ナイスネイチャがトレーナーと契約するまでのお話 作:灯火011
茜色に染まる夕暮れ時の商店街。
香ばしいラードの匂いが漂う、一軒の活気ある揚げ物屋。その店先で、ナイスネイチャは不思議そうに小首を傾げていた。
店はいつも通り繁盛しているのだが、レジの奥の事務スペース――経理を担当しながら、揚げ場にも立つOGの『おねーさん』の様子が、どうにもおかしかったのだ。
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『いらっしゃいネイチャ! 今日もヒレカツ揚げたてだよ!』
と太陽のように明るい笑顔で出迎えてくれるはずの彼女が、今日はパイプ椅子に力なく腰掛け、まるでこの世の終わりのような暗いオーラを放ちながら、どんよりと項垂れている。
「……どうしたんです?」
ネイチャは、心配半分、面白さ半分といった様子で、エプロン姿の先輩へ笑顔で話しかけた。すると、その声に反応したおねーさんは、ビクッと肩を揺らした後、フラフラと立ち上がり、カウンター越しにネイチャの肩へとガバッとしなだれかかってきたのだ。
「ねーいちゃぁぁーだぁー……っ」
「うわっ!? いやいやおねーさん!? 重い重い! どうしたんですか本当!?」
突然の抱擁、というより寄りかかりに、ネイチャは慌てて彼女の体を支えた。おねーさんは、涙目になりながら、恨めしそうにネイチャの顔を見上げる。
「みんなが、教えてくれないんだようぅ……っ」
「……何をです?」
「宴会の日のこと!!」
おねーさんは、周囲の目も気にせず、悲痛な叫びを上げた。
「記憶が無いの! 全っ然、これっぽっちも無いの! 昨日から編集長とか地方組の連中に『ねぇ、私なんかやらかしてないよねっ!?』って聞きまくってるのに、みんな『ふふっ』とか『ドンマイ』とか『伝説の一番艦』とか素っ気なく返してきて、誰も何も言ってくれないんだよぉ!」
「あー……」
その言葉を聞いた瞬間。ネイチャの視線が、スッと明後日の方向へと逸れた。
彼女の脳裏に、あの祝勝会の光景が鮮明にフラッシュバックする。大量のアルコールを摂取し、タガが外れたおねーさんが、ネイチャのジャージの背中をギュッと握りしめ、
「ありがとぉ……っ、ほんとうにありがとぉ……っ」
と、まるで赤ちゃんのように大声で泣きじゃくっていたあの姿。
―――ネイチャが帰った後の、深夜の居酒屋でのおねーさんの『嫉妬に狂った魂の叫び』など知る由もない彼女だが、あの子供のように泣き縋る先輩を撫で続けていたことだけでも、おねーさんのプライドを考えると、とてもじゃないが正面切って言えたものではなかった。
「あ、アハハ……。そんな、記憶無くなるほど飲んでたんですか?」
目を泳がせながら尋ねるネイチャに対し、おねーさんは必死に首を振って言い訳を並べ立てた。
「ふ、普段はあんなに飲まないんだよ!? 私は経理もやってるし、いつもは陣営のまとめ役としてセーブしてるんだから! あんなに綺麗サッパリ記憶飛ばしたの、人生で初めてだし! ネイチャのダービー制覇の嬉しさで、ちょっと……いや、かなりペースを間違えちゃっただけで……っ」
「ちなみに」
ネイチャは、苦笑しながら先輩の顔を覗き込んだ。
「どの辺りまで覚えてました?」
「うーん……」
おねーさんは腕を組み、うーんと唸りながら視線を宙に彷徨わせる。
「乾杯の挨拶をして……みんなで食べて、飲んで……。で、ネイチャをもみくちゃにしてたのは、覚えてる。あんたの髪の毛に金色のテープが絡まってたのも」
「……」
ネイチャは、ジト目で先輩を見つめた。
「それ、いやほぼ序盤ですけど」
「うそぉ!?」
呆れるネイチャの言葉に、おねーさんは頭を抱えてしゃがみ込んだ。祝勝会はそこから数時間ぶっ通しで行われたのだ。つまり彼女は、宴のほとんどの時間を『記憶のない状態』で過ごしていたことになる。
「あー……終わった。絶対アタシ、なんか変なこと言ってる。泣き上戸か笑い上戸か絡み酒か……ううっ、みんなのあの反応、絶対なんかとんでもない黒歴史を刻んでる……!」
「ふふっ」
絶望の淵に沈む先輩の姿がどうにもおかしくて、ネイチャはたまらず吹き出した。いつもは陣営のしっかり者として、トレーナーへの差し入れ、情報共有や、お店やチームの経理の計算、後輩の相談役までそつなくこなす、頼りになるおねーさん。
そんな彼女の、人間臭くて、ひどく隙だらけの一面。
「おねーさんも、油断するとああなっちゃうんですねー」
ネイチャは、わざとらしくニヤニヤと笑いながら、極めて意味深なトーンで呟いた。
「えっ!?」
おねーさんが、弾かれたように顔を上げる。
「ネイチャ!? 今の言い方何!? 私やっぱなんかした!? あんたに迷惑かけた!? ちょっと、教えてよぉ!」
「べっつにー? アタシの口からは、何とも言えませーん」
「うわぁぁぁんっ! 気になるぅぅぅっ! お願いネイチャ、一生のお願いだから教えて!」
泣きつきながら服の裾を引っ張ってくるおねーさんと、ナイショです、と口にチャックをする素振りをしながら笑って逃げるネイチャ。
そんな、まるで本物の姉妹のように戯れ合う二人の姿を。
揚げ場の奥で、パチパチと心地よい音を立ててコロッケを揚げていた揚げ物屋の店長が、油を切る菜箸を片手に、目を細めて見守っていた。
「いやはや、青春だなぁ」
店長は、からりと揚がったコロッケをバットに移しながら、朗らかに笑った。
(うちの優秀な専務が、こんなに気を許して甘えている姿を見るのはなかなか無ぇ。そして、相手の少女が、連日テレビを騒がせているあの「ダービーウマ娘」だというのだから、まったく世の中は面白い)
「ほらお嬢ちゃん。内緒話もいいけど、揚げたてのコロッケ食うかい? ダービーの祝儀に、俺のおごりだ」
「わぁっ! ありがとうございます、店長さん!」
「あーっ、ネイチャズルい! 店長! 私にもコロッケください!」
熱狂の祭典から日常へと戻った、茜色の夕暮れ。コロッケを頬張り、
「熱っ」
「美味しい!」
と笑い合う二人。最高に頼りなくて、最高に頼りになる先輩たちに囲まれた弩級戦艦の穏やかな日々は、香ばしい油の匂いと温かい笑い声に包まれながら、静かに、そして確かに更けていくのであった。