俺は、何をしてたんだっけ。そう思ってしまうぐらい、色が薄れていく日々だった。
一瞬、からっ風が吹き、街路樹を冬の色に染めていく。
あの文化祭から校舎内の熱気はまだ冷めることはなく、とはいえ最高潮からはすっかり落ち着いた、人の温かさが織りなす優しい雰囲気が、クラスや校舎を包んでいた。校門までの道は落ち葉にあふれ、すっかり外気は寒くなった。季節が過ぎるということは、それだけ終わりが近づいているということで。明日の生徒総会をもって前期生徒会である俺たちの仕事は終わる。今期の成果発表の資料をまとめながら、この数週間の熱気と、色を思い出して、ふと、その中心にいる――
「あ、おはようございます」
「ん? ああ、おはよう、田中さん」
そう、この赤毛の少女が頭にちょうど浮かんだところで、校門前できょろきょろと首を振る彼女に出会った。制服姿によく合う赤のタータンチェックのマフラーに手を当てて、あ、と共に漏れた息が少し白くなっていた。
「こんなところで何を?」
「副会長に用があって、ちょうど探してたんです」
「俺?」
「今日、生徒会室にいらっしゃいますか? 今月末まで多目的室を借りたくて、今日申請書出しに行こうかと思ってたんです」
「いるよ。で、多目的室か。演劇部の方で?」
「あ、名目はそうなんですけど……私がちょっと使いたくて」
「ん? まあ……大丈夫だと思う。名目はあるし、田中さんの信頼もあるだろうし」
「ありがとうございます」
校門前で待っていたという彼女は、左に並ぶと俺と同じ歩幅で校門をくぐった。見上げた先に見える空は、ガラスのような色をしていた。
「この前まで、まだ暑かったんですけどね、びっくりしちゃいます」
そんな俺の思考を見透かすように、あはは、と笑いながらそんなことを言う彼女を横目に、はあ、と息を吐いてみる。まだ完全には白くない。
「確かに。文化祭前の体育館、普通に暑かったもんな」
「半袖で事足りてましたもんね、体操服」
「そうそう」
文化祭の日以来、改めて話す機会がなかったのもあり、何を話していいか分からなくなる。後ろめたさからマフラーで口元を隠そうとするが、あいにく俺はマフラーをしていない。しているのは彼女だけだ。
「では、また放課後、生徒会室で」
「ああ、分かった。待ってるよ」
生徒玄関で別れる。俺の横を少し通り過ぎて手を振るその姿が、前よりも眩しく見えた。
*
「失礼します」
生徒会室は珍しく全員集合で、明日に向けた資料作りに奮闘していた。前日までこうして資料作りをするとは、俺たちもまだまだだと思わされる。そんな時にノックが聞こえる。開いた扉の先には。
「演劇部の田中です。多目的室の利用申請書を提出しに来ました」
「ああ、いらっしゃい。副会長から聞いてるよ。僕の方で預かるよ」
「あ、はい、ありがとうございます」
生徒会室PCで資料を作りがてら、横目で彼女をちらりと見る。手渡された書類を見て、会長はふむふむと流し見て、そのまま置くかと思えたが――何か気になったらしい。右の眉がぴくりと動いた。不自然にならないように書類を机の上に置いて、自分の作業に戻りながら口を開く。
「名目は、演劇部の練習場所の臨時的な確保、だけど……演劇部のメインの活動って、文化祭終わったししばらくは脚本とか演出関係だったよね?」
「え? あ、はい……そうですね」
「練習場所増やさなきゃいけないほどなの?」
「ああ、えっと、部活の中で私が動かしている企画が、ちょっと場所が必要で」
「部の中でも色々あるんだねぇ」
「そう、ですね」
歯切れの悪そうな田中さんの表情が、どんどん暗くなる。その辺で、と言いかけたところで、会長はもう一度紙を見て――
「まぁ、どんな理由であれど、名目上通さざるを得ないから、気にしないで」
「あ、りがとうございます」
「んーん。文化祭、いいの見せてもらったしね。また頑張ってね」
「はい」
「じゃ、とりあえずこれは顧問に僕から渡しておくし、今日から使えるようにしておくから」
「ありがとうございます、失礼しました」
いつも通り、綺麗なお辞儀をして扉を閉める彼女を見送る。と同時に、他の後輩たちの息が、ふう、と一斉に吐かれる。会長がその後特大の息を吐いて。
「これで、いいんだよね?」
「ありがとう」
「全く、どこまで入れ込むんだか」
*
「ワン、ツー、ワン、ツー……」
下校時間になり、生徒玄関まで下りる廊下で、ふと多目的室の前を通った。まだ電気がついていて、中からはうっすらと彼女の声。扉についた窓からちらと中を覗くと、彼女はリズムをとりながらステップを踏んでいる。
「あ、えっと……あれ、ここどうだったっけ……」
携帯の音楽を止めてしゃがみ込むと、ダンスの動画らしい何かをじっと見つめている。あんまり邪魔しても駄目だ。何も見なかったことにして、足音を殺して立ち去る。
階段を下り、生徒玄関で靴を履き替えると、空はすっかり真っ黒になっていた。手が寒い。玄関の扉を細く開け、なるべく外の空気が中に入らないようにしながら外に出る。そのまま購買の自販機のほうへ足を向けた。財布を取り出して……あ、札しかない。仕方なく、千円札を飲み込ませ、ホットの文字を確認してから、ココアに手を伸ばした。手を温めてから、プルタブを引いて、ひとくち。去年、この時期にアイスとホットを見間違えてココアを買ったことを思い出しながら、あれからもう一年か、と息を吐いた。ココアと体の熱気を帯びた白い息がふわっと外へ押し出される。
その時。白い息の流れが一瞬乱れる。
「あれ、副会長?」
自販機の影――校舎側の廊下――から見えたのは、さっきの田中さんだった。白地に赤いラインのジャージ姿で、髪を後ろで結んでいる。そこにいるはずのない人がいるといった具合に、大きな丸い瞳がこちらを見ていた。
「どうしたんです? こんな時間に」
「さっき明日の総会の資料ができたから帰るところだよ。ただ寒くてね」
「ああ……すっかり日も暮れましたもんね。ちょっと冷えますね」
「田中さんこそ、ここで何を?」
「スポーツドリンクを買いに。ちょっと汗かいちゃったので」
「多目的室でしてた、あれ?」
「あ、見てましたか……?」
「いや、降りてくるときにまだ電気ついてるなって思ったから、てっきり田中さんかと」
「そう、ですか」
「あ、スポドリだっけ」
「そうでした。えへへ」
和風な柄のがま口から、きっちり百六十円を取り出して、迷いもなくペットボトルのそれに手を伸ばした。
「すいませんでした、多目的室の件」
「え?」
「先に会長さんに話通してくれてたんですよね、多分、ですけど」
「ああ……気にしないで。田中さんのことだから何もしなくてもすぐ申請ぐらい通っただろうけど」
「いえ、目的の書き方が曖昧だったので……隠すみたいになってすいません」
「謝らないでよ。勝手にしただけだから」
スポーツドリンクを両手で持ちながら、深々と頭を下げる彼女に、俺のほうがなんだか申し訳ない気持ちが沸々と湧いてきた。ココアを持った手で、横に小さく振って、大丈夫、と伝える。
「でもさ」
「はい」
しかし、ここまで話してくれたのだから、聞かないわけにはいかないだろう。据え膳食わぬはなんとやら、だ。
「実際は何のために?」
「あー……えっと」
ただ、この言い出しづらい雰囲気を見て、その判断は、もしかすると間違っていたのかもしれない、と疑念を植え付けていく。
「私、アイドルのオーディション、受けようって思って」
*
「生徒総会、お疲れ様でした」
「ありがとう」
総会が終わったその日も、自販機横のブロックに腰かけてココアを飲んでいると、ジャージ姿の田中さんが、今度は不意に、ではなく、待っていたかのように顔を出す。昨日と同じスポーツドリンクを買って、俺の横にちょこんと腰かけた。
「なんだかんだ、早い半年だったな」
「去年も役員されていましたよね?」
「ああ……てっきり繰り返しだからもっとゆっくり過ぎるもんだと思ってたんだけどな」
「そんなことないんじゃないですか?」
「え?」
「繰り返しは確かに退屈かもしれないけど……その繰り返しの中に、たまに違うことってあるじゃないですか?」
「それを、楽しめてたかな」
「のかもしれないですね」
俺の隣でこっちを見て「えへへ」と笑うその顔が、頭の中を一瞬真っ白に染める。が、次の瞬間には手袋とココアの間から入ってくる冷気がまた染め上げて、ココアの湯気を含んだ白い息を吐き出させる。
「そういえば」
「ん?」
「これで副会長ではなくなっちゃいましたね」
またちらりと隣を見ると、今度はこちらを見るでもなく、鈍色の空を見つめていた。あまり長い間見つめるのも変だと思い、俺も空へ視線を戻す。
「そうか……そういやそうだな」
「これからはただの先輩、ですね?」
「そうなるな」
「巡回のお仕事もない、ですよね?」
「ん? ああ……そうだな」
声色がいつもと違う。真面目さの中にある甘さと狡さが、声から心臓へ染みてくる。また彼女を見る。今度は、目が合う。
「じゃあ……お仕事じゃなくていいので、練習、見に来てくれませんか?」
「オーディションの?」
「もし先輩のお時間があれば、でいいんですけど」
「俺でいいのか? そんなの」
「ロミオとジュリエットの時の、あれが欲しいんです」
体をずいとこちらに向けた彼女の声は、また違っていて。それは、熱と熱気と、強さに満ちていて。
そんな風に言われたのが、あまりにも驚きで、初めてで、返す言葉が見当たらなくて。出てきた言葉を適切な表現に変換するいつもの手順すらすっ飛ばして。
「分かった」
ただそう答えた時には、いつもの声と表情で、「ありがとうございます」と言う彼女が目の前にただ座っていた。ココアを飲んだ。吐息は温かかった。
*
総会から二週間がたった。二学期末のテストが近づき、校内は少し暗い雰囲気に包まれている。日が落ちるのは早く、十六時を過ぎれば、もうすっかり薄暗くなる。足元から寒さがじわりと忍び込んでくるような、そんな季節の変わり目を感じる。それは、もちろんこの多目的室の中にも。
俺が多目的室に通うのも、いつの間にか日課になっていた。放課後になると自然と足が向く。生徒会の仕事が終わって、することもなくて、でもそれだけが理由じゃない気がして。ただ、そんな考えも俺自身が多目的室のドアをノックする音で切り替わる。
「どうぞ」
扉を開けると、ジャージ姿の田中さんが携帯を片手に振り付けを確認していた。俺が入ってきたことに気づくと、少し照れたように笑う。
「お疲れさん」
「お疲れ様です。じゃあ、始めますね」
俺が来たのを合図に、こうして練習が始まる。
十一月末に、動画審査があるとのことだった。指示された楽曲で、ダンスを録画して、それを送るとのことらしい。オーディションと言えば、なんとなく、年配のおじさんおばさんの前で何かパフォーマンスをするものだと思っていた俺は、自分の考えが想像以上に古いもので止まっていたのだと驚いた。
田中さんが携帯からデモ音源を流す。それに合わせて、ゆっくりと指先が伸びて、滑らかに線を描きながら振り付けを丁寧に確認していく。サビに近づくにつれて、テンポが上がって、表情が少しずつ険しくなる。ステップを踏むシューズと床の擦れる音。細かく刻まれる呼吸。口ずさむ歌詞。それら全てが多目的室の中に響いている。
一曲が終わる。次第に険しい表情がまた少しずつ柔らかいものに戻っていく。
「はっ……はっ……ふぅ……ちょっと、休憩にします」
「いいんじゃない? よく踊れてたと思うけど」
「息切れするようじゃ……もっと表現に余裕を持たせられないと」
「確かに、それもそうか」
「もう少し腕をコンパクトに……ああ、でも、それだと全体が小さく見えそう……」
「なかなか難しいんだな」
「先輩なら、この部分どうしたらいいと思いますか?」
「そうだな……もっと滑らかにしたらいいと思うけどな、俺は」
「滑らかに、ですか? でもここはもっとキレのいい動きが必要だと思うんですけど……」
「うん、だから逆なんじゃないかな。そりゃ何人かと合わせるなら同じ雰囲気にすべきだけど、田中さんはもっとしなやかで滑らかな方が似合うよ」
「な、なるほど……じゃあ、振り付けで見直すなら……」
汗を拭いながら、携帯でもう一度、手本の振り付けと歌っている様子を確認する田中さん。ああでもない、こうでもないと、小声で呟きながら、携帯を持たない左手が自然と動いている。
「よし、じゃあもう一回、いきます」
立ち上がる彼女の姿が、ジュリエットに重なる。多目的室の床に座り込む俺の目から見た彼女は、すっかり主人公そのものだった。
*
「一次審査、通りました!」
テスト明けの放課後。多目的室。電気がついていたのでノックして扉を開くと、ぱっと振り向いて笑顔で田中さんはそう告げた。踊りについてはとりあえずクリア、ということらしい。
「おお、おめでとう」
「ダンスは苦手だったので、通ってよかったです……今日テストの間もずっと気になっちゃって」
「よかったよ。努力が報われたみたいでさ」
「先輩が見てくださったおかげです」
「俺は何もしてないけどな……ジュリエットの時以上に」
「毎日一人で練習するのは、きっと寂しかったと思うので」
あはは、と困ったように、眉を八の字にして笑う彼女を見て、また頭の中が白くて何か分からない感情で埋まっていく。一瞬、そんな気持ちがして、理性がそれを何とか元へと押しとどめてくれる。
「テストのほうは大丈夫なのか?」
「とりあえずは……大きく落としすぎてはない……と思いたいですね。両親も納得してのことなので、今すぐ何か言われるとかはないと思います」
「ならいいんだけど。でもまぁ、とにかく、おめでとう」
「ありがとうございます!」
「あれ、じゃあこれで多目的室での練習はおしまい?」
「いえ、まだ二次審査での歌唱テストがあるので、明日からもしばらくはここで」
「冬休み入るけど?」
「そうなったら……外で練習するかな……カラオケボックスとかに通うと思います」
「なるほど」
ふと、そうなったら寂しくなるな、と思った自分がいた。確かに、生徒会の仕事がなくなってから、放課後に何かをするというのがこれ以外になかった。
「じゃあ……あの、練習のために、着替えたいので……」
「ああ、ごめん、出ておく」
一歩前へ進む彼女を見て、どこか疎外感のようなものを感じた。多目的室の扉の窓はカーテンでぴしゃりと閉じられる。廊下はすっかり冬の寒さだった。
*
「で、お前は進路どうするのよ」
次の日。なんだか多目的室に行くのが憚られたのもあって、教室から寄り道せず校門まで出ると、会長――今となっては元会長だが、こういう役職は大抵いつまでもあだ名になったりする――に出くわした。並んで帰るのも久々だなと思った矢先のことだった。
「とりあえず共通受けるんでしょ?」
「まあ……そのつもりだが。会長は?」
「僕もだよ。問題はそのあとだよ。国公立? 私立?」
「とりあえず国公立のつもりで受けるけど……あんまりどこっていう目ぼしいところもないな」
「そうなんだ。なんか、てっきりお前ならどこどこ、って決めてそうなもんだと思ったから聞いたんだけどな」
「会長こそ、今の今までそんな話出たことなかったから、てっきり決めてるもんかと」
「僕はもう決めてるよ。都立の公立大」
「へえ」
なんだかどこか自分とは関係のない話のように思えて、上滑りしたような返事をしてしまう。冷たい風が、一瞬顔を撫でるように吹いた。あっと思った時には、既に遅い。こういうのを、こいつは見逃さない。
「なんだよ。行く気ないの?」
「んー……なんだかよく分かんなくてさ。進学とか、進路とか」
「おいおい、そんなんじゃ勉強に身も入らないんじゃない? テスト大丈夫?」
「テストはまあ、いつも通り」
「お前そういうところ抜けないもんなぁ……羨ましいよ逆に」
「なんだそれ」
「目的意識なくして努力とかできないって話。……努力って話でいえば、田中さんはどうなの? 最近」
「ん? 田中さん?」
「見に行ってるんでしょ、多目的室。何回か見たよ」
「ああ……なんか新しいことに向けてチャレンジしたいんだと」
「はーっ、それを見習ってほしいね、お前にも」
「なんだよ」
やれやれと言わんばかりに、両手を空に向けて首を振る会長を横目に、ちらりと見えた空に浮かぶ鈍色の雲に視線を奪われる。高校三年の、十二月。期末テストも終わり、空がすっかり白くなったと思ったら、いつの間にかやってくる年の瀬。自分も決断の時が来ているのかもしれない。なんて、思いたくもない現実に引き戻されるこの感覚は、夢から覚ます冷や水のように感じられた。
*
「おはよう」
「あ、おはようございます、先輩」
十二月の寒さはすっかり景色の中に溶け込んでいて。校門の前でこうして会うのも、もう日常のひとつになりつつあった。声をかけて、並んで歩く校舎までの道。曇った空と乾いた空気に染まった灰色の景色の中、赤毛とチェックのマフラーが揺れる。
「昨日は来てくれませんでしたけど……何かありましたか?」
「ん? ああ……会長と帰る約束してて。ごめん、何も言わなかったな、俺」
「いえいえ、そういうことならいいんです。むしろこちらからお願いしてることなので」
それからぴたっと会話が止まる。この日の朝は、音が凍ってしまうような静けさがあって。その静けさの上に、せかせかとアスファルトに弾む足音が重なっていく。
「そういやさ」
「はい?」
「どうして、アイドルに?」
沈黙の冷たさが体の芯を震えさせてしまいそうで、何か口にしなければ、と思った時には、そんなことを訊いていた。
「あれ、お伝えしてませんでしたっけ」
「総会の前の日の時は、オーディション受けるって話だけ」
「あ、そうでしたか……すいません」
左隣の田中さんはこっちを見て困ったように笑ってから、顔を正面に戻してゆっくりと零す。
「文化祭の日の、765プロさんのゲリラライブ、ありましたよね」
「田中さんのジュリエットの直前の?」
「はい。あの時、友達がそれを見てたみたいで、『琴葉もオーディション受けてみたら?』って、チラシを持ってきてくれたんです。その時は私、ジュリエットのことで頭が一杯だったんですけど……」
吐息がすっかり白くなっている。田中さんの声は、徐々に熱が籠っていく。あのジュリエットの時のように。俺は黙って、自分の分の息を飲み込んだ。
「終わってみて、友達のスマホで見たそのライブは、演劇でも、ドラマでもなくて……温かくて、輝いていて。チラシには、『ありのままの自分で』って書いてあって。そんな人に、もしかしたらなれるのかもしれない、って思って、気づいたら書類審査に応募してました」
変ですよね、って言いながらも、自信にあふれた声でこちらを見て、また困ったように笑った彼女は、強くて、眩しかった。
「あ、じゃあ私、こっちなので」
「あ、ああ……また放課後」
「はい、今日から歌なので……ちょっと恥ずかしいですけど、来てくださいね」
生徒玄関を抜け、中央階段前で別れる。もっと訊きたいことが沸き上がっていた所だったのに。彼女の持っていた熱が大きくて、階段を上っていく彼女を見つめながら、彼女と俺の間を吹く風が体温を奪っていく。
ああ、そうか。俺は、おれは、そんな風に前を向ける彼女の強さが――
羨ましかった、のかもしれない。
*