今まで見るだけだったその光が、今、自分から放たれている。
夢は、夢のまま、終わらない。
どこまでも伸びていく。この輝きと、歌声と共に。
鏡の中に、知らない女の子がいる。
青緑をベースとした生地に、白のライン、フリル。所々に赤いアクセサリーが光っている。そして胸元に大きく、赤いリボン。髪にも小さなリボンがひとつ。瞼に色が乗り、唇は光を反射するぐらいの輝きを手に入れる。
メイクさんが手を離した瞬間、それは現実になる。
私の顔をした、私じゃない女の子が、そこにいる。
「はい、完成。琴葉ちゃん、やっぱりすっごく可愛い!」
そう言われても、何と返していいか分からない。ただ、「ありがとうございます」と首も動かさずに答えるので精いっぱいだった。目の前の自分から、視線を外せない。
あっという間に過ぎた時間。学校と、レッスン。取材と、打ち合わせ。息が詰まるぐらいの忙しさと楽しさの繰り返しで、気づけば、こうしてフィッティングルームに座っていた。今日は、765プロライブシアターができて、39プロジェクトが始まって、三回目となる定期公演。月に一度行われているこの舞台で、765プロは既に四月・五月で二組をデビューさせていた。
ステージを思い出す。最終面接の場所。私の道が、始まった場所。今日、ここで初めてお披露目になる。これが、デビューなんだ。デビュー。慣れなかった四文字は、いつの間にか頭の中にこびりついていた。
立ち上がってみる。衣装の生地は思っていたよりもずっと軽くて、けれど不思議と背筋の伸びる思いがした。スカートの裾には見たことないぐらい細かくレースがあしらわれていて、歩くたびに音が鳴るぐらい華麗に揺れている。指先の白いネイル、足元の青緑のパンプス。白く輝くニーソックス。全てが自分のものでないような、そんな感覚を全身が訴えていた。
フィッティングルームから控室に戻ると、そんな私の胸騒ぎと同じくらい、色んな音にあふれていた。笑い声、掛け声、発声練習の声、鼻歌、衣装の擦れる音。今日出演する他のアイドル達の存在は、私以上に眩しくて、視界を埋め尽くす。おかげで、今日は朝から声が出づらい気がした。
「琴葉ちゃん! すっごいきれい! 衣装もばっちり!」
入り口で立ち尽くしていた私に声をかけたのは、やはり春香ちゃんだった。赤をベースに、黒いライン、青緑のアクセサリーとリボン。私と対照的な色の衣装。テレビで見ていた、客席から見ていた笑顔が、こんな間近にある。
「あれ、緊張してる?」
「ああ……はい、そうですね、緊張しちゃいます」
「最後だもんね、出番。お披露目ライブだから仕方ないんだけど」
今日はオールスターズである先輩方十三人と、それから先にデビューした二組が先に出演する。あくまで月ごとにしている定期公演の体を崩さない方針らしい。しかも、私たちの曲は、たった一曲。その前に春香ちゃんと雪歩さん――こちらも春香ちゃんと同じ、オールスターズの先輩だ――が一曲披露して、そのあとの紹介で入る。セットリストからも分かる強いプッシュ。これが、最初の舞台になるんだ。息をのむ。顔が、少し強張った気がした。
「琴葉ちゃん」
「は、はい!」
「大丈夫、みんな、見てくれてるから」
呼ばれて現実の世界に戻された瞬間、両手を温かい何かが包んだ。見つめてみると、そこには、春香ちゃんの両手に包まれた私の手。ぎゅっと握られる。
「今日は、まずは楽しむこと! 一緒に、楽しもうね!」
至近距離で見る笑顔は、こんなにも温かいんだ。初めての感覚が、少しだけ、肩から力を抜いてくれた。
*
それでも、本番が近づくにつれて、楽しいなんて言っていられなくなる。
控室のモニターには、ライブの様子が客席側から映されている。既に始まったライブは、最初からしっかり盛り上がっていて、満員の客席から思い思いの色のライトがメロディーに合わせて揺れている。
アイドルらしいポップなメロディーで明るい雰囲気に包まれたと思えば、短調で早いリズムが響いてピリッと締まった空気が漂う。緩急のついたセットリストに、十三人が目まぐるしく入れ替わり、汗を拭い、息を整え、また飛び出していく。その背中は使命感に満ちているのに、モニターにはそんな重さを微塵も見せない姿が映っている。これが、アイドルなんだ。
「琴葉ちゃん、この次の曲のあと、登場だからね」
戻ってきた春香ちゃんが、水を一口飲んでから、口を開いた。気づけば、もう次に春香ちゃんと雪歩さんが「The world is all one !!」を歌う。
私は、できるのだろうか。あの光の中、くっきりと見える光のステージの枠の中に、私はいることを許されるのだろうか。
そこに。
「天海さん、お疲れ」
「あ、プロデューサーさん! お疲れ様です!」
「さっきのソロ、すごかったな。盛り上がりもばっちりだ」
ワイシャツを肘までまくって現れたプロデューサーは、春香ちゃんに酸素ボトルを渡して、春香ちゃんと同じように汗を拭った。こちらも忙しいのだろう。
「あ、それと、田中さんも」
「え?」
「飲んでおきな。緊張は、喉の渇きにつながる」
「あ、ありがとう、ございます」
受け取った水は、ひんやりと冷たくて。頬にあててみる。火照っていた自分の顔から、少しだけ熱を奪っていく。
春香ちゃんはその間に、「お化粧直してきます!」と言ってフィッティングルームへ向かった。控室は、静かになった。他のメンバーは、みんな舞台袖に行ってしまって。たった二人、残された。
「今日は、晴れ舞台だな」
「……はい」
「緊張するのか?」
「し、しますよ! だって、あんなに大勢のお客さんで!」
「そんなに身構えなくていい。ジュリエットの時と同じだと思えば」
「あれだって緊張で大変だったのに……!」
「大丈夫だよ。あれの、そうだな、二倍ぐらいの人数しか見てないんだ」
「に、二倍も!?」
「でも二倍を一人で背負い込まなくたっていい。なにせ、今日は一人じゃないんだからな」
「一人じゃ、ない」
「そうだぞ。天海さんだって、他のアイドルだって、俺だって、篠原さんだって、みんなでこのステージを作ったんだ。みんなのステージだから、二倍なんて、大丈夫」
「……はい」
「だから、気を楽に、なんて言えないけど、緊張を、せめて楽しんできて」
その時、勢いよく扉が開いた。春香ちゃんだ。開いたと同時に、大きく息を吸い込んで、叫んだ。
「プロデューサーさん!」
「え? ああ、おかえり」
「今日の私、どうですか!」
「ん? ばっちりだよ」
「可愛くなってますか!」
「ん、ああ、そうだな、可愛いよ」
「今日の琴葉ちゃんどうですか!」
「え?」
「どうですか!」
「……可愛いよ、一番」
「じゃあ、次の曲、盛り上げてきます!」
「え、ああ……いってらっしゃい」
ばたん。扉がまた、勢いよく閉まって。静かな、白いノイズだけの空間が置いていかれたと言わんばかりの寂しさを残した。
「……なんだったんだろうな」
「……さぁ」
モニターを見上げると、笑顔で登場した春香ちゃんと雪歩さんは、たった二人とは感じさせないほど、大きなステージをいっぱいに使ったパフォーマンスで、会場を大きく盛り上げる。
正直、私に、今のステージのような、春香ちゃんの隣の雪歩さんのような、そんなステージはできないかもしれないけど。
でも、私だって、大丈夫。
これまでいっぱい積み上げてきた。これからいっぱいの人に見てもらうんだ。これから、私の夢が始まるんだ。
それに、今貰ったこの言葉は、私だけのものだから。
「RE:FLOW、開始三分前です!」
「行っておいで。最高の、舞台に」
「……いってきます!」
*
「それでは、私と一緒に! 39プロジェクト三組目にデビューするのは、このアイドルです!」
MCの春香ちゃんの声が響いて、舞台裏から、GOサインが出る。
踏み込む。飛び出す。顔を上げる。そこには。
「「Thank you for…つくろう、数えきれないステージ、この、場所から!」」
零れるくらいの照明。割れるような歓声。目の前に広がる、何百、何千のペンライトの星。一瞬のメロディーですら分かる、揺れているその光の波に、息が詰まりそうになる。自然と、笑顔になっている気がした。
メロディーが始まって、すぐ、歌のパート。入りのタイミングは、春香ちゃんとしっかり合わせた。泣きそうで、震えそうな声を、しっかり押さえる。手持ちのマイクを握りしめる。
「今回デビューするのは、39プロジェクトから、田中琴葉ちゃんです!」
Aメロまでの間、春香ちゃんの声が響いて、合わせて頭を下げる。歓声が頭の頂点から流れ込んでくる。顔を上げると、客席から確かに向けられていると分かる、視線の雨。
始まるんだ。
リズムに合わせて、腕を振って、振り付け通りに進めていく。
今、私は、みんなに、受け止められていく。
「Morning! ぱっと、飛び起きて『おはよう!』」
「「「「「「「おはよう!!!!」」」」」」」
私のフレーズに、分かっているよと溢れるコール。
大事な一音一音と、一挙手一投足を、揃えていく。
「ほら! 見て! ステキな! 出会いの予感の青い空!」
「Calling! メッセージ! メンバーから『頑張ろう!』」
「「「「「「「頑張ろう!!!!」」」」」」」
「ドキ! わく! 鳴り出す! はじまりのベル」
春香ちゃんの弾むような笑顔の声。ステージの所々で、赤いライトが激しく線を描く。
ちらりと視界の端で春香ちゃんをとらえる。さっき間近で見た衣装が、揺れている。
私たちは、今、並んで、ステージに立っている。
「みんなでつくったの」「遅くまで残って」「手作りの『ぶどーかん』!」「看板は虹色」
私から入るBメロ。手作りの、武道館。
「呼ぶよ」「みんなを」「さあ、おいでよ!」「「Let’s sing together!」」
「「「「「「「いえーい!」」」」」」」
「「Thank you for… ようこそ! 私たちの、ステージ!」」
二人で重ねる。始まりのフレーズ。
「この情熱!」「止められない!」
「コール、響け!」
どこまでも続いていく、この道を、今はただ、全力で、それだけで、駆け抜けるから。
精いっぱい伸ばした手。吸い込まれそうなほど広いステージ。響け。この声。このコール。この気持ち。
春香ちゃんとの掛け合いがリズムよく展開していく。音がはまった時の心地よさと、重なりが、体にしみわたっていく。
「小さくても」「愛と工夫でジョーデキ!」
「汗が!」「弾け!」「笑顔!」「咲かそう!」
「きらめく出会いを!」
春香ちゃんと、このステージを見てくれている全ての人、そして――
「「ありがとう!」」
背中を押してくれた、貴方へ――
*
あの輝きは、不思議な力だった。
決して練習通りじゃなかったけれど、思っていた通りにできなかったけれど、もっとうまくできたかもしれないけれど、でも、楽しくて、嬉しくて。そして何より、ステージの上は、優しかった。
暗闇で手を引かれるのを待っていただけの私は、今、光の下へ歩き出せたんだ。
私は、私。ありのままの、自分。
たった一曲、ただ本当に一瞬の出来事だったのに、体にはあの高揚感と、浮ついた息と、みんなの歓声と、そして見つめてくれる温かい瞳が、まだ残っていた。
*
「二人とも、お疲れ様」
最後の一人までシアターを出ていくお客さんを見送る。その最後の人の扉が閉じて、暗闇が客席を包んだ時、ステージの上に残っていた私たちに、プロデューサーは舞台脇から出てきて声をかけた。
「お疲れ様でした!」
「すごかったな。今まで感じたことのない歓声だった」
「私も! だいぶ慣れたと思っていたんですけど、思っていた以上に緊張して、でも楽しかったです!」
「いやでも、さすがだよ。天海さんもだけど、田中さんも。最初から最後まで、すごくよかった」
「琴葉ちゃんも! すごかったよ! 何より、笑顔! 笑顔で歌ってくれて嬉しかった!」
渡されたタオルで汗を拭うことも、水を飲むことも忘れて、三人で分かち合う。
よかった。最高だった。こんなに自然に笑えたのは、いつぶりだっただろう。
「ありがとうございます。春香ちゃんと一緒のステージで、よかったです」
「こちらこそだよ~! 私も、琴葉ちゃんと一緒のステージ、すっごく楽しかった! ありがとう!」
私が渡すはずの言葉を、春香ちゃんは惜しげもなく私に浴びせて、手を取り合った。汗と、努力と、感動が入り混じったこの手は、他の何よりも力強く、優しく、そして激しく、心に温かさを響かせてくる。
その時。
「お疲れ様、みんな。よかったよ、すごく!」
奥からやってきた篠原さんが、いつもよりも柔らかな笑顔でそう言った。
「さあ、ここからどんどん忙しくなるよ。でも、この気持ち、忘れないでね」
「「はい!」」
春香ちゃんと私の声が重なる。
この光を、ずっと、何度でも、こうやって感じられたなら。
そう思い立って、やっと気づいた。
――だから、みんな、永遠を願うんだ。
――ずっと抱きしめていたい、って思うんだ。
――この感情を、何と呼ぶべきか、迷うんだ。
だけど。もうその答えは、今、私の中にある。
昔の私なら答えられなかったかもしれないけれど。
きっと、これを、「幸せ」って呼ぶんだ。
そう、ですよね?
――プロデューサー?
*
「お疲れ様」
「プロデューサーさん! 遅くまでお疲れ様です」
「それを言えば天海さんもね」
「今片付け終わりですか?」
「ああ、メディアの方にも挨拶が終わって、これからのスケジュールを確認だけしたら、今日はもう帰るよ」
「分かりました」
「田中さんは?」
「先に帰しました。忙しい一日でしたしきっと疲れてるので、私持ちでタクシー呼んじゃいました」
「そうか。あ、料金はレシートだしてくれないと経費にならないから、それだけ注意してくれ。……で、それを言えば天海さんもなんだけど。早く帰らなくてよかったの?」
「はい。ライブ後のこの雰囲気、大事にしたくて」
「そっか、ならいいんだけど」
「……」
「そういえばさ」
「はい?」
「ステージの前のあれ、どういう意味だったの?」
「え?」
「ほら、どうですか、のあれ」
「ああ! あれは、プロデューサーさんに、私たちを自信をもって送り出してほしいなって」
「ほう」
「プロデューサーさん……あ、篠原さんが、前に言ってたんです。『自分が認められるものじゃないのに人に認めてもらうなんて無理だ』って。それって、私たちも同じだなって」
「なるほど。篠原さんの教えか」
「自信もって送り出せました?」
「まぁ、頭の中は半々ってところだったかな。もう半分は、忙しさだけど」
「プロデューサーさんにとっても、初めてのライブでしたもんね」
「ああ、びっくりするほど疲れたよ」
「お疲れ様でした」
「それに、柄にもないこと言っちゃったしな」
「柄にもない?」
「人前で可愛いなんて褒めたことないよ、今まで」
「ええっ、琴葉ちゃんにもですか?」
「どうしてそこで田中さんの名前なんだ?」
「え、いや、普通に言わないんですか?」
「言わないけど」
「これまで?」
「これまで」
「ええ……」
「えっ、そんなに引かれるようなことなのか?」
「せめて、自分のアイドルぐらいは、褒めてくださいね、これからは」
「あ、ああ……それは、今日ので痛感したよ。大事だな、確かに」
「そうです、大事なんです。……私たちは、遠くへ想いや光を届けますけど、近くで気づいてもらえなかったら、遠くへは飛ばせないんです」
「そう、か」
「だから、もっといっぱい、褒めていいですからね?」
「分かったよ。善処する。……さて、スケジュールの確認すんだし、今日はもう帰るけど、天海さんは?」
「出ます」
「じゃあ窓の鍵閉めてくれ。セキュリティかけてくる」
「はーい」
「今日は、本当に、お疲れ様。二人とも」