戦いが始まった。
ヴァールとフロイデは剣を抜き放つと散開し、ヘルゲートの両側に回る。すると大顎は体の大きなヴァールへ向けられた。その一方で大きな尻がフロイデに向けられる。
魔物と戦う時の鉄則。それは討伐を急がず、手脚を削いで安全確実に仕留めることだ。
それに従い、フロイデは尻ではなく、体側部にせり出した一際大きな脚を狙う。
ヴァールが時計回りに動き、注意を引いてくれているため、彼はそれに合わせてぐるりと回り込み、左脚を射程に捕らえる。
「っ!」
剣を振り上げ、左足から右足へ重心を移行するのに合せて剣を振るう。踏み込む力・筋力・剣の重さ・遠心力。これらが一体となった斬撃はヘルゲートの脚関節を半ばまで切断した。
淡黄色の血液が噴き出すと同時に、巨体が痛みに跳ね上がる。そうした反応は魔物にダメージを与えられたのを知る手がかりになる。そして魔物はダメージを負った直後に暴れる傾向にあるため、追撃を加えることなく距離を取る。
指導と経験で仕入れた情報は確かなもので、ヘルゲートは陸に揚げられた魚のように暴れた。その際、巨体が地面を叩き、立っているのに苦労する程度の震動を起こした。
「くっ……!」
フロイデが歯噛みする中、フェアが叫ぶ。
「離れてください!」
それを聞きつけると、不確かな足場を踏みしめ、無理して後ろに跳ぶ。
直後、ヘルゲートは地面に潜行した。すると地面には再び蟻地獄が展開され、その縁がフロイデを呑み込もうと迫ってくる。
「ちっ!」
全力で5メートルほど距離を取ると、フェアが呪文を叫ぶ。
「ガイアッ!」
土柱によってまたもヘルゲートが打ち上げられると、今度は背中から落ちた。しかも自分で作った蟻地獄にすっぽりとハマり、無様に宙を蹴り続けている。
「今だ!」
ヴァールの指示で飛び出す。
フロイデの目前には先程斬り付けた左脚がある。次の一撃でこれを斬り落とすと、例によって距離を取った。
その間、チラリとヴァールの方を見ると、彼はなんと、たったの一撃で脚を切り落としていたのだ。
彼の武器は大剣であり、その長大さと重量、それに
しかし、ヴァールの得物は鞘に収まらない都合で刃を落としているのだ。刃のない剣で堅牢な脚部を切断するのに、一体どんな妙技を用いているのか……フロイデには想像も付かなかった。
日頃の行いのせいで軽視しがちだが、剣士として、冒険者として、ヴァールは間違いなく尊敬できる人物であった。
脚の2本を失ったヘルゲートは藻掻き苦しんだ。その結果として本来の姿勢に戻れたが、前後の小さな脚をバタつかせるだけで、その場から動くことはなかった。
その様子をフロイデは不思議に思ったが、程なくして答えに突き当たる。
ヘルゲートは3対の脚を持っているが、体重の殆どは真ん中の一番大きな脚が担っていたのだ。それを失ったとあれば、もはや立ち上がれまい。
「よし……!」
(動けないなら今、ここで仕留める……!)
「やるぞフロイデ!」
「うん!」
2人は大きな腹部に飛びつくと、それぞれ渾身の一撃を叩き込む。
「ドリャア!」
「にゃッ!」
2人の斬撃は大小の切り傷を作った。とりわけヴァールの一撃は強烈で、魔物の内臓に深刻な傷を負わせた。
それからも2人の猛攻は続き、フロイデが4度目の斬撃を繰り出した時、ヘルゲートは一際大きく痙攣し、沈黙した。
斬撃を浴びせ続けた腹部からは、淡黄色の体液が止めどなく溢れ、地面を浸していく。
「…………」
命を奪った罪を思い知るこの瞬間、フロイデは心が傷まないではいられなかった。しかし、相手は魔物だ。畏怖する事はあれど、憐憫を抱く事などありはしない。そのように自分に言い聞かせると剣に付着した体液を拭い、鞘に収めた。
ヘルゲートの死骸をギルドに預けたが、これで一件落着とはいかない。魔物が一体だけとは限らないからだ。だから一行はそのままセロン村へと向かった。
道中に異常はなく、無事、セロン村に到着した。
「ほっ……よかった…………」
フロイデの口からは自然と安堵の言葉が口に上る。それは誰に向けたものでもなかったが、フェアに「そうですね」と同意されると恥ずかしくなった。
「しっかし、街道を塞がれるなんて、この村の連中も災難だな」
ヴァールが言うと、
「全くだ」
実感の籠もった言葉と共にやって来たのは線の細い老人で、その風格からして村長であるのは想像に難くない。彼はシワだらけの手を杖の頭に置いて一息つくと、安堵を浮かべて尋ねる。
「その様子から察するに、あの魔物はもういないんだろう?」
「もちろんだ。もう通って大丈夫だぞ」
報告を耳にした途端、村長は深い溜め息をついた。
「……それは良かった。ワシらもいい加減、肉は飽きたもんでな」
テルドルと行き来できなかった間、彼らは主に狩りで獲った獣の肉を食べて凌いでいたのだ。
「そんなら俺らが貰ってやっても良いぜ?」
「うんうん……!」
(リーベちゃんちで食べたみたいな、美味しいお肉が食べたい!)
「干し肉なら好きなだけ喰わせてやってもいいぞ?」
その言葉を聞いて2人はがっくしと肩を落とした。
堅いビスケットと並び、冒険者が食べたくない物ランキングの1位に君臨する食品。それが干し肉だ。
「どうも失礼致しました」
大小2人を他所にフェアが詫びると、村長はケタケタと笑った。
「はは! こいつが食い意地を張ってるのはいつものことだろう」
その気さくさから、フロイデはヴァールとフェアが村長と面識があることに気付いた。
「ところで、その坊やは?」
「坊やじゃない……!」
フロイデが頬を膨らまして反論すると、またケタケタと笑う。
(まったく……会う人会う人がぼくを子供扱いするんだから困る)
「こちらは最近弟子にとったのですが――」
会話の最中、フロイデは村の北西に断崖を見つけた。
全体として灰色の岩壁であったが、一部分だけ丸く土色になっている。それを不自然に思っていると、直後、それはパラパラと崩れ落ち、横穴が現れる。
そしてそこからは大きなカラスが飛び立った。
「あ、あれ!」
短い指で指し示すと3人が振り返る。
「ん? なんかあったかの?」
村長が不思議そうな声を発する一方、冒険者2人は察した。
ヘラクレーエという魔物は
フロイデがそう分析する中、村長が不思議そうに首を傾げる。
「おい、一体どうしたというんだ?」
「ん? ああ、何でもねえよ」
ヴァールは適当に誤魔化すと「余計な事は言うな」と弟子の耳の上で囁いた。
ヘラクレーエは基本的に人を襲わない魔物だが、この前テルドルで人を襲ったばかりだ。それに加え、抱卵期を終えて凶暴化している可能性が考えられる……が、そういった理屈の問題ではない。
魔物が近くにいると知っては安心できるはずがない。彼らに余計な心配を掛けさせないためにも、そういった情報は伏せておくものなのだ。
冒険者は人々の心情に寄り添わなければならない。
フロイデはまたひとつ、勉強したのだった。