The Reversed Star――逆位置の星―― 作:ほいみん
※独自解釈/女性体オリジナルサーヴァント/ギルガメッシュ×アトラス/本文に文章生成AI補助あり
※掲載イラストは作者による手描きです。
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【作品案内URL】
https://docs.google.com/document/d/1GdwYLijsN-D6iR4MKAlV2ziDaThI6rrddGUy8nim0KE/edit?usp=drive_link
翌朝、立香が広場へ出ると、水を受け取る列はすでに長くなっていた。
その脇を抜け、議場へ向かう人たちもいる。昨日、道具のことを訴えていた職人が、入口で両手を広げていた。
「柄は、これくらいだ。昨日書いてもらったのは、長さまで入っているか」
立香は、広げられた手を見た。
「記録はこちらにあります。昨日の続きを、確かめてもらいましょう」
記録係へ声を掛けると、男の名を書いたパピルスが開かれた。職人はそこへ身を寄せ、足りないところを告げ始める。
後ろからマシュと二王が入ってきた。
壁際にいた民兵が、ギルガメッシュを見て顔を上げた。昨日、外縁から戻った者の一人だ。隣へ声を掛けて場所を空け、背筋を伸ばす。
英雄王はその前を通り、議場を見渡せる位置に立った。アトラスは、卓に広げられた記録へ目を向けている。
「揃いましたね」
アストライアの声に、人々が顔を上げた。青い衣の前には、昨日の切離しの記録が置かれている。
「昨日の執行について、確認した結果を述べます。その後で、損失への対応を扱いますわ。給水の復旧案は、それを聞いてからです」
女神は、記録に沿って短く告げた。救出の順序と切離しの操作に不正はなく、特定の誰かを後へ回した事実も認められなかった。
ペトロスは卓の近くで聞いていた。自分の操作が確かめられても、口を挟まない。
記録係が次の綴りを広げると、入口にいた職人が口を開いた。
「では、誰にも落ち度がなければ、俺の道具はどうなるんです」
「あなたが失ったものは、ここで確かめます。道具の話を続けなさい」
職人が挙げたのは、狭い枠の中でも使えるように削った木槌だった。
「黒い柄のものですか。昨日、作業台で使っていた」
立香の問いに、男が頷く。床を滑っていった木槌が思い浮かんだ。
「『工具一式』とせず、名と用途を残しなさい」
アストライアは記録係へ命じ、共同工具の貸出を確かめた。借りた物で再開できる作業はある。ただ、元の道具に合わせた仕事を、すべて戻せるわけではなかった。
作り直す時期を問われ、ペトロスが答える。
「今すぐとは言えん。水を通す方にも、加工が要る」
「作る者も、同じか」
アトラスが問うた。
「ああ。私もそちらへ入る」
職人の目が、卓の略図へ落ちた。
「水を運ぶのは、やります。でも、道具のことも忘れないでくれ」
「給水の案とともに扱います。何を待たせることになるのかも、聞きますわ」
女神が記録を略図の脇へ置かせると、職人は卓の前を空けた。
広場の脇を、水の容器が通った。二人で持ったそれを避け、議場にいた者たちが足を引く。
ペトロスは容器が診療所への坂へ向かうのを見送り、卓の略図を手前へ引いた。
「今は、こうして運んでいる。これをいつまで続けるかだ」
立香はマシュの隣へ戻った。
失った道具の記録は、略図の横に開かれたままだった。
*
マシュが卓へ近づくと、ペトロスは略図の反対側を指した。崩れた外縁から離れた所に、まだ使える取水口がある。
「ここに揚水器を据え直す。仕上がれば、毎日これだけの人数で運ばずに済む。ただ、工事の間は手運びだ」
もう一案は、手動の揚水設備に仮の管をつなぐものだった。早ければ夕方には水を通せる。その代わり、動かし続ける人手が要る。
使える継手も職人も重なるため、両方を一度には進められない。
「私は、仮の管を先に通してほしいです」
ゾーイが言った。
「患者さんの飲む分だけではありません。傷を洗い、器具や布を洗う水も要ります。昨日から、手当ての必要な人が増えています」
マシュは手運びをしている者に、道のりと交代の様子を尋ねた。立香が昨日の記録を渡す。
今の節水を続ければ、常設の工事を待つ間も水はつなげる。ただ、その間、運ぶ者をほかの仕事へ戻せない。
「試運転の日と、一日分を送れる日は同じか」
アトラスの問いに、ペトロスが首を振った。
「夕方には、まず漏れずに通るかを確かめる。使えるのは明日からだ。それも、調整しながらになる」
「では、今夜には水の心配がなくなる、と受け取らせてはいけませんね」
アストライアが、記録係へ書き足すよう告げた。
「早く通す方は、動かす人手を取り続ける。常設を先にするなら、完成まで運ぶ仕事が残る。その負担も含めて、答えなさい」
職人の問いを受け、仮設案には、水量を確かめてから常設の復旧と道具の再製作の順番を話し合う、と書き加えられた。
記録係が、書き直した案を読み上げる。
「この写しを、診療所にも届けてくれ。返事を預かる者が戻ってから、採決を始める」
「わたしが届けます」
マシュは写しを受け取り、ゾーイと診療所へ戻った。
診療所では、昨日担架で運んだ男が、脚を動かさずに横になっていた。
マシュは寝台の脇へ座り、広場でまとまった案を読み上げた。男は途中で一度、常設の設備について聞き返した。
「仮の方が通ったら、元のように直す話はなくなるのか」
「いいえ。水がどれだけ送れるか確かめてから、道具を作り直す仕事と合わせて、順番を決めます」
「いつ直せるかは、まだ決まらないんだな」
「はい」
男はしばらく考えていた。
ゾーイは傍らで待っている。広場で自分が述べた意見を、もう一度勧めることはしなかった。
やがて男が、寝台脇の小袋から石を取り出した。掌に収まる、平たい石だった。
「先に水を通す方に、賛成だ」
指が石に重なり、表の印が変わった。
ゾーイによれば、成人に渡される票石には、持ち主自身が回答を記す。議場へ行けなければ、提出を人に頼めるという。
「これを、持っていってくれるか」
「はい。お預かりした石を、そのまま届けます」
差し出された石を、マシュは受け取った。
隣の寝台では、もう一人が目を閉じていた。呼びかけにも、まだ答えられない。
ゾーイはその様子を確かめ、記録へ未回答と書き入れた。票石を取ろうとはしなかった。
「この方は、今は休ませます」
マシュは頷いた。
戻る支度をしていると、先ほどの男が声を掛けた。
「結果も、教えてくれ」
「はい。戻ったら、お伝えします」
マシュは写しと票石を携え、広場へ向かった。
*
昼前、立香は広場へ戻ってきたマシュを迎えた。マシュの手には、写しと一つの票石がある。ゾーイもその後ろから議場へ入った。
「返事、預かれた?」
「はい。もうお一人は、未回答です」
記録係が頷き、名簿を開いた。卓には、石を置くための浅い窪みがある。その傍らの表示に、今日の議題が浮かんでいた。
「読み上げた文面で採決する。仮設の給水路を先に通す案だ」
続いて、集計方法が告げられた。有権者の半数を超える参加を確かめ、賛成が反対を上回れば採る。棄権も参加には数えるが、賛否のどちらにも加えない。
「今日答えるのは、今起きている第一群だ。ほかの群には、設備と資材をどう使ったか、引継ぎを残す」
人々は票石を手に、表示された議題を見直していた。
診療所の男の名が呼ばれた。マシュが預かった石を窪みへ置くと、本人の名と賛成の回答が表示された。記録係は名簿と照合し、石を返した。
「ペトロス」
呼名に応じ、ペトロスが卓へ来た。
置かれた石から、反対の回答が読み取られる。記録係はそれも同じように書き留めた。
次に呼ばれたゾーイは、賛成を記した石を置いた。ペトロスは卓を離れる途中で足を止め、彼女が通る場所を空けた。
二人は短く目を合わせ、それぞれ元の位置へ戻った。
呼名は続いた。
最後の照合が終わると、記録係は参加者の数が足りていることを告げ、集計を読み上げた。賛成は百八十六。反対を上回っていた。
「仮設の給水路を先に通す。今日決まったのは、ここに書いた範囲だ」
卓へ寄っていた人々の間から、息の抜ける音がした。ペトロスは黙って聞いている。
アストライアが、集計の脇に置かれた記録を指した。
「反対の理由と、まだ答えの出ていない訴えも、一緒に残しなさい」
人手を取り続けるという懸念も、道具をいつ作り直せるのかという問いも、綴りに加えられた。
記録係が日付を入れ、決まった案を航行統制機構へ渡す。壁の分担表が切り替わり、施工に必要な仕事が並んだ。
「作業に入る者の申し出は、こちらで受ける」
志願者の名が先に入り、足りない枠には機構が担当を割り当てていく。
ペトロスの担当は、継手と止水の点検だった。
彼は図面を受け取ると、資材の置かれた卓へ向かった。立香もその脇へ寄る。
「ペトロスさんは、反対されたんですよね」
「ああ。だが、通すと決まった水を漏らすつもりはない」
手の中で継手を返し、接続面を確かめる。その横へ、図面が置かれた。
立香は、彼の名が入った分担表と、先ほどの採決の記録を見た。反対の印は、そのままだった。
「管材を運ぶのは、わたしも手伝えます」
マシュが申し出ると、ペトロスは顔を上げた。
「助かる。長い物から運びたい。置き場所を空けてくるから、そこで待っていてくれ」
「はい」
図面と継手を持ち、ペトロスが歩き出した。アトラスは卓の脇から、その手元へ目を移した。
向かいでは、アストライアの口元にかすかな笑みが浮かんでいた。
マシュが管材の方へ向かう。女神も卓から離れ、仕事へ散っていく人々を見送った。
*
船の反対側へ回ったマシュは、盾を壁へ預け、ペトロスの指示で水道管の設置を手伝っていた。
支えの木を据えようとしたところで、スティリオスが足を止めた。
「そこへ置いたら、荷車が通れん」
「壁へ寄せすぎれば、継ぎ目に手が入らんぞ」
「通すたびに荷を下ろすつもりか。人が横につく場所も要る」
ペトロスは図面へ目を落とした。近くの作業者が、広場へ戻る道を振り返る。
「女神様に――」
「待て。そこの荷車を寄せてくれ」
スティリオスが通路の端を指し、マシュへ向き直った。
「少し上げてもらえるか。支えをずらして、荷車を通してみたい」
「はい」
マシュが管を持ち上げると、ペトロスは継手の位置をずらした。支えをその下へ移し、荷車を通す。
車輪は引っ掛からず、脇を歩くスティリオスの肩も当たらなかった。
「これなら、どうだ」
「締め直す手は入る。ここで留めよう」
ペトロスの合図で、マシュは管を下ろした。
アストライアが来た時には、図面の書き直しが始まっていた。立香と二王も、通路の向こうから歩いてくる。
女神へ説明したのは、スティリオスだった。
「荷車の道を空けるために、ここの支えを動かした。水を送る先は変えていない」
「継手も、ここへ寄せた。点検はできる」
ペトロスが書き足した箇所を示す。
アストライアは図面と実際の管を見比べ、頷いた。
「変更した位置が分かるように、残しておきなさい」
スティリオスは次の部材を取りに戻った。太い材を肩へ担ぎ上げる動きにも、迷いがない。
「彼らは青銅の種族です」
傍らで見ていたマシュへ、アストライアが言った。
「力と名誉を重んじ、侮られれば譲りません。あの二人の争いを見たでしょう?」
「はい」
初めて診療所の前で見た、掴み合う腕を思い出す。
今はペトロスが材の端を受け取り、スティリオスと支えの位置を合わせていた。
「その中でも、一族が生き延びる道を選び、無益な争いや神への不敬を避けようとした者たちです」
女神の視線は、働く二人へ向いていた。
「マシュ、次も頼めるか」
「はい。持ちます」
マシュは壁際の盾の前を通り、差し出された管を受け取った。昨日は隔壁を押さえていた腕に、部材の重さが掛かる。
支えを打つ槌の音が始まった。
アストライアは荷の通り道を空け、作業場を見下ろせる通路へ上がった。そこにいたアトラスが、女神へ顔を向ける。立香も足を止めた。
*
アストライアは通路の手すりに手を置き、下で管を締めるペトロスを見た。
あの手が、つい先ほど反対の石を置いた。それでも、作業をおろそかにする気配はない。隣ではスティリオスが、次に通す荷車のために材を寄せている。
初めて二人を組み伏せた時には、互いを殴ろうとしていた腕だ。
今日も声は強かった。だが、こちらを呼ぶより先に、二人で荷車を通して確かめた。
その変化を、喜ばしく思った。
「今日の採決で変えられるのは、仕事の順と、資材の使い道までか」
アトラスが尋ねた。
「ええ。今使える物と人手の範囲で、どう進めるかを決めました」
「誰をどの群で起こすか。その規則も、あの場で変えられるのか」
「それには、最初の王が残した法があります。今日と同じ採決をすればよい、とはいきません」
「国を終える時もか」
国を、終える。
アストライアが女神として見てきた多くの国は、争いに裂かれ、栄えを失い、やがて終わりを迎えた。国とは、終わるものだった。
だが、この王は、それを誰かが終えるものとして問うている。
その終わりを執ることも、王の務めに含めているのだろうか。
「終えるための手続きは残されています。私の天秤に掛けて、存続を決める国ではありませんわ。詳しくは、記録を見なさい」
水青の髪の向こうで、血色の目がこちらを向いた。
「汝の天秤は正確だ。だが、ここは器の中だ」
「だからこそ、私はここに留まります」
アストライアは目を逸らさなかった。
この国の法が届くところを問われたのだ。その外に目を向ける王が、目の前にいる。
「器の外へ出る話なら、この中にいる者たちの声を聞いてからになさい」
アトラスはしばらくこちらを見ていた。
「承知した」
返答を聞いてから、アストライアは手すりの下へ目を戻した。マシュが支えた管を、ペトロスが固定している。立香もその様子を見ていたが、やがて口を開いた。
「アストライアさんは、いつからここにいるんですか。最初の王がいた頃から?」
「いいえ。私がこの地へ召喚された時には、もう去ったあとでしてよ。私も、ここへ召ばれたサーヴァントです。三つの群が順番に眠る暮らしも、すでに始まっていましたわ。私が来た頃、眠っている者の物を、今起きている者がどう扱うかで争っていました。使う必要がある者も、持ち主が戻るまで残しておきたい者もいたのです」
「それも、聞いてきたんですね」
「ええ。法に照らして扱いを決めても、それで話が終わるとは限りません」
判定を聞き終えた者が、ぽつりと漏らしたことがある。
起きていれば、あの人にも聞けるのに、と。
その言葉を伝えると、立香はしばらく黙っていた。
「……ゾーイさんも、お母さんに見せたいものがあるって、話していました」
アストライアは頷いた。
眠る者の返事を待ってからでは、今日の配分は決められない。
下から、槌の音が続けて上がった。
「かつて、人間に失望して地上を去りました」
立香が顔を上げた。
「けれど、この地へ召ばれてから見てきたものまで、同じだとは言えませんわ」
折れた物をつなぎ、失った分を作り直す。腹を立てた相手にも、荷を持つ手を貸す。
昨日は、帰ってきた者たちが担架を受け取りに戻った。今日も、反対した男が水を通そうとしている。見限るには、見てきたものが多すぎた。
「さっきは、お二人だけで決めていましたよね。ああいうことが増えていけば、任せられるようになるんでしょうか」
「今日の仕事は、任せられます」
そう答えることに、ためらいはなかった。
「国をどうするかで争う時にも、自分たちで互いの声を聞けるか。そこまで見届けたいのです」
立香は、ペトロスたちの方へ目を向けた。
アストライアも、管の脇を通っていく荷車を見送った。自分が手を掛けずとも、車輪は先へ進んでいく。
「王が残した法の記録を見たい」
アトラスが言った。
「今の配置も、その始まりから確かめる」
「聖杯へつながる記録です。取り出せば何が止まるのかも、そこで確かめなさい」
アトラスは頷いた。立香も目を上げる。
切り離された仕事場を、この者たちは見た。眠る人々のそばにも立ち、反対した者の仕事も見ている。
案内する時だった。
「記録室を開けます。マシュには、今の作業を引き継いでから来るよう伝えなさい」
「はい」
立香が通路を下りていく。
アストライアは近くの担当者を呼び、記録室の鍵を受け取った。背後では、次の管を運ぶ声がしていた。
*
立香が階段の前で待っていると、作業を引き継いだマシュが盾を持って戻ってきた。ペトロスとスティリオスは施工場所に残り、ゾーイも診療所へ戻っている。
アストライアを先頭に、五人は船内の階段を下りた。
槌の音が遠ざかる。冬眠区画の通路へ入ると、立香は寝台を留める金具に目を止めた。周りより新しい金属の下に、古い固定具がずれた跡が残っている。
昨日、女神が押さえていた場所だった。
眠る人々の寝台から伸びた管が、床の下へ続いていた。その先へ、さらに階段が下りている。
「約束どおり、聖杯のある場所へ案内します。最初の王の記録も、そこにありますわ」
アストライアが踊り場で振り返った。
今、抜けば、眠る者から死ぬ。
初日に聞いた言葉と、目の前の寝台がつながった。
「まず、何を止めることになるのか確かめます」
「ええ。ここから先も、条件は同じです」
女神が再び階段を下り始める。
ギルガメッシュは壁へ目を向けていた。上の町では何度も重ねられていた補修の板が、ここでは少ない。奥へ進むほど、太い船材がそのまま姿を現していた。
「こちらは、古いままか」
その声に、アストライアが足を止めた。
「船が造られた頃のものが残っています」
英雄王は船材から奥の扉へ視線を移した。アトラスも、後から加えられた管の通る継ぎ目を見ている。
立香には、上の町を支える船が、下へ来るほど違う顔を見せているように思えた。
階段の終わりで、アストライアが鍵を取り出した。
扉が開く。その向こうにも、古い船材は続いていた。
*
記録室へ入った立香は、壁際に残る細い束へ目を留めた。葦を組んだような構造の隙間に、黒い防水材がこびりついている。その手前には、冬眠区画で見たものに似た、光る文字の並ぶ装置が据えられていた。
アストライアが装置へ触れると、最初の記録が開いた。
人の名が並んでいる。家族ごとにまとめられた名の隣には、怪我の状態や、歩けるかどうかが記されていた。その先には家畜、種、農具。船へ積んだものの一覧が続く。
「これが、最初に乗った人たちですか」
「ええ。青銅の時代、人々の争いと不敬に神々は失望し、大洪水で世を覆いました。この船は、その洪水を越えて彼らを生かしたのです」
立香は、陸の上で初めて見た、あの大きな箱形の船を思い返した。幾重にも継ぎ足された町の下に、これだけの人と荷を載せる場所があった。
「王も、その中に?」
「王は、この者たちが聖杯を用いて召喚したサーヴァントです。洪水を越え、人を運ぶ。その働きを求められて、ここへ来ました」
誰を救い上げ、何を積み、限られたものをどう分けるか。
その指示を引き受けた者が、船の王となったのだという。
アトラスが一覧の続きを開いた。救い上げた人数の記録に続き、陸へ人を出した時の報告が現れる。魔獣に襲われた者の名。持ち帰れた食料。種を播く場所を守るために割かれた人手。
「陸には着いた。だが、全員を養うには足りなかったか」
「船を離れて暮らせる状態には、至りませんでした。食べる者も、働く者も、守る者も、この中にいたのですもの」
次の記録で、人々の名が三つに分けられていた。
九年を働き、十八年を眠る。ゾーイが説明した交代の仕組みが、そこにある。
立香の隣で、マシュが一覧を見つめていた。立香も、今朝の分担表を思い出す。働く人数を減らせば、水も食料も足りなくなる。全員を起こしておけば、さらに多くが要る。その間を、船は群を替えながら進んできた。
アトラスの手が、区画の図面で止まった。
「この時の損傷記録を」
アストライアが隣の記録を開く。
管を止め、隔壁を閉じ、接続を断つ。立香にも、昨日聞いた言葉が読めた。
図面は一枚ではなかった。外へ張り出した部分が、記録を進めるたびに失われていく。そこに付いていた設備の名も、次の図にはない。
アトラスは現在の図面を脇へ呼び出し、古い図と見比べていた。
「……その王は、どうしていなくなったんですか」
アストライアが、退去の記録へ表示を進めた。
「救命のために敷いた体制を、自分の王国として続けるつもりはなかったのでしょう。国を終える権限を残して、去っています」
記録には、二つの項目があった。
一つは、新たな王への継承。王座の認証を受けた者が、正式に王位を引き受ければ、国の終了を決められる。
もう一つは、民による終了承認。
「こちらは、今日みたいに票を入れるんですか」
「ええ。ただし、終えると答える者が多いだけでは足りません。対象となる全員の賛成を要します」
立香は、昼に反対の石を入れたペトロスを思い浮かべた。
「一人でも反対したら、終えられない」
「そのとおりです。棄権した者や、答えなかった者がいても成立しません」
今起きていて、自分で判断できる成人。それが、問いを受ける者の範囲だった。冬眠中の者と、傷病のために答えられない者は、機構が状態を確かめて対象から外す。
「診療所から預かった石も、届けられるんですね」
マシュの問いに、女神が頷いた。
「ええ。票石の回答は、偽造も流用もできませんから」
眠る人々の目覚めを待たなければ、投票すらできないわけではない。今起きている人々だけでも、終えることはできる。
それでも、記録に成立の文字はなかった。
脇の端末から、ダ・ヴィンチの声がした。
『終了するまでは、この船の国を同じ時代に留めておく。閉鎖を維持する命令も残っているね』
「同じ時代……でも、船の中では何十年も経ってるんだよね」
『ああ。ここの人たちは年を重ねている。でも、この特異点は英雄時代の初めから先へ進んでいない』
九年。十八年。
ゾーイと母親が別々に生きてきた年月が、この部屋にも積み重なっている。その長さだけ、外の歴史へ近づいたわけではなかった。
「救命の成果としては及第。だが王としての幕引きはおよそ不細工よ」
ギルガメッシュは、退去の記録を見ていた。
立香も同じ箇所へ目を戻す。ここにあるのは、王の命令を待たずに国を終えるための手続きだった。
「自分たちで決められるように、返したんですよね」
「ええ。終了を決める権限は、民にも残されています」
アストライアが答えた。
「船を終えれば、水も、守りも、配分も、自分たちで賄わねばなりません。それを引き受けられると、全員が答えたことはありませんの」
昨日、船を守るために外縁を落とした。その内側では、四百人が眠ったまま生きていた。
今日通そうとしている水も、船に残った設備を使う。ペトロスが継ぎ目を確かめ、マシュが支えていた管の先には、まだこの船がある。
終えてよい、と言われた後の暮らしを、立香はうまく思い描けなかった。
ギルガメッシュは記録から目を離し、部屋の奥へ顔を向けた。
「王座を使おうとした人は、いなかったんですか」
「あの王座で認証を試みた者は、わずかです。認められた者は、一人もいません」
アトラスが、成立しなかった終了承認の記録を閉じた。継承者の空欄を見てから、その下の項目へ視線を移す。
「何をもって、王と認める」
「認証の記録も、ここから読めます。王座は、この奥ですわ」
アストライアが奥の扉へ手を掛けた。
立香は、左右に立つ二人の王を見た。
扉の向こうへ、光が差し込んだ。
*
マシュは、開いた扉の向こうを見た。
太い船材に囲まれた部屋の中央に、王座があった。背もたれにも肘掛けにも、人が使った跡が残っている。座面には何も置かれていなかった。
その足元だけが、静かに光っていた。
「聖杯反応、ここです」
マシュが端末を確かめると、立香も王座の基部へ目を向けた。
幾重にも組まれた部材の間に、金色の器の一部が見える。器を囲む光は、床に埋め込まれた経路へ枝分かれし、壁の奥まで続いていた。
『間違いない。聖杯が、そのまま動力核に組み込まれている』
ダ・ヴィンチの声に、アトラスが膝を折った。触れずに、基部から伸びる経路を目で追う。
「接続先を」
「こちらに出せますわ」
アストライアが入口脇の装置を操作した。
冬眠区画、生産設備、防衛。表示された接続先の一つに、第二群の名があった。マシュは、通ってきた寝台の列を思い出した。
『どれも稼働中だ。取り外す手順と、止まる範囲を調べよう。今はそこまでにしておこうか』
「うん。お願いします」
立香は端末を持ち直した。
アストライアが開いた表示の下には、王権認証の項目もあった。
「今、開いているのは閲覧用の記録です。認証を始めるには、別の手順を踏みます」
ギルガメッシュは女神の脇を通り、王座の前へ進んだ。空の席を見てから、肘掛けに残る手の跡へ視線を落とす。
アトラスは基部の確認を終え、立ち上がった。
マシュは、自分の掌を見た。
昼に預かった石の重さを、まだ思い出せる。寝台から運んだあの人の答えも、今日通す水の行く先を決めた。
この王座の下から届く力に、ゾーイの母も守られている。
母からの返事は、手紙になって娘へ届いた。それでも、この船をどうするかを今ここで問われたら、眠っている母の返事は届かない。
マシュは掌を閉じ、顔を上げた。
ギルガメッシュとアトラスが、王座の前に並んでいた。
黄金の鎧と、紺碧の外装。同じ席を見ていても、二人の立ち姿はまるで違う。
この船は、何を見て王を選ぶのだろう。
入口脇の表示に、継承者の欄があった。
二人の王を前にしても、その欄はまだ空白のままだった。
この作品の興味をもったところは?
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アトラスのキャラクター性・内面
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ギルガメッシュとの関係性
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王としての在り方・王権のテーマ
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ストーリーの展開
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その他