『神になったエミヤ』VS『U-オルガマリー』〜君になれないことが俺にとっての永遠なのかもしれない〜 作:みそそ
人理の檻を超越したエミヤの双眸には、もはや目の前で歪に燃え盛る魔神王の熱量も、音を立てて崩壊していく時間神殿の岩肌も、質量を持った「物質」としては映っていなかった。
彼の網膜を通り抜けて魂の演算領域へと流れ込むのは、三次元の空間そのものを裏側から出力している、二次元の「情報配列」。世界を構築する因果の文字列が、モザイク状の光の記号となって、彼の視覚を埋め尽くしていた。
彼が今、その手に握るかつて日常の象徴であった調理器具は、すでに世界を切り分け、秩序へと再構成するための概念武装へと新生を終えている。
「……何をしている、贋作者。そのガラクタで、我が人理式を阻むとでも言うのか」
ゲーティアの放つ、地鳴りのような傲慢な音声すら、今の彼にとっては意味を持たないただのテキストデータの波に過ぎない。エミヤは白と黒の絶対的な調和を纏った霊基を揺らし、重力の法則を完全に置き去りにして、ゆっくりと虚空へ浮かび上がった。
その足元には、神秘の血が完全に抜け落ち、息を切らすことしかできない黒髪黒目の男――「ただのか弱き人間」へと退行したクー・フーリンが、惨めに這いつくばっていた。
英霊としての誇りも、戦士としての膂力も持たないその肉体は、ただ世界から消去される瞬間の恐怖に小さく震えている。
エミヤは、かつて数多の戦場で憎まれ口を叩き合ってきた戦友を見下ろした。だが、その眼眸には親しみも、哀れみも、人間としての感情の揺らぎも、塵ほども存在しない。
「――この世界が、二次元のコードに書かれた内容を投影した、三次元の映像に過ぎないとするならば。情報の回収孔であるブラックホールを、すべて塞ぐ」
それは、誰一人として傷つけたくないと願った男が、感情というブレーキを失い、宇宙規模の歯車となって導き出した、最悪で完璧な救済論。
「回収孔を塞ぎ、未来を記述するためのデータ素材を断つ。変化を止め、可能性を間引き、これ以上の涙を生まぬ平坦な無へ還す。……クー・フーリン、貴様には感謝する。」
エミヤは最後に一度だけ、表情の消え失せた顔をクー・フーリンへ向け、そして静かに決別を告げた。
「見届けるがいい。人類の夜明けを」
次の瞬間、エミヤの肉体は物理的な速度の概念を完全に置き去りにした。白と黒のまばゆい閃光の奔流と化し、時間神殿の強固な天井を分子レベルで透過して、宇宙の深淵、天圏の彼方へと一瞬で飛び去っていった――。
残されたクー・フーリンは、自分が何をしたのか、エミヤが何を言ったのか、脳の理解が完全に拒絶を起こしていた。
ただ、遺伝子レベル、魂の根源に直接打ち込まれるような「圧倒的な恐怖」にガタガタと四肢を震わせ、床に爪を立てることしかできない。英雄としての誇りを失い、ただの「か弱い人間」となった彼にとって、先ほどの白黒の神はあまりにも絶対的な捕食者だった。
「――おい! 答えよ駄犬! あの贋作者は今、何と言った!」
空間が黄金の光に凄絶に裂け、異様な血相を変えたギルガメッシュが転移してくる。いつもの不遜な笑みも、唯我独尊の余裕も微塵もない。王は這いつくばるクー・フーリンの襟髪を強引に掴み上げるような勢いで叫んだ。
「我が『千里眼』から、なぜ未来の文字列が消去されていく!? ゲーティアの勝利の先、滅びの淵にあってなお、己が呪いを跳ね除けて光を掴み取るお前たちの最期の輝きを、我は特等席で愉しんでいたはずだ! なのになぜ、それらが最初から書かれていなかったかのように消えていく!?」
「わ、わからねえ……。だが、あいつ……ブラックホールを全部塞ぐとか、わけのわからねえ、めちゃくちゃなことを言って……どっかに消えやがった……!」
その言葉を聞いた瞬間、全知の王の顔が、生まれて初めて見る驚愕に染まった。
ギルガメッシュの千里眼は、今や完全な異常を起こしていた。フィルムが焼き切れたわけでも、光で白飛びしたわけでもない。「白」でも「黒」でもない、ただそこにあるはずの情報そのものが存在しない領域。
目を瞑って暗闇を見るのとは全く違う、「肘で物を見ようとした時、そこには光も闇も、概念すら何も存在しない」というような、絶対的な不在。
エミヤが創造主、即ち神になった瞬間、全知の王の視界は完全な「死角」へと叩き落とされたのだ。
ブラックホールを塞ぐ。それが、世界の情報そのものを遮断し、人間が紡ぐはずの有為転変の未来を、存在の履歴ごと無に還す意味であることを、王は瞬時に理解した。
「狂ったか、贋作者……! 我が愛した人類の可能性を、最初から存在しなかったことにするというのか!!」
ギルガメッシュは用済みのクー・フーリンを床へと放り出し、柄にもなく焦り、狂ったように魔力を爆発させた。その背後に展開された宝物庫の輝きすら、焦燥を映すように乱暴に明滅する。
王はかつてない怒りと戦慄を胸に、エミヤの残した白黒の軌跡を追って、星の海へと全速力で飛び立った。
神と王が天圏へと去った時間神殿は、かつてない異常な空間へと変質していた。
人理修復の旅を終わらせるはずだった、あの三千年の歴史を燃やす赤黒い人理式の炎。空間そのものを砕き、カルデアの残党を呑み込もうとしていた大崩壊の地鳴り。
それら世界の終末を告げる破壊が、まるで時間が凍りついたかのように、ピタリと、不自然にその動きを「静止」させていた。
すべての熱量が、エミヤという次元の違う特異点に向かって勝手に平坦化され、吸い込まれていく。その余波の前に、時間神殿の因果そのものがフリーズを起こしていた。
「……何、だ。我が式が、出力が出ない……?」
トドメを刺すために、両腕を天へと高く掲げた姿勢のまま、魔神王ゲーティアはピキリと静止していた。
指先を動かそうにも、世界を焼き尽くすはずの膨大な魔力が、外側から何者かに文字通り消去されていくような、かつてない術式の強制停止。
ソロモンの魔術基盤を統べ、地球上のあらゆる神秘を把握している彼をして、目の前で起きた「世界の異常」の正体が理解できない。
ゲーティアが、上空の闇を凝視した。
そこにあるのは、エミヤが飛び去った後に残された空間の歪み――絶対の白と黒が混ざり合う、一筋の残光。
その残光を見上げた瞬間、無敵を誇った魔神王の全霊基が、本能的な恐怖に似た驚愕でガタガタと戦慄した。
(何だ、あの光は……。何故、私の三千年の熱量が、あの光を視るだけでここまで冷えていく……!?)
己がやろうとした救済論を遥かに凌駕する、絶対的で完璧な『世界の終わり』の気配を前に、魔神王は掲げた腕を下ろすことすら忘れ、ただただ圧倒されて立ち尽くすしかなかった。