無数にあふれる星の中から、見つけてもらえたことが嬉しかった。
燦々と輝く真っ赤な星と、淡く光る緑色の星。
私たちの進む夜空の航路は、どこへ行くのだろう。
そういえば、初めてプロデューサーと過ごした季節も、こんな秋だった。
九月に入ってしばらくして、ふとそんなことを思った。夏が残っていた生徒会室、実行委員会。そこから、秋へと進んでいく。こう思えば、たった一年しか過ぎていないのに、もう随分遠い記憶のような気さえする。時間が過ぎるのは、早い。
レッスンを終えて外に出ると、夜風が気持ちよかった。寒くするほどではない、涼しい風。見上げると、小さい星がいくつか見える。これが東京でなければもっと多く見えるのだろうけれど、私にとってはこれで十分だ。あんまり多いと、どれを見つめていいか分からなくなる。
駅までの歩く道はまだ賑やかで、色んな会話が飛び交う中を、私は少し早く歩く。今日――土曜日の夜、きっと楽しさや希望に満ち溢れているのだろうけれど、私にはそんな明るい夜はない。レッスンで披露した体に、少しだけ鞭をうつ。
その時。
「もしもし?」
『もしもし? 俺だよ。田中さんは、もう帰り道か?』
「はい……って、プロデューサー、まだ残ってたんですか?」
『今天海さんの現場から戻ったところ。戻ってきたら閉まってたから、もしかして、と思って』
「なるほど……遅くまでお疲れ様です」
『田中さんこそね。どう? 新曲』
新曲。つい三日前、プロデューサーと篠原さんから告げられた曲。東京都内に新しく開館するプラネタリウムの、記念イベント用の曲。今回のために作られた曲。
――「Starry Melody」。
星と、憧れと、メロディーと、思い出の軌跡がメインテーマの曲。これを機に、篠原さんは「天体公演」と銘打って、他のユニットへと繋いでいきたいらしい。その一番手を、任された。
「難しいですけど……まだ何とかなってる気がします」
『よかった。田中さんの声が響くのを楽しみにしているよ』
プロデューサーの声は、疲れてはいたけれど、落ち着いていた。そのまま眠ってしまいそうなほど。
「プロデューサーこそ、最近お疲れじゃないですか? 休んでるの見てませんよ」
『俺はいいんだよ。こういうの慣れてるから』
「慣れてるって……もう」
これ以上何を言っても仕方ない、と思うと、自然と言葉が消えた。電話越しなのに、無音が続く。白いノイズが耳に染み込んでくる。
『そういやさ』
「え?」
『去年の今頃だったよな、田中さんが初めて生徒会室に来たの』
「え? ああ……そうですね」
同じことを数分前まで考えていた、なんて言えない。だけど、嬉しかった。
『会長が資料を届けろ、って言ってて……確か会長は不在で、俺が受け取ったんだよな』
「そう、でしたね」
『あれからもう一年か』
「あっという間でしたね」
『ああ、それに、多分これからの一年もあっという間なんだろうな』
「きっと、そうですね」
この一年があっという間だったのは、何かに夢中であり続けたからだ。なら、きっとこれからの一年だって、そうに違いない。
『頑張らなきゃな』
「はい」
静かな決意を、私たちは電話越しに共有する。
これも、きっと幸せの一つだ。そう思った。
*
「ワン・ツー……ワン・ツー……」
「Starry Melody」のレッスンは順調だった。最初はテンポを落として振り付けの確認。「SESSION!」の時のような、静と動がはっきりしている振り付け。でも、もっと手を重視した表現。指先から、腕、肘にかけて、全てが滑らかに動く。各パートで歌う人にスポットライトが当たるため、特にソロパートの交互で成り立っているAメロは、落ち着いた振り付けになっている。Bメロは少しだけステップ。本番では歌っているロングトーンの直前では、息を整えておく。そのまま、サビへ――
「うん、良かったんじゃないかな!」
一番をやりきると、春香ちゃんが駆け寄ってくる。その笑顔に、私も少し安心した。できていたという感覚は、ズレていない。
「うん、私も良かったと思う。次は、歌だね」
私には、まだどうすれば良くて、どうすれば足りなかったかなんて判断はつかないけれど、春香ちゃんの出来具合に対する表情だけは、分かった。
*
「琴葉ちゃん、お届け物です!」
「あ、ありがとうございます!」
春香ちゃんが仕事に向かうことになり、レッスンを終えて控室にいると、青羽さんから声をかけられる。渡されたのは封筒。
「開館前に、是非一度プラネタリウムを見に来てほしい、って館長さんがおっしゃってましたよ!」
封筒を開いてみる。そこには丁寧な鑑文と、招待者用の名札が三つ。
「多分、琴葉ちゃんと春香ちゃん、それにプロデューサーさんの分だと思うけど……」
「そうですね。私から声、かけておきます」
次の仕事があるのか、焦った様子で、じゃあ、と去っていく青羽さん。
「それ、どうしたんだ?」
その後で入ってきたプロデューサーが、私が座っている前の椅子に座った。中身のない封筒を手に取って、どこからか宛名を確認している。
「今度のプラネタリウムから、だそうです。開館前に見てくれた方が、イメージや良さが伝わるんじゃないかって」
「へえ、粋なことをしてくれる館長さんだな。で、それが入場者用の名札か」
「はい」
いつか行かないとな、と呟くプロデューサー。名札を見て、三人分であることを確認している。ちゃんとそれぞれの名前が書かれた名札。プラネタリウムなんていつ以来だろう、なんて楽しそうな声で話す横で、私の思考は止まる。
突然湧き上がった、黒い感情。きっと、こんなことは普段なら許されないけれど、今なら、今ならきっと、大丈夫。ちゃんと埋め合わせはすればいい。普段考えることのない勢いで言い訳が湧いてくる。そう、今なら、今なら大丈夫。
それに、今日行けば、明日のレッスンには、活かせるから。
「プロデューサー……今、春香ちゃんは、お仕事、ですよね?」
「ああ、そうだが」
……だから、許して。
「よければ、今から、行きませんか? ……二人で」
*
「お待ちしておりました。765プロの『RE:FLOW』様ですね」
新しいプラネタリウムは、まだ新品の匂いがした。汚れのない入り口のマット。遠く、高い天井。紺色の背景に佇む星の展示。エントランスから、既に別世界のような感じだった。館長、と名札のついた男性が、受付前で丁寧にお辞儀をした。
「あら、天海様はお越しではありませんでしたか」
「ええ。ちょっと今は別件の仕事なので、先に二人でも見にきておこうと思いまして」
プロデューサーが外行きの笑顔で対応する。私は、その一歩後ろで、影に入るように静かだった。
自分から言い出したことだけれど、こんな風に二人でエントランスをくぐると、否応にも感じる視線。二人で並んで歩いているだけなのに、こんなにも気恥ずかしいのは、初めてだった。
「先に展示を見て回られますか? それとも、プラネタリウムからご覧になりますか?」
「田中さん、どっちにする?」
「わ、私ですか?」
「田中さんが先に来たいって言ってたしさ、決めちゃってくれ」
「……な、なら、先に展示で」
「かしこまりました。プラネタリウムをご鑑賞なさる場合は、受付の者にお伝えください」
「ありがとうございます」
プロデューサーが静かに答えて、足の進む先を変える。
並んで歩く私の踏み出す足は、少し震えていたかもしれない。けれど、一度地に着いたその足は、それ以降震えることはない。並んで進む道。足音が重なって、呼吸も重なって、そこに影が重なっていく。
展示室は、外とは違ってひんやりと涼しく、そして静かだった。壁伝いに、惑星の模型、星座の解説のパネル、恒星の明るさの一覧などが、間接照明に照らされながら並んでいる。昔、科学館で見たものの記憶が引き出される。ただ、今は――
「へえ、土星の輪は氷の粒で出来てるんだ」
こうして隣で見られる、普段とは違う、純粋で子供っぽい顔を焼き付けておきたい。引き出てくる記憶を、奥へ押し込んだ。
「知らなかったんですか?」
「いや、どっかで聞いたことあるかもしれないけど、忘れてたって言う方が近いかもしれない」
「……意外です。この辺りの知識は雑学程度に知ってるよ、って言うものかと」
「田中さんには俺がどう見えてるのか、よく分かったよ」
「そ、そんな、別に嫌味で言ったわけでは……!」
「嘘だよ、分かってる」
一瞬だけこちらを見てふっと笑うと、また視線を展示に戻す。その一瞬に、心臓が一度だけ反応する。普段と同じ距離、のはずなのに。
星座のパネルは、季節ごとに並んでいて、特に夏と冬は大きいパネルだった。見上げるほどのそれを、じっと眺めている、横顔。神話に登場する動物や神々のイラストに、重ねるように置かれている星たち。点と点が結ばれて、線になって意味を成す。横顔をしばらく眺めてから、私もパネルを見上げた。
「星座って、不思議ですね」
不意に口を突いて飛び出た言葉に、自分自身も驚きながらも、そのまま勢いに任せてみる。
「バラバラの星が、繋がれて、意味を持って、こうして語り継がれるんですから」
「そういう意味で言えば、どんな繋ぎ方をするかによって、どんな形にでも、なれるのかもしれないな。星座だって、そのたった一例を示したに過ぎないのかもしれない」
同じ星を見ていても、違う形になるかもしれない。その可能性は、今は飲み込まず、記憶の片隅に置いておく。今は、同じ形を見ていると、信じていたいから。
それから展示を見て回る間、誰もいない真っ暗な通路を、二人で歩くだけのその時間が、心地よくて、嬉しくて、こんな気持ちにさせる人は、きっとこの人だけだと思った。この気持ちは、今、降って湧いた訳じゃない。ずっと前から、ずっと、想い続けてきたもの。
名前がつくまで、もうすぐだった。
同時に、それが黒く塗りつぶされる瞬間が来ることも、分かっていた。
*
エントランスに戻ってきた時、ちょうど館長さんが居て、プラネタリウムの上映をお願いした。奥の通路に通され、間接照明も少ない暗闇の道を抜けると、そこには。
「す、っごい、大きいな……」
がらんとした、巨大なドーム。放射状に並んだ座席と、中心にある巨大な黒い機械。あれが、プラネタリウム。
「私個人といたしましては、こちらの奥の席が見やすいかと存じます」
おすすめの位置を案内されるがままに進み、座る。リクライニングで背中をいっぱいに倒して、寝転んだ姿勢で真上を眺める。背中越しに感じる髪と、その向こうのシートの冷たさ。袖のない肘から先を、手で温めてみる。その指先のすぐ隣には、プロデューサー。
「それでは、始めます」
館長さんの声がして、徐々にドームが暗くなる。空が回るように、東の空から星が現れ始める。東京では見られない、無数の星。その中でも、一際輝くあの星は――
「あれは……アンタレスだな。蠍座の」
「はい」
小さく光る星の集まりだって綺麗だけど、こうして一つ、大きく真っ赤に輝くその星は、視線を吸い込む力を持つ。その星を中心に、夜空が回っているとさえ思う。この広い夜空を回す、赤い星。
かつて狩人で名を上げたオリオンを討った蠍。その輝きは、昔見たそれと変わらず、褪せず、そこにある。
「田中さんって何座だっけ」
「天秤座です」
「あ、じゃああれかな」
指差した先はよく分からなかったけれど、少し見回すと、蠍座の近くに、天秤の絵が線で結ばれている。
「知ってるか? 天秤座の一番上の星は、科学的にはあり得ない、緑色の星なんだ」
「緑色の、星」
「あと、昔は蠍座の一部だと考えていたらしいが、ローマ時代に切り離して考えるようになったそうだ」
「……やっぱり雑学には詳しいんですね」
「バレたか」
にしし、と笑う彼を尻目に、見つめてみる。緑色の、星。
赤色の星。緑色の星。並んである、蠍座と天秤座。緑のその星は、赤のアンタレスに比べれば、随分と暗い。近いからこそ目立ちづらく、気づいてもらうには時間がかかる。
その時。
「なんだか、『RE:FLOW』みたいだよな」
「……はい」
隣の顔を見ると、こちらの意図は知らないまま、無邪気に上だけを見つめている。その表情を確認して、今が暗くてよかった、と心から思った。こんな言葉をもらった今、どんな顔をしているか、私自身も分からなかった。二人で同じ星を見上げている。緑の星を、見つけてもらえる。決して何かが結びつくわけではない。けれど、どんな結びつけ方をしたって構わない。星座は、そういうものだから。
今この瞬間が、長く続けばいいのに。
高鳴る心臓に向かって、両手をそっと胸に置く。掌に伝わる鼓動。いつもより少しうるさく響くそれから溢れ出た気持ちは、もう元の形には戻せない。ほのかに灯った温かい炎。静かで、けれど、消えることのないそれを、ただ、胸の奥でだけ感じる。
――これが、“好き”なんだ。
黒い感情の奥に芽生えたこの気持ちを、今は、ただ両手で包み込んで、蓋をした。
見えてしまいそうな、温かくて、春の予感がするあの翡翠色の瞳を、思い出さないように。
*
「プロデューサーさん! お待たせしました!」
「お疲れ様。悪いな、仕事終わりに呼んでしまって」
「いえいえ! プラネタリウム、行くんですよね? 楽しみにしてたんです!」
「それならよかった」
「琴葉ちゃんは行かないんですか?」
「ん? ああ、実は先に行ってきたんだ」
「え?」
「ちょうど時間が空いてたからさ。あと、田中さんが明日のレッスンにすぐに活かせるんじゃないかって」
「琴葉ちゃんが、ですか?」
「ああ。だから先に見て回ってきたよ」
「あ、ああ……そう、ですか」
「どうかした?」
「い、いえいえ! もうすぐ日が暮れちゃいますから! 早く行きましょう!」