ここでの夢は、もう終わりにしよう   作:みそそ

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第5話

―――不意に、視界が完全に暗転した。

 

孵らない卵を抱いて咽び泣くエミヤの意識を塗りつぶすように、世界の背景へ、緑と青の文字列が滝のようにスクロールし始める。

 

それはこの世界のクリア画面に流れる、メタフィクションの詩―――『エンドポエム』。二つの超越的な存在が、画面の向こう側の存在に向けて「彼は夢を見ている」「彼は現実へ戻り、目覚めるのだ」と、静かに語りかけてくる対話のログ。

 

「夢から、目覚めよ、だと……?」

 

エミヤは冷え切ったドラゴンの卵を抱きしめたまま、力なく自嘲した。

 

「冗談じゃない。夢から覚めた先にある私の『現実』が、あの抑止力の地獄の荒野だと知っていて言っているのか。あそこに戻れば、私はまた自由意志を剥奪され、誰かのトレースとして人間を間引くだけの機械になる。クリエイティブなことなど、何一つ許されない……。だから、このポエムは―――私には皮肉にしか聞こえない」

 

目覚めを促す世界の詩を、彼は自分を呪うシステムの鎖として受け取るしかなかった。だが、その時だった。

 

「―――ガァァ、アアァッ……」

 

漆黒の虚空のあちこちから、空間を裂くような、おぞましい叫び声が響き渡った。闇の中から現れたのは、無数の黒い人型のモンスター―――「エンダーマン」の群れだった。その手足の長い不気味な輪郭が、エミヤを取り囲むように紫色の粒子を散らしてテレポートを繰り返す。

 

そして、彼らが発する、掠れた、逆再生のノイズのような怪音。その音声データがエミヤの脳内で反転し、正確な、しかし血の通わない人間の言葉となって直接突き刺さった。

 

『君は社会構造を村人に与え、悪の村人を淘汰したことで、君が元いた世界と、この世界をなんら変わりのないものにしてしまった』

 

「なっ、に……?」

 

『アラヤなど最初からここにはいない。君が自分の意志で考えることから逃げ、本能のままに動く彼らのために生存システムを整えたのだ。だから、ポエムを訂正しよう』

 

エンダーマンたちの紫色の眼光が一斉にエミヤを射抜く。その掠れた逆再生の声が、冷酷な確定のプログラミングコードとして、世界の果てに響き渡った。

 

『君がいる場所は、全て現実(地獄)だ』

 

「―――ああ、あ―――」

 

エミヤの喉から、言葉にならない絶望が漏れた。

この世界の所有者は、他ならぬエミヤ自身だった。だからこそ、どれだけ世界をリセットしてやり直そうとも、彼自身の内にある「守護者としての本能」が、無意識のうちに村にインフラを整えさせ、あの知能のない村人たちの間に新しいアラヤ「社会システム」をクラフトさせてしまっていたのだ。

 

打破できない因果律。自分がどこへ行こうとも、自分自身が地獄(現実)の苗床になってしまうという、逃れられない呪い。エミヤは完全に絶望し、抱えていた黒い卵を床に落とした。

 

手元に残されたのは、最初から最後まで、一文字も自分の意志を書き込めなかった、真っ白な『本と羽ペン』だけだった。彼はただ、四角い膝を折り、深淵の闇の中でうなだれることしかできなかった。

 

「―――おいおい。随分としけたツラしてやがるな、アーチャー」

 

絶望の深淵に沈み、白紙の本を抱えてうなだれるエミヤの肩を、ポンと叩く手があった。振り返れば、そこにはいつもの不敵で、お調子者の笑みを浮かべたキャスター―――クー・フーリンが立っていた。

 

「クー、フーリン……。」

 

クー・フーリンは木の杖を肩に担ぎ、エミヤの落とした黒いドラゴンの卵をカクカクの足先で軽く転がした。

 

「お前が所有者で世界を作ってる限り、お前は無意識にその『守護者』って奴のプログラムを回しちまう。何度リセットしたって、お前自身の手で新しいアラヤのインフラをクラフトするだけだ。……だから、ここでの夢はもう終わりにしようぜ、アーチャー」

 

「夢は、終わり……? そうか、私はまたあの地獄へ...」

 

「誰がそこに戻すっつったよ」

 

クー・フーリンはニカッと八重歯を覗かせ、木の杖を虚空へと掲げた。

 

「タネ明かしをしてやる。俺はこの世界の住民じゃねえ。お前が世界を始めた時、たまたま『マルチプレイ』でお手伝いに来てた、別世界のプレイヤー...ゲストさ。精度を誇る俺のバックにいるオーディンの爺さんの本領は、戦死した英雄の魂を因果ごと引っこ抜いて、自分の宮殿にコレクションすることだ」

 

「な、に……?」

 

「この世界のお前のアラヤに捕まる前に、データごと俺の『ワールド』にトンズラしちまおう。……なぁアーチャー、今度は俺がホストの世界、ヴァルハラに遊びにこいよ!」

 

クー・フーリンが杖に宿るルーンの魔力を爆発させた瞬間。エミヤの身体を縛り付けていた、あの赤い抑止力の鎖が、データ通信のプログラミングコードへと分解され、二匹の使い魔の狼たちによって粉々に噛み砕かれていく。

 

「俺の世界は、お前がのんびり社会を整えてアラヤを生み出す暇なんて一ミリもねえ。神様がどんどん強い敵を送り出してくる、スリリングで、最高にハードなサバイバルモードだ。―――だが、戦うことしかできねえお前にとっちゃ、これ以上ないほど自由な楽園だろ?」

 

「待て、クー・フーリン、君は―――!」

 

エミヤの叫びが虚空に溶ける。彼のプレイヤーデータは、元いた型月世界の英霊召喚システムから完全にハッキングされ、消失した。因果律の打破。神霊の手による、完全なる地獄からの脱獄。

 

―――接続中。

―――地形をダウンロード中。

 

一瞬の暗転ののち、エミヤが目覚めたのは、見たこともないほど険しく、しかし圧倒的に壮大なボクセルの山岳地帯だった。

 

「……ッ、ここは」

 

見上げれば、正方形のパッチワークの空から、まばゆい陽光が降り注いでいる。足元には、相変わらず「ケルトの男はハデじゃなきゃいけねえ」と、色とりどりの四角い花をこれでもかと大層に植え散らかしているクー・フーリンと、目を輝かせる二匹の狼の姿があった。

 

グォォォォオオッ!

 

地平線の向こうから、これまで対峙したどの怪物よりも強大で、禍々しいモンスターたちの大群が、凄まじい地響きを立てて湧き出してくる。そこには、守るべき無機質な村人も、効率化を求めるインフラも存在しない。ただ、生き残るための純粋な闘争だけが広がっていた。

 

エミヤはもう、泣いていなかった。

誰かの理想のトレースのためでも、アラヤの生存命令でもない。「今、目の前の相棒と共に、このハードモードを生き残る」という、彼自身の内側から溢れ出た本物の感情―――エゴが、その胸に確かに灯っていた。

 

「ハッ、こいつは傑作だ。これほど戦いがいのある戦場...楽園へ連れてこられるとはな」

 

エミヤはフッと不敵な笑みを浮かべ、インベントリからあの真っ白だった『本と羽ペン』を取り出した。彼は初めて自分の意志で羽ペンを握り、最初のページに、誰かのための設計図ではない、「今日、この戦場を共に駆ける相棒のために作る、最高に美味い飯のレシピ」を力強く書き込んだ。

 

そして、かつてないほど鮮やかに、一対の双剣をトレースする。

 

―――同調、開始(トレース、オン)。

 

「おいおい、早速お出ましだぜアーチャー! 遅れんなよ!」

 

「やれやれ、誰に向かって言っている、ランサー。―――その首、私が先に貰い受けるぞ!」

 

二人のカクカクの影が、新しい、しかし誰よりも自由な戦場へと、力強く駆け出していく。画面の奥で揺れるカラフルな花畑は、今や、どんな世界の絶景よりも鮮やかに輝いていた。

 

 

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