The Reversed Star――逆位置の星――   作:ほいみん

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FGO二次創作長編『The Reversed Star――逆位置の星――』です。

※独自解釈/女性体オリジナルサーヴァント/ギルガメッシュ×アトラス/本文に文章生成AI補助あり
※掲載イラストは作者による手描きです。

詳しい注意事項・制作FAQはこちら:
【作品案内URL】
https://docs.google.com/document/d/1GdwYLijsN-D6iR4MKAlV2ziDaThI6rrddGUy8nim0KE/edit?usp=drive_link


第7話 船を降りる星図

 翌朝、立香が診療所の報告を持って給水路へ行くと、アトラスはもうペトロスの隣にいた。揚水器を扱う手元を見ながら、説明を聞いている。

 報告を渡した後も、二人の話は続いていた。

 

 昼に立香が栽培場を訪ねると、水青の髪が苗床の向こうに見えた。

 細い管が苗床の間を巡り、葉の揃った苗が並んでいる。その向こうの窓いっぱいに、昨日と変わらぬ灰色の空があった。

 

「これは、まだ持ち出せん。根がつくまで、ここで育てる」

 

 担当者が苗を指すと、アトラスが尋ねた。

 

「その時期を、何で見分ける」

 

 男は苗床へ屈み、葉の陰を示した。アトラスも身をかがめる。

 その様子に男は怪訝そうな顔をした。

 

「……あんた、もしかして明日もここにいるのか」

「朝は診療所へ行く。その後、ここへ戻る。続きを聞く」

 

 男は短く頷き、苗の手入れへ戻った。

 

 それから夕方になって立香が搬入口でスティリオスに会いに行くと、隣にはアトラスがいた。

 何の用事か訊ねるとスティリオスは答えた。

 

「向こうの見張りにも話を聞くそうでな。案内してくる」

 

 二人は船外へ続く坂を下りていった。

 

  *

 

 翌日の昼、立香が診療所へ戻ると、ゾーイが戸口で担当表を広げていた。向かいに立つアトラスへ、一人の名を示す。

 

「この人は、こちらにも必要です」

 

 立香は隣の表と見比べた。覚醒後の介助に入る人が、防衛の側にも数えられている。

 アトラスは近くにいた本人を呼び、担える仕事を確かめてから、担当表を直した。

 

「ただ、これでも一度に介助が重なります。いつもの交代と同じようには進められません」

「承知した。その危険も、明日の検証に出す」

 

 立香が搬入口へ回ると、ペトロスとスティリオスが、荷車の脇で作業の順を言い合っていた。アトラスは既に栽培場へ向かったという。

 

「試し運びのために、揚水器の点検を後へ回すのは賛成できん」

「こっちも見張りの交代までに終えなきゃならん。点検を待ってたら、また明日になるぞ」

 

 立香が二人の予定を書き留めると、ペトロスが言った。

 

「私の異議も、そこに残してくれ」

「はい」

 

 立香は、点検を後へ回すことへの異議も書き添えた。スティリオスが言った。

 

「分かった。こっちは一緒に運ぶぞ」

 

 二人は板束の両端を持ち、荷車へ載せた。

 

 栽培場へ向かう途中、立香は通路でアトラスを見つけた。荷を抱えた男に呼び止められ、話している。説明が終わっても、男の眉間の皺は消えなかった。

 

  *

 

 その夜、立香が上層の歩廊へ出ると、アトラスは昼間の男と話していた。持ち出せる道具を確かめに来ていた人だ。

 槌の音は止み、下の通路を行く足音が、板越しに聞こえている。

 

「王を引き受けるわけでもないのに、どうしてそこまで口を出す」

 

 立香は、声を掛けかけて足を止めた。

 アトラスは開いていた記録へ目を落とした。

 

「失われた区画は、戻っていない。残る部材も減っている。この先、修繕だけでは今の働きを保てなくなる」

 

「船が傷んでいることは知っている」

 

 男は腰の道具袋を引き寄せ、緩んでいた紐を結び直した。

 

「直して使ってきたんだ。それを、船ごと捨てろと言われてもな。あんたは、ここで暮らしてきたわけでもないだろう」

 

 アトラスの指が、記録の上で止まった。

 

「航行を続ける場合も、確かめている。明日、双方の記録を出す。失うものも含めて、比べられるようにする」

 

 男はしばらく黙っていた。やがて袋から手を離し、歩廊の先へ目を向ける。

 

「……明日は聞く。今は、持ち場へ戻らせてくれ」

 

 立香は脇へ寄った。男は軽く頭を下げ、その横を通って階段を下りていった。

 

 足音が遠ざかっても、アトラスは記録を開いたままでいた。頁の縁に指を掛け、次へはめくらない。

 立香は隣へ歩み寄った。

 

 昼間は、行く先々で誰かの話を聞いていた。その人が、今は頁を繰ることもせずにいる。立香には、少し疲れて見えた。

 

「疲れてる?」

「疲れてはいない」

 

 答えは静かだった。

 下の通路で、交代を告げる声がした。返事があり、足音がまた遠ざかっていく。

 

「……ただ、兄のようにはゆかぬな」

 

 立香はアトラスの横顔を見た。

 さっきの男が立っていた場所には、もう誰もいない。

 

「さっきの人は、アトラスのことを聞いてたのかもしれないね」

 

 アトラスがこちらを向く。立香は、その手元に残る記録へ目を落とした。

 

「『なんで』って聞く時に、『どうやって』を聞きたいわけじゃないこともあると思う」

 

 少しの間、返事はなかった。

 

「記録した」

 

 立香は頷いた。

 欄干へ手を置くと、夜の湿り気が指に触れた。船の下は暗く、昼に歩いた道も、ここからは見分けられない。

 顔を上げた。空を覆う雲は灰色さえ失い、どこにも光の点はなかった。

 

「星、見えないね」

 

「ああ。……星がなくては、船は目的地に着かぬ」

 

 アトラスも、空を見上げていた。

 

  *

 

 翌朝、立香はマシュとともに広場へ向かった。

 卓には、この二日間に集めた記録が揃っていた。船を降りるための図の隣に、航行を続ける計画がある。住民たちも、持ち場を交代しながら集まってきていた。

 

「これまでに確かめたことを、ここで聞きます。今日、最後に問うのは、全員を起こすかどうかです」

 

 アストライアが人々を見渡した。

 

「二つの案を比べ、危険も聞いたうえで答えなさい。まず、カルデアから」

 

 立香は卓へ端末を置いた。画面のダ・ヴィンチが、こちらへ顔を向ける。

 

『現物の報告に入る前に、私たちの帰還についても話しておこう。今は接続を保てている。ただ、この先は数週間ごとに状態を見直す必要がある。数か月先まで維持できるとは、まだ保証できない』

 

 立香は、航行を続ける計画へ目を落とした。

 二十七年。その間ずっと、今と同じようにこの画面へ呼び掛けられるわけではない。

 

『聖杯を船に残して航行を続けるなら、私たちの帰還を支える側が、先に限界を迎える可能性がある』

 

 アストライアの目が、画面から立香へ移った。

 

「あなた方は聖杯を求めています。ゆえに、その計算も無条件には採用しません」

 

 立香は女神へ向き直った。

 

「この民が航行を続けると決めたなら、聖杯は船に残ります。それでも、その案をここへ並べますか」

 

「はい」

 

 卓の隅には、昨日、自分が運んだ記録もあった。反対の言葉を書き添えたままのものだった。

 立香は一度、息を吸った。

 

「私は帰りたい。マシュと一緒に元の時間に。でも、ここで無理に聖杯を取り外したら戻った後に絶対後悔する。だから、できるかぎりここの人たちのためになる答えを探したい」

 

 口にしてから、隣を見た。

 マシュは立香の目を受け、頷いた。

 

「わたしも、帰りたいです」

 

 その声を聞いて、立香も頷き返した。

 

「その欲を捨てるな」

 

 卓の向こうから、ギルガメッシュの声がした。

 顔を上げると、赤い目がこちらを見ていた。立香が視線を合わせるまで、英雄王は次を言わなかった。

 

「帰る道も、こやつらの道も求めよ。それでも選ばねばならぬ時が来たなら、貴様が選べ」

 

 立香はその目を見返した。

 端末の画面には、ダ・ヴィンチがいる。隣にはマシュがいて、卓の向こうでは、ペトロスが自分の持ってきた記録を押さえていた。

 

「うん」

 

 アストライアは立香から目を離し、集まった人々へ向き直った。

 

「彼らを帰すために賛成する義務はありません」

 

 その声に、立香へ向いていた視線が女神へ戻る。

 アストライアは卓の上を示した。

 

「航行を続ける案の見積もりも示しなさい」

 

 ペトロスが引継ぎの綴りを開いた。

 

  *

 

 立香は、ペトロスが開いた綴りへ目を向けた。仕事を引き継ぐ者の名の横に、新しい書き込みが増えている。

 

「ここまでは、任せて動くことを確かめた。残りは、実際に部品を替える時に見なければならん」

 

 ペトロスが指した箇所を、ダ・ヴィンチが手元の記録と照らす。

 

『その確認と本人たちの申し出を揃え、民からの委任を受けて英雄王が裁定する。百二十人を失う計画だけれど、残る人々の次の一巡は、この条件で見通せる』

 

 続いて、船を降りる案の検証に移った。

 水の記録では、仮設の給水路を動かしながら、蓄えを少しずつ増やせていた。だが、全員を起こす日から、見込みの線は下がっていく。

 

「その水を、誰が丘まで運ぶ」

 

 ペトロスが問うた。

 立香は卓の脇へ置いた容器を示した。昨日、荷車へ積んで坂を往復したものだった。

 

「これを使って、運ぶ人にも確かめてもらいました。ただ、患者さんの車が通る間は、同じ道を使えません」

 

「移ると決まれば、先に運ぶ分を分ける。最後まで使う分は、出る者が持つ」

 

 アトラスが搬送の図へ指を置いた。ペトロスはそれを見て、揚水器の部品を外す箇所へ印を加える。

 

「こいつは最後だ。早く外せば、運ぶ水そのものがなくなる」

 

 丘の湧水は、今朝も流れていた。船から管が延びているわけではない。けれど、巡回の者が使う水場で、全員の容器をすぐに満たせるとは限らなかった。

 境界の向こうの水については、まだ誰も確かめていない。渡った直後に水源を調べ、配る仕事を始める。その間を支える水も、船から運ぶ必要があった。

 

 食料と種、手工具、連れていける家畜の記録も並ぶ。栽培場で見た苗の列を、立香は思い出した。育てている物を持ち出せても、船の力で働く栽培槽まで、向こうで同じように使えるわけではない。

 大型の設備を外そうとすれば、患者や食料を運ぶ手がそちらへ取られる。持ち出せる物の欄は、問いが返るたびに書き直された。

 

 交代で来た者にも、それまでの説明が伝えられた。続いて、ゾーイが覚醒時の介助について話した。

 

「八百人を同じ日に起こした記録はありません」

 

 立香はペンを止めた。

 

「区画ごとに起こし始める時刻をずらしても、先に起きた人の介助が終わるとは限りません。自分で動けるかを確かめている間に、次の人が目を覚まします」

 

『そこへ、魔獣が接近する危険もある』

 

 ダ・ヴィンチが続けた。

 

『周囲の群れは、人の熱や魔力、活動を捉えている。大勢が目覚めて急に活動が増えれば、それに反応して一時に近づいてくる可能性がある』

 

「その時に負傷者まで運ばれてきたら、医療班だけでは手が足りなくなります。目覚めたばかりで、逃げるにも介助が必要な人がいる。対応が間に合わず、亡くなる人が出るかもしれません」

 

 ゾーイは、卓を囲む人々を見た。

 立香の隣で、マシュが担当表を押さえ直した。そこに書いた名は、どれも昨日、本人に確かめたものだった。

 

「少しずつ、何日もかけて起こせばいいんじゃないか」

 

 後ろの席から声がした。

 アトラスは、日を分けた案を卓へ置いた。

 

「介助を分散できる。その間、起きた者が増えた状態で、水と食料、警戒の手を保つ必要がある。全員が揃うまでに使う蓄えも増える」

 

「先に起きた者から、また眠らせるのは」

 

「それでは、全員が同じ時に答えられぬ」

 

 問うた男は、二つの日程を見比べた。

 

「日を分ける案も採れる。提案するのは、今日までの三日で準備を整え、明日、区画ごとに着手をずらして起こす案だ。介助の手を集める。その手で足りると、保証はできない」

 

「やってみて駄目なら、輪番へ戻せるんだろう」

 

 今度は卓の近くから問われた。

 

「起きた後の身体と、残る設備、資源を確かめねばならぬ。戻せることを当てにはできぬ」

 

 アストライアが記録係へ顔を向けた。

 

「目覚めた後に、航行を続けたいと答えることもできます。その時の条件で、案を組み直す必要があることも記しなさい」

 

 アトラスは切離しの履歴を開き、現在の船の図へ重ねた。失われた区画が、古い図にはいくつも残っている。

 立香は、その一つへ目を留めた。荷車を押して越えた歩廊と、加工台のあった場所だった。今、試し運びに使っている道は、そこを避けて引かれている。

 

「船を保たせるために失ったものは、降りる時にも使えなくなる。己(おれ)は、使える手と道があるうちに移したい」

 

 アトラスの指が、今ある搬入口で止まった。

 ペトロスは図を見ていた。やがて、その指の先から船体の輪郭へ目を移す。

 

「残せるものまで、失うことにもなる」

 

「ええ。正規に終えれば、船体は残ります。動かす仕事は引き受けねばなりませんが」

 

 アストライアが答えた。

 

「船を沈めるなら、家も、大きな設備も、持ち出せない墓所も失います。後で取りに戻ることはできません」

 

 卓の端で、誰かが図を押さえたまま、長く船内を見ていた。

 

 質問が続いた。担当者の答えを記しながら、立香は未確認の印も、反対の言葉も残した。

 

  *

 

 広場脇の卓で、立香はアストライアから採決までの進行を聞いていた。

 

「残る問いを受けてから、採決へ移ります。交代で来る人たちにも、そのように伝えなさい」

 

 立香が頷くと、アトラスが口を開いた。

 

「皆に己から改めて説明をする」

 

 立香は顔を上げた。

 アトラスは立香たちと女神を見ていた。手元の記録には、目を落としていない。

 

「採決の前に、ですわね」

「ああ」

「では、その時間を取りましょう。話した後にも、問いを受けます。聞いてすぐに答えを出すよう、急がせてはいけませんわ」

「承知した」

 

「わたしは診療所へ、予定を伝えてきます。次の交代で来る方にも」

 

 マシュが診療所へ向かって広場を出ていった。

 

  *

 

 広場の裏手で、アトラスは記録の端を揃えた。歩廊の角を隔てて、椅子を動かす音がする。誰かが席を詰め、交代で戻ってきた者へ声を掛けていた。

 

 揃えた綴りを閉じ、王宮外装を完全閉城へ移す。

 紺碧の外装が身を覆い、王の正装が整った。記録を手渡す時も、図を指す時も、人々はその先を見ていた。これからは、己へ顔を上げてもらわねばならない。

 

 征服王ならば、まだ見ぬ土地を望ませる言葉を語っただろう。始皇帝ならば、船そのものを造り替える算段から始めたかもしれぬ。

 己が示すのは、この航海を終える道だ。その先に何を望むかも、己の言葉で語らねばならない。

 

 アトラスは背を伸ばした。

 少し離れて立つギルガメッシュが、こちらへ目を向けている。赤い目が装いを辿り、顔へ戻った。

 

「存外に腹が据わっているとみえる。こうした事は貴様の不得手とするところであろうが……その気勢のよすがは何だ?」

 

 声には、面白がる響きがあった。

 アトラスは英雄王へ向き直った。船から民を運び出し、その内側を終える。そこまでの手順は、今、手の中にある。

 

「己が仕損じた場合は、汝が聖杯を回収する。マスターとマシュの帰還に不安はない」

 

 ギルガメッシュの眉が、わずかに動いた。

 

「──ほう。この我に敗戦処理を命ずるか」

「命令ではない、観測だ」

 

 赤い目を見返す。

 この三日、この王は丘へ足を運び、境界を見ていた。剣を抜く場所を選ぶ眼も、人々の仕事を眺める眼も、アトラスは見ている。

 

 ギルガメッシュの口元が、ゆっくりと吊り上がった。

 

「よかろう。貴様がしくじれば、我が好きにする。存分に無様を晒せ」

「それでよい」

 

 広場から、話し声が重なって聞こえた。

 アトラスは綴りを携え、歩き出した。紺碧の外装に覆われた足が、歩廊の角を曲がる。人々の待つ広場へ出た。

 

  *

 

 立香は、歩廊から広場へ戻ってきたアトラスを見た。

 

 紺碧の装甲が、全身を覆っていた。砕いた結晶を幾重にも封じたような青は、歩みに合わせて濃淡を変える。額には鋭く立ち上がる冠。大きく張り出した両肩からは銀白の装甲が幾枚も重なり、その下に長い外套が垂れていた。

 胸元の淡い碧が、暗い青の中に浮かんでいる。

 

 完全閉城。

 現場を回っていた時よりも、大きく見えた。広がる肩と外套の間に、水青の髪が流れている。海を知る者なら、その姿に深海を思い浮かべたに違いない。光を抱きながら、底までは見通せない青だった。

 

 冠の下で、血色の瞳が広場を見渡した。

 立香も、手元の綴りを膝へ下ろす。

 交代で戻った者たちの作業着が擦れ、腰に提げた工具の触れ合う音が、広場のざわめきに混じっていた。

 

 アトラスは卓へ記録を置き、端末を開いた。ギルガメッシュは少し遅れて姿を現し、広場の端に立った。

 

「介助の交代は、この配置とする。引き継ぐ者が来るまで、その場を離れぬよう改めた」

 

 アトラスの指が分担表を辿り、搬出の図へ移った。

 

「水は先に運ぶ分を分ける。揚水器を外すのは――」

「運ぶ手も、守る場所も確かめた」

 

 スティリオスの声が割って入った。

 

「だが、起こした後に守り切れなかった奴には、何と言う?」

 

 立香は顔を向けた。スティリオスは拳を握ったまま席の前へ身を乗り出し、アトラスを見ていた。

 

「スティリオス。順序を守りなさい」

 

 アストライアが制した。続いて、卓の向こうへ目を戻す。

 

「その問いにも答えなさい」

 

 アトラスは、図を辿っていた指を止めた。

 

「この案を出した己の名も、その結果に残す」

 

 声は変わらなかった。

 

「何を確かめ、何を足りると見て起こしたか。その判断も、問われるものとして残す」

 

 スティリオスは口を結んだ。背後から、別の声が上がる。

 

「今起きている私たちで決められるのに、なぜ起こす。起こすこと自体が危ないのだろう」

 

「そうだ。今の汝らで決められる。だが己は、眠っている者も、ここで自分の答えを持つことを望む」

 

 少し離れた席で、ゾーイが腰の器具袋へ手を添えた。指先が、縫い直された布の縁に触れる。

 

「私にも、眠っている人に聞きたいことがあります」

 

 それだけを言って、卓の方を見ていた。

 

「それでも、起こすかどうかは私たちが決めるのか」

 

 アストライアが、問うた者へ向き直った。

 

「ええ。その危険も含めて答えなさい。ここで問うのは、全員を起こすかどうかです。起きた者が何と答えるかは、その者に聞きなさい」

 

「航行を続ける方を頼めばいい。英雄王なら、次の一巡は持たせられるんだろう」

 

「航行を望むなら、そう答えよ」

 

 アトラスは卓に残る延命案へ手を向け、それから人々へ目を戻した。

 群衆の中から、声が上がった。

 

「全員で船を降りるなど、祈りでしかない。祈りで腹は満たせない」

 

 声のした方で、何人かが頷いた。隣り合う者の間にも「そうだ」と応じる声が重なり、ざわめきが広がっていく。

 立香の膝には、何度も直した記録がある。食料を運ぶ車も、種を収める容器も、使う手も確かめた。それでも、まだ誰も向こうの土地で作物を育ててはいなかった。

 

「その道へ出て、誰も死なずに済むと言えるのか」

 

「言えない」

 

 返事は短かった。

 広場の後ろで、腰を浮かせかけた者が動きを止めた。

 重なりかけていた声も途切れた。返事の続きを待つように、広場が静まり返る。

 遠くでは、揚水器の低い唸りが続いていた。

 

 立香の隣で、一人が困惑した様子でギルガメッシュへ顔を向けた。つられるように、別の視線も動く。

 あの王ならば。崩れる作業場でも、逃げる人々の頭上でも、迷わず武器を放ち、道を空けた王ならば。

 

 ギルガメッシュは何も言わなかった。

 赤い瞳は、ただ紺碧の王を見ている。

 

 やがて人々の視線もアトラスのもとに集まった。

 アトラスはそれを受け止めると、改めて口を開いた。

 

「だが、この船を進め続けることを、己は到着とは裁定しない」

 

 アトラスが、端末から手を離した。

 画面には道が残っている。書き直した分担表も、反対の言葉を記した綴りも、その手の下に置かれたままだった。

 大洋王の視線は、もうそれらへ戻らなかった。

 前を向き、集まった数百の民の、その現在だけを捉えている。

 

「愛するものを天秤にかけることを、民の務めにはせぬ。避けられぬならば、その裁定を負うために王がいる」

 

 ペトロスが、卓を見ていた目を上げた。揚水器の図を押さえていた指が、ゆっくりと離れた。

 

 アトラスはゆっくりと右手を持ち上げた。完全閉城の手甲が擦れ、低い金属音を立てた。

 

「この船を愛したままでよい。沈める刃は、己が執る」

 

 掲げられた手が、広場にいるすべての者の目の前で、固く握りしめられた。

 

「到着とは、汝らが同じ時に立ち、自らの足で歴史へ降りることだ。会いたい者に会い、聞きたかった言葉を聞き、その場で答える。誰もが自らの目で現在を見つめ、自らの望む明日を築いていく。己は、汝らのそういう暮らしを見たい」

 

 声は張り上げられていなかった。前列の一人が、わずかに身を乗り出した。

 立香は、昨夜の空を思い出した。

 欄干の向こうを、アトラスと並んで見上げていた。どこまで見ても、星はなかった。

 けれど今、その血色の瞳には、昨夜の空に見つからなかった星が灯っているようだった。

 

 広場で、ペトロスが図へ目を落とした。自分で順を直した揚水器の印から、丘へ続く線を、荒れた指先で辿った。やがて顔を上げ、卓の向こうの王を見た。

 

「……道はあるのか?」

 

「ある」

 

 アトラスは間を置かず答えた。

 

「汝らが同じ時を生きたまま、次へ渡る航路はある」

 

 紺碧の外装をまとった手が、卓の縁へ下りた。握られていた拳がほどかれ、掌が静かに開かれる。武器も、記録も握っていない。ただ、人々の前に差し出された、無防備な手だった。

 

「全員が生き残るとは保証しない。争いがなくなるとも言わない」

 

 立香は顔を上げたまま、聞いていた。

 

「だが、汝らの降り立つその地点までなら。その時を求めてやまぬ祈りの潰えぬ限り」

 

 アトラスの目が、並ぶ人々の顔を一人ずつ見た。

 

「己は道を示す」

 

  *

 

 マシュは広場の後ろで、次の声を待っていた。

 アトラスが言葉を切っても、拍手は起こらなかった。風が広場の板敷きを渡り、誰かが短く息を吸った。

 少しの間を置いて、ゾーイが手を上げる。

 

「明日の朝、介助の配置が揃わなければ、開始を見合わせてもらえますか」

「見合わせる。起こす前に、各区画で確かめる」

 

 ゾーイは頷いた。

 

 それからも問いは続いた。マシュは診療所と広場を往復し、患者たちの質問への答えも届けた。

 窓から入る光が薄くなる頃まで、質問と返答が交わされた。

 

「未解消の異議は、そのまま記録へ残します。沈黙は回答として扱いません」

 

 アストライアが質疑を区切った。

 卓に、全民覚醒の実施を問う札が置かれる。採決には、先日の給水路と同じ規則を使う。

 

 マシュは票石を携え、もう一度診療所へ向かった。

 

 ゾーイは包帯を留め終えてから、寝台を離れた。説明の綴りを開き、区画ごとの介助と交代の箇所を読み直す。

 それから、自分の石へ触れた。

 

「賛成します」

 

 賛成の石を預け、ゾーイは次の寝台へ戻っていった。

 

 患者の返答も受け取って広場へ戻ると、スティリオスが受付で搬送表を確かめていた。

 

「ここは、昨日言ったとおりに直ってるな」

 

「はい。交代する方にも確かめてもらいました」

「俺の班は、これで動く」

 

 スティリオスも賛成の石を置いた。

 次にマシュの前へ来たのは、ペトロスだった。

 

「私は、反対だ。起こした全員に手が届くとは、私はまだ言えん」

 

 マシュは石を受け取り、その理由を書き留めた。

 

「この理由も、そのままお届けします」

 

 ペトロスは頷いた。

 

 受付が終わり、棄権と未回答も記録された。

 

 記録係が数を確かめ、顔を上げた。

 

「必要な参加数を満たしています。賛成、百八十。反対、百」

 

 アストライアが集計を確かめる傍らで、マシュはその数を聞いていた。

 反対の百の中に、先ほど受け取った石がある。

 

 記録係が告げた。

 

「全民覚醒の実施を採択します」

 

 告知を受け、アトラスは明朝の準備を確かめに下層へ向かった。

 

 マシュが票石を返すと、ペトロスは給水の担当者とともに持ち場へ戻っていった。その後ろを、空の容器を積んだ車が追った。

 

  *

 

 夜、マシュは冬眠区画で、翌朝の介助に使う水と道具を運んでいた。水を下ろして取っ手を離すと、指の付け根に赤い跡が残っていた。

 交代する介助役へ声を掛ける。

 

「わたしが外の防衛へ出たら、ここをお願いします」

「分かった。この列だな」

 

 ゾーイが器具を運んでくる。

 途中の寝台の前で、その足が止まった。母の名を確かめ、横たわる顔へ目を落とす。マシュには、何か言いかけたように見えた。

 奥の列から呼ぶ声がすると、ゾーイは顔を上げた。

 

「今、行きます」

 

 寝台の間を進むゾーイの後を、マシュも追った。

 

 アトラスは区画の奥にいた。

 紺碧の外装に灯りが映っている。広場で見た正装のまま、寝台の列と手元の記録を見比べていた。

 あれから、アトラスは完全閉城を保っていた。今日、人々の前で告げた言葉を今も負っていると、民にも、自らにも示すように。

 

「目覚めた後、この列の状態を確かめるのは誰だ」

「私です。奥から順に診ます」

 

 アトラスは、続く列を受け持つ者にも確かめた。

 

「ここで手が足りなくなれば、入口へ知らせるのだな」

「はい。応援を呼ぶ人を置きます」

 

 アトラスは呼出しを試させ、入口の担当者から返事が届くまで待った。

 

「承知した」

 

 片付けを終え、マシュは扉の前で足を止めた。

 背後の寝台からは、静かな呼吸が聞こえていた。その合間に、頭上で容器を運ぶ音がする。

 一つ置かれ、また一つ、上層の床を鳴らした。

 

 




活動報告で、制作裏話や本編に採用する場所のなかった掌編などを公開しています。
https://syosetu.org/?mode=kappo_view_list&uid=332978

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  • アトラスのキャラクター性・内面
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超古代に『剣』の概念を生み出した男の話(作者:柴犬ダックス)(原作:Fate/)

タイトルそのまま。▼メソポタミア文明よりも以前の神代の黎明期。▼神獣達が大地を闊歩し、まだ人類が石器を用いてた時代に転生した主人公が、ガイアに『剣』の概念をブチ込む物語。▼


総合評価:1888/評価:8.7/連載:2話/更新日時:2026年08月15日(土) 00:11 小説情報

Fate/世界で超絶美形と魅了:EXになって転生したった(作者:プル山門左衛門)(原作:Fate/)

尚、転生先は神代ギリシャに加えて男にも女にもなれる身体な模様。▼そんな主人公が様々な冒険をしたり求婚を断ったり、女神に愛されたりする話。▼ボーイズラブ、ガールズラブのタグはギリシャ神話だから念の為入れてます。


総合評価:4172/評価:8.38/連載:6話/更新日時:2026年08月15日(土) 07:01 小説情報

虚狩る戎具「約束された勝利の剣」(作者:ナゴン)(原作:ゼンレスゾーンゼロ)

エクスカリバーとプーサー擬きを出したかった。▼※本作品はAI利用をしております。


総合評価:1367/評価:8.1/連載:13話/更新日時:2026年08月19日(水) 13:00 小説情報

紙芝居をしただけなのに(作者:何処にでもある)(原作:Fate/)

 昔々、蛮族の集団で悠々自適に過ごす為の芸が巡り巡って無辜の怪物になった男がおったそうな。▼ その者腕っこきはからっきし、童話を紙芝居で読むのだけは上手く、ペラ回し一本で英霊に立ち向かわざる得なくなって途方に暮れたそうな。▼ この者の本名を亀男、英霊としての名前をカルメン。▼ 無辜の怪物で周囲から理想のタイプの女に見える、しがない一般サーヴァントである。


総合評価:6071/評価:7.85/完結:27話/更新日時:2026年07月01日(水) 23:00 小説情報

もしエウリュステウスの側近にヘラクレス並の化物がいたら(作者:名無しのマネモブ)(原作:Fate/)

ただし強いだけのバカである。▼2026/06/28 本編完結しました。


総合評価:5185/評価:8.7/完結:54話/更新日時:2026年07月11日(土) 16:30 小説情報


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