私が中央のトレーナーになってから三年が経った。
サブトレーナーとしての下積み期間を終えて、独立するまでにかかった年数だ。早いか遅いかで言えば微妙だと思う。それでもいくつかのチームを転々としながら経験を積めたのは、間違いなくプラスだと思う。
そして迎えた四年目の夏、ついに私も担当ウマ娘を持つことになった。今は模擬レースを視察しながら、スカウトするウマ娘を吟味している途中。
「あと一押しが足りないんだよねぇ……」
私のノウハウなら中距離を走れる娘がベスト。逃げ脚質以外なら何とかなるけど、できるだけ相性が良さそうな娘を選びたい。トレーナーはその担当ウマ娘の人生を預かるのだから、軽々しく決めることはできなかった。
そんな優柔不断な私は、今日も収穫なしで帰路につく。日が落ちる時間も段々と早くなって、人気のない夜道を歩くのはちょっと心細い。そろそろ居酒屋のキャッチが面倒な時間帯なので、駅まで遠回りで帰る。
見知らぬ公園に立ち寄ってみたのは気まぐれだった。私のちょっとした冒険心に火が付いたのか、そのまま家に帰る気分でもなかったのだ。街灯が辺りをぼんやりと照らして、街の中心部の光が遠くに見える。田舎から出てきた私には、薄暗い程度が心地良い。
私はそんな場所で出会ったのだ。月光の下に佇む、凍てつくように恐ろしいウマ娘と。
「……よい闇夜だこと。けれど、私には眩しすぎるくらい」
緋色の瞳と目が合った。
妖しい光りを帯びた、ゾッとするほど紅い瞳。何度も色を重ねたような沈んだ紅を、なぜか私は美しいと思ったんだ。
「貴方はどうですか? トレーナーさん」
栗毛のウマ娘がそこにいる。蝋のような白い肌……目を離せば、たちまち消えてしまいそうな儚い姿に目を奪われた。呆気にとられて口をパクパクさせることしかできない私に、彼女はそっと微笑みかける。
「初めまして。スティルインラブと申します」
肌に纏わり付く湿った空気が剥がされていく。得体の知れない悪寒が背筋を這い上がり、本能が警鐘を鳴らしているのだ。
それでも私はそのウマ娘に引き寄せられる。
彼女は夏の熱気をまとめて吹き飛ばし、その存在を私に焼きつけていく。凍てつくほどに恐ろしくて、美しい。
「……ふふ、見つけた。私の、全てを──」
そこで私の視界は暗転した。
最後に見えたのは闇夜に光る紅と、寒気がするほど凄絶な笑み。首筋に残る深い痛みと共に、私は意識を手放していった。
◇
夜になれば魔物が動き出す。じっとりとした暑さは日没を迎えても衰えず、アスファルトは日中に蓄えた熱を遠慮無く吐き出している。公園の街灯は頼りなく地面を照らし、その外側には底知れぬ闇が広がっていた。
スティルインラブは目の前で倒れた女性を眺め、満足そうな笑みを浮かべる。やたら隙が多く、警戒心が薄い。いや、最初からスティルインラブなど警戒されていないのだろうか。
あの日も同じような夏の夜だった。運命に導かれたような出会いを、スティルインラブはやり直す。待ち人が来るとわかっているので気は楽だった。それでも、少しも不安がなかったといえば嘘になるが。
「ええ、貴方は……運命のヒト」
もう二度と、会えないと思っていた。それだけの覚悟だった。それでも幸せだった。
その結果が、これだ。笑ってしまうほどに都合が良い。魂が歓喜に震え、抑え込まれていた本能が発露する。
「だってアナタは、ワタシ達の元に帰ってきたんだから……!」
壊れてしまうのなら、そのたびに繋ぎ直せばいい。
離れてしまうのなら、その足を止めればいい。
忘れてしまうのなら、何度だってやり直そう。
「ですから、安心してください」
スティルインラブは薄く微笑み、女性の頬にそっと手を添えた。胸の奥で燻り続けていた渇望が、熱を帯びながら全身を駆け巡る。
もう二度とふたりが離れないように、消えない傷を刻み込もう。今度は間違えない。どれだけ時間をかけても、その全てを手に入れてみせる。
「ずっと、お傍にいますから」
スティルインラブは本能の声に従う。もはや裏人格と呼んで差し支えないほど、肥大化した闘争心。内に秘めた紅の怪物に。
(あはっ、アナタは本当に素直ねェ。もう一度、同じようにやり直すつもりなんでしょう? だってアナタは、いつまでも飢えているんだから)
「……きっとトレーナーさんも、受け入れてくれるはず……」
愉快そうに笑う声を無視したことは一度や二度ではない。けれど声の主を裏切ることは最後までできなかった。
トゥインクルシリーズを駆け抜けた宝石のような3年間を、スティルインラブは最後の最後で台無しにしたのだ。あの日々を取り戻すためなら、多少強引になっても構わない。
「たくさんアピールして……今度こそ私の……と、虜になって……!」
(あらゆる強者に勝利しましょう……この
二人の利害は一致している。こうしてスティルインラブはトゥインクルシリーズをやり直すことになった。