冒険姫リーベ   作:丘引みみず

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019 揺らめく心

  エルガーは風呂屋の入り口で妻子と別れ、1人寂しく男湯に浸かっていた。

 

 夜更けのこの時間でも男湯は賑わっていて、仕事を終えた労働者や暇な冒険者が広い浴槽を埋め尽くしている。彼らは各々語らっていて、その大音量がふやけて反響し、ドラゴンの胃の中を彷彿とさせる怪しい雰囲気を醸していた。

 

「はあ……」

 

 彼の胸に(わだかま)るのはリーベのことだ。

 

(思い過ごしだったら良いんだが、俺にはどうも、アイツが冒険者業に関心を示しているように思えちまう)

 

 複雑な感情を溶かすように肩まで浸かると、湯気の立ち籠める天井を見つめる。

 

(原因は何だ? 俺の引退? 金色の鱗? それとも魔物に襲われたことか?)

 

 その要因は判然としないが、親として、娘が良くない傾向にあるのだという認識は変わらなかった。

 

 このままではいずれ『わたしも冒険者になりたい!』とか言い出しかねないと、彼は危惧した。

 

 娘が例えば、『料理人じゃなくて作家になりたい!』とか言い出したとしても、彼は父としてその背中を押すつもりだった。だが冒険者だけはいけない。危ないからだ。

 

「あ、エルガーさんじゃないっすか」

 

 冒険者の青年が湯に浸かりながらエルガーに親しく話し掛ける。

 

「そんなしみったれてどうしたんすか? らしくねえっすよ」

「はは。俺も父親だからな。神妙になる事もあるさ」

「父親ねー……そういや、リーベちゃんはどうなんすか?」

「どうって?」

「ははは! とぼけないでくださいよ。冒険者になるって、みんなウワサしてますよ?」

「は?」

 

(そんなウワサ誰が……いや、リーベが魔物を倒すのに貢献した事実が、尾ひれを付けて回ったんだろう。だったらここでひとつ、ビシッと正しておかねえとな)

 

 そう思った時、エルガーはふと誰かの言葉を思い出した。

 

『アンタが辞めたら、誰がテルドルを護るんだ』

 

 彼はその問い掛けに対し、次の世代へ託すことを宣言した。その上でこのようなウワサが出回るということは即ち、リーベが冒険者になることをこの街が望んでいるということだ。

 

 だがエルガーは知っている。一個人に縋ることでしか安息できないというのは、その実、平和とは言えない。テルドルはついこないだ、その状態を脱却したはずなのだ。

 

「ううむ……」

 

『英雄に求められるのは腕だけじゃない。その意味をよく考えることだ』

 

 ディアンの言葉がいよいよ現実に顕われてきたのだと、エルガーは悟った。

 

「エルガーさん?」

 

 その声にハッとすると、彼は自分が周囲の視線を集めていることに気付いた。

 

「ああ、ごほん。リーベは冒険者にならねえ。そういうことだから、この話は終わりだ」

 

 そう言い残すとエルガーは湯から上がった。

 

 

~~~~

 

 

『リーベちゃんはどうして冒険者になろうとしたんだい?』

 

 リーベが知り合いの老婦人にそう聞かれた時、シェーンは明らかな狼狽(ろうばい)を見せた。その時の『否定して』と懇願するような瞳の湿気た緑色が、今も彼女の目に焼き付いて離れない。

 

『……リーベ。シェーンの前じゃ、二度と冒険者の話をするな』

 

 彼女は父の言葉の意味をようやく悟った。

 

 夫がこの職に就いていたが為に、シェーンは常に不安に(さいな)まれていたのだ。些細な好奇心のためにその繊細な心を揺さぶるのは残酷だ――エルガーはそう伝えたかったのだ。

 

「…………」

 

 リーベはチラリと母を見やる。一見すると平静な態度であるが、いつもと違ってむっつりと口を閉ざしている。そんな有様が痛々しく感じていると、シェーンは娘の視線に気付いた。

 

「どうかしたの?」

「う、ううん。なんでもないよ」

「そう?」

 

 そんな短い会話の末、一家は再び歩き始める。

 夜も更け、静まり返った通りにはコツコツと3人分の靴音だけが響いていた。

 

 

 

 

 

 リーベは毛布の温もりに深いため息をつきながら横臥(おうが)する。視界は真っ暗で何も見えないが、そこにはもふもふの彼がいる。彼女は閉ざされた視界を補うように、彼の頬に手を添える。

 

「ねえダンク。わたし、みんなに冒険者になると思われちゃってるよ。どうしよう」

「…………」

 

 ぬいぐるみは喋らない。当たり前だ。しかし彼女の心には愛犬の心配そうな声が響いていた。

 

「わたしが冒険者になっても、ロクに戦えないよ」

 

 エルガーの娘だからと言っても、その才能を引き継いでいるとは限らない。それに何より、リーベはどこにでもいるような小娘だ。戦うための力が絶対的に足りていないのは考えるまでもない。

 

『リーベちゃんも冒険者になるんかい?』

 

 以前、スーザンが言っていたを思い出す。あの言葉を口にした時、彼女の瞳は期待感に満ちていた。

 

 リーベは思う。自分が誰かなど関係無い。英雄の娘という、たったそれだけの事実が自分が冒険者になることを望ませていたのだろうと。

 

 それはスーザンに限らず、街の人間すべてに言えることだ。だからあのようなウワサが出回ったのだ。そう思うと、リーベ自分にとって、冒険者になる事が使命のように思えてきた。

 

「……冒険者…………」

 

 自分より強大な存在を打ち倒し、人の生活を護る仕事。

 

 そんな大層なことが自分に務まるとは到底思えなかった。

 だが周囲の期待には応えたい。

 リーベの心は混沌が渦巻いていった。

 

「はあ……なんだかな」

 

 深く溜め息をつくとダンクを強く抱きしめた。

 

 

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