあれば呼びますから」
スティリオスが立ち上がる。診療所へ近づきかけたが、ゾーイの視線を受けて足を止めた。
彼女は返事を待たず、中へ戻っていった。
「では、こちらへ」
アストライアが示したのは、通路を空けた脇の腰掛けだった。
二人は一人分ほど間を空けて座った。ペトロスは、腰の工具が板に当たらないよう、留め具をずらしている。スティリオスは両膝に肘をついたまま、診療所の戸口を見ていた。
立香たちも、荷車の通る場所を避けて立った。
「スティリオス。帰りが遅れた事情から話しなさい」
「怪我人が出た。歩かせられなくて、荷車に乗せたんだ」
「搬入口へ戻った時には?」
「扉が閉まり始めてた。こっちはまだ外にいたんだ。あいつを乗せてるんだぞ」
「だから、手順も確かめずに飛び込んで――」
ペトロスの言葉を、アストライアが手で止めた。
「あなたの番にも聞きます」
スティリオスの指が、膝の上で握られた。
「荷車が来るまで待ってくれって叫んだ。俺だけ先に走って、扉のところへ入った」
立香は、入口に寄せてあった荷車を思い出した。
「片側が擦れていた、あの荷車に……怪我をした方が乗っていたんですか」
「ああ。縁をぶつけた。揺らすなって言ったのに、急がせたのも俺だ」
若い男の目が、また戸口へ戻った。
立香もつられてそちらを見た。中から、鉢を置く音が聞こえる。
「ペトロス。閉鎖を始めたのは、あなたですわね」
「そうだ。定められた手順で始めた。外の班が遅れていたからといって、私の判断でいつまでも開けてはおけん」
「扉を止めたのは?」
ペトロスは、隣を見た。
「……私だ」
スティリオスが顔を上げた。
「こいつが入ってきた。あのまま閉めれば挟む」
「なら、最初から待ってくれればよかっただろう」
「止め方を誤れば、扉そのものが使えなくなる。そこから危険が入るのは、船の中だぞ」
ペトロスの声が強くなった。膝に置いた手に力が入り、指の節が白くなる。
アストライアは、その手が上がる前に問いを続けた。
「止めた後、どうしました」
「荷車が抜けるまで止めておいた。後ろの者も通した。……全員、入った」
スティリオスは口を結んだ。
ペトロスも、それ以上は言わなかった。
立香の位置から、二人の手が見えた。若い男の掌には、擦り剥いた赤いところがある。年長の男は、指にこびりついた汚れを、親指の爪で落としていた。
入口で見た厚い扉と、あの荷車が、その間に思い浮かんだ。
「閉鎖の操作記録と、班の帰還記録を揃えなさい。夕刻までに」
アストライアは近くで待っていた住民へ告げた。頷いた人が、搬入口へ向かう通路を下りていく。
「しかし、手順は守っていた」
ペトロスが言った。
「殴り合いを止めたのは私です。どちらの訴えが正しいかは、これから確かめますわ」
アストライアは二人の顔を順に見た。
「続きは日没前、広場で聞きます。それまでに、持ち場の確認を済ませなさい」
ペトロスが腰を上げた。ずらしていた工具の留め具を戻し、短く頷く。
スティリオスも立ったが、すぐには歩き出さなかった。診療所の中を覗き、奥から返ってきた誰かの頷きを確かめて、ようやく戸口を離れる。
その頃には、ペトロスはもう坂を下りかけていた。腰から一本、工具を抜いている。
立香は二人を見送り、通路の脇へ戻った。
荷車が一台、開いた場所を通っていく。
その後を見届けてから、アストライアがこちらへ向き直った。
*
「さて。あなた方は、どこから来たのかしら」
アストライアの視線が、立香から隣のマシュ、そして背後の二人へと移った。
「私はアストライア。この地に召喚されたサーヴァントですわ」
「藤丸立香です。カルデアから来ました」
立香は同行者を紹介し、この時代に生じた異常を調べに来たことを伝えた。
アストライアは二王の名を聞くと、それぞれの顔へ改めて目を向けた。ギルガメッシュはその視線を不遜に見下ろしながら受け、アトラスも黙って見返している。
「それで、ここへ?」
「はい。船の中に、聖杯の反応があるんです。場所をご存じですか」
「ええ。知っています」
答えはすぐに返った。
診療所の戸口へ人が来たので、アストライアは一行を促し、広場へ続く道へ歩き出した。立香もその横へ並ぶ。
「私たちは、その聖杯を回収して、特異点を修復するために――」
「今、持ち出すことは認めません」
立香は歩みを止めた。
アストライアも足を止め、船の奥へ通じる道を背にして向き直った。
「何か、理由があるんですか」
「聖杯は、この船を動かすために組み込まれています。今、抜けば――眠る者から死ぬことになります」
立香の目が、女神の手へ落ちた。
先ほど、二人の男を床へ伏せた手だった。今は身体の脇に下ろされ、何も握っていない。
「それでも抜くと言うなら、私があなた方の前に立ちますわ」
マシュの足が立香の隣で止まる。
立香は、アストライアの顔へ目を戻した。
「事情を聞かずに、回収はしません。教えてください」
女神はしばらく立香を見ていた。それから、一つ頷く。
「この船では、民が交代で眠りについています。次に起きる番が来るまで、身体を保ったまま」
「冬眠……ということでしょうか」
マシュの問いに、アストライアは肯定を返した。
「その冬眠を維持しているのも、聖杯なのですか」
「ええ。眠っている間の命を、この船に預けています」
荷車の車輪が、少し離れたところで鳴った。
立香の耳に、人の呼び声が戻ってくる。水路の水音も、屋根の向こうで何かを叩く音も、途切れず続いていた。
ここまで歩いてくる間に見た人たちの他に、まだ人がいる。
立香は足元の板を見た。その下からは、声はしなかった。
『こちらでも確認したよ』
通信から、ダ・ヴィンチの声がした。
『聖杯の魔力は、船内の広い範囲に流れている。奥に反応がまとまっているからといって、そこだけ切り離せるとは考えない方がいい』
「分かった。回収は待つ。先に、船のことを確かめたい」
『ああ。接続の解析を進めよう』
アトラスが、船奥へ続く道を見た。
「この船は、何をもって役目を終える」
「最初の王が定めた条件があります。それが満たされるまで、この国はこの時代に留まります」
「この時代に、留まる……?」
立香が繰り返すと、ダ・ヴィンチが応じた。
『こちらで捉えた異常とも合う。中では日々が過ぎているのに、本来の歴史へ接続できず、特異点として残り続けているんだ』
広場を横切る荷車に、二人の住民が手を添えていた。傾斜に掛かると、一人が前へ回って引き、もう一人が後ろから押す。
その脇を、小さな籠を抱えた子供が駆けていった。
「条件を記したものはあるか」
「船の奥に、最初の王の記録が残されています。聖杯があるのも、そこの王座ですわ」
ギルガメッシュは、既に船奥から視線を外していた。
先ほどの荷車が上り切り、家々の間へ消えていく。その行き先を眺めている。
「王座へは、私が案内します。その前に、この国を見ていきなさい」
「ここで、どうやって暮らしているかを、ですか?」
「ええ。あなた方は聖杯を回収しに来たのでしょう。その判断で誰に何が起こるのか、確かめてから決めることです」
立香は頷いた。
アトラスも短く応じる。
「承知した。稼働している区画と、民籍の記録を見せよ」
「担当の者に用意させましょう」
ギルガメッシュが、荷車の消えた通路から目を戻した。
「まず、眠っている方たちのところへ行けますか」
立香が尋ねると、アストライアは広場の端へ目を向けた。
「ええ。冬眠区画へ案内します。明日は、起きている民の仕事と暮らしを見られるようにしておきますわ」
女神は道を折れ、下層へ続く階段に足を掛けた。
青い衣の裾が、手すりの影へ入っていく。
立香たちも後に続いた。階段を降りるにつれ、荷車の音も、人の呼び声も、頭の上へ遠ざかっていった。
*
マシュが下層の扉をくぐると、頬に触れる空気が変わった。
風がない。
壁に沿って走る管から、低い音が絶えず伝わってくる。継ぎ目を補強された柱の間に、寝台が並んでいた。どれも縁を金属で囲われ、その上を薄い覆いが包んでいる。
手前の一つに、人が眠っていた。
マシュは足を止め、その胸元を見た。
布が、ごくわずかに持ち上がる。
長い間を置いて、また下がった。
寝台の縁には幾つかの文字が灯っている。呼吸と身体の状態を示す表示を確かめてから、マシュは寝台の先へ目を向けた。
隣にも、その隣にも、人がいる。
低い仕切りの向こうまで同じ列が続き、奥は柱に隠れて見えなかった。
「この船には、千二百人ほどの民が暮らしています」
アストライアの声は、この通路でもよく通った。
「三つの群に分かれていて、今、起きているのは四百人ほどです。残る二つの群は、ここで眠っています」
マシュは、寝台に取り付けられた名札を見た。
一人の名前。その下に、第二群とある。
次の寝台にも、別の名前が記されていた。
「どれくらいで、交代するのですか」
「九年間、起きて暮らし、その後は十八年間眠ります」
「十八年間……。ここで、ずっと眠っているんですか」
「ええ。その間、身体はほとんど年を取りません。次に目を覚ます群も、それまでここで待ちます」
マシュは、もう一度、眠る人の顔を見た。
目を閉じ、口元の力を抜いている。すぐ脇で話していても、瞼は動かなかった。
寝台の下に、一組の履物があった。
擦れた革の端を、太い糸で縫い留めている。片方だけ紐の色が違った。爪先は同じ向きに揃えられ、足を下ろせば届くところに置かれていた。
「この方たちが起きるのは、近いんですか」
立香の声が、隣でした。
「いいえ。次の交代も、まだ何年も先ですわ」
頭上で、小さく床が鳴った。
何か重いものが動いていく音だった。マシュは天井を見上げた。荷車だろうか。音はゆっくり遠ざかり、やがて管の響きに紛れた。
さっき、その荷車のために道を空けた。人が呼び合い、言い争い、診療所では手当てが続いていた。
寝台の上で、胸元の布がまた静かに動いた。
「明日、起きている人たちの話も聞かせてください」
立香が言った。
アストライアは頷き、通路の先を示した。
マシュも歩き出しかけて、一度だけ名札へ目を戻した。
その隣に、次の覚醒までの年月が記されている。下には、修繕された履物が揃っていた。
起きれば、また履くのだろう。
マシュはその一足を見てから、もう一度、覚醒までの表示を見上げた。
そこには、まだ何年もの時間が残っていた。
この作品の興味をもったところは?
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アトラスのキャラクター性・内面
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ギルガメッシュとの関係性
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王としての在り方・王権のテーマ
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ストーリーの展開
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その他