冒険姫リーベ 食堂の看板娘は絶望に沈む街の希望になるため冒険者へとジョブチェンジする   作:丘引みみず

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第1章 戦場を去る父、戦場に立つ娘
001 英雄とその娘


「エルガーくん。すまないが、街の南の森でカンプフベアを狩ってきておくれ」

 

 ギルドマネージャーはとうに冒険者を引退した街の英雄にそう言いつけた。

 

「カンプフベアか。なかなかの大物じゃねえか。俺じゃなきゃいけねえのか?」

 

 相手はかつての上司に当たる人物であるが、エルガーの物言いは砕けたものだった。それを受け手ギルドマネージャーは太い指を組んでため息をつく。

 

「君もわかっているだろう。情けない話だが、この街の冒険者は君に頼り切っている。故に弱い。組織として問題を抱えているのは承知しているが、君に頼らざるを得ないのが現状だ」

「しゃあねえな。そら、ちょっと行ってくるか」

「悪いね」

 

 エルガーは伸びをしながら執務室を後にしようとしたが、ふと立ち止まってギルドマネージャーに神妙な眼差しを向ける。

 

「他の連中には漏らすんじゃねえぞ?」

「ああ。今まで通り、これは内密な任務だからね」

「ならいい。それじゃ、行ってくる」

 

 それから半時間後、冒険者エルガーを取り巻く環境はガラリと変わった。

 

 テルドルの南に広がる一帯は高山地帯で、テルドルの街から緩い坂道が蛇行しながら(ふもと)へと続いている。彼は右手に木立を、左手に急斜面を見ながら坂を下っていた。道中、彼はまるで自分が遭難しているかのように錯覚した。

 

「……はあ」

 

 彼は深いため息をついた。

 

 昨日の今頃は愛する妻子と共に食堂を切り盛りしていたというのにと、口から零しそうになるも、ぐっと堪える。自分が冒険に出ることが人々の安息につながる事を知っていたからだ。

 

「ため息なんて俺らしくねえ! さ、気張っていくぞ」

 

自分を奮い立たせるべくそう言うと頬を叩いた。しかし何事にも全力な彼は手加減というものを知らず、頬をひりつかせることとなった。

 

「おおう……」

 

 自分で自分を痛めつけるとは何事だと、自嘲していると、パキッと、右側から音がした。

 

「――っ!」

 

 ハッと振り向くと、そこには白い体毛を持つ愛らしいウサギの姿があった。しかし冒険者である彼にとって、ウサギは立派なタンパク源。自然と唾液が口内に滲んでいった。

 

「きゅ?」

「食われたくなければあっちに行け」

 

 蹴飛ばすフリをすると「きゅきゅ!」と丸い尻尾が木の陰に消えた。それでもなお、彼は視線を逸らさなかった。

 

 彼の眼前には、木立を空かして、蛇行していく坂道が見えた。すると木立を抜けてショートカットしたくなるが、エルガーはぐっと堪える。そうすることで脚を失った友人がいるからだ。

 

(急いては事をし損じる……急がば回れの精神だ)

 

 自分の分厚い胸に言い聞かせると、彼は正規の道程へと視線を戻した――その時、彼の鋭敏な聴覚は蚊の鳴くような小さな音を拾い上げた。

 

「――ゥゥ……」

「っ……!」

 

 地を這うようなうめき声。それは禍々しい雰囲気を湛えており、彼の心に緊張を押しつけた。だがエルガーは臆することなく聴覚に全神経を集め、うめき声の出所を探った。

 

 その時、 パカパカ……ガラガラ……と馬車が進む音を捕らえた。

 

 音のした方――木立の方に顔を向ける。木々の合間、横道を一つ挟んだ向こうに小さく馬車が見える。2頭()きの豪華なタイプだ。

 

 そう認識した時、馬車の前の茂みが揺れる。

 

 その様子に危機感を募らせたエルガーは、急がば回れの精神を投げ捨て、坂道から木立へ飛び込み、太い枝を足場にしてショートカットを試みた。

 

 枝から枝へ飛び移り、時には幹を蹴って距離を稼ぐ。道中カラスの巣を蹴ってしまうが、それを気にする猶予もない。景色がグングン流れていき、視界が一端ひらける――折り返してきた坂道だ。道が横切っているということは、もちろん足場はない。だが、このままで落下する彼ではなかった。

 

 前方に手を伸ばし、向かいの木の枝を掴む。それからサルの如く枝を渡り、馬車の至近に迫る。すると(おぞ)ましいの呻き声が強かに耳朶(じだ)を打つ。

 

「グルルウウウウウゥゥゥ……」

 

 うめき声を捕らえた瞬間、馬車の正面に大きな、大きなクマが現れた。

 

 上体の筋肉が異常に発達していて、広背筋がコブのように膨れ上がっている。その重みのため猫背になっており、腕は左右で太さが違っている。この個体は右腕の方が太かった。

 

「ふっ!」

 

 そんな怪物の後ろへ、エルガーは思いとどまる事なく、勢いよく飛び降りた。

 

 そうしてクマの後ろに着地すると、ズサッと靴底が砂を噛む音が静かな山林に響く。それはもちろんクマの耳にも届いており、のっそりと緊張を押しつけるような威圧感を持って振り返る。

 

「グルルル……」

 

 その顔は恐ろしく醜悪なものだった。

 

 まぶたは蜂に刺されたように剥れていて、半開きの口からは肉の挟まった牙が覗く。

 

 このクマ――魔物はその悍ましい外見と、凶暴さのため数多の畏怖を集めており、よく子供の教育に用いられたいた。

 

『良い子にしてないと()()()()()()に食べられちゃうよ』、と。

 

 だが大人であり、冒険者である彼は動じない。そればかりか、背中と左腰からロングソードを引き抜き、挑戦状を叩きつけるかのように吠えた。

 

「ダアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッッッッッッ!」

 

 カンプフベアという魔物は闘争心が非情に強く、同族間では正面に立って吠える事は決闘の合図とされているのだ。故に魔物は激昂(げっこう)した。

 

「グルルオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッッッッッッッッ!」

 

 その残響が消えぬ間に右の豪腕が振るわれる。それは馬車を容易く潰せる程の力があったものの、巨体故の鈍足によって容易に対応できた。

 

 後ろに飛んで回避したエルガーに、即座に裏拳が迫る。カンプフベアは広背筋が異常に発達しているため、その威力は尋常ではない。

 

 しかしエルガーは冷静であった。

 

 ここが坂道であり、彼は魔物よりも高い位置にいる。必然的にその攻撃は下半身へと向かう事になると予測し、実行に移した。

 

「ふっ!」

 

 膝と胸が付くほどに脚を畳んで跳び上がると、その真下を豪腕が過る。

 

 裏拳を振るった先にある坂道は、掠っていないにも関わらず、まるでシャベルで掘ったかのように抉れていた。それほどまでにカンプフベアの拳圧は凄まじいのだ。

 

 だが勢いがある分、後隙が生まれてしまうのは必然であった。

 

 歴戦の冒険者である彼が、その隙を見逃すはずがなかった。

 

 彼は着地と同時に比較的未発達な左腕を狙いを定め、右足を前に、両手の剣を体の左に構える。それから腕の筋力だけではなく、左足の踏み込みから剣の重みまで、利用できるものを全部載せた力強い斬撃を放つ。その剣筋は鋭く、美しいと形容できるほどに正確なものだった。

 

「ダリヤアアアッ!」

 

 右手の剣が肉を裂き、左の剣が骨を断つ。彼が痛快な感触が感じると同時にカンプフベアは絶叫し、倒れるかのようにのしかかってくる。

 

「おっと!」

 

 エルガーは即座に前転し、のしかかりを避ける。するとカンプフベアと場所を入れ替える形になった。直後、ズシンと鉄球を落としたかのような重々しい音が響く。

 

「グオオオオ……!」

 

 彼がうめき声に振り返るとカンプフベアは倒れ、起き上がれないでいた。あれほどまでの巨体が片腕で持ち上げられるはずがなかった。

 

「ウグ、グオオ……」

 

起き上がろうと藻掻く姿の痛ましいこと。エルガーはこの魔物に対し、多少の哀れみを抱いたがしかし、彼は冒険者。この魔物を仕留める使命を帯びてやって来たのだから、そんな感情を抱くことは許されない。そんな中で彼がこの魔物にしてやれることと言えば、苦しみから開放してあげることだった。

 

「……許せ」

 

 エルガーは両の剣を振り上げ、左腕の時と同様にして魔物の首を落とした。

 

「ふう……」

 

 カンプフベアの死亡を確認すると、彼は剣に付着した血や脂を拭ってから鞘に収めた。それから頬に付いた返り血を袖で拭うと馬車の方を見やる。

 

 そこでは御者はおろか、馬車馬さえもが放心していた。

 

「もう大丈夫だぞ」

 

 呼び掛けると彼は我に返った。

 

「…………はっ! あ、ありがとうございます。それでは……」

 

 御者はこの恐ろしい場所から一刻でも早く立ち去りたかった。エルガーもそれをわかっている為、礼節がどうのという浅ましい考えを抱かなかった。

 

 青い顔をした御者が会釈し、カンプフベアの死骸を避けながら進もう轡の向きを変えたその時、「お待ちください!」と、彼の思惑とは裏腹に主人が車内から飛び出した。

 

 主人は商人だった。羽振りが良く、貴族も()くやの壮麗な衣服に身を包んでいたがしかし、その顔は御者に負けず劣らず青ざめており、衣服にふさわしいだけの貫禄(かんろく)はなかった。

 

「いやはや……まさかカンプフベアに遭うとは…………死を覚悟した次第で……申し訳ありません。お礼の言葉も見つかりませんで」

 

 額にハンカチを当てがいながら謝るが、エルガーは鷹揚に微笑みかけた。

 

「礼なんていいさ。俺はギルドに頼まれてきただけだからな。それより、慌てて逃げようとしなかった御者を褒めてやれ」

 

 それは謙遜ではなく、事実であった。下手に動くことは捕食者を煽るにも等しい愚行である。仮に御者が馬を急かしていたならば、エルガーの助けも間に合わなかっただろう。

 

「……恐縮です」

 

 御者が脱帽する一方、主人は幾分生気を取り戻した様子で言う。

 

「そうですね。では後で褒美を取らせると致しましょう。あの、つかぬ事お伺いしますが、双剣にそのお手前……もしや貴方が【断罪】こと、エルガー・()()()()()()様で?」

「ああそうだ」

 

 短く堂々と答えると、商人は初めて明るい顔を見せた。

 

「おお! 命を拾ったばかりか、あの英雄にお会い出来るとは!」

 

 恥じらうことなく賞賛を受けるエルガーであったが、一部訂正が必要だった。彼は手を(かざ)して商人の口を塞ぐとこう言った。

 

「エルガー・()()()()()。それが今の俺だ」

 

 

~~~

 

 

テルドルで人気の食堂エーアステはただいま開店準備中だ。

 

決して広くは無いホールの中、丸テーブルに椅子が上げられていて物寂しい雰囲気を漂わせていた。そんなホールには一人の少女の姿があった。

 

 肩口まで伸ばしたあかね色の髪を後頭部で結い上げ、ポニーテールにしている。それをぷらぷらと揺らしながら清掃をしていた。そんな彼女はエメラルドのように澄んだ緑色をした瞳を窓の外へ向けた。

 

 窓枠に切り取られた景色はまるで動く絵画のようだ。石畳の上を人や馬車が行き交う様はいつも変わらないようで、しかし日々、確かに変化している。

 

 その些細な変化に気づくたびに、彼女は小さな幸福を感じるのだ。

 

 この日で言えば、お向かいさんのプランターに植えられたガーベラがツボミを付けていた。

 

 ガーベラという花は気品あふれる名前をしているのに加え、花弁もそれに相応に鮮やかで美しいものである。

 

 そのツボミが開かれたのならば、彼女と、ここで食事をする人々は幸せになれるだろう。

 

「早く咲かないかな?」

 

 ひとり呟くと厨房から母の声が響いてくる。

 

「リーベ、ボーッとしてないで掃除を済ませてちょうだい」

「あ、はーい」

 

 リーベ。それが彼女の名だった。この国の言葉で愛を意味するその名を、彼女はなによりの宝としていた。両親から名前を呼ばれるたび、自分が愛されているのだという明るい気持ちが胸に起こり、胸をときめかせた。

 

 このときめきこそが彼女の原動力であり、彼女は「よし」と、気持ちを引き締め、自らの任務である清掃へと臨むのだった。

 

 そうして粗方終えた時、彼女はふと、入り口脇の壁に掛けられた1枚の絵画に目を留める。

 

 それは20年前に起きた魔物の暴走――スタンピードと、それに立ち向かう冒険者たちの姿を描いたものだった。

 

 中央には2人の剣士と、1人の魔法使いが描かれている。彼らを背中から見る構図であり、画面の手前には他の戦士たちの背中や横顔が大きく描かれている。

 

 そして彼らの目先には種々様々な魔物たちの姿があった。

 

「…………」

 

 蜜蝋で磨かれた額縁には真鍮板が付けられていて、そこには『断罪の時』と、題名が彫られている。

 

 彼女はこの食堂に些か相応しくないその題名を、小さく呟いた。

 

「断罪の時……」

 

 呟きながらも、彼女の視線は中央の男性に吸い込まれていった。この人物は――

 

 カラン。

 

「ただいまー!」

 

 カウベルの音をかき消すように、生き生きとした声がホールに響き渡る。

 

 リーベが耳を押さえながら振り返ると、そこには彼女の父、エルガーの姿があった。

 

 彫りが深く、日に焼けた逞しい顔。その尖った顎先にはヒゲを生やしていて、それが壮年の男らしい威厳を醸していた。193センチの長身と、衣服の上からでも分かる隆々(りゅうりゅう)とした肉体がその印象を裏付けている。

 

 その背中と左腰には剣がある。

 

 帯剣が認められているのは騎士と兵士と、そして冒険者だけであり、彼はその3つ目だった。

 

「もう、お父さんったら! 声が大きいよ!」

 

 叫び返すと彼は愉快そうに詫びる。

 

「わりいわりい!」

 

 謝りつつもニコニコしていた彼は僅かにも反省していなかった。冒険から返ってきた時、いつも同様のやり取りをしているからだった。

 

「今帰ったぞ!」

 

 と言うと娘をひょいと抱き上げ、その分厚い唇をリーベの健康な頬に押しつけた。すると彼女はブチュっと押しつけられるその感触に背筋がゾクゾクした。だがヒゲのちくちくに比べれば、なんと言うことはなかった。

 

「痛い痛い! もお、やるならヒゲを剃ってからにしてよ!」

「なんだと! ヒゲとケガは男の勲章なんだぞ!」

 

 そんなやり取りをしていると厨房からシェーンががやって来た。

 

 彼女はリーベにと同様にあかね色の髪と、エメラルドの瞳を持っている。言わずもがな、リーベは母親似だった。

 

 母親らしい落ち着きと品格を併せ持つ彼女だが、夫を見ると、その瞳がほんのりと無邪気さが蘇る。彼女は微笑み、夫の帰宅を喜んだ。

 

「お帰りなさ――」

 

 言いかけたところで唇を押さえつけられる。キスは数秒に渡り、離れる頃には目元はとろけるように歪んでいた。

 

「……もう、リーベの前ですよ?」

 

 恥じらいつつも、満更でもなかった。

 

「はは! 夫婦なんだし、こんくらい普通だろ?」

 

 愉快そうに笑っていたが、ふと感慨を滲ませ、真摯な瞳を妻に向ける。

 

「ただいま、シェーン」

「……お帰りなさい。エルガーさん」

 

 2人はじーっと見つめ合って、今度はどちらとなく顔を寄せ――

 

「こほん!」 

 

 娘が咳払いするとシェーンはハッと身を離した。そして娘に背中を向け、そそくさと厨房へ逃げ込んでいく様は生娘のそれだった。

 

「もう……イチャイチャするならわたしのいないところでやってよ」

「はは、わりいわりい……」

 

 今度は確かな反省を窺わせた。

 

 そんな父親にため息をつきつつ、リーベは汗と砂埃に汚れた父親に指摘する。

 

「ここは食堂なんだから、汗だくでいられちゃ困るよ?」

「お、そうだな。んじゃ、俺は風呂屋に行ってくるわ」

「うん。ゆっくりしてきてね?」

「娘が働いてるのに呑気してられるかよ」

 

 そう言い残すとエルガーは武器をしまいに2階の住居へ向かった。

 

「……はあ」

 

 冒険から返ってきたばかりだというのに元気なものだと、リーベはため息をついた。

 

 それから絵画の中心に写る男性に目を向ける。

 

 魔物の軍勢を前にしてなお、雄壮と佇むこの男性。

 

 彼女はこの人物が果たして本当に自分の父なのだろうかと若干の疑念を抱いていた。

 

 




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