上手くいっているって、どういう状態のことだろう。
楽しめていればいいのかな。
頑張ったって言えればいいのかな。
きっとそれだけじゃなくて。
悔しくて、敵わないと感じて、その時また前を向いて走りたいと思える。
それもまた、必要な感情なのだろうけれど。
今はただ、自分のできる精一杯を見てもらいたい。
最高の、舞台を。
できた。唐突な出来事だった。
「うん! 今のよくできてたんじゃない!? よかったよ!」
トレーナーさんは、途中で手をたたくのを忘れていた。それぐらい、見入ってくれていたらしい。『SESSION!』の通し練習の最終盤。最後のポーズで止まった私たちは、肩で息をしながら、お互いの顔を見合った。それから、どちらからともなく、笑いだす。
「「できた!」」
何度やってもうまくいかなかったサビのラスト直前のフレーズ。五人用の振り付けを二人にしたのもあって、大きな振りで交互に、高速にやり取りするこの振り付け。サビまできてやり直し、というのが何度あったか分からないくらいだった。それが、今、やっとそろった。
「レッスンの甲斐、あったね!」
「うん……! よかった……!」
春香ちゃんがこちらに寄ってきて、ぎゅっと抱きしめてくれる。私はそれにまだぎこちない言葉で応える。敬語が抜けきるまでにはきっとまだもう少しかかるだろうけれど、それはもうすぐだ、と思えた。
レッスン室には、私たちと、トレーナーさんの笑い声が、しばらく響いていた。
*
765プロの夏フェスは、各ユニットが一曲ずつ披露する。私たちもその前提でこの『SESSION!』をやってきた。けれど、もちろん、765プロオールスターズの中にも、過去にいくつかユニット活動をしていたグループもあったので、39プロジェクトのデビュー組以外にも、数個のユニットが参戦する。夏フェス、と私たちは呼んでいるが、正式には――
「765プロ 夏の大感謝祭へ、ようこそ! 司会を務めます、事務員の音無小鳥です! 本日はどうぞよろしくお願いします!」
開会宣言が響いて、会場は大きく盛り上がる。去年までは海辺のステージを借りていたらしいが、今年からはこの765プロライブシアターとその敷地内すべてを使って行われる。まだデビューしていない39プロジェクト組は打ち水のイベントや屋台で交流、参加ユニットは広場の大ステージとシアターの大ホール、広場のお祭りステージの三回、同じ曲を披露する。最後に、一人二票のファン投票で最優秀ユニットが決まって、表彰。文字通り、戦いの舞台だ。
だけど。
「琴葉ちゃん、楽しもうね」
「……うん! もちろん!」
目の前の春香ちゃんを見ると、そんなことはどうでもいい気がした。そんなことより、この日をこの気持ちで迎えられたことが、何より嬉しかった。
開会式が終わり、デビューライブと同じ衣装に袖を通すと、緊張が体を走った。外のテントで、メイクさんとスタイリストさんが来て、調整に入る。じりじりと焦がすような暑さがテント内を締め上げるけれど、じっと待つ。鏡の中の自分が、魔法によって変わっていくのを見つめながら。瞼に筆が乗って、リップの膜が煌めく光の重さを私に訴える。隣の春香ちゃんは、結構リラックスしているみたいで、メイクさんやスタイリストさんと談笑しながら、その時を待っていた。やっぱり、すごいや。近づいているつもりでも、まだまだ遠い。それは当然ではあるのだけれど。
「二人とも、そろそろ出られるか?」
プロデューサーが覗きに来た。メイクを終え、その時を待っていた私たちは、顔を見合わせて返事をする。
「「はい!」」
「よし、じゃあ、行こうか!」
*
「広場の大ステージのオープニングを飾ってくれるのは、『RE:FLOW』です!!」
司会の声に合わせて、ステージ裏から飛び出す。
始まる、私たちの、合奏――セッション――
「超えてゆく合図さ、きらめく今!」
春香ちゃんから入る最初のサビ。フレーズの最後に合わせて、私も入っていく。
「流れ出すよ、笑顔の!」
振り付けも丁寧に。流れを作って、二人で対称のポーズで――
「「Miracle SESSION! ここから――!」」
パーン! という音が響いて、前奏。トランペットの踊るメロディーに合わせて、足、腕、指先までそろえる。目の前に広がる大勢のファンのみんな。割れるほどの歓声。そして、団扇やタオルが波のように揺れている。照り付ける太陽が、照明よりも眩しかった。
「進む、一歩目の先!」
私から入って、すぐに春香ちゃんへ――
「どこに! 向かってゆくのかな?」
中央でポーズをとった春香ちゃんが、私へ――
「知っているような、でも初めてな!」「揺れる、期待が――」
「「花開く!」」
二人でセンターを入れ替わりながら、動くところ、止めるところを丁寧に切り替えていく。春香ちゃんと私が、お互いに最後の振り付けで相手へとパスをする。歌もダンスも激しくないこのAメロこそ、笑顔と視線を忘れない。目指すは、一番向こうの、最後列まで。
「目と目が、見つけあって、ハートは――」
「「Jump!」」
春香ちゃんから入るBメロ。ハートのポーズを一緒に作ってから、飛び上がる。歓声が一段と大きくなる。フリルとリボンが、大きく揺れた。
「新しい、夢の予感、まぶしい世界へと!」
「「Let’s Fly!」」
体がふっと軽くなる。観客席の奥の方まで、はっきりと見えた。今、届けるから――
「「超えてゆく合図さ! きらめく今!」」
「キミと駆け抜けてみたい! き・せ・つが呼んでるよ!」
「「重なったら、月にだって――」」
二人、春香ちゃん、二人、と細かく分かれたサビのパート。片足で踏むステップも増えて、ステージ上の立ち位置もそろえて、二人で大きな波を作り出す。そして、サビで最も難しい掛け合い――
「届いちゃう!」「ボイス! ほら!」「笑顔の!」
リズム通りに、ぴったり嵌っていく。春香ちゃんの透明でまっすぐな声を受けて、私も精一杯の明るい声で返す。そこに飛び切りの笑顔を返してくれる。素早く、丁寧な、思いのキャッチボール。真っ白に照り返すステージの上で行きかう声が、ひとつの会話になっていく。だから――
「Miracle SESSION!」「「始めよう!」」
――最高の合奏に、なったよね?
*
ステージを降りる。眩しさに慣れた視界は、ステージ裏の何もかもを、対照的に黒く塗りつぶした。だけど。
「お疲れ様! 二人とも、最高だったぞ!」
最初にちゃんと輪郭が映ったその声は、今まで聞いたどの声よりも明るい、プロデューサーの声だった。
よかった。よし。やり切った。達成感からあふれる言葉が喉を突いてでそうになるけれど、春香ちゃんと顔を見合わせて、それよりも、たった一言だけ。
「「ありがとうございます!」」
*
夏フェスの優勝は叶わなかったけれど、でも、三回のステージ発表を乗り越えた先にあった達成感は、容易く全身を包み込んだ。
「終わっ、たぁ……! 琴葉ちゃん、お疲れ様……!」
「春香ちゃんも、お疲れ様……」
控室に戻って、椅子に座ると、どっと疲れがやってくる。力が抜けて、座っているのすら苦しい。夏の日差しに晒され続け、最後までやり切った。私たち二人の間には、今もうその感覚を共有しているという事実しかなかった。座ったまま天井を見つめる。鼻から吸って、口から吐く。胸が上下して、ゆっくりと落ち着いていく。着替えたばかりのTシャツを、いつものようにパタパタと扇ぐ。
「でも、これで目標も立ったよね?」
「うん……まだ、できること、たくさんあるみたいだから」
「そうだよね! 次こそは――」
「「負けたくない!」」
顔を見合わせる。考えていることが分かる。今日は、これでいい。だけど、スターガールズフェスタでは、負けたくない。自然と笑いがこぼれる。
「勝とうね、絶対!」
「もちろん!」
夕日が控室を染め上げる。その先に、私たちの結ばれた握手がある。ユニットになる、ってきっとこういうことを指すのだろう。ファンのみんなの歓声からもらうものとは違う、もっと優しい勇気が、胸に芽生えた気がした。
*
夏フェスが終わると、世界は少しずつ速度を落とした。
駆け抜けるように過ぎた夏。夏休みに入ると、一層レッスンに力が入った。振り付けやメロディーの確認はもちろん、二人ならどういう風にステージを使うべきか、話し合いながらレッスンを進めた。自主練もすっかり増えた。
そんな夏の終わりのことだった。
「ねえ、琴葉ちゃん、次の土曜日、オフ?」
「うん、今のところは大丈夫だけど……どうかした?」
「今度ね、本屋に連れて行ってほしくて」
「本屋さん?」
*
待ち合わせ。人通りの多い広場の真ん中で待つわけにはいかないので、少し離れた位置で――といっても大都会の中心であることは間違いないけれど――待った。集合時間までは、まだ三十分ある。ちょっと早く来すぎたかな。そう思ったけれど、不思議と嫌な気持ちはしなかった。
おすすめの本を聞きたい、とのことだった。私が演劇部だということを、プロデューサーに聞いたらしい。せっかくだからお芝居のことも、と言ってもらったので、この後本屋に寄ってから、昼からはひとつ映画を見に行くことになっている。敬語を外してなるべくフランクに話すように頑張っているけれど、それでもまだ感じている、春香ちゃんの「大先輩」である感じが胸の奥に残っていて、だからこそ、おすすめを知りたいなんて言われたら、くすぐったかった。
その時。
「お待たせー! ごめんね、ちょっと遅れちゃった!」
春香ちゃんがこちらに走ってくる、と、こけそうになって――止まった。
「だ、大丈夫?」
「大丈夫! それよりごめんね! 遅くなって!」
「ううん、全然! まだ約束の十五分前だよ?」
「でもそれよりも早くいてくれたから! それじゃ、止まってても暑いし、行こう!」
出発進行~! と上機嫌な春香ちゃんは、私の前をずんずん進んでいく。なんだか微笑ましくて、自然に笑っていた。街中のショーケースに反射した自分を見て、その笑顔に気づく。
本屋につくと、さっそく小説のコーナーへ。いくつか最近映画になった物や話題になった物を見繕い、勧める。春香ちゃんは全部買う! と言い出したけれど、それはさすがに重いので、いくつかに絞ってもらった。絞る時、裏表紙に載ったあらすじを眺めながら真剣に悩んでいて、そこにいたのは、普段見る「アイドル天海春香」とは違った、たった一人の高校生の姿だった。
本を買ってウキウキの春香ちゃんを、近くのカフェへ連れ出した。映画までもう少しあるから、とアイスティーをご馳走する。奢りなんてよくないよ! という春香ちゃんを窘めて、しばらく他愛のない会話に興じた。
事務所のこと。仕事で知り合った他のアイドルのこと。オールスターズ組のこと。篠原さんのこと。そして、プロデューサーのこと。
「プロデューサーさんって、琴葉ちゃんと同じ学校だったんだよね?」
「え? どうしてそれを?」
「この前聞いたんだ~! で、学校でのプロデューサーさんって、どんな感じだったの?」
「どんな……うーん」
そう聞かれると、反応に困った。長い付き合いというわけでもない。文化祭の準備の時期である七月から、しばらく。たった半年だけ、春香ちゃんより長いだけだ。それでも、言えることがあるとするなら。
「ずっと見てくれている人だったな。気にしてないふりして、色々」
「あるかも! 普段あんまり練習には顔出さないけど、トレーナーさんには逐一聞いてる、みたいな!」
「そう! そんな感じ」
ちょっと気取ったふりして、だけどいつも気にしてくれるプロデューサーの話で盛り上がる。右手で後頭部を掻く癖や、私たちと目を合わせないところとか。普段のプロデューサーがどんな風なのか、篠原さんとどう違うのか、とか。
「あ、そろそろ時間だね。行こっか」
「うん! 楽しみだなぁ! これ、前から見たかったんだぁ!」
アイスティーのグラスを返して、歩き出す。映画館まで数分。日陰をなるべく通っていくと、真っ暗のおかげか少し涼しく感じた。ポップコーンを買ってから、予約していたチケットを見せて入る。
最近話題の、恋愛小説の映画化。高校生で出会った二人。行事や卒業を乗り越えて、大学生になって、遠距離恋愛になって、だんだん会えなくなって。だけど、疎遠になるその前に、彼は別れを告げて去っていく。残された部屋にあったのは、一通の手紙。病気のこと。家族のこと。もう会えないとなる前に、自分で伝えたかった別れ。手紙に気づいたのは、別れてから二か月。どこにいるかも分からない彼を、彼女は探し始める。最後は――
「車いすに乗った彼、見つかってよかったね……!」
鼻の先まで真っ赤にした春香ちゃんは、映画館から出てくると、ティッシュで目元を拭った。ラストシーンあたりから、ポップコーンを食べる手が止まっているのには気づいていた。
「面白かったね、確かに。女優さんの演技も上手で」
「あぁっ、そういうところまで見られてないよ! ストーリーに見入っちゃってた……!」
「うーん、そうなるってことは、それだけ自然な演技だったってことだし、いいんじゃないかな?」
「うーん、悔しい! また見に来なきゃ!」
泣いたり笑ったり悔しがったり。春香ちゃんの表情がころころと変わるのを見て、私も自然と笑いがこぼれる。
久々のオフ。ちゃんとしたオフ。この時間は、きっと宝物になる。そんなことを思った。
*
「春香」
「あ、篠原さん! お疲れ様です」
「最近琴葉さんとうまくいってるみたいだね。この前の夏フェスもよかったよ」
「ありがとうございます! 優勝までは届かなかったですけどね」
「僕は自分のにも入れたけど、もう一票は『RE:FLOW』に入れたんだけどなぁ」
「あれって事務所の人でも投票していいんですか?」
「もちろん。僕らも観客だからね」
「そうだったんだ……」
「良いコンビネーションだったよ。練習の時とは見違えた」
「練習、見てたんですか?」
「敵情視察は当然だからね。今月デビューのユニットは、僕が担当してるし」
「……千早ちゃんと、静香ちゃんの、ですよね?」
「そう。どうだった? 『アライブファクター』は」
「すごかった……ですね。千早ちゃん、すっごい生き生きしてましたし」
「でしょ? デビュー一発目のライブから、ちゃんと優勝を狙える。そういう強いユニットを作りたかったんだ」
「そう……ですか」
「あ、そうそう。春香と琴葉さんには九月のイベント、任せようと思って頼んであるよ、彼に」
「イベント?」
「プラネタリウムが今度新しく開館するらしいんだけど、それのオープニングセレモニ-の曲を、新曲にしようと思って」
「……ねえ、プロデューサーさん」
「ん?」
「プロデューサーさんは、どうして、私のユニットだけ、今のプロデューサーさんに任せようと思ったんですか?」
「……ノーコメント、ってあり?」
「それなら、そこから考えるだけです」
「そうだなぁ……僕じゃ力不足なんだよ、多分」
「力、不足?」
「うん。多分、もう少し一緒に並んで走れる人が、向いてるんじゃないかって思ったんだ。春香は」
「……そう、ですか」
「春香」
「は、はい」
「僕は、もう君のプロデューサーじゃない。君は君の道があって、僕には僕の道がある。交わらないだけのことだよ」
「……そんな言葉だけで、納得しろ、だなんて、できないですよ」
「それでも、春香には頑張ってもらうしかない。今の状態で、最後まで。だって――」
「多分、ユニット曲としては次が最後で、十一月には春香と琴葉さん、それぞれにソロ曲が来るからね」