冒険姫リーベ ~食堂の看板娘は絶望に沈む街の希望になるため冒険者になる~   作:丘引みみず

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004 引退する英雄

 2人が店内に戻ると、そこにはシェーンが待ち構えていた。

 

 彼女の端正な顔は悲痛に歪んでおり、伴侶としての心配が在り在りと見えた。その様子にリーベは息を呑み、父の顔を覗き込んだ。その顔にはどう言い(つくろ)ったものかという思索の念が滲んでいた。

 

「……カンプフベアと戦ったんですか?」

「あ……ああ」

 

 エルガーが目線を下げると、視界の中に収まろうとシェーンが歩み寄る。自然、上目遣いに語りかけることになった。

 

「『人手が足りないから』と助っ人に出たんですよね?」

 

 静かな言葉には心配のみならず若干の憤りが感じられて、リーベは甚だしく気まずい心地でいた。それはエルガーも同じであり、長い沈黙の後「……悪い」と答えるより他になかった。

 

「でもカンプフベアをやれるヤツなんて俺以外には――」

「いつまでもあなたが助けてるからでしょう!」

 

 頬を叩く代わりの一声は、水を打ったかのように静寂をもたらした。

 

「……あなたという英雄に(すが)ってばかりいるから、この街の冒険者は育たないんです! それに、エルガーさんだってもう若くないんですよ! これじゃあ……いつか……いつか破綻しますよ…………」

 

 激しく言葉を連ねる中でシェーンは涙を滲ませていった。その様子に一層の罪悪感を覚えたエルガーはただ一言、深く、心より謝った。

 

「……すまねえ…………」

 

 長いの沈黙の末、シェーンは声を絞り出す。

 

「約束してください……もう、絶対に冒険に出ないでください」

「それは……」

 

 夫が誰よりも強く、誰よりも責任感が強いことをシェーンはよく知っている。故に怒りながらも胸を痛めていた。だが、これも全ては愛する夫の為なのだ。彼女はそう自分に言い聞かせ、追求する。

 

「お願いします……私は、あなたが傷つくのが怖いんです……!」

 

 傍観するリーベは両者の気持ちを本人と同じように感じられた。

 想いの交錯するのを俯瞰(ふかん)しつつ、今回の冒険について考えていた。

 

 あの商人の感謝の程から察するに、今回はよほど逼迫(ひっぱく)していたのだろう。これが仮にエルガー以外の人物が任務に就いていたならば、あの商人は助からなかったに違いない……そう悟った。それだけに彼女は、どちらにとも付かないで、ただ見守っていた。

 

「……わかった」

 

 その声に妻子はハッとしてエルガーを見る。彼の鳶色の瞳には確かな覚悟と誠意が滲んでいて、それが妻を喜ばせた。

 

「……本当、ですか?」

 

 その問い掛けに対し、彼は妻の目を見据え、強く頷いた。

 

「ああ。2度と冒険には出ない……約束する……!」

 

 そう言うと彼は2階へ駆け上がり、愛用の双剣を抱えて下りて来た。

 

「何をしてるの⁉」

 

 娘が問うと、彼は乱暴な口調で答える。

 

「そもそも武器があるからいけねえんだ! あとこれもだ!」

 

 入り口脇に掛かっていた絵画、『断罪の時』を剥がすと小脇に抱え、ドアに飛びついた。

 

 彼が自棄になっているのは明らかで、痛ましいとさえ言える。そんな父を見かね、リーベは「そこまでしないでもいいでしょ!」と宥めに掛かった。それから母からも何か言ってもらおうと振り向くも、シェーンは固く口を噤んでいる。

「お母さん……」

 

 対応に倦ねている間にもエルガーは外へ飛び出し、何かから逃げるように駆けていった。その方角には冒険者ギルドがある事をリーベは知っている。

 

「……お父さん」

 

 娘としては喜ばしい出来事であったが、父が人生を賭けて取り組んできた活動をやめさせられてしまったのが可愛そうでならない。それは引退を訴えたシェーンも同様で、その場に座り込んですすり泣いていた。

 

 

 

程なくしてエルガーが戻ってきた……大勢の人々を伴って。

 

 群衆を構成するのは冒険者だけでなく、濃紺色の制服を纏ったギルド職員や、関係のない一般人まで様々だ。彼らは揉み合いながら英雄の引退を引き留めようと、口々に叫んでいる。

 

「エルガーさん、辞めちまうってどういう事ですか!」

「辞めないでくれよ!」

 

 彼らは『辞めないで』と口々に言っているが、実のところ、エルガーは3年前に引退しているのだ。だが『人手が足りない』……いや、実際のところは『他の人の手に余る強力な魔物が出た時』にだけ助っ人をしていたのだ。そうして冒険者業をやめられずズルズルと引き摺った結果が今だ。

 

『あなたという英雄に縋ってばかりいるから、この街の冒険者は育たないんです!』

 

 シェーンはそう言っていたが、現状を見て、それを否定できる要素は何処にもなかった。

 

「お前ら……」

 

 お父さんは自分を求める人々の声に胸が熱くなったが、ある一言によって一気に冷めた。

 

「アンタが辞めたら、誰がテルドルを護るんだよ!」

 

 その言葉に追随する声が多数上がり、引き留めるはずが責任を問うような空気になっていった。そんな不健全な空気の渦中にいて、エルガーは憤り、拳を握り込んで叫んだ。

 

「お前らだ!」

 

 叩き付けるような怒声に場は静まり返った。

 

 厳かな静寂の中、彼は幾分落ち着いた声で、自分も含めた全員に言い聞かせる。

 

「俺に頼れば済むって考えがあるから、誰もカンプフベアに立ち向かおうとしないんだ。そのせいで対処が遅れて、危険に晒される人間が出てくるんだ。今回は特にそうだ……」

 

 その言葉に冒険者は元より、集まった誰もが深く項垂れた。

 

 エルガーを引き留めようとする現状が、何よりそれを物語っているからだ。

 

「……助言くらいはしてやる。だが、2度と冒険には出ない。俺は引退したんだ」

 

 そう言い残してドアを閉じるとカウベルが虚しく鳴り響いた。

 

 店の外では群衆が静かに散っていく中、シェーンは夫に駆け寄った。

 

「あなたっ!」

 

 娘の前で(はばか)ることなく抱きつくと、大きな胸に顔を埋める。彼もまた、大きな腕で妻を抱きしめると頭頂に鼻先を埋める。

 

「…………」

 

 2人が出会ったのはあの絵画にもあったスタンピードの直前だったという。

 

 以来、交際を重ねて結婚して……それから現在に至るまで、シェーンはずっと不安で居続けたのだ。ましてや夫は誰よりも危険な仕事をしていたワケだから、それも一入(ひとしお)であろう。

 

 母の繊細な心を思いやれば、今はそっとしておいてあげたいところだが、開店時間が迫っている。そんな中、リーベは提案する。

 

「……ねえ。今日くらい、お休みにしても良いんじゃない?」

 

 尋ねるとシェーンは胸板から顔を話し、泣き腫らした目を指先で擦りながら首を横に振る。

 

「いいえ。仕事はするわ」

「でも……」

「それとこれとは、別だもの……」

 

 彼女は夫の方へ向き直ると、高い位置にある顔に手を添え、つま先立ちになってキスをした。

 

 唇を離すといつもの整然とした表情に戻り、厨房へ向かう足取りも凛としたものになった。

 

 一方、エルガーは()きものが落ちたような清々しい顔をしていた。

 

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