The Reversed Star――逆位置の星――   作:ほいみん

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FGO二次創作長編『The Reversed Star――逆位置の星――』です。

※独自解釈/女性体オリジナルサーヴァント/ギルガメッシュ×アトラス/本文に文章生成AI補助あり
※掲載イラストは作者による手描きです。

詳しい注意事項・制作FAQはこちら:
【作品案内URL】
https://docs.google.com/document/d/1GdwYLijsN-D6iR4MKAlV2ziDaThI6rrddGUy8nim0KE/edit?usp=drive_link


第3話 正しい切り捨て

 朝の通りを、食事の器を抱えた人々が行き交っていた。

 立香たちは、その流れを横切って船腹へ向かっていた。昨日の揚水記録を調べ終えたアトラスが、設備の動きも見ておきたいと言ったのだ。ゾーイも診療所を同僚に任せ、作業場への巡回に同行している。

 

「金ぴかの王様、今日はどこへ行くの?」

 

 横の路地から、子供が駆けてきた。後ろにもう二人いる。

 立香は思わず、ギルガメッシュの顔を見た。

 

「船腹だ」

「見に行っていい?」

「ならぬ。貴様らはここまでよ」

 

 子供は足を止めた。けれど、見上げる顔に怯えた様子はない。

 

「帰ってきたら、昨日の話して!」

「俺も聞く!」

「欲張りな童どもだ」

 

 ギルガメッシュは歩調を緩めず、通りを曲がった。子供たちは角までついてきて、そこで手を振る。

 立香も片手を上げて応じた。坂を下り始めてから、また隣の顔を見てしまう。

 

「何だ、その顔は」

「……金ぴかって呼ばれても、怒らないんだなって」

「童の言葉にいちいち目くじらを立てるか」

 

 返事はあっさりしていた。

 立香は、振り返りかけてやめた。呼びかけを聞いた時には、次に何を言い出すのかと身構えたのに、子供たちの方は最後まで平気な顔をしていた。

 

 搬入口では、ペトロスが歩廊の継ぎ目に屈んでいた。

 刃を引くたび、薄い木屑が足元へ落ちる。昨日、荷車の車輪が食い込んだところだった。

 

「おはようございます」

「ああ。削った分があるから、そこは踏まずに通ってくれ」

 

 立香は木屑を避けて敷居を越えた。

 外側から戻ってきたスティリオスが、ペトロスの手元を覗く。

 

「今日はそこか」

「縁がめくれている。もう少し落とす」

「次の荷車は待たせる。来る時は声を掛けるぞ」

 

 ペトロスが頷き、また刃を当てた。

 スティリオスは外の見張りへ向き直り、荷の通る場所を指す。その脇に立っていた民兵が、小声で話し掛けた。

 

「昨日、見たか。あの金色の――」

「見た。こっちが槍を構え直す前に、終わっていた」

 

 スティリオスの目が、歩いてくるギルガメッシュへ動いた。手にしていた槍を持ち直し、背筋を伸ばす。

 立香が傍らを通る頃には、二人とも外へ顔を向けていた。

 

 短い歩廊を渡ると、作業場の振動が靴底へ伝わった。

 揚水器のそばでは、水を満たした桶が順に運び出されている。昨日と同じ柱に作業布が干され、灰色の空から届く風に端を揺らしていた。

 

 加工台の前にいた職人が、立香たちを見て軽く顎を上げる。昨日、車軸を転がしていた男だった。

 手元には、削りかけの材がある。並べた道具の中から、柄の黒ずんだ木槌を取り、材を留める楔を打ち込んだ。

 

 ゾーイは、作業台の間を通って奥の者へ声を掛けた。

 アトラスは揚水器の脇で足を止め、動く軸から、船へ伸びる送水管へ目を移す。ギルガメッシュは欄干近くまで進み、外縁から船腹を見渡していた。

 

 立香も機械へ近づきかけた。

 

「外だ! 群れが来る!」

 

 見張りの声が飛んだ。

 民兵が槍を取り、作業者が手を止める。スティリオスが腕を上げた。

 

「作業を止めろ! 荷は置いて、船へ――」

 

 足裏を、重い衝撃が突き上げた。

 

 立香はよろめき、作業台へ手をついた。揚水器の振動ではなかった。台の上で木槌が跳ね、転がり出す。

 職人が手を伸ばした。その指先をすり抜け、道具は船と反対の方へ滑った。

 

 床が傾いている。

 

 欄干の向こうで、土が崩れた。支持脚の根元が地面ごと落ち込み、荷車用の坂道も、下の端から沈んでいく。

 作業布を留めた柱が、大きく傾いた。

 

「先輩!」

 

 マシュの声に振り向いた時、二度目の衝撃が来た。

 歩廊が軋む。ペトロスが削っていた継ぎ目が裂け、作業場の側が下へずれた。

 

 立香は船へ踏み出しかけた足を止めた。

 昨日、車輪を押して越えた場所に、足の届かない隙間が開いていた。

 

  *

 

 欄干の向こうから、獣の頭が跳ね上がった。

 

 マシュは立香と獣の間へ入り、盾を立てた。爪が表面を掻く。押し返そうと踏み込んだ足が、床ごと外へ流れた。

 膝を落として持ち直す。盾の脇へ槍が伸び、獣を退けた。

 

「下がってください! 船の方へ!」

 

 背後で、槍の柄が受け渡された。昨日と同じように、前の者が退き、次の者が入る。

 その足元で板が跳ねた。民兵の一人が横倒しになり、槍を取り落とす。

 

 マシュは盾を外へ向けたまま、空いた手で男の腕を掴んだ。身体を内側へ引く。頭のあった場所を、獣の牙が通った。

 盾で鼻先を弾くと、民兵が床を這って背後へ回った。

 

 地面の下から、鈍い音がした。

 

 折れかけた支持脚が、今度は上へ突き上げられた。

 土と石が噴き出す。その中から、分厚い爪のある前脚が現れた。岩に似た鱗を擦り合わせ、巨大な頭が持ち上がる。顎の両側から、湿った土が崩れ落ちた。

 

 作業床の下に、まだ胴が埋まっている。

 魔獣が身を起こすたび、支持脚が押し曲げられた。床の上で、誰かが短く叫んだ。

 

 金色の光が、巨体の頭上に開いた。

 

 射出された大槍が、顎を開きかけた頭を上から貫く。そのまま首の奥まで押し込み、地面へ叩き伏せた。

 土が跳ねた。前脚が一度掻き、動かなくなる。

 

 マシュの後ろで、民兵が息を呑んだ。

 スティリオスも巨体から顔を上げる。ギルガメッシュは、もう別の獣へ目を向けていた。

 

「まだ終わってはおらぬぞ。足を止めるな」

 

 スティリオスが息を吸った。

 

「内側を空けろ! 歩ける者から戻せ!」

 

 通路にいた者たちが脇へ退いた。

 マシュは助け起こした民兵を、船へ向かう仲間へ渡した。男は片脚を引きずりながらも、その肩につかまって進んだ。

 

 倒れた大型の魔獣は動かない。

 それでも、床は沈んでいた。

 

 船へつながる太い部材が軋んだ。マシュが振り向くと、引き伸ばされた送水管の継ぎ目から水が噴いていた。

 歩廊の下には、土のなくなった穴が見える。支持脚は折れ、その先を支える地面も崩れている。

 

「どうしよう、鎖で吊るすとか……」

 

 立香の声だった。

 その目がギルガメッシュへ向き、すぐに周囲へ走る。外側には崩れた地面が広がり、船につながる部材は、根元の壁まで引いていた。

 

「でも、支える場所がない……!」

 

 立香は歩廊へ顔を戻した。

 裂け目の手前で、戻ろうとする人々が止まっている。

 

 アトラスの紺碧の鎧が、一部開いた。

 

 青い光の壁が歩廊の下へ斜めに差し込まれ、落ちかけた端を受けた。さらに一枚が裂け目を覆い、船の敷居へ届く足場になる。

 マシュは目の前の人の背を支え、そちらへ促した。

 

「渡れます。そのまま進んでください!」

 

 背後から、別の魔獣が跳んだ。

 人の列を追う影が、空中で沈む。伸びた前脚が足場へ届く前に、金色の刃がその胴を貫いた。

 深海圧に沈められた獣は、通路の外へ落ちていく。

 

「通路は支える。外から来るものを払え」

「そこを空けておけ。まとめて通すぞ」

 

 ギルガメッシュの背後に、射出口が並んだ。

 放たれた武器が作業床の外を走り、次に跳ぼうとしていた影を地面へ縫い留める。射撃に押し留められた群れを背に、人々が青い足場を渡り始めた。

 

 ペトロスが足場を渡り、搬入口脇へ走った。

 立香も敷居を越えると、船内の者へ声を張る。

 

「担架をお願いします! 受け取る人も、入口へ!」

 

 返事と、駆け出す足音が聞こえた。

 スティリオスは、歩ける者を足場へ送ってから、加工台の並ぶ奥へ向き直った。

 

「奥に二人、動けない! こっちだ!」

 

 倒れた台の向こうに、ゾーイが屈んでいた。傍らの人へ何かを押さえるよう指示し、自分も手を離さずにいる。

 その上で、折れた梁が軋んだ。

 

「マシュ、奥の人たちを! こっちで受け取る!」

「はい、先輩!」

 

 マシュは盾を持ち直した。外から来る牙を受けていた面を、傾いた加工場へ向ける。

 

 船内から、もう一つ警報が鳴った。

 搬入口の脇で点滅していた表示に、新たな文字が浮かぶ。

 

 第二群冬眠区画。

 

 マシュはその文字を一瞬見て、ゾーイのいる台へ駆けた。

 

  *

 

 ペトロスが飛び込んだ時には、操作所の床まで外へ引かれていた。

 

 操作所の壁には、扉の開閉や水路、船体各部の状態を示す光の表示が並んでいた。文字と線が壁面に浮かび、その幾つかが警報に合わせて明滅している。

 ペトロスは壁に手をつき、その中の接続部を示す表示へ目を走らせた。外縁から伸びる太い部材が、船腹の骨組みを引いている。

 

「ペトロスさん。担架を受け取るのは、どこがいいですか」

 

 立香が入口から顔を出した。後ろに、搬送を手伝う者が来ている。

 

「そこの壁から離せ。向こうの柱より内側だ」

「分かりました。皆さん、こちらへお願いします!」

 

 返事を待つ間にも、外から人が戻ってくる。立香は彼らを通路の脇へ送り、担架を置く場所を空けた。

 昨日は扉の前で説明を聞いていた娘が、今日は指した先へ人を動かしている。

 

 奥の通路から、職員が駆け込んだ。

 

「第二群の寝台が動いている! 固定具が引かれて、管まで張り始めた」

「どの列だ」

「この船腹に沿った列だ。女神様が固定具を支えている。動かせる寝台から離しているが、全部は間に合わん」

 

 ペトロスは、目の前の壁を見た。その向こうには、眠ったままの者たちが並んでいる。

 

「女神様から、外がどうなっているか見て戻れと言われた」

 

 答える前に、操作盤の光が変わった。

 航行統制機構の声が、警報に重なる。

 

「外縁揚水・加工区画、切離し」

 

 ペトロスの手が止まった。

 表示が切り替わる。止水、隔壁の閉鎖、支持接続の解放。馴染んだ設備が、止める順に並んでいた。

 現在の損傷から算出された避難の猶予は、およそ二分。

 

「外に人がいる。まだ搬出中だ」

 

 報告を入れても、準備の表示は消えなかった。

 船体保全を優先。損傷限界に達すれば、切離しを執行する。未帰還の人数を入れる欄はあっても、その数を零にするまで待つとは書かれていない。

 

 ペトロスは顔を上げた。

 搬入口の向こうで、作業場が傾いている。削りかけの板には、まだ刃の跡が残っていた。道具を並べた台。その下を通る、何度も継ぎ直した管。

 

「外縁を切る! 奥の者から呼べ。道具は置いて来い!」

 

 外へ声を張った。

 足場を渡ってきた一人が振り返る。ペトロスは、その肩を掴んで内側へ向けた。

 

「ここで戻った者を数えろ。今朝、外にいたのは私を入れて二十四人だ。名も確かめろ」

「分かった」

 

 職員が、冬眠区画へ戻ろうと身を返した。

 

「外縁を切り離す。内側の支えを続けてくれと伝えろ」

「ああ!」

 

 足音が遠ざかった。

 立香がペトロスの隣へ来た。

 

「普段の閉鎖とは違う。船腹が裂ければ、待てなくなる」

「分かりました。戻る人はこちらで受け取ります」

「二十四人だ。戻った数は、あいつが数えている」

 

 ペトロスが入口の男を顎で示した。立香は頷き、担架を持ってきた者へ顔を向けた。救援へ出る者の名を確かめてから、戻る住民を迎える。

 

「通ってください。こちらは空いています!」

 

 ペトロスは止水弁へ手を掛けた。

 外の管から噴く水が、傾いた床を流れている。あの継ぎ目には昨日も指を当てた。今は、その下の部材ごと引き延ばされていた。

 

 弁を閉じれば、揚水は止まる。

 切る時に開いたままなら、船に貯めた水まで外へ失う。

 

 手を動かす位置を確かめ、搬入口へ目を向けた。

 アトラスの青い足場が裂け目を覆っている。そこへ迫った獣を、金色の刃が横から払った。カルデアから来た二人の王が、今も人の通る道を保っていた。

 

「十八人、戻った!」

 

 数える係の声がした。

 ペトロスは入口へ身を寄せ、奥へ呼び掛けた。

 

「スティリオス! 残っているのは!」

「六人だ! 二人は動かせん、担架が要る!」

 

 傾いた加工台の向こうから、声が返った。

 その上に、マシュの盾の縁が見えた。

 

  *

 

 ゾーイは、患者の脚へ当てた布を押さえ直した。

 

 膝から下が、倒れた加工台の向こうへ隠れている。その上に梁が落ち、台の縁を押し潰していた。すぐ隣に倒れたもう一人も、身を起こそうとするたびに顔を歪める。

 

「起きなくていいです。担架が来ますから」

 

 声をかけ、傍らに膝をついている作業者を見た。額に血が滲んでいるが、こちらの顔を見て頷ける。

 

「その布を、押さえていてください。つらくなったら言ってくださいね」

「ああ」

 

 彼の手が、隣の患者に当てた布を押さえた。もう一人の歩ける負傷者は、倒れた台から離れた柱の脇へ座らせてある。

 

 頭の上で、木が軋んだ。

 ゾーイは肩を縮めかけ、持ちこたえた盾の縁を見上げた。

 

「ここを支えます。動かしてよい時に、教えてください」

 

 マシュが、梁の下へ盾を差し込んでいた。

 

「まだです。先に、この出血を押さえます」

「はい。支えています」

 

 傾く床の上で、マシュの盾が梁を支えていた。

 

「担架はこっちだ! 二つとも!」

 

 スティリオスの声に、船側から来た男たちが加工台を回り込んだ。運ばれてきた担架の端を見て、ゾーイは一人に尋ねた。

 

「内側は、どうなっていますか」

「第二群の寝台まで動いたそうだ」

 

 第二群。

 母の寝台の場所が浮かんだ。通路を曲がり、並んだ寝台の間を進んだ先。昨日も閉じた瞼を見た、あの場所だ。

 

 床が傾いた時、母は手をつけない。

 

 喉の奥で、息が止まった。

 掌の下には、まだ温かい血がある。ゾーイは押さえる手を動かさず、一度だけ息を吸い直した。

 

「ゾーイさん」

 

 盾の向こうから呼ばれた。

 

「……あと少しです」

 

 マシュが頷く。

 ゾーイは腰の器具袋へ片手を入れた。袋口が開き、指に包帯が触れる。傷を押さえた手を離さず、必要な分を引き出せた。

 

 足元を水が流れた。小さな木片が膝に当たり、低い方へ滑っていく。

 

「スティリオスさん、担架をこちらへ。脚を抜いたら、支えてください」

 

 スティリオスが頷き、男の脚のそばへ膝をついた。

 ゾーイは挟まれた脚の先を覗き込み、台の下へ手を添えた。患者が息を詰める。

 

「今から、上の梁を持ち上げてもらいます」

 

 こちらを向いた顔に、頷いてみせる。

 

「マシュさん。上げる前に声をかけてください。脚を抜くのは、それからです」

「分かりました。……上げます」

 

 盾が持ち上がった。

 梁と台の間で、潰れていた木が裂ける。ゾーイは隙間が開いたのを確かめ、スティリオスとともに患者の脚を支えた。

 

「ゆっくり。……はい、そのまま」

 

 靴先が、台の下から出た。

 

「抜けました!」

 

 マシュは梁を支えたまま、搬入口の方へ顔を向けた。

 ゾーイにも、男たちの肩越しに青い足場が見えた。裂け目の向こうまで途切れずに続いている。その外を金色の光が走り、迫っていた獣の姿が欄干の下へ落ちた。

 

 あそこまで運ぶ。

 母のいる、内側へ。

 

 ゾーイの合図で、男たちが患者を担架へ移し始めた。

 

  *

 

 マシュは盾を支えたまま、二人目の患者が担架へ移されるのを見届けた。

 

「梁から離れてください。下ろします」

 

 ゾーイたちが退いたのを確かめ、盾を少しずつ傾ける。梁が空いた加工台へ沈み、木の潰れる音がした。

 盾を引き抜き、背へ回す。

 

「そちらを持ちます」

 

 マシュは二台目の担架の後ろを持ち、前の男へ声を掛けた。

 

「上げます。せーの」

 

 一台目はスティリオスと応援の男が持っている。ゾーイが患者の脚に当てた布を確かめ、搬入口を指した。

 

「歩けるお二人は、先に。案内する人についていってください」

 

 額を傷めた男が、柱の脇の一人へ声をかける。船内から来た担い手の一人が二人を先導し、残る一人は担架の後ろへ回った。

 

 搬入口へ続く傾斜を、マシュは前の男と歩幅を合わせて上った。担架が傾かない高さを保つ。患者の指が縁の布を掴んでいる。

 

「揺れます。もう少しで、向こうへ渡れますから」

 

 先を行く二人の足が、青い光の上へ出た。

 

 作業場の床と船側の歩廊の間に、向こうの地面が見える。

 その裂け目を、アトラスの足場が覆っていた。

 

「一台ずつ来い」

 

 船側に立つアトラスの声に、一台目が足場へ進んだ。ゾーイもその後ろにつく。

 

 頭上で、金具の弾ける音がした。

 

 マシュは顔を上げた。加工場の柱から外れた横木が、通路へ倒れてくる。

 担架を放すわけにはいかない。

 

 落ちる横木が、途中で急に沈んだ。

 

 アトラスが三叉槍の穂先を下へ向けていた。深海圧に押された横木の先端が、足場の外へ落ちる。横木は傾いた床の縁を砕き、マシュの足元へ届く前に消えた。

 足場の青は、動いていない。

 

「進め」

 

 一台目が渡っていく。

 マシュも足を出した。

 

 前を持つ男が、息を呑んだ。通路の脇に残っていた庇が、支柱ごと傾いている。その先には、欄干を越えようとする獣の爪が見えた。

 

 ギルガメッシュの赤い目が、その獣を捉えた。

 

「誰の目に触れようとしている」

 

 黄金の刃が獣を外へ弾いた。

 続く槍は、人の列から離れた庇の端を横から貫いた。張り出しが船外へ押し出され、支柱を引きながら落ちる。

 

 目の前に、担架を通せる空間が開いていた。

 

「行けます。足元を見てください」

 

 前の男が頷き、担架が青い足場へ進んだ。

 

 搬入口の内側に、立香がいる。

 その脇で、槍を壁へ預けた民兵が両手を空けていた。一台目の前を受け取り、スティリオスと声を合わせて奥へ運ぶ。ゾーイも患者について入った。

 

「こちらへ! 坂は空けてあります!」

 

 立香が呼ぶ。

 二台目も搬入口を越えた。

 

「後ろ、受け取るぞ」

 

 戻ってきた民兵へ柄を渡すと、担架は船内へ運ばれていった。

 

「六人、戻った! 二十四人、揃ったぞ!」

 

 声が上がった。

 民兵は患者を次の者へ託すと、すぐに振り向いた。

 

「次、来い!」

 

 伸ばされた手を、最後尾の男が取る。

 マシュはその後ろを確かめた。倒れた台の周りにも、傾いた柱の陰にも、人の姿はない。

 

「救援の方も、今ので最後です!」

 

 船側へ踏み込んで告げると、立香も最後の名を呼び、帰還を確かめた。

 

 マシュはもう一度、搬入口へ向き直った。

 

 ギルガメッシュが足場へ乗る。その後ろの地面へ、最後の金色の刃が落ちた。

 彼の足が離れたところから、青い光が引かれていく。外縁の床が、支えを失ってさらに下がった。

 

 ギルガメッシュが内側へ入った。

 アトラスは外の無人の通路を確かめ、最後の青い板を引いた。戻ってきた外装が、その腕に重なる。

 

 裂け目には、もう何も掛かっていない。

 

 立香が二王を見て、マシュへ目を戻した。

 マシュは頷き、盾を手に取る。

 

「ペトロスさん!」

 

 立香の呼び声が、操作所へ通った。

 

  *

 

 ペトロスは止水弁に手を掛けたまま、立香へ顔を向けた。

 

「全員、内側です。応援の人たちも戻りました」

 

 搬入口には、盾を手にしたマシュがいる。ギルガメッシュも、その隣のアトラスも、船体側の床に立っていた。

 裂け目を越える足場は、もうない。

 

「分かった。そこから離れてくれ。閉めるぞ」

 

 ペトロスは弁を回した。

 掌へ伝わっていた細かな振動が弱まり、止まる。壁の中を流れていた水の音も途切れた。

 表示を確かめる。貯水槽から外へ向かう流れは止まっている。

 

 続けて、隔壁の操作へ手を移した。

 

 頭上から重い壁が下りてくる。

 加工場の柱が隠れ、傾いた床だけが細く見える高さまで来たところで、耳障りな音がした。隔壁の片側が、枠に擦れている。

 

「枠を支えます。このまま、閉めてください!」

 

 マシュが船内の通路脇へ踏み込み、歪んだ枠へ盾を当てた。下りてくる壁の道は空けたまま、外へ引かれる傾きを押し戻す。

 ペトロスは補助の柄を握り直した。

 

 動け。

 

 柄を押し込む。

 盾の向こうで金属が鳴り、隔壁が再び下がった。足元に残っていた外の光が消える。

 

 重い音。

 閉鎖を示す表示が点いた。

 

「閉まった。離れていい」

 

 マシュが盾を引く。

 隔壁は動かなかった。

 

 ペトロスは表示を順に追った。止水。隔壁の閉鎖。

 

 その下に、次の操作が残っている。

 

 支持接続、解放。

 

 操作所の脇には、接続部を見下ろす小さな点検口がある。ペトロスはそこから外を見た。

 太い部材が、船腹と加工場をまだ繋いでいた。伸びた継ぎ目の間から、細かな破片が落ち続けている。

 

 あれを外す。

 

 ペトロスは操作へ手を戻した。

 握り込むと、柄の角が掌へ食い込んだ。そのまま力を掛けた。

 

「切り離すぞ」

 

 返事を待たず、押し切った。

 

 壁の下から、一つ、重い音がした。

 続いて、もう一つ。

 

 床が跳ねた。

 

 膝を曲げて受け、操作台に手をつく。立香が壁へ肩を寄せた。マシュの盾が床を擦る音がした。

 それまで足裏を外へ引き続けていた力が、ふっと抜けた。

 

 点検口の向こうで、加工場が下がっていく。

 

 最初に、手前の台が滑った。

 朝にはその上に道具が並んでいた。台の脚が床の割れ目へ入り、天板が裏返る。

 奥の柱がそれを追った。干された布が引き千切られ、柱と一緒に見えなくなる。

 

 配管が最後まで残った。

 

 何度も継いだ箇所が、一本ずつ伸びていた。新しい継手の色まで見える。そこへ手を入れる時は、隣の管が邪魔になる。いつも肘を引いて――

 

 管が折れた。

 

 張り出した床が大きく傾き、陥没した地面へ落ちた。

 台も、柱も、管も、その下へ消えた。

 

 下から、腹に響く音が突き上がった。湿った土と砕けた木が跳ね、点検口の外を塞ぐ。

 ペトロスは目を細め、舞い上がったものが落ちるのを待った。

 

 船腹の継ぎ目は、広がっていなかった。

 

 足元へ目を落とす。

 操作所の床から、軋みが消えている。斜めに引かれていた入口の扉が、枠へ収まった。

 

「第二群!」

 

 奥の通路から声がした。

 ペトロスは振り向いた。

 

「管の張りが止まった。寝台を固定し直せる!」

 

 駆けてきた職員が、入口の枠に手をついた。

 

「女神様が支えていた所も、今は持っている。人を残して、ほかの列も見ている」

 

 ペトロスは壁の表示を見た。

 第二群の生命維持。応答は四百。切り離す前と、同じ数だった。

 明滅していた損傷の表示も、それ以上は増えていない。

 

「全員、保っているんですね」

 

 立香が尋ねた。

 

「ああ。あのまま引かれていたら、管がもたなかった」

 

 職員が答える。

 立香はマシュへ目を向け、頷いた。盾を構えていた腕が、ゆっくりと下がる。

 

 ペトロスは操作台から手を離した。

 職員が長く息を吐き、枠にもたれていた身体を起こした。通路の先から、担架を運ぶ者の声が聞こえる。

 

 いつもなら、その声の下で揚水器が鳴っていた。

 

 ペトロスは閉じた弁へ手を伸ばしかけ、途中で止めた。

 

  *

 

 立香が下層へ降りると、冬眠区画の扉は開いたままになっていた。

 

 昨日はその向こうを見て帰った。今は通路に工具が置かれ、職員が寝台の下へ腕を入れている。

 アストライアが寝台の端を支えていた。歪んだ固定具が外され、新しい留め具が入る。

 

「もう一度、確かめなさい」

 

 職員が手を掛け、寝台を揺すった。

 動かないのを見て、女神が支えを解く。細い管を伝わる光は、その間も途切れなかった。

 

「こちらは私たちで見ます。向こうの列も、固定は済みました」

「では、管の継ぎ目まで見ておきなさい。異常があれば、広場の記録台へ知らせるように」

 

 職員が頷き、隣の寝台へ移る。

 アストライアは通路に出た。背後で工具の音が続いている。

 

「皆さん、眠ったままなんですね」

 

 立香の声に、女神が目を向けた。

 

「ええ。命を支える働きは、止まっていません」

 

 職員に尋ねると、ゾーイの母もこの列だと教えてくれた。

 示された寝台では、薄い掛布が、呼吸に合わせてわずかに動いていた。

 

  *

 

 立香は診療所へ戻ると、持参した救急用品から包帯を取り出した。

 ゾーイの傍らへ置き、声をかける。

 

「お母さんのいる列も、無事でした。寝台も固定し直して、職員の方が見ています」

 

 ゾーイの手が一度止まった。

 短く息を吐き、立香へ顔を向ける。

 

「……ありがとうございます」

 

 その手が、患者の掛布へ戻った。

 梁の下にいた男は、寝台に横たわっている。もう一人も奥の寝台へ運ばれ、マシュが頼まれた布を渡していた。

 

 今日運び込まれた負傷者は六人。そのうち二人は、ゾーイたちが傍らを離れられない。

 

 診療所を出る時、立香は空の水差しを預かった。

 坂の下の給水所では、診療所と炊事場へ回す水を先に取り分けていた。洗い場では使い終えた水も残すよう、声が掛かっている。

 

 立香は水差しを渡し、帰りに受け取ると伝えた。

 すぐ脇には、搬入口で取った帰還の記録を置く台がある。アトラスがその前に立っていた。

 

 壁の表示には、手運びで水を補うための持ち場が増えている。

 

「運ぶ方なら、私が入る」

 

 一人が手を挙げ、記録係が名を書いた。

 ほかにも二人が続いた。それでも、表示には空いた枠が残っていた。

 

 朝、加工台に道具を並べていた職人の名が呼ばれる。

 黒い柄の道具を持っていた手には、今は何もない。

 

「俺は修繕に回りたい。残った所を直すなら、そっちへ」

「希望は記しておく」

 

 記録係の葦のペンが動いた。

 その横で、航行統制機構の表示が変わる。職人の名が、運搬班の枠に入った。

 

「明日から、こちらだ。今日のうちに集合場所を確かめてくれ」

 

 職人は表示を見たまま、しばらく黙っていた。

 やがて一度頷き、台を離れた。修繕を望んだ言葉は、記録係の手元に残っている。

 

 アトラスが、台に置かれたもう一つの記録を指した。

 

「切離しの指示が出た時、外に残っていた者の数は」

「ここに。帰還は、こちらへ順に記しています」

 

 立香も綴りを覗いた。帰還者の名は切離しの指示の後に続き、最後の六人まで記されている。

 

「冬眠区画の損傷が止まったのは」

「接続を外した直後です。こちらが船内の報告です」

 

 アトラスは二つの記録を見比べ、貯水槽の残量を確かめた。

 

「止水は間に合っています。槽の水は残りました。ただ、今までと同じようには配れません」

「診療と炊事へ回す分は、確保したか」

「はい。ほかを減らして、先に」

 

 立香は台の端へ手を置いた。

 掌の下の板は、もう外へ引かれていない。さっき見た寝台も、動かなかった。

 

 顔を上げる。

 道具を失った職人が、運搬班の集合場所を尋ねていた。

 

「アトラス」

 

 水青の髪が動き、こちらへ目が向く。

 

「切り離したのは、正しかったの?」

「あの損傷で切離しを選んだことは、正しい」

 

 立香はしばらく、その顔を見た。

 アトラスの指は、切離し後の報告の上に置かれていた。

 

 アトラスの目が、広げられた取水場所の略図へ移った。

 

「次に水を得るのは、ここか」

「ええ。設備を直すまでは、汲んで運ぶことになります」

「では、その往復に要る人手を確かめる」

 

 坂の上から、空になった容器が戻ってきた。

 

  *

 

 立香は、広場へ向かう通りの記録台へ呼ばれた。

 

 アストライアの前に、切離しの記録が開かれている。ペトロスが操作の順を話し、記録係が指示と実行の時刻を確かめていた。

 女神は聞き終えると、立香へ顔を向けた。

 

「戻る者を選ぶ指示は、出ましたか」

「いいえ。歩ける人が先に戻って、動けない方には担架を。外へ手伝いに行った人も、最後に確かめました」

「荷や道具を先に通したことは」

「ありません。ペトロスさんが、道具は置いてくるように言っていました」

 

 ペトロスが頷いた。

 担架を運んだ男も、自分が通った時のことを話す。女神の指が、帰還した名の並ぶところまで進んだ。

 

 最後の報告まで確かめ、アストライアが口を開いた。

 

「誰かを不当に後へ回した事実は、見つかりませんでした。命令の伝達と切離しの操作にも、不正は認められません」

 

 ペトロスが女神へ頷き、呼ばれた者たちが通りを空けた。

 

 その後ろに、さっき運搬班へ配置された職人が立っていた。

 

「アストライア様」

 

 女神が顔を上げた。

 男は、片づけられかけた綴りへ目を向ける。

 

「明日から水を運べと言われました。それは、やります。でも、あそこにあった道具のことは……誰に話せばいいんですか」

 

 記録係の手が止まった。

 

「皆で使う物も、俺が手に合うように直した物も、置いてきました。残った所で仕事をするにも、あれがないと」

 

「私が聞きます。何を失い、何を求めるのか、順に話しなさい」

 

 新しいパピルスへ、男が挙げる道具の名が書き留められていく。女神は途中で一度、聞き返した。

 

「それは、ほかの者も使っていた物ですか」

「いえ。それは俺のです」

「では、共同の物も続けなさい。広場で扱えるよう、残しておきます」

 

 記録係は、共同の物と個人の物を分けて書き留めた。

 

 通りの向こうから、給水の係が立香を呼んだ。

 預けていた水差しを受け取る。朝には何でもなかった重さが、今は腕へはっきり掛かった。

 

 坂を上っていく男に見覚えがあった。さっき、担架の前を持っていた人だ。今は水の容器を担ぎ、診療所へ向かっている。

 

 立香が記録台へ目を戻すと、職人の後ろに一人、立っていた。

 女神の声が途切れるのを待っている。

 

「私も、聞いてほしいことがあるんです」

 

 アストライアはその人を見て、頷いた。

 

「そこで待っていなさい。順に聞きます」

 

 立香が水差しを抱え直す間に、もう一人、その後ろへ並んだ。

 

 切離しの警報は、もう聞こえなかった。

 記録台の前で、人々が自分の話をする順番を待っていた。

 

 




活動報告で、制作裏話や本編に採用する場所のなかった掌編などを公開しています。
https://syosetu.org/?mode=kappo_view_list&uid=332978

この作品の興味をもったところは?

  • アトラスのキャラクター性・内面
  • ギルガメッシュとの関係性
  • 王としての在り方・王権のテーマ
  • ストーリーの展開
  • その他
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