The Reversed Star――逆位置の星――   作:ほいみん

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FGO二次創作長編『The Reversed Star――逆位置の星――』です。

※独自解釈/女性体オリジナルサーヴァント/ギルガメッシュ×アトラス/本文に文章生成AI補助あり
※掲載イラストは作者による手描きです。

詳しい注意事項・制作FAQはこちら:
【作品案内URL】
https://docs.google.com/document/d/1GdwYLijsN-D6iR4MKAlV2ziDaThI6rrddGUy8nim0KE/edit?usp=drive_link


第10話 歴史へ降りる――終末と開闢

 立香は、搬入口の上で動く吊り台を見ていた。

 荷を載せていない台が、船内へ戻っていく。迎える手のない場所で止まり、また、いつもの高さへ上がった。

 

 幾層もの町を載せた、箱形の巨体。

 あの中を歩いていた時には見えなかった船の全体が、今は立香の目に収まっている。

 

 アトラスが、背後を振り返った。

 人々の座る斜面から、患者の列、積み上げた荷、十七人を覆う布へ。その視線が丘をたどり、立香のところで止まる。

 立香は頷き、聖杯の位置を示した図を閉じた。

 

 マシュが人々の側へ戻っていく。アストライアも患者のそばに立ち、風にめくれた掛け布を直した。

 ゾーイと母も、その傍らから船を見ていた。少し離れた場所では、ペトロスが布を巻いた左腕を抱え、スティリオスと並んで座っている。二人の顔も、眼下へ向いていた。

 

 完全閉城の紺碧が、前へ向き直った。

 すぐ隣のギルガメッシュも、同じ船を見ている。二つの肩の向こうで、搬入口の灯りが明滅した。

 

 立香は、二王の背後へ下がった。

 

 アトラスが、三叉槍を構えた。

 

  *

 

 アトラスは、からっぽの船へ槍の穂先を定めた。

 人を戻せという命令が、まだあの内側を巡っている。

 

 人を救うために生み出された船。

 人を守るために敷かれた法。

 

 それが今は、人々を漂泊に囚えようと永らえている。

 

 だから、終わらせるべきだと裁定した。

 

「大洋王アトラスの名のもとに、この航海を終える」

 

 槍を握る手に、力を込める。

 

「焼却対象、航行統制機構」

 

 今、ここに――終末を再現する。

 

「『火天八紘(アパム・ナパート)』」

 

 船の底で、火口が開いた。

 

 暗い水の底に、藍色の火が灯る。

 光が内壁を走り、区画をつないできた床の裏側を照らした。船腹の継ぎ目から水が噴き上がる。地面を洗い崩す奔流が幾筋も重なり、巨大な船底を包んだ。

 

 土に埋もれていた輪郭が、浮き上がった。

 町の段も、広場も、搬入口も。積み重なった暮らしの跡が、一つの巨体となって水の上へ持ち上がる。

 

 背後で、誰かが悲鳴を上げた。

 

 水位はなおも増していく。露わだった岩の背が次々と沈み、渦と渦がぶつかって白く砕けた。丘から見下ろす盆地全体を呑み込み、奔流が船の周囲で高く巻き上がる。

 

 波が船を呑んだ。

 箱形の輪郭が白い水煙に隠れ、次の瞬間、その上へせり上がった。

 

 沈まない。

 

 傾きかけた船が、水平へ戻っていく。

 外殻を叩いた水は左右へ割れ、閉じ合う隔壁が空の区画を抱え込んだ。船底に広がっていた火の輪が狭まる。押し戻されている。

 

『沈まない……あの船は、一度、世界を覆った洪水を越えている。対粛清防御にも相当する、洪水への抵抗を備えているんだ』

 

 ダ・ヴィンチの声を聞きながら、アトラスは槍を握り直した。

 新たな波が船腹へ砕ける。巨体は大きく揺れ、それでも、また浮き直した。壁を留める幾重もの継ぎ目が、荷重を受け渡している。

 

「……よく保つ」

 

 吐いた息が、長く尾を引いた。

 船底の火口は、まだ開いている。押し狭められた藍色の光へ、さらに魔力を注いだ。

 

 丘の縁で、脚部を覆う外装の底が土を噛む。

 完全閉城の肩を潮風が打ち、外套を後ろへ引いた。アトラスは腰を落とし、槍の向きを保った。

 

 終末の水は船の周囲を巡り、丘へ上る道の手前で折れていく。

 波の向こうにある船内へ。人が降りた後も航行を続けようとする、その奥へ。

 

 藍色の火が、内壁を這い上がった。

 

 閉じた区画の縁から、青い光が漏れ始める。

 荷を戻そうとしていた搬送台が、途中で止まった。再び動き、わずかに進んで、止まる。その下を通る支えが焼け落ちた。

 

 隣の隔壁は、なお閉じている。

 水を押し返す外殻の内側で、火は次の壁へ移った。船が身を起こすたびに光が細まり、それでも消えず、再び継ぎ目から噴き出す。

 

『外殻はまだ保っている。でも、内側の執行装置は止まり始めた。アトラスの火が――文明の終焉を齎す概念が届いている!』

 

 槍を支える腕に重みが増した。アトラスは脇を締め、穂先を保つ。

 青く照らされた窓の列が、水面すれすれまで下がる。だが、船はそこでも持ちこたえた。波が引けば、同じ窓がまた上がってくる。

 そのたびに、槍が激しく揺さぶられた。溺れる者が、もがく腕でしがみついてくるようだった。

 

「沈まないで」

 

 背後から、声が届いた。

 誰かの名を呼ぶ声も、そのそばで震えていた。

 

 あの声の主も、ここから先へ届ける。

 

 アトラスは足を踏み留めた。

 終える範囲を保ったまま、船の奥へ火を送り続ける。王座の基部に残す聖杯へ、なお航行を命じている接続を焼く。壁を閉じ直す動きが、一つ、続かなくなった。

 

 内側で、長い梁が折れた。

 

 青い光の中へ崩れ落ち、その下の床を巻き込んでいく。空洞になった区画へ外壁がたわみ、支えを失った片側が下がった。

 何度も波の上へ戻っていた船が、今度は浮き直さない。

 

 傾斜が深くなる。

 引き延ばされた継ぎ目へ、水が食い込んだ。

 

 アトラスは槍を保った。

 沈み始めた船の奥で、藍色の火が燃え続けていた。

 

  *

 

 ペトロスは、傾いていく船腹の継ぎ目を見ていた。

 左腕に巻かれた布の下が疼く。その腕を抱えたまま、波に洗われる当て板を目で追った。

 

 幾重にも重ねた板が、船腹を帯のように横切っている。

 自分が直した場所だった。船の曲面に合わせて板を当て、浮いた端を叩いて伏せた。留め具を締める時の重さを、手が覚えている。

 

 剥がれていない。

 水が上から被さっても、板はまだ、継ぎ目を繋いでいた。

 

 あの少し上が、搬入口だ。

 道具を抱えて外から戻るたび、あそこをくぐった。中へ入れば足元は平らになり、荷車を押す声や、上の通路を歩く足音が聞こえた。

 

 今、あの中から呼ぶ声はしない。

 声はみな、ペトロスのいる丘にあった。

 

 祈る声が、途中で途切れた。少し離れて、誰かが泣いている。

 隣のスティリオスは、右足を伸ばしたまま船を見ていた。その口は固く結ばれていた。

 

 丘の前縁に、紺碧の王が立っている。

 長い外套が風にはためいていた。船へ向けた槍の先で、水面が青く照らされる。

 

 船の奥から、鈍い音がした。

 

 継ぎ目の向こうで、何かが崩れた。内側を走っていた灯りが消え、その場所を藍色の火が満たす。

 傾いていた船が、さらに低くなった。

 さっきまで波の引くたびに見えていた当て板が、水の下へ隠れる。待っても、もう出てこなかった。

 

 ペトロスは右手を伸ばしかけた。

 指の先には風しかなかった。手は、膝から少し浮いたところで止まった。

 

「……ありがとう」

 

 声は、すぐ波の音に紛れた。

 搬入口の下端へ、水がせり上がっていく。

 

「もういいんだ」

 

 船は沈んでいく。

 最後まで繋がっていた外殻を、黒い水が覆った。搬入口の灯りが水面に滲み、輪郭ごと見えなくなった。

 

 その上の町が、一段ずつ下がっていった。

 朝、石臼を残した床も、荷を積んでいた場所も、傾いたまま水に入る。広場の屋根が低くなり、最後に残った欄干へ波が被さった。

 

 紺碧の王は、槍を向け続けていた。

 沈む巨体の内側から、青い光が透けている。

 

 やがて、船の影が水面の下へ消えた。

 

 波だけが、船のあった場所を越えていった。

 重なっていた水音が、少しずつ低くなる。

 

 ペトロスは右手を膝へ戻した。

 スティリオスも何も言わず、同じ方を見ていた。

 

 水の底で、まだ青い光が揺れていた。

 

  *

 

 立香は、水面に残る青い光を見ていた。

 船の影は、もう見えない。波が重なり、崩れていく。その上には、丘へ来た時と同じ灰色の空が垂れこめていた。

 

『境界の再形成、停止を確認。……閉鎖は、まだ残っている』

 

 ダ・ヴィンチの声に、立香は顔を上げた。

 盆地を囲む稜線も、その先を隠す雲も、まだそこにある。

 

 アトラスが槍を引いた。

 水底の藍色が細まり、消えていく。高く巻いていた波は低くほどけ、船のあった場所を静かな水が覆い始めた。丘の裾を回っていた流れも、ゆっくりと緩む。

 立香の足元には、踏み固めた土が残っていた。

 

 その前で、黄金の波紋が開いた。

 

 ギルガメッシュが、腕を差し入れる。

 引き出された一振りを見て、立香は息を詰めた。幾度も頭上を飛んだ剣とは、形も、そこから伝わる重さも違う。

 エア。

 英雄王の手の中で、乖離剣が低く鳴った。

 

「実に見事な航海であったぞ」

 

 槍を下ろしたアトラスが、隣へ顔を向ける。

 

「まだ、着地していない」

 

 ギルガメッシュの口の端が上がった。

 

「知れたこと。ゆえに、我が闢(ひら)く」

 

 アトラスは、丘の先へ視線を戻した。

 人々を運ぶ車が並び、その向こうで道の途切れている方へ。

 

 乖離剣の刀身が、回り始めた。

 

 低い唸りが胸に響く。立香の隣へ戻っていたマシュが、空を仰いだ。斜面でも、荷を抱え直しかけた手が止まっている。

 回転が速まった。

 剣を中心に風が巻き、黄金の髪を逆立てる。ギルガメッシュは足を開き、その風のただ中で、閉ざされた空へ剣を向けた。

 

「新しき時代の幕開けか――よい。我が剣が担うに不足はない」

 

 その声が、唸りを越えて丘に響いた。

 立香は目を逸らさなかった。風に頬を打たれながら、剣の先にある灰色を見た。

 

「原初、天地は分かたれ、星々は廻り、万象はその歩みを始めた。

 航海は果たされた。ならば次は、大地を踏む者どもの時代よ」

 

 吹き荒れる暴風が、丘を包んだ。

 斜面の草が一斉に伏せ、立香は足を踏ん張った。頬を打つ髪を押さえながら、それでも、あの王から目を離せずにいた。

 声を上げることさえ忘れた人々が、同じ一点を見つめている。

 暴風の中心で、黄金の王だけが悠然と立っていた。荒れ狂う風を従えたその手で、乖離剣が唸りを上げている。

 

「刮目せよ! 新世を言祝ぐは、天地を分かつ我が一閃!

 これぞ汝らの歩むべき地平なり――

 『天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)』!!」

 

 英雄王が、剣を突き出した。

 

 一閃、光が虚空を奔り――

 

 

 

 ――青が、飛び込んできた。

 

 鮮烈な色に、立香は目を見開いた。

 灰色を横に裂いた、その向こう。限りなく澄んだ青が、裂け目を押し広げるように視界いっぱいへ広がっていく。

 

 空が、音を立てて裂けていた。

 

 雲を載せた景色ごと上下へ引き剥がされ、見たことのない山稜が現れる。手前の尾根のさらに先に、もう一つ。その奥にも、霞んだ峰が続いていた。

 立香は、その遠さを目で追った。

 盆地を囲んでいた山の向こうに、まだ、大地がある。

 

 上下に開いていく裂け目が、丘の外縁まで広がった。

 眼下の水面が長く引き伸ばされ、船を呑んだ水も、盆地の底を覆う景色も、裂けた空とともにほどけていく。その向こうから、岩の露出した斜面が現れた。草の生えた尾根が丘の外縁へ続き、行き止まりだった場所の先へ道が伸びる。

 船のあった低地の奥に、王座の輪郭だけが小さく残っていた。

 

 裂け目は、閉じなかった。

 

 陽が差した。

 立香は眩しさに目を細めた。頬に、首筋に、光が触れる。隣のマシュの髪が明るく透け、斜面に積んだ荷も、人々の顔も、同じ光の中に浮かび上がった。

 足元から伸びた影が、新しい道へ落ちている。

 

 白い雲が、青の中を流れていた。

 その影は遠くの山肌を越え、立香の目で追いきれない先へ進んでいく。

 

「……あった」

 

 背後で、声がした。

 

「道が、ある!」

 

 別の声が重なった。

 空を指す腕が上がり、その隣で誰かが立ち上がる。呼びかけが叫びに変わり、笑い声と混じり合った。丘の上から下へ、堰を切ったように歓声が広がっていく。

 

 立香は大きく息を吸った。

 吸い込んだ息が、笑いになって漏れた。

 

「マシュ、見て」

「はい……はい、先輩!」

 

 振り向いたマシュも笑っていた。

 その肩越しに、ゾーイが見えた。母と顔を見合わせ、何かを言いかけて、二人ともまた空を見上げる。母の手が娘の手を握っていた。

 少し離れたところでは、スティリオスが顔を上げたまま声を上げている。その隣で、ペトロスは左腕を抱え、青い空をじっと見ていた。

 

 歓声は、まだ続いていた。

 立香も、もう一度空を見た。何度見ても、青はそこにあった。山の先にも山があり、その下に、自分たちの足で踏める土地が続いている。

 

 前方で、ギルガメッシュが剣を下ろした。

 英雄王は顎を上げ、闢いた地平を見渡している。

 

 アトラスが、新しい道へ一歩を進めた。

 振り返った王の手が、人々を迎えるように開かれる。

 

「こちらだ」

 

 マシュが頷き、最初の車のそばへ駆けていった。

 立香も、その後を追った。

 

  *

 

 立香が踏んだ土には、荷車の轍が幾筋も重なっていた。

 最後の車が尾根を越える頃には、先に着いた荷のそばに、患者を休ませる場所ができていた。意識の戻らない人も、敷いた布の上で介助を受けている。少し離れた場所には、十七人を覆う布も並んでいた。

 

「全員、こちらへ渡りました。運ぶものも、すべて揃っています」

 

 戻ってきたマシュが告げた。

 立香は頷き、療養場所にいるアストライアへ目を向けた。女神もこちらを見て、頷く。二人の王は、立香と同じ土の上から、眼下を見下ろしていた。

 

 船のあった場所に、王座が残っている。

 町も、幾層もの船腹も、もうなかった。座を支える基部は、露わになった地面に埋まったままだった。

 

 ギルガメッシュの傍らに、黄金の波紋が開いた。

 放たれた鎖が斜面を越え、王座へ巻きつく。基部を抱き込んだ輪が締まり、石の軋む音が届いた。

 地面が砕け、王座が引き抜かれる。

 

 宙へ吊り上げられた座は、王を迎える光をともさなかった。

 認証を告げる声もない。

 

「もはやこれは用を為すまい」

 

 英雄王が指を曲げた。

 鎖が食い込み、背もたれから基部まで亀裂が走る。砕けた石が地面へ落ち、その中から、金色の杯が現れた。

 鎖の輪に支えられたそれだけが、ゆっくりと引き寄せられてくる。

 

 アトラスが、杯の底へ視線を向けた。

 船の奥へ延びていた接続は、焼けた切り口を残すだけだった。

 

「接続は切れている」

 

 立香は手を伸ばした。

 冷たい縁に指が触れる。両手で受け止めると、鎖が緩み、杯の重さが掌へ移った。

 

 眼下に残っていた景色の継ぎ目が、ほどけて消えた。

 風が斜面を渡ってくる。立香の足元には轍があり、その先では、荷を下ろす声が続いていた。

 

『聖杯の回収を確認。帰還経路も通ったよ』

 

 通信から、ダ・ヴィンチの声がした。

 

『こちらはいつでも迎えられる。出発できる時に知らせてくれ』

 

 立香は、杯を抱えたまま息を吐いた。

 マシュが隣にいる。その向こうにも、人々がいる。

 

「帰ろう、マシュ」

「はい、先輩」

 

 目を合わせたマシュが、柔らかく笑った。

 立香も頷き、別れを告げるために、人々のいる方へ向き直った。

 

  *

 

 立香たちが荷置場へ戻ると、その向こうで水を探しに出る組をめぐって声が上がっていた。

 先に道を調べたい者と、水の場所を急いで確かめたい者が、地面に広げた図を挟んで言い合っている。その傍らでは、運んだ荷を開き、今日の寝場所を作る仕事が始まっていた。

 

「大洋王」

 

 呼ばれて、アトラスが足を止めた。

 荷置場にいた一人が、紺碧の王へ向き直っている。

 

「我らの王となってください」

 

 近くにいた人々の手が止まった。

 立香も、アトラスを見た。

 

「これからのことも、あなたに決めてもらえれば……」

「棄却する。判断は、汝らのものだ」

 

 アトラスは、手にしていた移行の記録を、民の記録係へ返した。

 問いかけた者の顔を見てから、その向こうにいる人々へ目を向ける。

 

「英雄王が地平を示した。道は己(おれ)が示した……そして今、女神の示した法が汝らと共にある」

 

 アストライアが、目を見張った。

 アトラスは女神へ顔を向けた。

 

「かつて、汝の天秤は正確だが、ここは器の中だと言った」

 

 立香は、船の歩廊で交わされた言葉を思い出した。

 今、二人の足元には土があり、頭上には遠くまで続く空がある。

 

「その天秤を、彼らは器の外へ携えてきた。汝が去った後も、自らの手で量るために」

 

 女神の唇が、わずかに開いた。

 すぐには、言葉にならなかった。

 

 荷置場の向こうで、また声が高くなった。

 アストライアが目を向ける。図を挟んだ人々の間へ、民の担当者が入っていた。双方を順に見て、それぞれ何人が要るのかと尋ねている。

 女神を呼ぶ声は、上がらなかった。

 

 アストライアは、その場に立ったまま待っていた。

 一人が話し終え、もう一人が図の先を指す。担当者はそこへ目を落とし、話の続きを聞いた。

 

 女神が、静かに息を吐いた。

 立香の方へ戻った顔には、小さな笑みがあった。

 アストライアは、傍らにいた記録係に声をかけた。

 

「次の言い分も、記録へ残しなさい。自分たちで、相手の答えを聞くのですよ」

 

 記録係が頷いた。

 水を探す組が戻ったら、ここで次の話合いをする。その声が荷置場へ通り、離れた場所からも返事があった。

 

 立香は、女神へ一歩近づいた。

 

「ありがとうございました。最初に、この国を見せてもらえてよかったです」

 

 アストライアの目が、立香からマシュへ、アトラスからギルガメッシュへ、そして人々のいる方へ移った。

 髪を飾る花が、風に揺れた。

 

「ええ。あなた方も、自分たちの帰る場所へ」

 

 青い衣の裾から、光がほどけ始めた。

 立香は頭を下げた。顔を上げた時、女神はまだ人々を見ていた。荷を広げる手と、図の上を行き来する指。その間に立つ姿が、ゆっくりと透けていく。

 

 花の輪郭が薄れ、最後の光が風の中へ消えた。

 

 しばらく、その場所を見ていた住民がいた。

 手元の札へ目を落とし、それから、移行の記録を受け取った者へ歩み寄る。

 

「これも、次に話したい」

 

 差し出した札を、記録係が受け取った。

 

  *

 

 アトラスは、荷置場の端で足を止めた。

 療養場所のそばで、ゾーイが広げた布を押さえている。

 

「こちらにも風除けが要ります。寝かせた人に、そのまま風が当たっています」

「そこへ張ったら、水の車が通れん」

 

 座ったままのペトロスが、左腕を抱えて答えた。

 その隣で、スティリオスが空いた荷車を指す。

 

「あれを横にすりゃ、布を掛けられるだろ」

「通り道へ出すなよ」

「だから、こっちへ寄せるんだよ」

 

 車を押してきた者が、指された場所で止まった。ゾーイは患者の側へ回り、風の入り方を確かめてから、もう少しと手を動かす。

 母が、布の反対側を受け取った。

 

「この高さ?」

「うん。そこを持っていて」

 

 ゾーイが紐を結ぶ。風にはためいた端が頬に触れ、母は顔をよけて笑った。娘も笑い、布を引き直した。

 

 アトラスは、二人を見ていた。

 紐が結ばれ、母の手が離れる。その後も、二人は布の向こうで話していた。声までは届かない。娘が何かを言い、母が頷くところが見えた。

 

 少し離れた草の上には、十七人を覆う布が並んでいる。

 アトラスはそこへも目を向けた。同じ陽が、白い布の上に落ちていた。

 

 傍らで、足音が止まった。

 

「もう揉めておるぞ」

「見ている」

 

 ギルガメッシュが、隣に立っていた。

 向こうでは、荷車をもう少し寄せるかどうかで、まだ声が交わされている。ペトロスが空ける幅を指し、スティリオスが何か言い返した。

 車輪が半回りして、止まった。

 ゾーイが布の陰から顔を出し、頷く。

 

 母が、娘の肩についた糸くずを取った。

 ゾーイは振り返り、笑いながら何かを言った。

 

 アトラスの口元が、わずかに緩んだ。

 

 隣へ目を向けると、赤い瞳と合った。

 ギルガメッシュも笑っていた。

 

 アトラスはその顔を見てから、ゆっくりと人々へ視線を戻した。

 布の陰で、母娘が並んで膝をつく。患者へ話しかける娘のそばで、母が畳んだ布を手に取った。

 今度は、その先まで見ていられた。

 

「アトラス、ギルガメッシュ。準備、できたよ」

 

 立香が呼んでいた。マシュも、その隣にいる。

 

「承知した」

 

 アトラスは向き直った。

 紺碧の外套が、草の上を払う。ギルガメッシュと並び、二人の待つ方へ歩き出した。

 

 背後では、荷車を押す声が続いていた。

 

  *

 

 ボイジャーは、机の上の略図へ目を落とした。

 船と、それを囲む山の稜線。小さな四つの印も、さっきと同じ場所にあった。

 

「そのひとたちは、それから、どこへいったの?」

 

 向かいのマーリンが、紙へ目を向けた。

 

「水を探しに出る組を決めるところで、もう揉めていたそうだ」

「ふうん。……そのつぎも、きいてみたいな」

「私もだよ」

 

 ボイジャーの指が、船を囲む線を越えた。

 その先の、まだ何も描かれていないところへ。

 

 




活動報告で、制作裏話や本編に採用する場所のなかった掌編などを公開しています。
https://syosetu.org/?mode=kappo_view_list&uid=332978

この作品の興味をもったところは?

  • アトラスのキャラクター性・内面
  • ギルガメッシュとの関係性
  • 王としての在り方・王権のテーマ
  • ストーリーの展開
  • その他
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