自分が何かすら分からないのに、そんなことを考えたこともなかった。
けれど、似合う色があると言ってくれるなら。
その色を背負って、私は羽ばたいてみたい。
「――というわけで、二人のユニットとしてのデビュー曲は『Thank You!』になる」
控室。ユニット発表から練習を始めて一週間。しばらくは見ていただけのプロデューサーが、私たちを呼び出した。そこには、篠原さんもいた。
「田中さんがいる39プロジェクトの面々が、ユニットデビューする時はこの曲で、先の二組もこれなんだ」
「歌い継いでいく、みたいなイメージでいいと思うよ」
プロデューサーの説明に、篠原さんが補足する。それに――
「デビュー! 最初のデビューの時はすっごく緊張したなぁ……!」
春香さんの声が重なって、はっとさせられる。
「確かに、春香にとってはソロデビューもあったから、二回目か」
「先輩に、私のデビューに合わせてもらって大丈夫なんでしょうか」
「そもそもそういうプロデュース方針だから、気にしないでいいよ」
「そうそう、それに、あんまりいっぱい楽曲つくるってなると、お金的にも厳しいしね」
最後のはほんの小さな理由に過ぎないけどね、と篠原さんは言う。
デビュー。頭の中で、たった四文字が、ぐるぐると踊っている。
春香さんの隣でやってみて、自分の無力さがよく分かる。練習してきたことをただやればいいというものではない。本番は、練習以上のことを平然と求められる。だからこそ、この、今隣に座っている「トップアイドル」という存在は、すごいんだ。
そんな人と、同じ舞台に立つ。同じグループで動く。同じ曲を歌う。
「それと、歌い継いでいく曲だから、ただのデビュー曲にしたくないのもある」
プロデューサーが思考の隙間に、一言差し込んでくる。
「これは結局一人で歌う曲じゃないから。だから、きっと歌うほど馴染む曲になるんじゃないかな」
楽曲資料とCDを渡される。歌詞と背景と、音源。物の軽さに対して、気持ちは重かった。
「ああ、最後に彼が言い忘れてるみたいだから補足するけどね」
篠原さんも同じ資料を持っていたらしく、両端を整えてから口を開いた。
「ユニット名、二人で考えてほしいんだ」
「二人で、ですか?」
「ああ、前の二組もそうしてるんだ。君たちが、君たちの名前で出ていくことに意味があると思うんだよね、僕は」
「ああ、すいません。……ということで、二人には、頼むよ。できれば……デビューライブが来月の頭だから、準備もあるし、あと二週間ぐらいで」
二週間。学校で過ごすそれとは違う、圧倒的に短い時間。その早さに、胸のあたりが締まる思いがした。何もかもが、始まっていく。私の意思とは、関係なく。
「琴葉ちゃん」
「は、はい」
「頑張ろうね!」
私の思いは外には出ないけれど、呼びかけてくれた春香さんの声は、どこまでも明るく、透明だった。
*
デビューに向けた日々は、嵐だった。
レッスンは相変わらず私を置いて続いていく。春香さんが一度で掴む振りを、私は十回じゃ収まらないぐらい繰り返しても体に馴染まない。歌も、まだメロディーすら曖昧で、音程の細かいところは分からないまま歌っている。
食らいつくのに精いっぱいだった、と言えば、苦難の道を乗り越えたように聞こえるかもしれない。だけど、実際はただ飛んでも越えられないハードルの前で飛び跳ねていた、ぐらいの感覚だったと思う。
ただ、そんな中でも続けられたことは、素直に褒めたい。私はまだ、それでも必要とされているから。それだけで、頑張れた。
だって。
「田中さん」
「はい」
「今日のレッスンだけど、よかったって講師の方が言ってたよ。よかったじゃん」
「ありがとうございます。でも、まだまだなので、頑張らないと」
「あんまり無理しちゃ駄目だぞ。体が資本なんだから」
隣で隈を作っているプロデューサーがいるのに、私が頑張らない訳にはいかないから。
「琴葉ちゃん、今日よかったよ~! だいぶメロディーつかめてきたよね!」
「メロディーの方はなんとか……歌詞はまだ全然なんですけど」
「全然いいよ~! まだ始めたばっかりだからね! 自主練していく?」
「はい、お願いします」
春香さん――まだ呼びなれないため――は、こうして毎日声をかけてくれて、仕事の合間で練習に付き合ってくれる。振り付けも、歌も、いつも一緒だった。
そんな日が、たぶん一週間ぐらい続いた日だった。
「衣装合わせなんだけど、ちょっと困っててな」
プロデューサーがレッスン後の私たちを呼び止めた。両手にいろんな資料を持っていたので、一旦控室で話をしようとなって、移動する。春香さんは、わぁ、と花が咲いたような笑顔になって、プロデューサーのあとをついていく。
「で、これが一応もらった資料なんだけど」
「白色、ですか?」
「いや、問題はそこでさ。衣装の色が決まらないんだよ。なんせ、天海さんは赤って決まってるけど、田中さんの色がまだないから」
「イメージカラー! 確かに琴葉ちゃんのは決めてなかったですね」
「で、聞こうと思ってさ。サンプル持ってきたんだ。何色がいいか」
「琴葉ちゃんは何色が好きなの?」
資料の上で、ぽんぽんと弾むように進む会話。置いて行かれたように、私は「え?」と聞き返す。
「何色が似合うだろうか」
「ピンク、とかもきっと似合うと思うんですけど、そういう派手派手な感じじゃないですよね?」
「もう少し落ち着いた、理知的な色がいいんじゃないかな」
聞き返すのに止まらない。二人とも真剣そのものの表情で、サンプルと私を交互に見比べながら、私の衣装と色について考えている。自分のことのように。
「それなら、緑とかどうだろう?」
「緑! いいと思います! あ、でも明るい緑は律子さんのだから……深緑とかどうでしょう?」
「こっちの色か。うーん、ちょっと落ち着きすぎている気がするな。田中さんは、こう、もう少しクールで、芯を持っていて、かっこいい感じもあるからさ、こっちの、そうだな、青緑……とかのほうがいいのかと思ってるんだが……」
「そうなんですか?」
そうなの? と私も聞き返しそうになるのを、ぐっと飲み込んだ。
プロデューサーが、他の人に、私をそう語っているのを見るのは、初めてだった。
驚いた。私を、そんな風に見ているなんて。気にも留められていないと思っていた。ただの知り合いの少女ぐらいの認識でいるんじゃないかと思っていた。オーディション前の練習で、鬱陶しがられていると思っていた。
だけど。
「田中さんは、どっちがいい? 青緑と深緑」
そんな声で聴かれたら、答えるべきは決まっている。
「それなら、青緑が、いいです」
*
「初めての仕事が来た。インタビューだ。デビュー用の記事らしい」
それからまた数日たって、土曜日。どんどん暑くなる毎日に、汗の量も日に日に増える。午前の練習が終わり、タオルで拭いながら控室に戻ると、資料をもったプロデューサーが私たちに声をかけた。今度はこの前よりもう少し少ない資料だった。
「これ、読んでおいてくれ。質問内容が書いてある。ざっくりしかないが」
「担当は善澤さんですか?」
「ああ、うちが懇意にしている方と聞いているが、多分そうだろう」
「なるほど……あ、私のデビューの時と同じ事聞いてる」
「そういう鉄板もあるだろうな。田中さんは何か気になるところないか?」
「私は……そうですね、最後の、ここ」
「ああ……そうなんだよ、ユニット名。その由来を聞くつもりらしいんだ。まだ決めてないよな?」
「ええ……話は進んでないです」
「どうしようかなぁって思ってはいるんですけど……私も決めたことなくて」
「みんな初めてだから、難しいのは分かるけど、思いの伝わるものにしたいな。名前だから」
「思いの、伝わるもの」
「ああ、インタビューまでに、頼んだぞ」
二人に資料を手渡すと、「今日はちょっと急いでるから、先に出る。すまない!」と叫んで、プロデューサーは控室を去っていく。
「……どうしましょう」
「うーん、難しいよね。でも決めなきゃいけないから……私は一旦律子さんに聞いてみようかな。竜宮小町、どういう意図で付けた、とかから、何か分かるかもしれないし」
「私も、ちょっと調べてみます」
「うん、そうしよう。じゃあ、とりあえず私は午後のお仕事、行ってくるね」
「はい、いってらっしゃい」
*
二週間と言っていた期限は、あっという間に来た。それも、インタビューという初めてのお仕事が、締め切りとして立ちはだかる形で。
「じゃあ、今日はよろしくね」
「「よろしくお願いします!」」
「春香ちゃんは、久しぶり」
「お久しぶりです、善澤さん」
「まぁ、今日はこれがデビューだってことで、高木からも聞いているから、いつもよりももう少し気を楽に、普段の二人の姿が取材できれば嬉しい。琴葉ちゃんも、いいかな?」
「はい、よろしくお願いします」
小さいスタジオ。春香さんと二人で並んで座る。モデルの撮影みたいな機材ばかりに囲まれて、普段の姿、なんて言われても、難しい。今日来ている服だって、私服でいいとは言われたけれど、メディアに出る以上は、衣装だ。何もかも、「普段」じゃない。
「さて、新しくユニットを組んで、春香ちゃんにとっては再デビュー、琴葉ちゃんにとっては初めてのデビューってことになるけど、今の心境は?」
「とっても楽しみです! なにせ、先輩、ですから! こうやって一緒に活動するのも初めてなので、緊張もありますけど楽しみです!」
「私も、緊張はしていますけど、できる限り、頑張ります」
「うんうん……まぁ緊張するよね、だっていろんな人に見られる仕事だからね、アイドルは」
ペンを走らせながら頷き、穏やかな笑顔を浮かべる善澤さん。書ききって、メモを一枚捲る。
「じゃあ、アイドルとして、どんなアイドルになりたい、とかはどうかな。二人にとって、でもいいし、それぞれでも」
「二人にとって、っていうのはまだないですけど、でも私はいつも見てくれるファンのみんなに届くよう、これまでも、これからも頑張ります!」
「私は……――」
掠れて出た声が、止まる。答えに詰まる。事前に渡されていた質問なのに。メディアのいろんなカメラを前に、答えがうまく出てこない。何を答えようとしていたのか。出てこない。
「琴葉ちゃんはさ、どういうステージにしたい?」
「どういう、ステージ」
「そう、見に来てくれたお客さんがいっぱいいて、みんなが見てくれてる前で、どんなステージを見せたいのかな、って」
春香さんの声が、脳内でステージを作り出す。目いっぱいの人。応援の声。そして、今を必死に生きている人たち。あのゲリラライブのような、あの、ゲリラライブにいた私のような。
「私は……自分は、自分でいいんだって、どんな自分でも、そこにいることが大事なんだって、そんな風に思える、ありのままの自分を見てもらえるような、ステージにしたいです」
「うんうん! いいね、ありのままの自分。大事なことだよ。作るよりも難しいことだ。いいんじゃないかな」
口を突いて出た言葉の存在に気づいたのは、善澤さんの笑顔と声が届いてから、数秒後のことだった。詰まっていた血流が、一気に流れ出る感覚が全身を包む。熱っぽくなる。
それから、しばらく知らされていた質問が続いた。徐々に冷めていく。答えは決まっている。あとは、どう伝えるか。それだけを考えるだけでよかった。
ただ。
「さて、じゃあ最後に。ユニット名だけど。どう? 決まった?」
「いえ、それがまだで……えへへ」
「困ったなぁ、雑誌のサブタイトルに載せる予定なんだけどな」
「そんな……」
「どうしよう、琴葉ちゃん」
「ど、どうしよう、と言われましても……」
流れで考えよう、なんて春香さんに直前に言われた私には、何の考えもない。ただ、必死に、覚えていることを、正しく伝えることだけを意識していただけ。
だけど、この目は、春香さんの目は、私に決めろと言わんばかりの瞳だった。
「いっぱい話したけど、決まらなかったよね」
「え? は、はい」
「色々聞いて回ったけど、分からなくなっちゃったよね」
「……はい」
「なら、琴葉ちゃんの今の気持ちを、名前にしちゃおうよ」
今の、気持ち。
「今……これから、デビューするってなって、どんな気持ち?」
何者になりたいかさえ分からない私に、何の気持ちがあるんだろう。
デビューが決まった時。……嬉しかった。やっと選ばれたんだって。焦りが安心に変わった。そこで――あの人が、プロデューサーになった。戸惑いもあった。だけど、前に進むって決めた。春香さんの再デビューに合わせて、一緒にデビューするって決めた。目の前のことをただこなしていただけかもしれないけれど、まだデビューなんて実感は湧かないけれど。
ただ、こんな風に、何にもない私に、こんなに期待のまなざしを向けてくれるなら。
私が、このユニットでできることは、ひとつだ。
「春香、ちゃんの、再デビューですから。春香ちゃんは、私にいつも元気をくれて、アイドルになりたい、その気持ちの背中を押してくれるんです。私も、そんな、アイドルのグループの一員でありたいんです」
溢れ出る言葉を、止めないように、ゆっくりと置いていく。
春香さん――春香ちゃん、の、力になりたいから。あの日、踏み出せなかったゲリラライブも、オーディションの日も、いつも元気をもらってばかりだから。今度は、そんなアイドルになりたい。
溢れ出る気持ちを、止めないように。憧れの進む道を、遮らないように。真っすぐに、共に。みんなの背中を押し出して、流れ出ていくように。
「背中を押す、なら、『Flow』はどうだろう?」
「『Flow』……なら、春香ちゃんの再デビューですから――」
「『RE:FLOW』、なんて、どうでしょうか」
「『RE:FLOW』……かぁ、いいんじゃないか?」
「……うん、うん! それで、いこうよ」
「気持ちが籠った、いいユニット名なんじゃないかな。助かったよ、琴葉ちゃん」
二人の笑顔が視界に映って、安心の息が一息漏れた。よかった。とりあえず、そんな安直な感想が飛び出す。
私が、アイドルになって、初めて自分で決めた。“選んだ”じゃなく、決めたんだ。その達成感と、春香ちゃんと善澤さんの笑顔と、そしてこれをきっと遠目に見ているだろうプロデューサー。その温かさが、滲んだ。
*
「あ、プロデューサーさん」
「ん? ああ、天海さんか。お疲れ様」
「お疲れ様です。あ、それ、衣装のデザインですか?」
「そうそう、色が決まったから、送られてきたんだよ。赤と青緑だから、若干クリスマスっぽい感じになるけど、いい感じだなって」
「いいですね! あ、ここのフリルも可愛い! 楽しみだなぁ、初ライブ!」
「そう言ってもらえてよかったよ。……で、何か用があったんじゃないのか?」
「ああっ、そうでした! インタビュー、無事に終わって、琴葉ちゃんは帰りましたよ」
「よかった。途中からどうしても席を外さないといけなかったから最後まで見られなかったんだけど……上手くいったかな」
「もちろん! 琴葉ちゃんも頑張ってましたから」
「……急に振ったけど、大丈夫だったのか?」
「はい、ユニット名、琴葉ちゃんなりに考えていたみたいだったので」
「多分そんなことないと思うんだけどな、と思っていたんだけど……ちゃんと決めたんだな」
「琴葉ちゃんは、まだ、デビューですから」
「ん? そう、だな?」
「初めてで分からなくても、大丈夫なんです」
「うん……そういう時のために、天海さんや俺がいるからな」
「それもそうなんですけど……初めてだからこそ、助けてもらえるし、支えてもらえることもいっぱいあるんです。だから、出発ぐらいは、自分で決めてほしい。これは……私のわがままなんです」
「……なるほど」
「琴葉ちゃんは、まだ自分の考えを表現するのに、抵抗があるみたいですけど、きっと芯は強いですから。……ですよね?」
「そうだな。……うん、そうだよ」
「……」
「……」
「……プロデューサーさん」
「どうかした?」
「琴葉ちゃんとプロデューサーさんって、どういう関係なんですか?」
「どういうって言われても、アイドルとプロデューサー……っていうのでは、ないんだよな、多分」
「そう、ですね。そういうのじゃなくてってことです」
「うーん、本人のいないところで何と言っていいのか分からないけど」
「はい」
「ただ、同じ学校の、先輩と後輩だった、ってだけだよ」
「先輩と、後輩、ですか」
「ああ、面識はあったけど、深くはない、って感じ」
「なるほど」
「知りたかったことって、これ?」
「あ、はい。そうです」
「満足いく答えだったかな」
「半分、って感じでしょうか」
「厳しいな。トップアイドルは。……そんなに変だったかな、俺とあの子の関わり方」
「関わり方というか、距離感? が変だなって」
「そうなのかぁ。それ、篠原さんにも前言われたよ」
「やっぱりそうなんだ」
「やっぱりってどういう意味? それぐらいはっきりわかるってこと?」
「いや……やっぱり同じこと考えてるんだなって。あの人、そういう所ありますよね。人のことを勝手に観察して分析してる、みたいな」
「ああ……確かに。いつ見られてるか分からない感じだよな」
「良いように言えば、いつだって見てくれているんですけどね」
「随分とポジティブな解釈だ」
「一年一緒にやってきましたから」
「なるほどな、俺よりも篠原さんについては詳しいってわけだ」
「そういうことです。……じゃあ、お先に出ますね」
「ああ、気を付けてな」
「はい、お疲れ様でした」
「やっぱり、私には、染みついてるんだ。同じ目が」