『神になったエミヤ』VS『U-オルガマリー』〜君になれないことが俺にとっての永遠なのかもしれない〜 作:みそそ
天の川の渦をも巻き込んだ神二柱の激突は、静かに、しかし絶対的なゼロへの収束をもって幕を閉じた。
世界のルールを書き換える超絶的なエネルギーは互いを完全に喰らい尽くし、跡形もなく消滅した。神としての全能の権能を使い果たし、巨大な肉体を失ったエミヤとオルガマリーは、ただのちっぽけな、息をするだけの「人間」の姿へと墜落していく。
回転しながら時間神殿の床へと真っ逆さまに落ちていく二つの影を、ギルガメッシュや藤丸立香たちは、固唾を呑んで見上げるしかなかった。
静まり返った灰の檻の中。ドサリと鈍い音を立てて床へ倒れ伏した二人を見届け、これまで深く項垂れていた魔神王ゲーティアが、ゆっくりと巨躯をもたげた。
彼は、かつて人類を「死に惑う無価値なもの」として見下し、切り捨てようとしていた傲慢さは、ひとかけらも残っていなかった。
(――そうか。不要なものなど、最初から何一つ、存在しなかったのだな)
ゲーティアは、自らの魂(七十二柱の魔神の総意)の腑に落ちていく絶対的な真理を噛み締めていた。
自らが不必要だと断じ、呪わしい旧世界の理として嘲笑した規律の化身――オルガマリー。その少女が、大粒の涙を流しながら、己が大統領になれぬことよりも世界が消える虚無を恐れ、その全てを賭して宇宙を消滅から救い出した。
人間が紡ぐ歴史に、絶対の正解などない。同時に、絶対の間違いもありはしない。その醜く、歪で、矛盾に満ちた足掻きそのものが、世界を繋ぎ止める楔だったのだ。
「何も間違っていなかった。そして、何も正解などではありはしない。……ならば、我が三千年の旅路の結びは、これ以外にない」
魔神王は静かに微笑んだ。その巨躯から、地球三千年の歴史を燃やし尽くして集めた膨大な人理式の熱量が、一気に解き放たれる。
だが、それは破壊の炎ではなかった。凍りついた時空の因果を融かし、世界を元通りの正しい形へと書き戻すための『完全なる復元』の光だった。
赤黒い終末の光帯は優しい黄金の霧へと変わり、時間神殿の崩壊を、歪んだ人理を、元の形へと包み込んでいく。その復元の余波は、カルデアの地下施設へも瞬時に行き届いた。
中央管制室のカプセルの中で、本来ならレフ・ライノールの爆発によって致命傷を負い、異星の神の手を借りて異聞帯を構築するはずだったAチーム――クリプターたちの肉体が、因果の書き換えによって五体満足、健康な状態のまま急速に蘇生していく。
キリシュタリアが、カドックが、オフィリアが、死の運命を完全に回避し、静かに眠りながら健康な脈動を取り戻していく。
誰も死なず、誰も泣かない、完璧な汎人類史の帰還。
魔神王が自らの存在の全てを賭して選んだのは、歪な人類への愛の証明としての、大団円への歯車だった――。
あれほどの凄惨な決戦が嘘であったかのように、カルデアにはかつて通りの、騒がしくも穏やかな日常が戻っていた。復元された人理、健康な体を取り戻して目覚めたクリプターたち。全ての歯車が噛み合い、世界は正しい軌道へと帰還を果たした。
そのカルデアの一角、温かい湯気が立ち込める厨房には、再び無銘のサーヴァントとして淡々と包丁を動かすエミヤの姿があった。
トントン、と小気味よい木調の音が響く。彼は手元を見つめたまま、ふと自嘲気味に、その薄い唇から疑問を溢れさせた。
神であった頃の全能の記憶は朧げで、自分が何をしたのかも正確には思い出せない。ただ、あの時の狂気じみた万能感だけが、冷たい残響として魂の底に残っている。
「なぜだろうな……。あの時は本当に、全てを消し去って『無』にすることだけが唯一の救済だと、狂信的に思い込んでいた。今考えると、あまりにも冷酷な暴挙だというのに、あの時の私は寸分の疑いも持っていなかった」
エミヤが小さくため息をつく。その横で、彼が作った温かいカブのスープを口にしていた少女――人間に戻ったオルガマリーが、静かにスプーンを置いた。
今の彼女の佇まいには、かつてカルデアを覆っていたヒステリックな焦燥は一切ない。神として世界を背負い、エミヤと魂の傷を抉り合ったあの凄絶な対話が、彼女を真のリーダーとして、驚くほど大人びた形へ成長させていた。
「そうね。……あれがきっと、『自分と同等か、それ以上の存在の集合体、即ち大衆の監視』がない状態に置かれた、孤独な人間の姿よ。」
スープの湯気越しに、オルガマリーの凛とした瞳がエミヤを射抜く。
「人間っていうのは、他者の目があるからこそ、自分の狂気にブレーキをかけられる。誰も自分を止められない、誰も自分を監視していない全能の座に一人で置かれたら、どれだけ気高い理想を持った奴でも、自分の理屈をどこまでも尖らせて、世界ごと壊してしまう。他者の存在しない完璧な正義なんて、ただの恐ろしい孤立よ。」
彼女の冷徹で、けれど底知れない優しさを孕んだ分析に、エミヤは小さく目を見張り、それから諦めたように柔らかく微笑んだ。
「……手厳しいな。やはり君には敵わない」
「当たり前でしょ。……誰の目もないからこそ狂うなら、これからは私たちがあんたを監視してあげる。だからさ、もう一人で世界を消滅させようなんて思わないことね」
オルガマリーは少しだけ不敵に、けれど少女らしい悪戯っぽい笑みを浮かべてスープを再び口に運んだ。その凛とした強さは、かつてエミヤが天の川の深淵で敗北を認めた、あのまばゆい命の輝きそのものだった。
その厳粛で温かい空気のすぐ横で、食堂の長い椅子にふんぞり返り、豪快に大皿の肉を食らっている男がいた。
元の鮮やかな青い髪と赤い瞳を取り戻した、クー・フーリンである。神性を失って黒髪になり、世界の終わりの前で生物としての死の恐怖に震え、あれほど情けなく涙を流しながら藤丸たちに謝り倒していた過去など、彼は都合よく綺麗さっぱり忘れていた。
「ガハハ! 終わってみれば俺のおかげで全部解決じゃねえか!我ながら危険な賭けだったが、効率の良さはピカイチだったろ? いやあ、スリリングで最高に楽しい戦いだったぜ!」
「よく言うよ、あの時あんなにベソかいてたくせに」と呆れ顔で突っ込むダ・ヴィンチやロマニー。復活したカドックたちがまだ自らの生存が信じられないといった面持ちで戸惑いながらも、キリシュタリアに促されて食堂の輪に加わっていく。それを藤丸立香が、いつもの笑顔で迎え入れる。
これ以上ないハッピーエンドの光景。誰も失われない、誰も泣かない「当たり前の日常」が、確かにカルデアへと帰ってきていた。
だが、その誰もが笑顔を浮かべる賑やかな食堂から離れた管制室の奥。
完全に復旧を遂げた『シバ』の観測モニターには、やはり歪で、冷酷な「空白」が取り残されたままだった。
エミヤがオリジナル武器を掲げ、宇宙の配列に干渉してブラックホールを塞いだ、あのわずかな数分間。あの瞬間に、宇宙の情報から「これから起こるはずだった無数の未来の分岐(第二部・異聞帯の物語)」のデータ素材は、一文字残らず綺麗に消去されていたのだ。
クリプターたちは生き返った。汎人類史は五体満足で救われ、カルデアの誰もが生きている。
けれど、本来なら彼らが血を吐き、傷つきながらも命の火を燃やして進むはずだった、もう一つの過酷で、だからこそ無数の生命が確かに息づいていたはずの未来は、記述される前にエミヤによって綺麗に中絶されている。
世界はここで、お伽話のように美しく完結してしまっている。
――まだ生まれてもいない未来の可能性を消したことは、果たして殺人に該当するのであろうか?
彼は世界を滅びから救い出した「救世主」なのか。
それとも、まだ見ぬ無数の未来をまとめて中絶した「史上最悪の大量殺人犯」なのか。誰もその答えを知ることはなく、シバのモニターはただ静かに、何の変化もない平坦な直線を映し続ける。
温かいカルデアの笑い声と、藤丸が美味そうにすするスープの優しい味の裏で。
世界はただ静かに、これ以上の涙を生まぬよう、美しく閉じていく――。