The Reversed Star――逆位置の星――   作:ほいみん

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FGO二次創作長編『The Reversed Star――逆位置の星――』です。

※独自解釈/女性体オリジナルサーヴァント/ギルガメッシュ×アトラス/本文に文章生成AI補助あり
※掲載イラストは作者による手描きです。

詳しい注意事項・制作FAQはこちら:
【作品案内URL】
https://docs.google.com/document/d/1GdwYLijsN-D6iR4MKAlV2ziDaThI6rrddGUy8nim0KE/edit?usp=drive_link


第8話 終わりの王

 翌朝、立香の目の前で、寝台の覆いが開いた。

 名札を確かめて呼びかけると、横たわっていた男の瞼が動いた。

 

「……もう交代か」

「今日は、別の群の方も起きます。身体の具合を確かめますから、少し待っていてください」

 

 隣ではマシュが、床へ足を下ろそうとする人を支えていた。

 次の区画の前で、アトラスが受入側を見る。寝台の間から、ゾーイが顔を上げた。

 

「まだ、こちらが空きません」

「承知した」

 

 紺碧の外装をまとった姿が、その場に留まった。

 家族を捜す声が行き交う入口では、アストライアが人を下がらせている。空いた通路を、立香も一人に肩を貸して進んだ。

 

 受入れが整い、次の区画が開く頃、第二群の列から声がした。

 

「ゾーイ。お母さんが目を開けたよ」

 

 ゾーイは隣の医療班員へ仕事を引き継ぐと、立香と母の寝台へ向かった。

 母は枕に頭を預けたまま、目を開けていた。足音に顔が動く。ゾーイの仕事着を見て、腰元へ目を落とし、それから顔へ戻った。

 

「……ゾーイ?」

「うん。私」

 

 ゾーイは寝台の脇に膝をついた。

 母の手が持ち上がると、娘が手を伸ばす。指先が触れ、母の手がその手を包んだ。

 

「本当に、あなたなのね」

「そうだよ」

 

 ゾーイは少し笑った。母も笑いかけたが、唇が震え、いったん閉じた。

 立香は寝台の足元で足を止めた。

 

 母の目が、ゾーイの腰へ下りた。

 

「その袋……」

「届いたよ。ずっと使ってる」

 

 ゾーイが袋の縁を外へ向けると、母の指が袋口へ伸びた。

 明るい縫い糸のそばを撫でる。何度も指が掛かったところは、布の目が薄くなっていた。

 

「そこは、もう少し丈夫にすればよかった」

「そこが便利だったの。柔らかいから、片手で開けられて」

 

 ゾーイは袋口へ指を掛け、中から畳んだ布を取り出した。

 母はその動きを見て、もう一度、擦れたところへ目を戻した。

 

「引っかからない?」

「うん。今は、すぐ取れる」

 

 布を寝台の脇へ置き、ゾーイは母の手を取った。

 母の親指が、娘の指の付け根を撫でた。

 

 少し離れたところに、アトラスがいた。

 そばの担当者が記録の一行を示す。アトラスの手はその頁にあったが、目はまだ母娘から離れなかった。

 

「こちらの受入れを、確かめてもらえますか」

「承知した」

 

 アトラスは綴りを持ち直した。

 通路の分岐に立つギルガメッシュと、一瞬、視線が合う。英雄王は何も言わず、民兵の差し出す図へ目を戻した。アトラスも、呼ばれた先へ歩いていった。

 

「今日は、どれだけ話せるの」

 

 母の声に、立香は寝台へ目を戻した。

 

「まだ、診なきゃいけない人がいるの。あとで、また来る」

「あなたも、眠ってしまうんじゃないのね」

 

 ゾーイが頷いた。

 

「今日は、ここにいる」

 

 母は息を吐いた。握った手を少し引き寄せ、胸元の布の上へ置いた。

 

「じゃあ、あとで」

「うん」

 

 ゾーイはすぐには立たなかった。

 母の手の甲を撫で、顔を見ていた。母も、その間は何も言わなかった。

 列の入口で次の介助を頼む声がすると、母の指がゆっくりと開いた。

 

「行っておいで」

 

 立香は寝台のそばへ寄った。

 

「私がここにいます。ゾーイさんが戻るまで」

「ありがとうございます」

 

 ゾーイは母にもう一度頷き、呼ばれた列へ向かった。

 隣の寝台で娘が手を差し伸べ、声を掛ける。母は、その後ろ姿を見ていた。

 

  *

 

 昼近く、ゾーイと交代した立香は、診療所前で計画の説明を配っていた。第二群も第三群も、最後の一人まで目を開けたという。

 

「船を沈めるところまで決めたのか」

「まだです。これから、皆さんにも聞きます」

 

 一枚を受け取った男が、覚醒の危険を記した箇所を押さえた。

 

「介助が足りなくなるかもしれないと、分かっていたんだな。私が眠っている間に、そんなことまで決めたのか」

 

 卓の向こうにいたアトラスが歩いてきた。

 

「起こす案を出したのは、己(おれ)だ。汝に尋ねることなく、実行した」

「起こされてから、危なかったと聞かされてもな。これを読んで、自分で選べと言うんだろう」

 

 男は、休んでいたはずの身体がまだ思うように動かないことを話した。立香は隣にしゃがみ、聞き取った言葉を書き留めた。

 話が途切れてから、アトラスが記録係へ告げる。

 

「今の異議を、覚醒の実施記録へ加えよ」

 

 立香が書き留めたものを見せると、男は一箇所を指した。

 

「ここもだ。まだ、納得したわけじゃない」

「はい」

 

 壁際では、マシュも記録を渡していた。

 

「私は降りたくない。だが、まだ全部は読めていない」

「はい。分からないところがあれば、声を掛けてください」

 

 下の方で、警戒の合図が鳴った。

 搬入口へ続く坂道で、見張りが腕を振っている。

 

「魔獣だ! 通路を空けろ!」

 

 マシュが盾を構えた。立香は卓の周りにいた人々を診療所側へ下げ、立ち上がろうとする人の腕を支えた。

 

  *

 

 マシュが坂道を下ると、搬入口の向こうを黒い獣の群れが埋めていた。

 担架を運ぶ人々が、その入口を抜けてくる。

 

「槍は外へ! 運ぶ者は、坂を上がれ!」

 

 スティリオスが民兵を左右へ分けた。

 入口の脇に立つギルガメッシュの背後で、金色の光が開く。

 

「列を進めよ。外の獣は我が討つ」

 

 群れの先頭で跳ねた巨体を、剣が顎から貫いた。地面へ叩きつけられた身体を避け、後続が左右へ散る。

 

『覚醒と介助で、船内の活動が急に跳ね上がった。その直後、周囲の群れが一斉に動いている!』

 

 ダ・ヴィンチの声を聞きながら、マシュは船腹へ目を走らせた。

 切り離した作業場の側へ、別の群れが回り込んでいる。給水のために渡した仮設通路へ、下から爪が掛かった。

 

「そのまま上へ! ここで受けます!」

 

 入口を抜けてきた獣を、盾で横へ押し流す。民兵の槍が胴を貫き、獣は坂を転がり落ちた。

 その間に担架が一つ通ったが、続く足音は途中で止まった。

 

「そっちではない、上へ!」

「だが、この先から部屋へ――」

「今は通れない。こちらだ!」

 

 目覚めたばかりの人が、以前の道へ向かおうとしていた。介助役が呼び戻す先へ、別の退避列が重なる。

 一人の膝が折れ、隣の者が抱え直した。担架を横へ寄せようにも、脇には人がいた。

 

「ダモン、下がれ!」

 

 坂の下で仲間が呼んだ。

 槍を構えた男の顔には、見覚えがあった。最初の襲撃の日、槍を運んで前の者へ渡していた人だ。

 ダモンは肩越しに担架を見た。

 

「先に、これを通せ!」

 

 担ぎ手が入口の角を曲がる。ダモンがその脇を塞いだ。

 槍の下へ、低い影が潜った。

 

 男の身体が横へ折れた。

 脇腹へ食いついた獣に、隣の民兵が槍を突き込む。顎が離れた時には、ダモンはもう床へ崩れていた。

 

 マシュは踏み出した。

 別の獣が、人の列へ跳び込んでくる。盾で遮ると、衝撃が肩まで抜けた。

 ここを離れれば、背後へ獣が入る。

 

「ダモンを!」

「行く!」

 

 救護役が駆け寄るのを見て、マシュは盾を押し戻した。

 

「こっちへ入っていいか。この人が、歩けない」

 

 降りたくないと言った人が、別の人の腕を肩に回していた。記録は帯に挟まれ、両手で相手を支えている。

 

「はい。盾のすぐ後ろを通ってください!」

 

 まだ全部は読めていない。

 そう言って記録へ目を落とした顔が浮かんだ。マシュは足を据えた。

 

「まだ、答えを出していない人がいます。その時間は、わたしが守ります!」

 

 盾の向こうから重みが押し寄せた。

 その左側に、紺碧の壁が立つ。

 回り込もうとした獣が壁へ肩を打ちつけ、反対側から跳んだ影は、空中で不意に沈んだ。アトラスが三叉槍の穂先を下げている。

 

 マシュは壁に覆われた側から盾を外し、正面へ向け直した。守る幅を絞れた分だけ、後ろに人の通る隙間ができる。

 

「こっちは通る! 担架を寄越せ!」

 

 スティリオスの声に、止まっていた担架が動いた。

 

「脇の入口は閉じた! こっちからは一体も通してない!」

 

 別の持ち場からも声が届く。

 紺碧の壁と盾の間を、担架が上がっていった。

 

  *

 

 立香が坂道の分岐まで下りると、アトラスの外装は、階段の脇にも道を作っていた。

 重なった紺碧の板が、上の踊り場まで緩い傾斜を渡している。階段を歩く人の横を、担架が上がった。受け側ではペトロスが手を伸ばしていた。

 

 搬入口の向こうに、まだ走る影がある。

 

「ギルガメッシュ、仮設の通路の下! 船腹沿いに回ってくる!」

 

 金色の射出口が、船腹の外へ高さを違えて開いた。

 

「有象無象よ。数だけは多い」

 

 群れを見下ろす英雄王へ、アトラスが三叉槍を構えたまま応じた。

 

「汝の財には及ぶまい。不足ならば、内に入ったものはこちらで止める」

「よく言う。貴様は民の心配でもしているがいい」

 

 剣は、群れが回り込む先へ降った。

 通路へ爪を掛けた獣が落ち、その下を走る影も地面へ縫い留められる。

 

 分岐から居住区へ通じる入口では、アストライアの背後へ介助の列が入っていた。

 追ってきた獣へ、女神が片手を上げる。宝石の光が胸と脚を貫き、巨体を通路の外側へ押し戻した。

 

「今です。先へ運びなさい!」

 

 立香のそばにも、担架が上がってきた。

 救護役は、運ばれる男の脇腹から手を離さなかった。布が赤く染まっている。

 

「入口で噛まれた。押さえているが、まだ――」

「この方のお名前を」

「ダモンだ」

 

 立香は医療班を呼び、担架を平らな場所へ下ろすのを手伝った。

 

「ダモンさん。聞こえますか」

 

 返事はなかった。

 医療班員が膝をつき、救護役の話を聞きながら処置に入る。立香は新しい布を渡した。

 何度か呼びかける間も、男の口は動かなかった。

 

「……亡くなっています」

 

 救護役が顔を上げた。

 その手は、まだ布を押さえていた。

 

 診療所は、坂の上に見えている。

 立香が何か言おうとした時、次の担架を呼ぶ声がした。

 三叉槍を携えたアトラスが上がってくる。ダモンの顔を見て、医療班員へ向き直った。

 

「この者の名と、死亡を確かめた者の名を、記録へ残せ」

 

 次の担架から、呻き声がした。

 立香はダモンを通路脇へ移すのを手伝い、戻ってきた手で、次の担ぎ手を迎えた。

 

「こちらです。上へ運べます」

 

 声が少し掠れた。

 

 やがて搬入口の爪音が途切れ、通路に残った獣も動かなくなった。

 

『周囲からの接近は途切れた。見張りは続けてくれ』

 

 ギルガメッシュは岩場へ目を向けたまま、射出口を閉じた。

 担架は、まだ続いていた。アトラスはペトロスたちが板の足場へ搬送を引き継ぐまで外装を残し、アストライアも警戒を民兵へ渡してから診療所へ向かった。

 

  *

 

 ゾーイが名を確かめると、寝台の女は目を開けた。

 

「ミュリネです」

 

 目覚めてから、まだ身体を起こせずにいる。ゾーイは見守り役へ様子を伝え、横になっていてもらうよう頼んだ。

 ミュリネは、脇に置かれた計画の説明へ目を向けた。

 

「あとで、読みます」

「ここに置いておきますね」

 

 外の獣は退けたと聞いていた。それでも、負傷者は運ばれてくる。

 次にミュリネの名を聞いた時、ゾーイは別の患者の傷を押さえていた。

 

「様子がおかしい。返事はするが、さっきより声が弱い」

 

 ゾーイは隣の医療班員を見た。そちらも処置の途中だった。

 

「入口にも、応援を頼んでください」

「呼んだ。今、ほかの人を運んでいるそうだ」

 

 手の下で患者が身を捩った。ゾーイは声を掛け、身体を支え直した。

 見守り役が寝台へ戻り、もう一度こちらを見る。

 

 立香が別の医療班員を連れてきた。

 ゾーイは手元の処置を伝え、相手の手が入ったところで離した。

 そのまま、ミュリネの寝台へ急いだ。

 

「ミュリネさん」

 

 返事がなかった。

 先ほどまで顔を向けていた女が、今は呼んだ方を見なかった。

 

「マシュさん、こちらの器具を」

「はい!」

 

 見守り役は腰の小刀で布束の紐を切り、刃を鞘へ戻した。

 マシュと見守り役の手を借り、ゾーイは処置を続けた。

 もう一度名を呼んだ。返事は戻らなかった。

 助けに入った医療班員とできる処置を続け、二人で確かめ直してから、手を止めた。

 

「……亡くなりました」

 

 見守り役は、寝台の縁を掴んでいた。

 

「呼んだ時には、返事をしていた」

 

 ゾーイは顔を上げた。

 

「うん、と言ったんだ。人を呼ぶからと伝えたら」

 

 すぐには、続く言葉が出なかった。

 ゾーイは寝台の脇から記録を取り、異変に気づいた時の様子と、誰へ声を掛けたかを聞いた。自分が来た時には返答がなかったことも書いた。

 

 窓の明かりが傾く頃、ほかの区画からも記録が届いた。

 見守る人が別の患者へ手を貸す間に、状態を崩した人。医療班が来るまで待った人。受け入れる場所が空くのを待つうちに、容体の変わった人。

 それぞれの名の下に、確かめた者の言葉があった。

 

 椅子の脚が鳴った。

 冬眠区画から移ってきた母が、立ち上がろうとしている。

 

「私にも、何かできるでしょう」

 

 ゾーイはそばへ行き、肩を支えた。

 

「ふらつかない?」

「立つと、少し。でも、手は動くよ」

「座ったまま、布を分けられる?」

「それなら、できる」

 

 母を椅子へ戻し、布の籠を引き寄せたところで、名を呼ばれた。

 

「ゾーイ」

 

 母は布ではなく、こちらを見ていた。

 ゾーイの喉が詰まった。

 

「……うん」

 

 母はしばらく娘の顔を見てから、布を受け取った。

 ゾーイはその脇に腰を下ろした。

 

 記録を集めに来た立香を、ゾーイはミュリネの寝台へ案内した。

 計画の説明は、まだ脇にあった。立香の目がそこへ留まる。

 ゾーイは、書き留めた経過を渡した。

 

「呼ばれた時、私は別の方の処置をしていました。引き継いでから、ここへ来ました」

 

 渡した頁の下には、自分の名を書いてあった。

 

  *

 

 立香は診療所脇の卓へ、集めた記録を置いた。

 アトラスは完全閉城へ戻っていた。肩を覆う紺碧に、通路で舞った埃が残っている。

 

 死亡を確かめた者の名まで照合を終え、記録係が端末へ送った。

 航行統制機構の声が返る。

 

「覚醒者損耗、十七」

 

 立香の手が、綴りの端で止まった。

 

「名は」

 

 アトラスの低い声が、卓を囲む者たちへ届いた。

 立香は頁へ目を落とした。

 

「……ダモンさん」

 

 担架の上の顔が浮かんだ。赤くなった布と、死を告げられてもその布を押さえていた手。

 息を吸い、次の名へ進んだ。

 

「ミュリネさん」

 

 寝台の脇に、まだ読まれていない説明があった。

 受け取った経過の下には、ゾーイの名がある。

 

 立香は読み続けた。

 知らない名もあった。今日、起きたところへ声を掛けられなかった人もいた。

 アトラスは、一度も途中で止めなかった。

 

 最後の名まで読んだ。

 立香は綴りを閉じずに、顔を上げた。

 

「年齢と所属群、死亡を確かめた者、その経過も添えよ」

「うん。まだ、時刻を確かめられてないところがある」

 

 ミュリネへの呼出しから到着まで、どれほど時間が空いたかは記されていなかった。

 通信の画面で、ダ・ヴィンチが報告へ目を通す。

 

『覚醒後の介助へ負傷者の搬入が重なり、準備した人手では足りなかった。応援に回す予定の人も、ほかの対応から離れられなくなっていた』

 

 アトラスは朝の受入れ確認に使った綴りを、医療班の報告の隣へ置かせた。

 

「覚醒を進めると決めた時の報告も、残せ。己が何を確かめ、何を足りると見たか」

 

 指が、介助と退避の列の重なった分岐へ下りた。

 昨日は担架を運べた。今日、そこへ入ろうとした人の足は止まった。

 

「同時に集まる時の動きを、見積もりきれていなかった。検証した時の記録も添えよ」

「私が人を送った先も、ここに書いてある。途中で行き先を変えた分は、まだ全部確かめられてない」

「それも、残せ」

 

 立香の控えを受け取り、アストライアが時刻の空いた箇所へ目を落とした。

 

「呼んだ者、受けた者、着いた時刻。順に確かめます。分からないところは、そのまま残しなさい」

 

 王が開始を決めた記録と、立香が人を動かした記録。その横に、届いた時には返事がなかったと記された頁が並んだ。

 

 端末が再び光った。

 

「覚醒時の活動急増に伴う捕食群の集中を確認。介助・退避の処理能力超過。旧輪番制への復帰を再勧告」

 

 ペトロスが端末へ顔を向けた。

 アトラスは勧告を読んでから、告げた。

 

「その勧告も、皆に見せよ。戻すなら何が要るか、今の記録で計算し直せ」

「残った設備だけを見れば同じ轍を踏むぞ。扱う者も確かめるがいい」

 

 ギルガメッシュが設備の記録を取り、担当者の欄を示した。

 診療所の脇では、死者の持ち物をまとめる手が止まっていた。隣の者が、黙って待っている。

 立香は十七人の名と今日の経過を、明日の説明の先頭へ重ねた。

 

  *

 

 夜、立香が診療所へ戻ると、マシュが病床へ採決の説明をしていた。

 反対を理由に不利益を与えず、本人の答えをそれぞれ記録する。正規の終了には、機構の定めどおり、今、答えられる成人全員の賛成が要る。それが成らなければ、移行と、その執行を託すかを問う。こちらは答えられる成人の過半数が参加し、賛成が反対を上回れば採る。移行案も採られなければ、延命案を頼むかを改めて聞く。三群は今夜、この順序と手続きを採り、明日の採決に先立って告知していた。ペトロスも、その手続きには賛成したという。

 

「明日、読む。今日はもう、眠りたい」

「はい。ここに置いておきます」

 

 マシュは記録と票石を、その人の手の届くところへ置いた。

 

 戸口の灯りの下では、アトラスが明日の説明に使う図を見ていた。今日、人が止まった場所が書き加えられている。

 

 一人の男が、アトラスへ声を掛けた。ミュリネの寝台を見守っていた人だった。

 

「一人でも反対すれば、正規には終えられない。なのに、賛成する者が多ければ、船を沈めていいのか」

 

 アトラスは図から手を離した。

 

「よいとは言わぬ。汝の反対は妥当だ」

「なら、なぜ沈める案を出す」

「全員が降り、その先で暮らす道を、己は選んだ。汝らがその案を採るならば、裁定は己が執る」

「誰が沈めても、なくなるのは私らの船だ」

「そうだ」

 

 男は説明を握ったまま、アトラスを見ていた。

 

「では、採られた後も反対したら」

「その答えも消えぬ」

「票で止められないなら、力ずくであんたを止めようとする者も出るぞ」

「それも承知している。汝の答えを変えるために、己の槍を使うことはない。だが、執行を託されたならば、その務めは果たす」

 

 男は握っていた頁を畳み、診療所へ戻っていった。

 アトラスは卓へ図を運んだ。

 戸口の脇で、ゾーイの母が椅子に座っていた。

 

「待たせたね」

 

 仕事を引き継いだゾーイが出てきた。

 

「お疲れさま。ここへお座り」

 

 ゾーイは隣へ腰を下ろし、器具袋を外した。母が手を伸ばすと、そちらへ渡す。

 

「朝の続きを、聞いてもいい?」

「……何の話だったっけ」

 

 ゾーイが目元を押さえた。

 母は膝の上で袋を起こした。

 

「袋の、ここの話」

 

 擦れた縁へ、指を添える。

 

「ああ。うん」

「ここだけ、縫い直してもいい?」

「口が狭くならない?」

「形は変えないよ。ほつれた糸を直すだけ」

 

 ゾーイは母の手元を覗き込んだ。

 

「じゃあ、お願い」

 

 母が針に糸を通す間、娘は袋口を広げて持っていた。

 最初の針が布へ入り、明るい糸が縁をくぐった。

 

「こっちの仕切りは?」

「そっちは大丈夫。まだ、しっかりしてる」

 

 立香は手元の綴りへ目を落とした。

 先頭に、十七人の名がある。頁の端を揃え、折らずに閉じた。

 

「そこは今のままで」

「ここ?」

「その隣。そう、そこ」

 

 立香が卓へ向かう背後で、母がもう一度、縫う場所を尋ねていた。

 

  *

 

 ミュリネを見守っていた男は、診療所脇の卓へ向かった。

 呼んだ時には、まだ返事があった。人を呼んでくると伝えた自分へ、ミュリネは、うん、と答えた。

 起こすと決めたのは、あの王だ。その次には、船まで沈めると言う。

 

 男の手が、腰の小刀へ伸びた。昼、布束の紐を切った刃だった。

 言葉で折り合えぬとき、先に手が動く。その癖は、まだ抜けていなかった。

 

 柄を握り、少し引いたところで、卓から声がした。

 灯りの下に、紺碧の姿があった。

 立香が一枚の頁を差し出している。

 

「ミュリネさんが、読めなかった分。ゾーイさんから預かった」

 

 アトラスは受け取り、開いた。寝台の脇へ置かれたものと同じ、移行計画の説明だった。

 

「何と、言っていた」

「あとで読むって。どちらを選ぶかは、話していなかったそうだよ」

 

 アトラスは頁を見ていた。

 

「己は、この者の答えも――」

 

 声が途切れた。立香は何も言わずに待っていた。

 

「聞きたかった」

 

 男の手の中に、柄の硬さがあった。

 あとで読むと言ったことは、自分も知っている。

 読んだら、何と答えたのだろう。

 

 船に残ると言ったかもしれない。ここを出て、あの王の示した道を行くと言ったかもしれない。

 どちらも、ミュリネの口から聞いてはいなかった。

 

「この者の答えは、もう聞けぬ。だが、まだ答えを持つ者がいる。己は、そのすべてを知りたい。知らねばならぬ」

 

 アトラスは説明を卓へ置いた。立香が次の頁を広げる。

 

「返事を待ってる人は、これで全部。朝、もう一度聞きに行くね」

「承知した」

 

 アトラスはその頁へ目を移し、立香の報告を聞き始めた。

 

 男は診療所の戸口を見た。今夜は読むのをやめ、眠った者もいる。

 

 相手の話をよく聞くのですよ。

 

 揉め事のたび、女神から繰り返し聞かされてきた言葉だった。

 眠った者たちの答えは、明日なら聞ける。

 あの王をここで討てば、船を降りたいという答えまで、自分が退けることにならないか。

 

 男は小刀を鞘へ押し戻した。

 あの王に、船を任せる気にはなれない。

 明日は、その答えを入れる。

 

  *

 

 翌朝、マシュは診療所で採決を説明し、患者たちへ票石を配っていた。昨夜は読むのをやめて眠った人も、自分で記録を開いている。

 亡くなった人々の名に言葉を詰まらせる人がいれば、顔が上がるまで待った。

 

 戸口の脇に、ペトロスがいた。

 開いているのは、昨日亡くなった人々の記録だった。マシュが横を通る間に、その指が一つの名で止まった。

 

 ダモン。

 

 マシュは足音を落とし、広場へ向かった。

 十七人の名と経過は、延命案と移行案を並べた綴りの先頭にあった。分からない箇所には、その旨が残されている。

 卓の端末から、ダ・ヴィンチの報告が聞こえた。

 

『生存者の名簿と残った設備で組み直した。百人余りの切離しで、次の二十七年を維持する案は成り立つ。再び眠るまでの介助も見込んだ。船を降りる方も、水と食料を運ぶ枠は確保できる』

「残る調整も、あと二日あれば実物で確かめられる」

 

 ペトロスが追いつき、引継ぎの図を添えた。

 その時間は取れる、とダ・ヴィンチが応じる。

 

「本人の答えは、今の条件で確かめ直してあります」

 

 アストライアが申し出の記録を置いた。

 卓の向こうで、ギルガメッシュが告げる。

 

「求めるならば、先に言ったことは違えぬ」

 

 移行案の図では、昨日詰まった分岐の待機場所が改められていた。運搬と処置と見張りは、それぞれ別の人に割り当てられている。見張りの交代は、カルデアが去った後も民だけで回せるように組まれていた。

 

 死者の記録を読んでいた男が、口を開いた。

 

「昨日だけで、これだけ亡くなった。外へ出れば、船の守りもなくなる。……まだ次の一巡を生きられるなら、私は残す方がいい」

 

 隣の女が、首を振った。

 

「これ以上、誰かを犠牲にすると決めるのは、もう嫌だ。全員が生き残れる可能性があるなら、私はそちらを選びたい」

 

 二人の視線が、卓の奥で図を直し続けるアトラスへ向いた。

 

  *

 

 昼前、立香は広場の受付で、最初の問いを開いた。ミュリネの見守り役は、少し離れた列にいた。

 

「航行の非常体制を、正規に終えるか。今、答えられる成人全員の賛成で成立する。船体は残るが、水や食料、守りを機構に任せる暮らしは終わる」

 

 記録係が読み終えると、ペトロスは票石を手に取った。

 

「私は反対だ。船が残っても、これまでのように人を生かせるわけではない」

「みんなが賛成すれば、船は残るんだ。あんたまで反対して、どうする」

 

 隣の男が、卓へ寄った。

 

「私は、今の運用を残す案を頼みたい」

「だが、こっちが通らなければ、次は沈める話だろう。家も、墓も、なくなるんだぞ。持って出られるものだけ選べと言われたって、選べないものがある。あんただって、そうだろう」

「ある。それでも、この終え方には賛成できん」

 

 ペトロスが進もうとすると、男が前へ出た。

 

「待て。その答えを入れるな」

「通してくれ」

 

 男の手が手首へ伸び、ペトロスが腕を引いた。二人の肩がぶつかり、石が床で乾いた音を立てる。

 立香が卓を回り込むより先に、青い衣が間へ入った。

 

「退きなさい。その人の答えは、その人が入れます」

 

 アストライアの声に、男の腕が止まった。

 

「だったら、沈めるのは反対した連中じゃないか」

「沈める案を出したのは、己だ」

 

 アトラスが、卓の向こうから二人を見ていた。

 

「採られれば、執行するのも己だ。反対した者へ負わせるな」

 

 男の口が開き、閉じた。

 手元の石を握り直す。その指の間で、縁が白く覗いていた。

 

「あなたも、自分の答えを入れなさい」

 

 女神に告げられ、男は卓の脇へ退いた。

 立香は屈み、落ちた票石を拾った。

 

「ペトロスさん」

 

 開かれた掌へ石を戻し、手を離した。

 別の受付からも、反対の回答を受け取ったという声がした。

 

「反対だ」

 

 ペトロスが自分で答えを入れ、石を卓へ置いた。

 ギルガメッシュは口を開かず、その手元から視線を外さなかった。

 

 スティリオスの賛成も、マシュが診療所から預かったゾーイと母の賛成も加わった。受付は定めた時刻まで続き、三群の回答が揃った。

 

「終了承認、不成立」

 

 機構の声が広場へ響いた。

 石を握ったまま、肩を落とす人がいた。足元からは、水を送る低い作動音が続いている。

 記録係は集計の確認を終えた女神を見てから、次の文面を置いた。

 

「告知どおり、移行と、その執行を託すかを問います」

 

  *

 

 診療所へ石を返したマシュは、移行の文面を患者たちと確かめた。

 全員と必要な物資を丘へ運び、退避の照合と医療の用意を終えてから船を沈める。英雄王が境界を開き、人々が渡り終えてから聖杯を回収する。家も墓所も失われることは、そこに記されていた。

 想定を超える妨害があれば、執行を進めず現場を確かめ直す。その条件も読み終えて、マシュは返事を待った。

 

 ゾーイは、ミュリネの経過を閉じた。

 

「私は、賛成します。向こうへ着いても、診る仕事は続きます」

 

 自分で答えを入れた石を、マシュへ差し出す。

 母はまだ、膝の上の頁を見ていた。

 

「船が残るなら、と思ったのだけれど。まだ、どちらがいいとも言えない」

 

 娘の顔を見てから、マシュへ言った。

 

「棄権にします。それも、届けてもらえるかしら」

「はい。お預かりします」

 

 母が答えを入れる間、ゾーイは隣で待っていた。

 

 広場では、スティリオスが道の図を見ていた。

 

「昨日、詰まったところは直した。次は、俺たちが通す」

 

 持ち場を指した手を引き、賛成を入れる。

 続いてペトロスが、引継ぎの記録の置かれた卓へ進んだ。

 

「反対だ」

 

 その答えも、本人の名とともに残った。

 

 ミュリネの見守り役だった男も、反対を入れた。

 

「この王には、託せない」

 

 マシュは診療所から預かった石を渡した。まだ返事のできない人のところへは、時間を置いて、もう一度向かった。

 

  *

 

 夕刻、立香の前に三群の記録が揃った。

 取りまとめをしていた記録係が、顔を上げる。

 

「移行と、その執行を託す案について。賛成、五百八十一。反対、二百九十七。棄権、二十九」

 

 立香は息を詰めた。

 アストライアが、照合を終えた綴りを卓へ戻す。

 

「本人の回答と集計に、相違はありません。必要な参加数も満たしています」

 

 記録係は、広場の人々へ告げた。

 

「定めた手続きに従い、この案を採択します」

 

 一拍、誰も動かなかった。

 それから立香の後ろで、長く息を吐く音がした。「決まったのか」と、誰かが隣へ確かめる。頷く人の肩越しに、ペトロスが見えた。拍手はせず、卓の前に立っている。

 立香は道を空けた。

 

 アトラスが卓へ進む。

 賛成の数を確かめた指が、その先へ進んだ。反対の理由にも、棄権に添えられた言葉にも目を通していく。

 

 卓の端の表示には、正規終了の不成立が残っていた。

 その隣へ、民の手で書かれた採択の記録が置かれる。

 

「大洋王アトラス」

 

 記録係が呼んだ。

 アトラスが顔を上げる。

 

「採択した移行の執行を、あなたに託します」

 

 葦のペンが、執行を担う者の名を記していく。

 

 大洋王アトラス。

 

 あの日、王座の前では、光はその足元で止まった。

 今、書き終えた頁を、記録係がアトラスへ向けて差し出していた。

 

 ギルガメッシュは、その横に立っていた。赤い目をアトラスへ向けたまま、口を開かない。

 立香も待った。

 

 アトラスは記録を受け取り、顔を上げた。

 卓の前に立つ人々へ、広場の奥で待つ人々へ、そのまなざしが届いた。

 

 受け取った記録を卓へ置き、隣にあった最初の王の綴りへ、厳かな手つきで掌を乗せた。

 

「洪水の先へ、民を生かして運んだ。この航海は、その務めを果たしている」

 

 広場の奥まで届く、静かな声だった。

 アトラスが掌を離すと、記録係が綴りを閉じ、広げてあった布の上へ置いた。端を折り重ねると、読み継いできた文字が包みの中へ隠れた。

 

 ペトロスも、包まれた記録を見ていた。

 立香は頭を下げた。顔も声も知らない、この船の最初の王へ。

 足元では、船の低い作動音が続いていた。

 

 包みは、持ち出す記録のそばへ納められた。

 昨日亡くなった十七人の綴りは、立香の手元に残っている。表紙を閉じ、そちらも卓へ置いた。

 

 アトラスは記録が納められるのを見届けてから、人々へ向き直った。

 長い外套の裾が板を擦り、止まる。

 立香は顔を上げた。

 葬送の厳かさを帯びた王へ、人々の期待も、不安も集まっていた。そのすべてを正面から受け止めても、立ち姿は揺るがなかった。

 

 広場の後ろにいた人も、前に立つ者の肩の間から、王を見ていた。

 アトラスは手元の記録へ目を落とさなかった。

 

「かつて国を沈めた王として」

 

 その声に、立香は背を伸ばした。

 

「そして未来へ歌を残した王として」

 

 血色の瞳が、人々を見渡す。

 さっきまで票石を握っていた手が、今は膝の上にある。腕を組んだままの人も、俯いていた顔を上げた人も、その先にいた。

 

「汝らを次なる世界へ届けると己は裁定する」

 

 言い切った声が、広場に残った。

 

 立香のすぐ前で、葦のペンが動いていた。

 受け取った言葉を一字ずつ記す手を、立香は見つめた。最後まで書き終えると、記録係は顔を上げ、アトラスへ頷いた。

 

「頼む」

 

 広場から声がした。

 別の場所からも、短い返事が重なった。ペトロスは黙っていた。その顔も、アトラスへ向いている。

 

 ギルガメッシュは、傍らに立っていた。

 赤い瞳は、宣誓した王から動かなかった。

 

 アトラスは人々の声を受け、ゆっくりと頷いた。

 

  *

 

 灯りのともり始めた広場で、立香は賛否にかかわらず、一人ずつ降船の意思と介助の要否を確かめていた。

 

「ペトロスさんは、皆さんと一緒に降りますか」

「降りる。私の荷も、数に入れてくれ」

「分かりました」

 

 スティリオスが、明日使う道具を確かめにペトロスと歩き出す。

 船内の表示は、いつもの順に巡っていた。その下へ、搬出に使う台車が引き出される。

 

 ギルガメッシュが、台車を見やった。

 

「さて、今度は運ぶ番よな」

「承知している」

 

 アトラスは、英雄王と並んで搬入口へ向かった。

 暮れゆく曇天の下、車輪の音が船の広場に響き始めた。

 




活動報告で、制作裏話や本編に採用する場所のなかった掌編などを公開しています。
https://syosetu.org/?mode=kappo_view_list&uid=332978

この作品の興味をもったところは?

  • アトラスのキャラクター性・内面
  • ギルガメッシュとの関係性
  • 王としての在り方・王権のテーマ
  • ストーリーの展開
  • その他
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