何やら聞き覚えのある声が路地の向こうから聞こえてきたのは、本当に偶然だった。
けたたましい怒号と、金属が何かを叩くような頼りない音。
どうせどこかの誰かが化け物どもに追い詰められて、無駄な抵抗でも試みているのだろうと、最初は気にも留めていなかった。
だが、その声の主たちが発する焦燥に満ちた叫びが、どうにも耳に引っかかった。
俺は肩に担いだ鉄パイプの重みを確かめながら、ノロノロと足を進めた。
そして、路地裏に群がろうとしていた化け物どもの背後から、文字通り雑に鉄パイプを振り回して割り込んだ。
結果として、それが旧友たちを救う形になったわけだ。
「あっ……慎太郎と……風弥と……あーっと達也か?」
鉄パイプにこびりついた赤黒い肉片を、路面のコンクリートに擦りつけながら、俺は記憶の底から彼らの名前を引っ張り出した。
正直に言って、彼らとは旧友と言えるほど関わりが深かったわけではない。
中学時代、同じクラスになったことがあるという程度で、放課後に一緒に遊んだり、熱い友情を交わしたりした覚えはなかった。
ただ、当時のクラスのなかでも、あいつらが内輪で楽しそうに笑い合っている姿はよく見かけていたし、何より「気の良い奴らだった」というのは、俺の薄い記憶のなかでも確かに残っていた。
「お前、恭平か?」
まぬけに目を見開いた慎太郎が、信じられないものを見るような目で俺の名前を呼んだ。
昔から変わらない、この横幅のある筋肉デブのシルエットを見れば、いくら数年ぶりの再会とはいえ、すぐに察しがついたのだろう。
俺は「久しぶりだな」と短く返し、彼らの背後に迫っていた新たな気配に視線を向けた。
言葉を交わすのは後だ。まずはこの五月蝿い羽虫どもを片付けるのが先決だった。
「とりあえず伏せてくれ」
そう告げると、三人は俺の放つ異常な威圧感に気圧されたのか、文字通り地面にへばりつくようにして身を伏せた。
俺は鉄パイプを大きく後ろに引き絞り、全身のバネを意識して一気に薙ぎ払った。
──────ブォン!!!
空気が悲鳴を上げるような重低音が響き、鉄パイプが描いた軌道の先で、化け物どもの肉体が爆風に煽られたかのように木っ端微塵に弾け飛ぶ。
肉と骨が破裂する凄まじい爆音が路地に木霊し、生温かい肉片の雨が周囲に降り注いだ。
リミッターの外れたこの肉体にとっては、数体のゾンビを消し飛ばすことなど、大した労力でもない。
「もう大丈夫だ」
俺が鉄パイプを肩に戻してそう告げると、三人は完全に硬直していた。
「助かった……のか?」
隣から、風弥の気の抜けた声が、まるで現実感を失ったかのように虚しく響いてきた。
そりゃあそうだろう。
さっきまで自分たちを死の淵まで追い詰めていた怪物の群れが、一瞬で消滅したのだから。
しかも、それをやったのが、中学時代の冴えない同級生なのだから、脳の処理が追いつかないのも無理はない。
そんな静寂のなか、金属バットを両手で握りしめたままの達也が、じり、と一歩後ろに下がりながら、引きつった声で俺に確認してきた。
「人間……だよな?」
その目は、俺をゾンビ以上に警戒しているようにも見えた。
人間の枠を完全に逸脱した暴力を目の当たりにすれば、そんな疑問が湧くのも当然か。
ゾンビが何かしらのウイルスや突然変異で生まれた怪物なら、目の前にいる俺という存在もまた、別のベクトルの怪物に見えているに違いない。
俺は自分の手のひらを見つめ、それから達也たちに視線を戻した。
「まぁ、少なくとも人を喰いたいとは思わんな」
自分でも少し歯切れの悪い言い回しをしてしまった自覚はある。
だが、この人知を超えたパワーの源が何なのか、俺自身にもさっぱり分かっていないのだから、これ以上の明確な回答は持ち合わせていなかった。
案の定、俺の曖昧な返答を聞いた三人とも、一瞬だけ怪訝な表情を浮かべた。
「本当に大丈夫なのかコイツ」という心の声が、彼らの顔に分かりやすく書いてある。
これ以上、ここで押し問答をしていても時間の無駄だし、何よりゾンビの腐臭が鼻を突いて不快極まりない。
俺は停滞した空気を変えるため、強引に話題を切り替えることにした。
「今から市役所近くの体育館に向かうんだが、着いてくるか?」
俺がそう口にすると、三人は一斉に顔を見合わせた。
そして、俺から少し距離を置くようにして、肩を寄せ合い、ヒソヒソと小さな声で話し合いを始めた。
「おい、どうする? 恭平のあの力、ヤバすぎるだろ」
「でも、ここに残ってたら確実にあの化け物どもの餌だぞ」
「あいつ、昔から悪い奴じゃなかった。信じるしかないって」
断片的に聞こえてくる彼らの相談の声を、俺はあえて聞こえないふりをして、鉄パイプの血を払う作業に没頭した。
彼らにとっては、生存をかけた重大な選択だ。急かす必要もあるまい。
やがて、結論が出たのだろう。
話し合いを終えた三人のなかから、慎太郎が意を決したように一歩前に出て、俺の目をまっすぐに見つめながら口を開いた。
「頼む。連れて行ってくれ」
慎太郎はそう言うと、俺に対して深く、腰を折って頭を下げた。
それに続くようにして、後ろにいた達也と風弥の二人も、それぞれの武器や身体を縮こまらせながら、深く頭を下げる。
その真剣すぎる態度に、俺は少しだけ気恥ずかしさを覚えた。
世界が崩壊したからといって、別に俺は彼らの王や神様になったわけではない。
ただ、少しばかり腕っぷしが強くなっただけの、相変わらずの怠け者だ。
「そんな畏まらなくて良い。同い年だろ」
俺が肩の力を抜くようにして苦笑交じりにそう言うと、三人の肩から目に見えて緊張が抜けていくのが分かった。
「あぁ、やっぱり中身は俺たちの知っている恭平なんだ」
と、そんな安堵の色の混じった、和らいだ表情が彼らの顔に広がっていく。
俺は鉄パイプを再び担ぎ直し、進行方向の路地の先へと顎をしゃくった。
「ここからなら数分歩けば着く。出来るだけ離れずに着いてきてくれ」
「わかった。恭平」
慎太郎が力強くうなずく。
その顔には、先ほどまでの絶望の影は消え、生き残るための微かな希望が宿っていた。
すると、それまでバットを構えていた達也が、少し照れくさそうに自分の鼻を人差し指で擦りながら、手にしていた金属バットを軽く掲げてみせた。
「鉄パイプがダメになったら、このバットを使ってくれ。俺達が持つより何倍も良いだろうしな」
彼なりの配慮であり、同時に足手まといにはなりたくないという、ちょっとした男気なのだろう。
彼らが振り回すより、今の俺がこのバットを振るった方が、遥かに効率的に化け物を撲滅できるのは紛れもない事実だった。
俺は達也の差し出してきたバットに視線を落とし、それから彼の手にかすかに残る震えを見て、フッと口元を緩めた。
「おう、助かる」
短くそう応じると、俺は再び歩みを進めた。
背後からは、三人の足音がしっかりとついてくる。
行く手を阻むものは、すべてこの鉄パイプで粉砕すればいい。
奇妙な力を手に入れた俺と、偶然再会した三人の旧友たち。
俺たちは壊滅しつつある街の喧騒を切り裂きながら、親父が待つ目的地、市役所近くの体育館を目指して走り出すのだった。