ナイスネイチャがトレーナーと契約するまでのお話 作:灯火011
春の陽光が降り注ぐ、十万の観衆で埋め尽くされた東京レース場。
異例の事態、未曾有の大災害の影響により、本来の中山ではなく、この府中の大舞台へと戦いの場を移して開催される今年のクラシック第一弾『皐月賞』は、かつてないほどの異様な熱狂と喧騒に包まれていた。
ファンの視線、メディアのカメラ、そのすべての焦点は、ターフに立つ『二人の無敗の怪物』へと注がれている。
一人は、あの『安楽椅子の魔術師』が率いるハイペリオン陣営の新たなる最高傑作にして、底知れぬ才能の深淵――ウインバリアシオン。
当初からその規格外のエンジンを見抜かれていた彼女は、魔術師の敷く完璧な安全圏(防衛線)の中でその才能を一切損なうことなく爆発させ、なんと無敗のまま『重賞四勝』という圧倒的な戦績を引っ提げて、このクラシック戦線へと名乗りを上げた。
そして、もう一人。
ハイペリオン陣営の破竹の快進撃に影響されたのか、あるいは「自分の前に立つ者はすべて叩き潰す」という王の傲慢さゆえか。ウインバリアシオンを明確な標的と定め、あえて過酷なローテーションを歩み、同じく無敗のまま『重賞四勝』という戦績を並べて殴り込んできた黄金の暴君――オルフェーヴル。
「さぁ、いよいよです! 世代の頂点を決める無敗同士の直接対決! 東の空を制するのは、ハイペリオンの新たなる刺客か、それとも黄金の暴君か!」
実況のボルテージが最高潮に達する中、ゲートが開いた。
ガシャンッ!!
という金属音と、凄まじい地鳴りが、府中のターフを揺らす。
■
道中、他を寄せ付けない圧倒的な威圧感を放ちながら、バ群の中団で息を潜める二つの影。互いが互いを視界に捉え、一歩も譲らない極限の牽制状態のまま、レースは東京レース場が誇る地獄の最終直線へと雪崩れ込んだ。
「―――抜けた!! 先に動いたのはオルフェーヴルだ!! 黄金の暴君が、一気にバ群を切り裂いて先頭に躍り出た!!」
東京レース場、最終直線残り四百メートル。
オルフェーヴルが、その内に秘めた凶暴なまでのエネルギーを完全に解放した。
ターフを削り取るような暴力的な踏み込み。他のウマ娘が止まって見えるほどの、次元の違う圧倒的な加速力。十万人の観衆が、その凄まじい脚に息を呑み、絶望的なまでの実力差に悲鳴に近い歓声を上げた、その時。
「いや、外からもう一人! ウインバリアシオン!! ウインバリアシオンの猛追だ!! 外から差し込んでくる!!」
大歓声を切り裂くように、外のコースから黒い影が弾丸のようにすっ飛んできた。
ウインバリアシオン。
魔術師が構築した『絶対に壊れない強固なシャーシ(体幹)』に、彼女自身が生まれ持った『G1クラスの規格外のエンジン』が完全に連動した、美しく、そして恐ろしいまでの追走。
暴君の放つプレッシャーに一歩も怯むことなく、涼しい顔のまま、彼女はオルフェーヴルの真横へとピタリと並び立ったのだ。
「おおっと、これは……!! この光景は、いつか見たぞ!!」
二人の怪物が完全に抜け出し、ターフの中央で火花を散らすようなマッチレースに持ち込んだ瞬間。
放送席の解説者が、興奮で声を震わせながら叫んだ。
「まるで、あの伝説の日本ダービーの再来だ!! 無敗の天才・トウカイテイオーに真っ向から牙を剥いた、あの日のナイスネイチャを見ているようだ!!」
その実況の言葉に、スタンドの熱狂が爆発する。
才なき者たちの防衛線から生まれ、大番狂わせを演じたあの日の重装歩兵。
しかし、今のハイペリオン陣営は違う。ウインバリアシオンは「天才に挑む秀才」などではない。彼女自身が、完璧な防衛線の中で育まれた『無敗の怪物』なのだ。
真横に並び掛けられた瞬間。自らの絶対的な領域を侵された黄金の暴君の目に、驚愕ではなく、歓喜に似た凶悪な光が宿った。
ただ一人、己の横に並び立つ資格を持つ『好敵手』の出現。他を完全に置き去りにした一騎打ち(マッチレース)という事実が、オルフェーヴルの闘争心にさらなる油を注ぎ、その覇気を一段と激しく膨れ上がらせる。
「
そして、その暴君の極限の熱量にあてられてか。
それまで涼しげだったウインバリアシオンの顔から、ついに静寂が剥がれ落ちた。
完璧な制御下にあった彼女の底知れぬ闘争心が、隣を走る怪物の熱に激しく呼応し、明確な『炎』となって双眸に灯る。
「譲ってたまるかぁっ!!!」
吼えるオルフェーヴルと、闘志を爆発させるウインバリアシオン。
二人の天才のストライドが完全にシンクロし、府中の長い直線を、文字通り並んで飛ぶように駆け抜けていく。
■
「……ふむ。計算通りだ」
同じ頃。スタンドの最上階、来賓席のモニターでその死闘を見下ろしながら。安楽椅子の魔術師は、手にしていたコーヒーカップを置き、満足げに口角を上げた。
「恐ろしい子が入ってきたもんですねぇ、ほんと」
彼の隣には、今や陣営の絶対的な象徴となった教え子――ナイスネイチャが、指に光るモノを携えながら――、腕を組んでモニターを食い入るように見つめていた。
彼女の瞳には、かつて自分がテイオーと死闘を繰り広げた府中の直線を、今、自分たちを超える次元で駆け抜けていく後輩の姿が映っている。嫉妬はなく、心の内にあるのは、ハイペリオン陣営の先輩としての、絶対的な信頼と誇りだけだ。
「先生の作った土台に、あんなバケモノみたいな才能が乗っかったら、そりゃあこうなりますよ。……あーあ、こりゃアタシたち先輩もうかうかしてられませんね」
「そうだな」
魔術師は、ターフの先頭で火花を散らす二つの才能から目を離さないまま、静かに頷いた。
「彼女の才能は、この防衛線の中でどこまで加速するのか。……そして、あの黄金の暴君と、これからどれほどの歴史的死闘を繰り広げていくのか」
残り百メートル。
「さぁ、見せてもらおうか。新たなる熱狂の幕開けを」
オルフェーヴルとウインバリアシオン。二人の無敗の怪物は、未だ一歩も譲ることなく、横一線で並び立ったままゴール板へと雪崩れ込んでいく。
地鳴りのような大歓声が、東京の青空を劈(つんざ)いた。
「……なんか、らしくないですね。先生がそんなに熱くなるなんて」
眼下で爆発するターフの熱狂を見届けながら、ネイチャが隣でくすりと笑う。
「君のせいだぞ、ネイチャ」
魔術師は少しだけ肩をすくめ、しかしその横顔には、指揮官としての隠しきれない誇りが滲んでいた。
「君が諦めずに走り続けたその姿が、こうして次代の才能を惹きつけ、頂へと押し上げているのだからね」
そう告げた魔術師の眼下。熱狂が満ちるターフで、ウインバリアシオンとオルフェーヴルがゴールラインを踏む。その瞬間、魔術師とその伴侶の顔には、
「……私の『見立て』は、どうやら間違っていなかったらしい」
「ふふっ。……ええ、そうですね、先生」
■
春の陽光が降り注ぐ、十万の観衆で埋め尽くされた東京レース場。
ウインバリアシオンという新たな熱狂を背負い、そして、『一生の勝利』を掴んだ数多の覇者たちを抱えながら。
泥臭い撤退戦から始まった異端の陣営は、今や王道を往く最強の砦として。
次なる伝説のページを、力強く捲るのであった。
『おしまい』
――後世の歴史家は、彼らの軌跡をこう評するかもしれない。
「最も泥臭い撤退戦の果てに、最も華麗な『一生の勝利』を掴み取った陣営」であると。
『無事に打一線から降り、愛する者と共に平穏な日常を笑って生きる』
不器用な魔術師と彼女たちが築き上げたその強固な土台は、やがて次代の怪物を惹きつけ、新たなる熱狂の時代へと繋がっていきました。
ここから先、新時代の怪物たちが繰り広げる歴史的死闘は、また別の歴史の1ページ。異端の陣営、ハイペリオンの物語は、ここでひとつの幕を下ろします。
彼らの手にある温かいコーヒーが、この先もずっと、甘く穏やかなものであることを願って。
そしてなによりも。本来であれば、10話程度で終わる筈だったこの物語。気がつけば、UAは10万を超え、お気に入りも1000超え。多数の評価も頂きまして、いっぱしの作品と言っても過言ではない物語に成っていました。
伸びに伸びた、長きにわたる撤退戦に最後までお付き合いいただいた読者の皆様に、心からの感謝を。
本当にありがとうございました。