喪失の彼方   作:Suger_44

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第二話 文芸部の決断

「お? お前びしょ濡れじゃねえか。――またいつものアレか?」

 岩センが撫でる手を止め、にやりとこちらを見た。身長が低い彼は、俺を見上げる形になる。

「……うん」

 千夏が長い栗色の髪を揺らして、可愛らしいハンカチを差し出してくれる。

「ありゃ……。あたしのハンカチ使うっすか?」

 汚すのは悪いが、気遣いを断るのも申し訳ない。俺はありがたく受け取った。

 部長がさらりとした前髪を直し、いつものように嫌味を垂れる。

「もっと気をつけていれば防げただろう? まったく、君はいつもそうだ。不甲斐ない……他人が被る迷惑のことも少しは考えたまえ。」

 しかし、その瞳はわずかに揺れていた。

 スイがどこかドヤ顔でサムズアップをする。

「……どんまい。次は足の裏に滑り止めシート付けよう」

 なんだそのリアクション。相変わらず読めない奴だ。

 ――いつものアレ。

 そう、俺は世界に嫌われている。じゃんけんは勝てないし、急げば赤信号に引っかかる。それに、あの人もいなくなってしまった。俺の、唯一の。胸の奥が鈍く痛んだ。

 その時、スイがそっと呟くように言った。

「ハルトくん、シャツ濡れちゃってる。それ、あの人が中学の入学祝いにくれたやつでしょ。」

「え? ああ……。お前にその話したか?」

 誰かに話した記憶はないのだが。……いや、俺が忘れているだけか?

 俺はどかりと椅子に座り、借りたハンカチで濡れた自身の茶髪を拭う。洗って返そう。

「はあ。今日も相変わらず最悪だ。明日もその次も、ずっと最悪なんだろうな……」

 やる気が出ずただだらりと座る俺を、千夏が微笑んで見つめた。

「……じゃあ、書き換えちゃえばいいじゃないっすか!」

 元気なその言葉に、俺は目を瞬かせる。皆もきょとんと彼女を見つめた。

「センパイはもっと楽していいと思うっす。あたしたちもいるんだし!」

 岩センが俺の背を叩いた。力加減が悪くて痛い。

「ま、焦るこたあない。人生そういう時もあるさ。

 しんどい間は何かに寄りかかってりゃいいんだよ。今度一押しの本を貸してやる。読め」

 部長がパソコンを叩きながら口を開く。

「不幸を言い訳にする人間は三流だ。まあ、凡人がよく陥る穴といったところだな」

 スイがこちらをちらりと横目に見る。ふわふわの金髪がわずかに揺れた。

「……やりたいこと全部やっちゃえばいいんじゃない」

 皆の励ましに俺は面食らい、何も言えなくなってしまった。千夏がぐっと拳を握って続ける。

「そうそう! あたしでよければ話とか聞くし……あの、そのハンカチ返すついでに、一緒にサイゼとか……!」

「ああ、いいな。皆で行こうぜ」

「あ、あぅ……そうっ、すね」

 千夏は何故かしょぼんと俯いてしまった。部長が大きくため息をつき、岩センが俺の肩を強めに小突く。その様子をスイは静かに眺めていた。少し微笑み、首から下げたカメラのシャッターを切る。パシャリ、とシャッター音が響いた。

 

 

 

「それで、来月の文化祭だが――」

 部長が教壇に立ち、皆を見回して眼鏡をあげる。そして虚空に指をさし、キザなポーズを決めて言った。

「オリジナルの脚本で、演劇をやるぞ!」

 その言葉に、俺は首をひねった。

「え……演劇?文芸部が?」

 部長は大真面目な顔で頷いた。

「ああ、演劇だ。」

 さらりとした少し長い髪が揺れる。スイが小首を傾げて問う。

「……なにゆえ?」

 部長は得意げに答えた。

「ふん、お前にしてはいい問いだ久遠。ここには僕の深遠なる計画があるのだよ!そもそも文芸とは――」

「長くなりそうなんで一言でまとめてもらっていいっすか?」

 千夏が呆れてツッコミを入れた。俺もうんうんと頷く。

「……要するに、だ。普段本を読まない愚か者どもに、演劇で文芸の魅力を叩き込んでやろうというわけだよ!」

 部長は再びビシッと虚空を指差し、眼鏡をあげて言った。

 岩センが目を細め、足を組み直す。

「なるほどな?面白えじゃねえか。俺ぁ賛成だぜ。誰が脚本を書くんだ?」

 部長が岩センに向き直って返事をする。

「はい、先生。僕がやります。文芸部で殺人事件が起こるミステリーの劇にしようと思って。探偵役は他に譲りますがね」

 その時、岩センの手元からひらりと写真が落ちた。

「あ、岩セン。大事な写真落ちたよ……これ、一昨年の入学式? 今と制服が違う」

「おお、あんがとな。お前はよく気づくなあ」

 岩センはにかっと俺に笑いかけた。

 部長がこちらを見て、わずかに目を細める。

「……よく分かったな、吹雪」

 その言葉に俺は頷いた。

「はい。あと、この年の桜は遅咲きだったはずだから」

 スイは演劇の話に興味を惹かれたようで、少し目が輝いている。

「……私、演出とか……やってみたいかも。」

「ふん、お前に出来るのか?せいぜいお遊戯会程度のクオリティを期待しておくか」

 部長は相変わらず冷たい。しかし、スイに向けるその顔はどことなく普段と違った。

 千夏も元気に賛成した。

「じゃああたしはセットとか作りますよ! 機械いじり得意なんで任せてくださいっす。それに、お芝居も楽しそうじゃないっすか?」

 俺はその様子を、手を頭の後ろで組んで眺めていた。演劇なんて、俺みたいな不運体質が関わったら碌なことにならないだろう。

 彼らに迷惑をかけないためにも、俺はバイトに専念して――

「おい、何を他人事のような顔をしている?」

「へ?」

 部長に突然、鋭く声をかけられる。

「演劇には人数が必要だ。お前にも手伝ってもらうぞ。……自覚していないだろうが、お前は無駄に観察力があるからな」

「……いやいや!俺の不運のこと忘れたんすか?」

 俺は慌てて言い返した。自分のせいで楽しい文化祭が台無しになったら目も当てられない。

「俺なんか、そんな頼りにされても困るって言うか……」

 焦る俺に、岩センが椅子から立ち上がって笑いかける。

「まあまあ、落ち着けや。まずは真田の話を聞こうぜ。断るのはそれからだって遅くねえだろ?」

「で、でも……。」

 部長は冷静に俺を見ている。その切れ長の目元はいつものように鋭かった。そして、彼は口を開く。

「吹雪。お前には――主役の探偵役を演じてもらうぞ。」

 時が止まった。

「…………はあああああ!?」

 俺の口から、人生でいちばんの絶叫が出た。

 

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