The Reversed Star――逆位置の星――   作:ほいみん

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FGO二次創作長編『The Reversed Star――逆位置の星――』です。

※独自解釈/女性体オリジナルサーヴァント/ギルガメッシュ×アトラス/本文に文章生成AI補助あり
※掲載イラストは作者による手描きです。

詳しい注意事項・制作FAQはこちら:
【作品案内URL】
https://docs.google.com/document/d/1GdwYLijsN-D6iR4MKAlV2ziDaThI6rrddGUy8nim0KE/edit?usp=drive_link


第5話 王権認証

 立香は、王座の前に立つ二人へ端末を向けた。足元の動力核まで映るよう角度を変えると、画面に映るダ・ヴィンチが頷いた。

 

『映像は届いている。さっきの記録と照合しながら、こちらでも反応を追うよ』

 

 王座を管理する担当者が、入口で頭を下げた。

 

「記録係と、修繕と防衛の担当を呼んであります。揃い次第、認証を始められます」

 

 待つ間に診療所へ戻っていたマシュも、部屋へ入ってきた。

 

「票石をお返しして、採決の結果もお伝えしました」

「ありがとう、マシュ」

 

 その後から、記録係が綴りを抱えて入る。ペトロスとスティリオスも続いた。

 

「水路の調整は、班へ引き継いできた。試運転の結果は、後で知らせる」

「俺も持ち場は代わってもらった」

 

 ペトロスは入口脇の表示へ目を向け、スティリオスは王座の前を見た。ギルガメッシュの姿を認めると、歩みが少し緩む。

 記録係が卓へ綴りを置き、葦のペンを取った。

 

 担当者は装置を起動し、立香へ向き直った。

 

「どうか、皆さんに一度ずつ試していただけませんか」

「私たちもですか?」

「はい。こちらへ来た四人とも。認証を試すだけで、王位を引き受けたことにはなりません」

 

 担当者は立香を見たまま、返事を待っていた。

 この席に誰かが座るのを、待ってきた人なのだと思った。

 

「分かりました。私からでいいですか」

 

 相手が頷き、王座の手前にある床の印を示す。アストライアも卓の脇へ立った。

 

「返答は、記録に残しますわ」

 

 立香は印の上へ進み、名を告げた。

 王座を囲む制御柱は動かない。基部の光も、先ほどと同じように床へ流れ続けている。

 

「では、わたしも」

 

 マシュが声を掛けると、担当者は「はい」と場所を示した。

 立香と入れ替わっても、王座は応じなかった。

 

 担当者の指が装置へ戻る。表示を確かめ、もう一度、制御柱を見た。

 

 その横を、黄金の鎧が通った。

 

 ギルガメッシュは空の王座へ目を向けたまま、照合位置へ進んでいく。立香は端末を胸元へ寄せ、道を空けた。

 アトラスはその場に留まり、装置へ視線を移した。

 

 担当者の手が止まった。

 

  *

 

 硬い靴音が、王座へ近づいていく。

 ギルガメッシュは居並ぶ柱の間を悠然と進み、床の印を踏んだ。足元に流れる布が遅れて揺れ、王座の基部で光が強まった。

 

「我が名はギルガメッシュ」

 

 低く、よく通る声だった。最後の一音まで言い切ると、英雄王は王座を見据えたまま、応答を待った。

 鈍い作動音が、立香の足元へ伝わってきた。

 王座から伸びる光が、床の溝を順に満たしていく。光が柱の根元へ達すると、先ほど自分とマシュが立った時には動かなかった柱が、一斉に音を立てた。

 

 上部が開き、傾く。

 内側の面を英雄王へ向けたまま、揃って低く伏せていく。床に落ちていた影が、その動きに合わせて伸びた。

 

 立香は息を止めた。

 

 頭を、垂れている。

 

 柱の向こうに、空の王座があった。そこまでの道が光でつながり、黄金の鎧を下から照らしている。

 ギルガメッシュは顎をわずかに上げ、従う装置を見渡した。柱から返る光が、磨かれた肩当てを滑る。

 その中心に立つ顔には、かすかな笑みがあった。赤い目は伏せた柱の先へ、奥に控える玉座へと移っていく。

 

「王権認証――成立。統治権限の継承を要請」

 

 航行統制機構の声が、室内に響いた。

 

 記録係のペンが止まった。スティリオスが肩を正す。ペトロスは卓の表示へ近づき、浮かんだ文字をもう一度読んだ。

 

 成立。

 立香にも、その文字が見えていた。

 

 昨日、崩れる外縁で道を守っていた王を、この船も認めた。

 彼が引き受ければ、国を終える手続きへ進める。眠る人々を守りながら聖杯を回収する道が、見つかるかもしれない。

 

「ギルガメッシュ……」

 

 声を掛けかけたところで、担当者が一歩進んだ。

 

「王位を継ぎ、この船を導いていただけるのなら……」

 

 その声は、先ほど立香たちに試行を頼んだ時よりも小さかった。顔だけは、まっすぐ英雄王へ向いている。

 

 船を、導く。

 立香は担当者を見た。彼が見上げているのは、聖杯を取り出すための権限だけではなかった。

 

『継承後の運用記録が開いた。新しい王のもとで、航行を続けることもできるね』

 

 ダ・ヴィンチが告げた。

 

『聖杯を動力として残し、王が機構を統べる。この席には、そのための権限も用意されている』

 

 立香の手の中で、端末の表示が変わった。

 国を終える。そのほかに、続ける道も開いている。

 

 聖杯が船に残れば、自分たちの帰還はどうなるのだろう。

 問いが浮かび、立香はギルガメッシュへ目を戻した。まだ何も答えていない、その横顔を見る。

 

 機構も返答を待っていた。

 先ほどまで重なっていた作動音は、もう聞こえない。伏せた柱の間には、王座までの光の道が残っている。

 担当者はその脇へ下がり、空けた場所に手を添えた。

 

 ギルガメッシュは進まなかった。

 

 赤い目が、使い込まれた肘掛けから、座面へ移る。

 口元から笑みが消えた。ギルガメッシュは面白くもなさそうに、担当者へ目を下ろした。

 

「我が王冠を、このような仮初めの舟に授けると思うか」

 

 冷たく言い放たれた声に、男の肩が強張った。差し出していた手をさっと下ろし、深く頭を下げる。

 

 立香は、続く言葉を待った。

 条件を問う声も、別の席を求める言葉もなかった。英雄王は王座に手を掛けず、そこへ至る光の手前に立っている。

 

 記録係がアストライアを見た。

 女神は英雄王へ向けていた目を戻し、綴りを指した。

 

「今の返答を、記録しなさい」

 

 葦のペンが動き始める。

 

 王権認証は成立。

 継承は、未成立。

 

 卓の表示には、二つが並んでいた。柱は低く伏せたまま、次の指示を待っている。

 

 スティリオスは口を開きかけ、閉じた。それでも、英雄王から目を離さなかった。

 

 立香の胸に浮かんだ期待は、言葉になる前に止まっていた。

 この船が差し出せるものを見たうえで、ギルガメッシュは受け取らなかった。

 

 王座は空いている。

 その前に立つ王は、膝を折らなかった。

 

  *

 

 ギルガメッシュが照合位置を離れると、床の光が王座へ戻っていった。伏せていた制御柱が、ゆっくりと身を起こす。

 

 アトラスが前へ出た。

 

「次は、こちらを確かめる」

 

 担当者が装置へ手を戻した。

 紺碧の外装が床の印に重なる。名を受けた王座から、再び灯りが伸びた。

 

 光はアトラスの足元まで届き、そこで止まった。

 

 柱は動かない。

 先ほど英雄王へ向けて伏せた面が、今度は高い位置に留まっている。

 

「王権認証――不成立」

 

 立香はアトラスを見た。

 

 水青の髪の下で、視線が卓へ移った。不成立の文字を読み、続いて、その脇に現れた記録を追っている。

 

「判定に用いた条件を示せ」

 

 声は、これまで記録を求めていた時と変わらなかった。

 

 担当者が照合結果を開く。アトラスは床の印から外れ、卓の前へ立った。立香も端末を向ける。

 

 表示には、継承される権限と、その行使先が並んでいた。

 人の配置。物資の配分。設備を動かす命令。どれも、中央に置かれた一つの座へ集まっている。王が臣民と国の継続を引き受け、その命令を機構が船の隅々へ通す。

 

 アトラスは、止まった照合の項目を指した。

 

「ここか」

『ああ。受け渡す権限の型と、君の王権が一致していない』

 

 ダ・ヴィンチが、送られた記録を確かめながら答えた。

 

『この装置が探しているのは、空いた王座を同じ形で埋める王、ということか』

 

 立香は、中央の座から伸びる線を目で辿った。

 その先に、今朝見た分担表も、ゾーイたちが交代する群の配置もあった。最初の王が引き受けていたものを、次の一人へ渡すための仕組みが、ここに残っている。

 

 アトラスは権限の一覧を最後まで読んだ。

 担当者はその隣で待ち、もう一度装置へ目を向けた。

 

「条件は分かった」

 

 アトラスが記録を閉じる。

 

 立香は、王座とアトラスの間へ視線を往復させた。あの席へ座る姿を考えるより先に、昨日、最後まで搬出路に立っていた姿が浮かんだ。

 今も、確かめることを終えた顔で卓から離れてくる。

 

「座る気もない椅子を、よく調べる」

 

 ギルガメッシュが、やれやれと言いたげに鼻を鳴らした。アトラスは足を止めず、その隣へ戻る。

 

「使える権限を確かめている」

 

 何か納得がいったのだろうか。英雄王の口元が、わずかに愉快そうに持ち上がった。

 アトラスは、立香の手元で開かれている記録へ目を落とす。

 

 立香は端末を二人から見える向きにした。先ほどまでと同じ距離に、黄金と紺碧が並んでいる。

 

 卓には、アトラスへの不成立の表示が残っていた。

 ダ・ヴィンチは通信の向こうで、英雄王の認証記録をもう一度開いた。

 

  *

 

『なら、こういう手もある』

 

 ダ・ヴィンチが、英雄王の認証記録の隣へ、終了の手順を並べた。

 

『継承を受けて、終了を承認し、その後で退位する。手順の上では通せそうだ。どうだい?』

 

 立香は端末から顔を上げた。

 この時代に王として残り続ける必要がないのなら。そう思った時には、ギルガメッシュの目が通信へ向いていた。

 

「戴冠と継承を何と心得る。我の君臨を随分と軽々に見積もったものだな、雑種」

 

 提案された三つの手順が、画面に残っている。

 継承。終了。退位。

 立香には、つい先ほどまで、そこを順に通ればよいように見えていた。

 

「己(おれ)であっても、そのためだけの戴冠は選ばぬ」

 

 アトラスが続けた。

 卓には、まだ不成立の表示がある。その前に立つ本人は、英雄王と同じように、通信へ答えを返していた。

 

 ダ・ヴィンチは二人を見た。

 

『もちろん、私としても美しくない施策の実施は避けたいとも』

 

 検討していた経路の欄が閉じられる。

 代わって、民による終了承認の記録が大きくなった。

 

 立香は、その下に続く手順を見た。船の各区画が並び、終了後に残すものと、止まる機能が記されている。

 

「皆さんで国を終えると決めたら、この船もなくなるんですか」

 

 記録係が、同じ箇所を卓の表示で開いた。

 

「船体と住居、それに中の物は、残るとあります」

 

『本来の時代へ接続した後も、船は避難の拠点として使える。ただし、聖杯によって動いている機能は終わる』

 

 ダ・ヴィンチの説明に合わせて、立香の端末にも区画の図が映った。

 給水、生産、防衛。いま動いている設備から、聖杯へつながる経路が示される。

 

『眠っている人たちの生命維持も含めて、引継ぎを済ませる。その後で閉鎖を解き、聖杯を回収する順序だね』

 

 立香は、王座の基部へ目を向けた。

 ここへ来るまでに通った寝台も、上で組んでいる水路も、細い光の先にある。

 

「残る揚水器を回すのは、誰になる」

 

 ペトロスが図面へ身を寄せ、さらに尋ねた。

 

「防壁も、機構に任せておけるわけではないんだな」

『そうなる。何を人の手で動かせるか、守る人員をどう置くか。残った設備ごとに確かめる必要がある』

 

 ペトロスは、揚水設備の位置を指で辿った。昼に仮設を通すと決めた場所で、指が止まる。

 

「水を汲む者を増やせば、その分ほかの仕事から人を取る。船が残っても、そちらまで減るわけではない」

 

 立香は頷いた。

 屋根も寝台も残せる。その中で暮らしを続けるために要る手が、図の上へ一つずつ増えていく。

 

「それを引き継いで、船を終える。その答えが、全員分必要なんですね」

 

 アストライアへ尋ねると、女神は頷いた。

 

「今起きていて、判断できる者たち全員の答えです。これまで、それが揃ったことはありません」

 

 記録係は、残せる設備の脇へペトロスの問いを書き留めた。水を動かす者。壁を守る者。

 終えた後の仕事にも、まだ埋めるべき欄があった。

 

 立香は、空の王座から、その前に立つ人々へ目を移した。

 ペトロスは図面を見ている。スティリオスも、その肩越しに防壁の位置を確かめていた。

 

  *

 

 ギルガメッシュは、記録卓に残る船の図へ目を戻した。

 古い図面では張り出していた区画が、今の図では途切れている。英雄王の指が、その脇に並ぶ配分の記録を開いた。

 

「票も揃えられぬとは悠長なことだ」

 

 立香は顔を上げ、どういうことかと尋ねた。ギルガメッシュは、欠けた区画の図を指した。

 

「このまま削れてゆけば、いずれ船の用も為さなくなる」

 

 削れていく。その実際を立香は目の当たりにしたばかりだった。

 昨日落ちた作業場には、まだ使っていた物があった。今日の給水路も、それを失った後で組み直している。

 

「……どうにかならないの?」

 

「機構とやらの差配には無駄が多い。切り詰めれば、まだ航行は続けられよう。もっとも、切り詰めるものには乗組員も含まれるがな」

 

 立香の目が、英雄王の指先から顔へ戻った。

 ギルガメッシュは、古い生産区画の名を示している。

 

「失った区画を再び造るために、材を残しておる。元の働きに戻せぬまま、その枠だけを抱えてな。今ある設備を保つ方へ回せば、使い道もあろう」

 

「その枠は、私らでは動かせん」

 

 ペトロスが答えた。

 

「壊れた所も、足りない物も分かっている。だが、日々の修繕で何を先に使うかは決められても、これから先の配分まで変えられるわけではない」

 

 昼に開かれていた分担表よりも、はるかに先まで続く記録だった。

 元の生産量を前提に残された枠の横に、現在の設備が生み出せる量が並んでいる。

 

「今の働きに合わせて差配し直す。それを機構が自ら行えぬのなら、行える者に命じさせればよい」

 

 ギルガメッシュの言葉を受け、ダ・ヴィンチが権限の記録を辿った。

 

『あるね。対象を限って、配分の裁定を依頼する手続きだ。王位を継承せずとも、認証を通った者へ頼める』

 

 端末に、その範囲が示された。

 聖杯から船へ続く動力の線は、つながったままだった。立香はそこを目で追い、端末を持つ手を下げた。

 

 船は、続けられる。

 その中で生きる人を減らして。

 

「さっきの、乗組員を切り詰めるって……」

 

 ギルガメッシュが立香へ目を向けた。

 

「その人たちを、死なせるってこと?」

「そうだ。この船が生かし続ける者を減らす」

 

 誰も、すぐには口を開かなかった。

 立香は、卓に置かれた民籍の綴りを見た。そこには、寝台で治療を受けている人も、今も水を運んでいる人も載っている。

 

 アトラスが、現在の生産と備蓄の記録を手前へ寄せた。

 

「振り替えた資材で、どの設備を、いつまで保てる。交換の記録も要る」

『照合しよう。現物の状態も、担当の人に確かめてもらいたい』

 

 ダ・ヴィンチの返答に、アトラスが頷く。

 卓の上には、使える材と、維持する設備の記録が並び始めた。

 

 立香には、まだ尋ねたいことがあった。誰を、その数から外すのか。どれだけの人を。

 言葉にする前に、ペトロスが顔を上げた。

 

「どれほど減らせば、どれほど保つ」

 

 図面に添えた手は、そのままだった。

 ペトロスが見上げると、英雄王は記録へ一度目を走らせた。

 

「そうさな、ざっと百二十余で三十年といったところであろうよ」

 

 立香は息を詰めた。その短い間に、そこまで見えていたのか。

 ダ・ヴィンチが、送られてきた記録を手元へ並べ直す。

 

『こちらでも組んでみよう。今の設備と備蓄で、どこまで見通せるか』

 

  *

 

 マシュは入口で仮設水路の報告を受け取り、記録卓へ戻った。

 管には水が通り、継手の調整を続けているという。給水に使えるのは、予定どおり明日からだった。

 

「試運転が始まったそうです」

 

 差し出すと、ペトロスは報告に目を通した。調整している箇所を確かめ、設備の記録の隣へ置く。

 

「この状態も入れてくれ。交換に回せる部材は、さっき確かめた分で合っている」

 

 ダ・ヴィンチのもとへ、生産と備蓄の記録が送られていった。担当者が現物と照らして直した箇所を、アトラスが元の記録と見比べている。

 立香は通信をつないだまま、卓の脇に立っていた。

 

 しばらくして、ダ・ヴィンチが顔を上げた。

 

『とんでもない王様だね。こちらで組んでみたけど、大筋は君の見立てどおりだ』

 

 ダ・ヴィンチは英雄王へ目を向けてから、計算の結果を送った。

 

『残す設備と部材、それを扱う人手を照合した。条件が揃うなら、計画にできるのはこの規模だ』

 

 端末の表示が切り替わった。

 

『維持人口、一千八十。切離し対象、百二十。航行計画、二十七年』

 

 マシュは、真ん中の数で目を止めた。

 

 百二十人。

 

 昨日、搬入口を通った人を数えた時には、一人増えるたびに、外に残る人が減っていった。

 今、目の前にある数の意味を、読み違えることはできなかった。

 

「一巡か」

 

 ペトロスが言った。

 彼の目は、三つの群の交代に沿って並べられた作業予定へ移っていた。

 

 二十七年のうち、一人が起きて過ごすのは九年だ。

 マシュは、診療所で聞いたゾーイの声を思い出した。その九年に、診る仕事があり、手紙を書く夜があり、使い慣れた袋を開ける毎日がある。

 

『二十七年は、ここにある資源と交換部材で組める計画の長さだ。この先もずっと保つ、という見積もりではない』

 

 ダ・ヴィンチが、設備の交換予定を開いた。

 

『ただ、必要な引継ぎを終え、この配分で運用できれば、一巡をつなぐ根拠はある』

 

 ペトロスは予定を読んだ。水路の設備名が現れると、指を置く。

 

「残る者だけで、次の交換を行えるか」

 

 アトラスが尋ねた。

 

「記録を渡すだけでは難しい箇所がある。締め具の収まりは、現物で確かめさせたい」

 

 ペトロスは、今届いた試運転の報告を引き寄せた。

 

「ここもそうだ。引き継ぐ相手にやらせて、水を通してみる。書いたとおりに締めれば済むとは限らん」

「では、その確認までを引継ぎに含める」

「ああ。それなら、誰に渡せるかも確かめられる」

 

 アトラスの指示を受け、記録係が作業を加えた。

 

 表示には百二十という数があり、その下には、まだ誰の名も入っていなかった。

 残る仕事を誰が担えるか、誰から誰へ渡すか。そこを確かめるための記録が、卓に広げられていく。

 

 ペトロスは試運転の報告を読み終え、交換予定の横へ置いた。

 

  *

 

 報告から手を離したペトロスが、記録係を見た。

 

「私の名も入れてくれ。引き継ぐ仕事は、まだある。そこまではやる」

 

 マシュは、卓へ置かれたその手を見た。

 つい先ほどまで、次の交換で気をつける箇所を指していた手だった。手の甲には古い傷があり、指の節には汚れが残っている。

 

「ペトロスさん……」

 

 呼ぶと、彼は顔を向けた。

 昼に管を支えていた時と同じように、こちらの言葉を待っている。

 

 マシュは口を開いたが、すぐには続けられなかった。

 引き継ぐ仕事はまだある。そのことを、本人がいちばんよく知っている。現物を前に、次の者が扱えるところまで確かめると、今も話していた。

 

「私を残す方へ、先に決めておかないでくれ」

 

 ペトロスはそう言って、試運転の報告を指先で卓の中央へ寄せた。

 

 隣でスティリオスが身じろぎした。

 

「あんた……」

 

 そこから、声が続かなかった。

 ペトロスは彼を一度見た。いつものような言い返しもなく、二人の間に短い沈黙が落ちる。

 

 マシュの隣で、立香が端末を持ち直した。画面には、まだ百二十という数が出ている。

 その中へ入れてくれと、ペトロスは言っていた。

 

「眠っている連中を残せるなら、そうしてくれ。あいつらも、きっと分かってくれる」

 

 彼の目が入口の方へ動いた。あの階段を上れば、冬眠区画の通路へ戻る。

 

 マシュは、眠る人々の顔を思い出した。

 目覚めた時、この人が水を通していたことを、誰かが伝えるのだろうか。使い方を教わった者が、残された記録を開いて見せるのだろうか。

 

 ペトロスの視線が、卓へ戻った。

 

 ギルガメッシュは彼を見ていた。先ほど概算を返した口は、今は閉じられている。

 アトラスは民籍の綴りへ目を移した。開かれた頁には、眠っている者たちの名も並んでいた。

 

 記録係がペンを持ち上げ、アストライアを見た。

 

「名と、申し出た内容を残しなさい。続きは、明日の議場で聞きます」

 

 女神はペトロスへ目を向けた。

 

「引継ぎと、残る仕事の確認も、その場へ持って来なさい」

 

「ああ」

 

 短く答え、ペトロスは交換予定の記録を自分の側へ寄せた。

 

「議場へ来られない者にも、回答や異議を届ける機会を設けます。そのことも、告知に入れなさい」

 

 アストライアの指示を受け、記録係が書き始めた。

 

 マシュは、ペン先を見ていた。

 本人の申し出を記す欄に、ペトロスの名が入る。

 

 ペトロスは書かれた内容を読み、頷いた。

 その手元には、今夜の試運転の報告がある。調整を終えた後で、もう一度確かめる箇所に印が付いていた。

 

 百二十人という計画の横に、マシュの知っている名があった。

 執行を決める欄は、まだ空いていた。

 

 

 

 




活動報告で、制作裏話や本編に採用する場所のなかった掌編などを公開しています。
https://syosetu.org/?mode=kappo_view_list&uid=332978

この作品の興味をもったところは?

  • アトラスのキャラクター性・内面
  • ギルガメッシュとの関係性
  • 王としての在り方・王権のテーマ
  • ストーリーの展開
  • その他
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