The Reversed Star――逆位置の星―― 作:ほいみん
※独自解釈/女性体オリジナルサーヴァント/ギルガメッシュ×アトラス/本文に文章生成AI補助あり
※掲載イラストは作者による手描きです。
詳しい注意事項・制作FAQはこちら:
【作品案内URL】
https://docs.google.com/document/d/1GdwYLijsN-D6iR4MKAlV2ziDaThI6rrddGUy8nim0KE/edit?usp=drive_link
朝の通りを、食事の器を抱えた人々が行き交っていた。
立香たちは、その流れを横切って船腹へ向かっていた。昨日の揚水記録を調べ終えたアトラスが、設備の動きも見ておきたいと言ったのだ。ゾーイも診療所を同僚に任せ、作業場への巡回に同行している。
「金ぴかの王様、今日はどこへ行くの?」
横の路地から、子供が駆けてきた。後ろにもう二人いる。
立香は思わず、ギルガメッシュの顔を見た。
「船腹だ」
「見に行っていい?」
「ならぬ。貴様らはここまでよ」
子供は足を止めた。けれど、見上げる顔に怯えた様子はない。
「帰ってきたら、昨日の話して!」
「俺も聞く!」
「欲張りな童どもだ」
ギルガメッシュは歩調を緩めず、通りを曲がった。子供たちは角までついてきて、そこで手を振る。
立香も片手を上げて応じた。坂を下り始めてから、また隣の顔を見てしまう。
「何だ、その顔は」
「……金ぴかって呼ばれても、怒らないんだなって」
「童の言葉にいちいち目くじらを立てるか」
返事はあっさりしていた。
立香は、振り返りかけてやめた。呼びかけを聞いた時には、次に何を言い出すのかと身構えたのに、子供たちの方は最後まで平気な顔をしていた。
搬入口では、ペトロスが歩廊の継ぎ目に屈んでいた。
刃を引くたび、薄い木屑が足元へ落ちる。昨日、荷車の車輪が食い込んだところだった。
「おはようございます」
「ああ。削った分があるから、そこは踏まずに通ってくれ」
立香は木屑を避けて敷居を越えた。
外側から戻ってきたスティリオスが、ペトロスの手元を覗く。
「今日はそこか」
「縁がめくれている。もう少し落とす」
「次の荷車は待たせる。来る時は声を掛けるぞ」
ペトロスが頷き、また刃を当てた。
スティリオスは外の見張りへ向き直り、荷の通る場所を指す。その脇に立っていた民兵が、小声で話し掛けた。
「昨日、見たか。あの金色の――」
「見た。こっちが槍を構え直す前に、終わっていた」
スティリオスの目が、歩いてくるギルガメッシュへ動いた。手にしていた槍を持ち直し、背筋を伸ばす。
立香が傍らを通る頃には、二人とも外へ顔を向けていた。
短い歩廊を渡ると、作業場の振動が靴底へ伝わった。
揚水器のそばでは、水を満たした桶が順に運び出されている。昨日と同じ柱に作業布が干され、灰色の空から届く風に端を揺らしていた。
加工台の前にいた職人が、立香たちを見て軽く顎を上げる。昨日、車軸を転がしていた男だった。
手元には、削りかけの材がある。並べた道具の中から、柄の黒ずんだ木槌を取り、材を留める楔を打ち込んだ。
ゾーイは、作業台の間を通って奥の者へ声を掛けた。
アトラスは揚水器の脇で足を止め、動く軸から、船へ伸びる送水管へ目を移す。ギルガメッシュは欄干近くまで進み、外縁から船腹を見渡していた。
立香も機械へ近づきかけた。
「外だ! 群れが来る!」
見張りの声が飛んだ。
民兵が槍を取り、作業者が手を止める。スティリオスが腕を上げた。
「作業を止めろ! 荷は置いて、船へ――」
足裏を、重い衝撃が突き上げた。
立香はよろめき、作業台へ手をついた。揚水器の振動ではなかった。台の上で木槌が跳ね、転がり出す。
職人が手を伸ばした。その指先をすり抜け、道具は船と反対の方へ滑った。
床が傾いている。
欄干の向こうで、土が崩れた。支持脚の根元が地面ごと落ち込み、荷車用の坂道も、下の端から沈んでいく。
作業布を留めた柱が、大きく傾いた。
「先輩!」
マシュの声に振り向いた時、二度目の衝撃が来た。
歩廊が軋む。ペトロスが削っていた継ぎ目が裂け、作業場の側が下へずれた。
立香は船へ踏み出しかけた足を止めた。
昨日、車輪を押して越えた場所に、足の届かない隙間が開いていた。
*
欄干の向こうから、獣の頭が跳ね上がった。
マシュは立香と獣の間へ入り、盾を立てた。爪が表面を掻く。押し返そうと踏み込んだ足が、床ごと外へ流れた。
膝を落として持ち直す。盾の脇へ槍が伸び、獣を退けた。
「下がってください! 船の方へ!」
背後で、槍の柄が受け渡された。昨日と同じように、前の者が退き、次の者が入る。
その足元で板が跳ねた。民兵の一人が横倒しになり、槍を取り落とす。
マシュは盾を外へ向けたまま、空いた手で男の腕を掴んだ。身体を内側へ引く。頭のあった場所を、獣の牙が通った。
盾で鼻先を弾くと、民兵が床を這って背後へ回った。
地面の下から、鈍い音がした。
折れかけた支持脚が、今度は上へ突き上げられた。
土と石が噴き出す。その中から、分厚い爪のある前脚が現れた。岩に似た鱗を擦り合わせ、巨大な頭が持ち上がる。顎の両側から、湿った土が崩れ落ちた。
作業床の下に、まだ胴が埋まっている。
魔獣が身を起こすたび、支持脚が押し曲げられた。床の上で、誰かが短く叫んだ。
金色の光が、巨体の頭上に開いた。
射出された大槍が、顎を開きかけた頭を上から貫く。そのまま首の奥まで押し込み、地面へ叩き伏せた。
土が跳ねた。前脚が一度掻き、動かなくなる。
マシュの後ろで、民兵が息を呑んだ。
スティリオスも巨体から顔を上げる。ギルガメッシュは、もう別の獣へ目を向けていた。
「まだ終わってはおらぬぞ。足を止めるな」
スティリオスが息を吸った。
「内側を空けろ! 歩ける者から戻せ!」
通路にいた者たちが脇へ退いた。
マシュは助け起こした民兵を、船へ向かう仲間へ渡した。男は片脚を引きずりながらも、その肩につかまって進んだ。
倒れた大型の魔獣は動かない。
それでも、床は沈んでいた。
船へつながる太い部材が軋んだ。マシュが振り向くと、引き伸ばされた送水管の継ぎ目から水が噴いていた。
歩廊の下には、土のなくなった穴が見える。支持脚は折れ、その先を支える地面も崩れている。
「どうしよう、鎖で吊るすとか……」
立香の声だった。
その目がギルガメッシュへ向き、すぐに周囲へ走る。外側には崩れた地面が広がり、船につながる部材は、根元の壁まで引いていた。
「でも、支える場所がない……!」
立香は歩廊へ顔を戻した。
裂け目の手前で、戻ろうとする人々が止まっている。
アトラスの紺碧の鎧が、一部開いた。
青い光の壁が歩廊の下へ斜めに差し込まれ、落ちかけた端を受けた。さらに一枚が裂け目を覆い、船の敷居へ届く足場になる。
マシュは目の前の人の背を支え、そちらへ促した。
「渡れます。そのまま進んでください!」
背後から、別の魔獣が跳んだ。
人の列を追う影が、空中で沈む。伸びた前脚が足場へ届く前に、金色の刃がその胴を貫いた。
深海圧に沈められた獣は、通路の外へ落ちていく。
「通路は支える。外から来るものを払え」
「そこを空けておけ。まとめて通すぞ」
ギルガメッシュの背後に、射出口が並んだ。
放たれた武器が作業床の外を走り、次に跳ぼうとしていた影を地面へ縫い留める。射撃に押し留められた群れを背に、人々が青い足場を渡り始めた。
ペトロスが足場を渡り、搬入口脇へ走った。
立香も敷居を越えると、船内の者へ声を張る。
「担架をお願いします! 受け取る人も、入口へ!」
返事と、駆け出す足音が聞こえた。
スティリオスは、歩ける者を足場へ送ってから、加工台の並ぶ奥へ向き直った。
「奥に二人、動けない! こっちだ!」
倒れた台の向こうに、ゾーイが屈んでいた。傍らの人へ何かを押さえるよう指示し、自分も手を離さずにいる。
その上で、折れた梁が軋んだ。
「マシュ、奥の人たちを! こっちで受け取る!」
「はい、先輩!」
マシュは盾を持ち直した。外から来る牙を受けていた面を、傾いた加工場へ向ける。
船内から、もう一つ警報が鳴った。
搬入口の脇で点滅していた表示に、新たな文字が浮かぶ。
第二群冬眠区画。
マシュはその文字を一瞬見て、ゾーイのいる台へ駆けた。
*
ペトロスが飛び込んだ時には、操作所の床まで外へ引かれていた。
操作所の壁には、扉の開閉や水路、船体各部の状態を示す光の表示が並んでいた。文字と線が壁面に浮かび、その幾つかが警報に合わせて明滅している。
ペトロスは壁に手をつき、その中の接続部を示す表示へ目を走らせた。外縁から伸びる太い部材が、船腹の骨組みを引いている。
「ペトロスさん。担架を受け取るのは、どこがいいですか」
立香が入口から顔を出した。後ろに、搬送を手伝う者が来ている。
「そこの壁から離せ。向こうの柱より内側だ」
「分かりました。皆さん、こちらへお願いします!」
返事を待つ間にも、外から人が戻ってくる。立香は彼らを通路の脇へ送り、担架を置く場所を空けた。
昨日は扉の前で説明を聞いていた娘が、今日は指した先へ人を動かしている。
奥の通路から、職員が駆け込んだ。
「第二群の寝台が動いている! 固定具が引かれて、管まで張り始めた」
「どの列だ」
「この船腹に沿った列だ。女神様が固定具を支えている。動かせる寝台から離しているが、全部は間に合わん」
ペトロスは、目の前の壁を見た。その向こうには、眠ったままの者たちが並んでいる。
「女神様から、外がどうなっているか見て戻れと言われた」
答える前に、操作盤の光が変わった。
航行統制機構の声が、警報に重なる。
「外縁揚水・加工区画、切離し」
ペトロスの手が止まった。
表示が切り替わる。止水、隔壁の閉鎖、支持接続の解放。馴染んだ設備が、止める順に並んでいた。
現在の損傷から算出された避難の猶予は、およそ二分。
「外に人がいる。まだ搬出中だ」
報告を入れても、準備の表示は消えなかった。
船体保全を優先。損傷限界に達すれば、切離しを執行する。未帰還の人数を入れる欄はあっても、その数を零にするまで待つとは書かれていない。
ペトロスは顔を上げた。
搬入口の向こうで、作業場が傾いている。削りかけの板には、まだ刃の跡が残っていた。道具を並べた台。その下を通る、何度も継ぎ直した管。
「外縁を切る! 奥の者から呼べ。道具は置いて来い!」
外へ声を張った。
足場を渡ってきた一人が振り返る。ペトロスは、その肩を掴んで内側へ向けた。
「ここで戻った者を数えろ。今朝、外にいたのは私を入れて二十四人だ。名も確かめろ」
「分かった」
職員が、冬眠区画へ戻ろうと身を返した。
「外縁を切り離す。内側の支えを続けてくれと伝えろ」
「ああ!」
足音が遠ざかった。
立香がペトロスの隣へ来た。
「普段の閉鎖とは違う。船腹が裂ければ、待てなくなる」
「分かりました。戻る人はこちらで受け取ります」
「二十四人だ。戻った数は、あいつが数えている」
ペトロスが入口の男を顎で示した。立香は頷き、担架を持ってきた者へ顔を向けた。救援へ出る者の名を確かめてから、戻る住民を迎える。
「通ってください。こちらは空いています!」
ペトロスは止水弁へ手を掛けた。
外の管から噴く水が、傾いた床を流れている。あの継ぎ目には昨日も指を当てた。今は、その下の部材ごと引き延ばされていた。
弁を閉じれば、揚水は止まる。
切る時に開いたままなら、船に貯めた水まで外へ失う。
手を動かす位置を確かめ、搬入口へ目を向けた。
アトラスの青い足場が裂け目を覆っている。そこへ迫った獣を、金色の刃が横から払った。カルデアから来た二人の王が、今も人の通る道を保っていた。
「十八人、戻った!」
数える係の声がした。
ペトロスは入口へ身を寄せ、奥へ呼び掛けた。
「スティリオス! 残っているのは!」
「六人だ! 二人は動かせん、担架が要る!」
傾いた加工台の向こうから、声が返った。
その上に、マシュの盾の縁が見えた。
*
ゾーイは、患者の脚へ当てた布を押さえ直した。
膝から下が、倒れた加工台の向こうへ隠れている。その上に梁が落ち、台の縁を押し潰していた。すぐ隣に倒れたもう一人も、身を起こそうとするたびに顔を歪める。
「起きなくていいです。担架が来ますから」
声をかけ、傍らに膝をついている作業者を見た。額に血が滲んでいるが、こちらの顔を見て頷ける。
「その布を、押さえていてください。つらくなったら言ってくださいね」
「ああ」
彼の手が、隣の患者に当てた布を押さえた。もう一人の歩ける負傷者は、倒れた台から離れた柱の脇へ座らせてある。
頭の上で、木が軋んだ。
ゾーイは肩を縮めかけ、持ちこたえた盾の縁を見上げた。
「ここを支えます。動かしてよい時に、教えてください」
マシュが、梁の下へ盾を差し込んでいた。
「まだです。先に、この出血を押さえます」
「はい。支えています」
傾く床の上で、マシュの盾が梁を支えていた。
「担架はこっちだ! 二つとも!」
スティリオスの声に、船側から来た男たちが加工台を回り込んだ。運ばれてきた担架の端を見て、ゾーイは一人に尋ねた。
「内側は、どうなっていますか」
「第二群の寝台まで動いたそうだ」
第二群。
母の寝台の場所が浮かんだ。通路を曲がり、並んだ寝台の間を進んだ先。昨日も閉じた瞼を見た、あの場所だ。
床が傾いた時、母は手をつけない。
喉の奥で、息が止まった。
掌の下には、まだ温かい血がある。ゾーイは押さえる手を動かさず、一度だけ息を吸い直した。
「ゾーイさん」
盾の向こうから呼ばれた。
「……あと少しです」
マシュが頷く。
ゾーイは腰の器具袋へ片手を入れた。袋口が開き、指に包帯が触れる。傷を押さえた手を離さず、必要な分を引き出せた。
足元を水が流れた。小さな木片が膝に当たり、低い方へ滑っていく。
「スティリオスさん、担架をこちらへ。脚を抜いたら、支えてください」
スティリオスが頷き、男の脚のそばへ膝をついた。
ゾーイは挟まれた脚の先を覗き込み、台の下へ手を添えた。患者が息を詰める。
「今から、上の梁を持ち上げてもらいます」
こちらを向いた顔に、頷いてみせる。
「マシュさん。上げる前に声をかけてください。脚を抜くのは、それからです」
「分かりました。……上げます」
盾が持ち上がった。
梁と台の間で、潰れていた木が裂ける。ゾーイは隙間が開いたのを確かめ、スティリオスとともに患者の脚を支えた。
「ゆっくり。……はい、そのまま」
靴先が、台の下から出た。
「抜けました!」
マシュは梁を支えたまま、搬入口の方へ顔を向けた。
ゾーイにも、男たちの肩越しに青い足場が見えた。裂け目の向こうまで途切れずに続いている。その外を金色の光が走り、迫っていた獣の姿が欄干の下へ落ちた。
あそこまで運ぶ。
母のいる、内側へ。
ゾーイの合図で、男たちが患者を担架へ移し始めた。
*
マシュは盾を支えたまま、二人目の患者が担架へ移されるのを見届けた。
「梁から離れてください。下ろします」
ゾーイたちが退いたのを確かめ、盾を少しずつ傾ける。梁が空いた加工台へ沈み、木の潰れる音がした。
盾を引き抜き、背へ回す。
「そちらを持ちます」
マシュは二台目の担架の後ろを持ち、前の男へ声を掛けた。
「上げます。せーの」
一台目はスティリオスと応援の男が持っている。ゾーイが患者の脚に当てた布を確かめ、搬入口を指した。
「歩けるお二人は、先に。案内する人についていってください」
額を傷めた男が、柱の脇の一人へ声をかける。船内から来た担い手の一人が二人を先導し、残る一人は担架の後ろへ回った。
搬入口へ続く傾斜を、マシュは前の男と歩幅を合わせて上った。担架が傾かない高さを保つ。患者の指が縁の布を掴んでいる。
「揺れます。もう少しで、向こうへ渡れますから」
先を行く二人の足が、青い光の上へ出た。
作業場の床と船側の歩廊の間に、向こうの地面が見える。
その裂け目を、アトラスの足場が覆っていた。
「一台ずつ来い」
船側に立つアトラスの声に、一台目が足場へ進んだ。ゾーイもその後ろにつく。
頭上で、金具の弾ける音がした。
マシュは顔を上げた。加工場の柱から外れた横木が、通路へ倒れてくる。
担架を放すわけにはいかない。
落ちる横木が、途中で急に沈んだ。
アトラスが三叉槍の穂先を下へ向けていた。深海圧に押された横木の先端が、足場の外へ落ちる。横木は傾いた床の縁を砕き、マシュの足元へ届く前に消えた。
足場の青は、動いていない。
「進め」
一台目が渡っていく。
マシュも足を出した。
前を持つ男が、息を呑んだ。通路の脇に残っていた庇が、支柱ごと傾いている。その先には、欄干を越えようとする獣の爪が見えた。
ギルガメッシュの赤い目が、その獣を捉えた。
「誰の目に触れようとしている」
黄金の刃が獣を外へ弾いた。
続く槍は、人の列から離れた庇の端を横から貫いた。張り出しが船外へ押し出され、支柱を引きながら落ちる。
目の前に、担架を通せる空間が開いていた。
「行けます。足元を見てください」
前の男が頷き、担架が青い足場へ進んだ。
搬入口の内側に、立香がいる。
その脇で、槍を壁へ預けた民兵が両手を空けていた。一台目の前を受け取り、スティリオスと声を合わせて奥へ運ぶ。ゾーイも患者について入った。
「こちらへ! 坂は空けてあります!」
立香が呼ぶ。
二台目も搬入口を越えた。
「後ろ、受け取るぞ」
戻ってきた民兵へ柄を渡すと、担架は船内へ運ばれていった。
「六人、戻った! 二十四人、揃ったぞ!」
声が上がった。
民兵は患者を次の者へ託すと、すぐに振り向いた。
「次、来い!」
伸ばされた手を、最後尾の男が取る。
マシュはその後ろを確かめた。倒れた台の周りにも、傾いた柱の陰にも、人の姿はない。
「救援の方も、今ので最後です!」
船側へ踏み込んで告げると、立香も最後の名を呼び、帰還を確かめた。
マシュはもう一度、搬入口へ向き直った。
ギルガメッシュが足場へ乗る。その後ろの地面へ、最後の金色の刃が落ちた。
彼の足が離れたところから、青い光が引かれていく。外縁の床が、支えを失ってさらに下がった。
ギルガメッシュが内側へ入った。
アトラスは外の無人の通路を確かめ、最後の青い板を引いた。戻ってきた外装が、その腕に重なる。
裂け目には、もう何も掛かっていない。
立香が二王を見て、マシュへ目を戻した。
マシュは頷き、盾を手に取る。
「ペトロスさん!」
立香の呼び声が、操作所へ通った。
*
ペトロスは止水弁に手を掛けたまま、立香へ顔を向けた。
「全員、内側です。応援の人たちも戻りました」
搬入口には、盾を手にしたマシュがいる。ギルガメッシュも、その隣のアトラスも、船体側の床に立っていた。
裂け目を越える足場は、もうない。
「分かった。そこから離れてくれ。閉めるぞ」
ペトロスは弁を回した。
掌へ伝わっていた細かな振動が弱まり、止まる。壁の中を流れていた水の音も途切れた。
表示を確かめる。貯水槽から外へ向かう流れは止まっている。
続けて、隔壁の操作へ手を移した。
頭上から重い壁が下りてくる。
加工場の柱が隠れ、傾いた床だけが細く見える高さまで来たところで、耳障りな音がした。隔壁の片側が、枠に擦れている。
「枠を支えます。このまま、閉めてください!」
マシュが船内の通路脇へ踏み込み、歪んだ枠へ盾を当てた。下りてくる壁の道は空けたまま、外へ引かれる傾きを押し戻す。
ペトロスは補助の柄を握り直した。
動け。
柄を押し込む。
盾の向こうで金属が鳴り、隔壁が再び下がった。足元に残っていた外の光が消える。
重い音。
閉鎖を示す表示が点いた。
「閉まった。離れていい」
マシュが盾を引く。
隔壁は動かなかった。
ペトロスは表示を順に追った。止水。隔壁の閉鎖。
その下に、次の操作が残っている。
支持接続、解放。
操作所の脇には、接続部を見下ろす小さな点検口がある。ペトロスはそこから外を見た。
太い部材が、船腹と加工場をまだ繋いでいた。伸びた継ぎ目の間から、細かな破片が落ち続けている。
あれを外す。
ペトロスは操作へ手を戻した。
握り込むと、柄の角が掌へ食い込んだ。そのまま力を掛けた。
「切り離すぞ」
返事を待たず、押し切った。
壁の下から、一つ、重い音がした。
続いて、もう一つ。
床が跳ねた。
膝を曲げて受け、操作台に手をつく。立香が壁へ肩を寄せた。マシュの盾が床を擦る音がした。
それまで足裏を外へ引き続けていた力が、ふっと抜けた。
点検口の向こうで、加工場が下がっていく。
最初に、手前の台が滑った。
朝にはその上に道具が並んでいた。台の脚が床の割れ目へ入り、天板が裏返る。
奥の柱がそれを追った。干された布が引き千切られ、柱と一緒に見えなくなる。
配管が最後まで残った。
何度も継いだ箇所が、一本ずつ伸びていた。新しい継手の色まで見える。そこへ手を入れる時は、隣の管が邪魔になる。いつも肘を引いて――
管が折れた。
張り出した床が大きく傾き、陥没した地面へ落ちた。
台も、柱も、管も、その下へ消えた。
下から、腹に響く音が突き上がった。湿った土と砕けた木が跳ね、点検口の外を塞ぐ。
ペトロスは目を細め、舞い上がったものが落ちるのを待った。
船腹の継ぎ目は、広がっていなかった。
足元へ目を落とす。
操作所の床から、軋みが消えている。斜めに引かれていた入口の扉が、枠へ収まった。
「第二群!」
奥の通路から声がした。
ペトロスは振り向いた。
「管の張りが止まった。寝台を固定し直せる!」
駆けてきた職員が、入口の枠に手をついた。
「女神様が支えていた所も、今は持っている。人を残して、ほかの列も見ている」
ペトロスは壁の表示を見た。
第二群の生命維持。応答は四百。切り離す前と、同じ数だった。
明滅していた損傷の表示も、それ以上は増えていない。
「全員、保っているんですね」
立香が尋ねた。
「ああ。あのまま引かれていたら、管がもたなかった」
職員が答える。
立香はマシュへ目を向け、頷いた。盾を構えていた腕が、ゆっくりと下がる。
ペトロスは操作台から手を離した。
職員が長く息を吐き、枠にもたれていた身体を起こした。通路の先から、担架を運ぶ者の声が聞こえる。
いつもなら、その声の下で揚水器が鳴っていた。
ペトロスは閉じた弁へ手を伸ばしかけ、途中で止めた。
*
立香が下層へ降りると、冬眠区画の扉は開いたままになっていた。
昨日はその向こうを見て帰った。今は通路に工具が置かれ、職員が寝台の下へ腕を入れている。
アストライアが寝台の端を支えていた。歪んだ固定具が外され、新しい留め具が入る。
「もう一度、確かめなさい」
職員が手を掛け、寝台を揺すった。
動かないのを見て、女神が支えを解く。細い管を伝わる光は、その間も途切れなかった。
「こちらは私たちで見ます。向こうの列も、固定は済みました」
「では、管の継ぎ目まで見ておきなさい。異常があれば、広場の記録台へ知らせるように」
職員が頷き、隣の寝台へ移る。
アストライアは通路に出た。背後で工具の音が続いている。
「皆さん、眠ったままなんですね」
立香の声に、女神が目を向けた。
「ええ。命を支える働きは、止まっていません」
職員に尋ねると、ゾーイの母もこの列だと教えてくれた。
示された寝台では、薄い掛布が、呼吸に合わせてわずかに動いていた。
*
立香は診療所へ戻ると、持参した救急用品から包帯を取り出した。
ゾーイの傍らへ置き、声をかける。
「お母さんのいる列も、無事でした。寝台も固定し直して、職員の方が見ています」
ゾーイの手が一度止まった。
短く息を吐き、立香へ顔を向ける。
「……ありがとうございます」
その手が、患者の掛布へ戻った。
梁の下にいた男は、寝台に横たわっている。もう一人も奥の寝台へ運ばれ、マシュが頼まれた布を渡していた。
今日運び込まれた負傷者は六人。そのうち二人は、ゾーイたちが傍らを離れられない。
診療所を出る時、立香は空の水差しを預かった。
坂の下の給水所では、診療所と炊事場へ回す水を先に取り分けていた。洗い場では使い終えた水も残すよう、声が掛かっている。
立香は水差しを渡し、帰りに受け取ると伝えた。
すぐ脇には、搬入口で取った帰還の記録を置く台がある。アトラスがその前に立っていた。
壁の表示には、手運びで水を補うための持ち場が増えている。
「運ぶ方なら、私が入る」
一人が手を挙げ、記録係が名を書いた。
ほかにも二人が続いた。それでも、表示には空いた枠が残っていた。
朝、加工台に道具を並べていた職人の名が呼ばれる。
黒い柄の道具を持っていた手には、今は何もない。
「俺は修繕に回りたい。残った所を直すなら、そっちへ」
「希望は記しておく」
記録係の葦のペンが動いた。
その横で、航行統制機構の表示が変わる。職人の名が、運搬班の枠に入った。
「明日から、こちらだ。今日のうちに集合場所を確かめてくれ」
職人は表示を見たまま、しばらく黙っていた。
やがて一度頷き、台を離れた。修繕を望んだ言葉は、記録係の手元に残っている。
アトラスが、台に置かれたもう一つの記録を指した。
「切離しの指示が出た時、外に残っていた者の数は」
「ここに。帰還は、こちらへ順に記しています」
立香も綴りを覗いた。帰還者の名は切離しの指示の後に続き、最後の六人まで記されている。
「冬眠区画の損傷が止まったのは」
「接続を外した直後です。こちらが船内の報告です」
アトラスは二つの記録を見比べ、貯水槽の残量を確かめた。
「止水は間に合っています。槽の水は残りました。ただ、今までと同じようには配れません」
「診療と炊事へ回す分は、確保したか」
「はい。ほかを減らして、先に」
立香は台の端へ手を置いた。
掌の下の板は、もう外へ引かれていない。さっき見た寝台も、動かなかった。
顔を上げる。
道具を失った職人が、運搬班の集合場所を尋ねていた。
「アトラス」
水青の髪が動き、こちらへ目が向く。
「切り離したのは、正しかったの?」
「あの損傷で切離しを選んだことは、正しい」
立香はしばらく、その顔を見た。
アトラスの指は、切離し後の報告の上に置かれていた。
アトラスの目が、広げられた取水場所の略図へ移った。
「次に水を得るのは、ここか」
「ええ。設備を直すまでは、汲んで運ぶことになります」
「では、その往復に要る人手を確かめる」
坂の上から、空になった容器が戻ってきた。
*
立香は、広場へ向かう通りの記録台へ呼ばれた。
アストライアの前に、切離しの記録が開かれている。ペトロスが操作の順を話し、記録係が指示と実行の時刻を確かめていた。
女神は聞き終えると、立香へ顔を向けた。
「戻る者を選ぶ指示は、出ましたか」
「いいえ。歩ける人が先に戻って、動けない方には担架を。外へ手伝いに行った人も、最後に確かめました」
「荷や道具を先に通したことは」
「ありません。ペトロスさんが、道具は置いてくるように言っていました」
ペトロスが頷いた。
担架を運んだ男も、自分が通った時のことを話す。女神の指が、帰還した名の並ぶところまで進んだ。
最後の報告まで確かめ、アストライアが口を開いた。
「誰かを不当に後へ回した事実は、見つかりませんでした。命令の伝達と切離しの操作にも、不正は認められません」
ペトロスが女神へ頷き、呼ばれた者たちが通りを空けた。
その後ろに、さっき運搬班へ配置された職人が立っていた。
「アストライア様」
女神が顔を上げた。
男は、片づけられかけた綴りへ目を向ける。
「明日から水を運べと言われました。それは、やります。でも、あそこにあった道具のことは……誰に話せばいいんですか」
記録係の手が止まった。
「皆で使う物も、俺が手に合うように直した物も、置いてきました。残った所で仕事をするにも、あれがないと」
「私が聞きます。何を失い、何を求めるのか、順に話しなさい」
新しいパピルスへ、男が挙げる道具の名が書き留められていく。女神は途中で一度、聞き返した。
「それは、ほかの者も使っていた物ですか」
「いえ。それは俺のです」
「では、共同の物も続けなさい。広場で扱えるよう、残しておきます」
記録係は、共同の物と個人の物を分けて書き留めた。
通りの向こうから、給水の係が立香を呼んだ。
預けていた水差しを受け取る。朝には何でもなかった重さが、今は腕へはっきり掛かった。
坂を上っていく男に見覚えがあった。さっき、担架の前を持っていた人だ。今は水の容器を担ぎ、診療所へ向かっている。
立香が記録台へ目を戻すと、職人の後ろに一人、立っていた。
女神の声が途切れるのを待っている。
「私も、聞いてほしいことがあるんです」
アストライアはその人を見て、頷いた。
「そこで待っていなさい。順に聞きます」
立香が水差しを抱え直す間に、もう一人、その後ろへ並んだ。
切離しの警報は、もう聞こえなかった。
記録台の前で、人々が自分の話をする順番を待っていた。
この作品の興味をもったところは?
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アトラスのキャラクター性・内面
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ギルガメッシュとの関係性
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王としての在り方・王権のテーマ
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ストーリーの展開
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その他