(魔界の)神様(に)転生!そして伝説へ…   作:ぶーく・ぶくぶく

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困ったなぁ

 

 キルバーンは、笑っていた。

 

 仮面の奥で。

 いつものように、軽く、愉快そうに。

 

 だが、その笑みの奥で、思考はひどく冷えていた。

 

 ギアガの大穴。

 

 大魔王バーンが打ち出した、地上と魔界を繋ぐ大計画。

 

 地上の海底を抜き、魔界へ光と水を導く。

 ただし海をそのまま落とせば、地上は干上がり、魔界は水没する。

 ゆえにバーンは、己の超魔力で海の大結界を張る。

 

 海は落ちる。

 だが落ち尽くさない。

 

 魔界は潤う。

 だが沈まない。

 

 地上は海を失わない。

 魔界は水と光を得る。

 

 それは、荒唐無稽な計画だった。

 

 そして恐ろしいことに、実現可能だった。

 

 大魔王バーンならば。

 

 キルバーンは、魔界の暗い回廊を歩きながら、くつくつと喉を鳴らした。

 

「困ったなあ」

 

 声は軽い。

 

 だが、言葉の底には焦りがあった。

 

 彼の主は冥竜王ヴェルザーである。

 

 キルバーンはバーンの側近のように振る舞っている。

 道化のように笑い、処刑人のように動き、時にからかい、時に従う。

 

 だが本質は違う。

 

 いざとなれば、大魔王バーンを殺す。

 

 それが、ヴェルザーから与えられた役目だった。

 

 バーンは強い。

 

 強すぎる。

 

 魔界において、バーンという存在はただの王ではない。

 魔力、知謀、威圧、支配力。

 いずれにおいても、並の魔族では近づくことすら許されない。

 

 だが、暗殺とはそういうものだ。

 

 正面から勝つ必要はない。

 隙を作り、仕込み、誘導し、最後に致命の一手を刺す。

 

 キルバーンはそのためにいる。

 

 そのはずだった。

 

 だが、ギアガの大穴計画が完成すれば、話が変わる。

 

 バーンを殺せなくなる。

 

 単に強すぎて殺せない、という話ではない。

 殺してはならなくなるのだ。

 

 バーンが死ねば、海の大結界が消える。

 

 地上の海はギアガの大穴から魔界へ落ちる。

 魔界は大洪水に呑まれる。

 地上は水を失い、乾き死ぬ。

 

 バーンの死は、世界の死になる。

 

 暗殺は不可能となる。

 

 少なくとも、暗殺した後に何もかも無事で済むという選択肢は消える。

 

 キルバーンは足を止めた。

 

 回廊の窓の外には、魔界の暗い荒野が広がっている。

 

 黒い岩。

 瘴気の霧。

 枯れた谷。

 遠くに見える、痩せた集落。

 

 魔界は貧しい。

 

 いや、貧しいなどという言葉では足りない。

 

 光がない。

 水がない。

 土が死んでいる。

 命が育ちにくい。

 

 強者は奪い、弱者は逃げ、さらに弱い者は喰われる。

 

 それが魔界だった。

 

 キルバーンは魔界を愛しているわけではない。

 

 少なくとも、湿っぽい感傷で語る趣味はない。

 

 だが、魔界が豊かになるという話は、単純に魅力的だった。

 

 光が落ちる。

 海が落ちる。

 水路が伸びる。

 畑ができる。

 地上との行き来が楽になる。

 

 もしそれが実現すれば、魔界の価値は変わる。

 

 ヴェルザーにとっても、悪い話ではない。

 

 支配すべき魔界が豊かになる。

 領土としての価値が上がる。

 地上への進出路も増える。

 水も光も、兵站も交易も、すべてが変わる。

 

 キルバーンがこの計画をヴェルザーへ伝えれば、冥竜王はおそらく興味を示すだろう。

 

 否とは言わない。

 

 むしろ、是とする可能性が高い。

 

 問題は、その是が、バーンの排除不能を意味することだった。

 

「まったく」

 

 キルバーンは仮面の額に指を当てた。

 

「バーン様も、嫌なことを考えるよねえ」

 

 計画そのものが罠だった。

 

 魔界を救う。

 地上を滅ぼさない。

 世界を繋ぐ。

 それだけなら偉大な事業だ。

 

 だが同時に、バーンは自分の命を世界の楔にする。

 

 自分を殺せば、世界が終わる。

 

 これは安全保障である。

 それも、究極の。

 

 竜の騎士も、神々も、反逆者も、暗殺者も、バーンを殺すには世界を殺す覚悟が必要になる。

 

 キルバーンは、笑いながら舌打ちしたい気分だった。

 

 暗殺者にとって、標的が強いのは慣れている。

 

 標的が疑り深いのも構わない。

 標的に護衛がいるのも当然だ。

 

 だが、標的の死そのものが世界の破滅と結びつくのは、さすがに性質が悪い。

 

 殺せない王。

 

 いや、殺してはならない王。

 

 そんなものは、暗殺者にとって最悪の冗談だった。

 

「ボクはどうするべきなのかな」

 

 キルバーンは呟いた。

 

 ヴェルザーへ隠すか。

 

 それは難しい。

 いずれ知られる。

 これほど巨大な計画を、いつまでも隠し通せるはずがない。

 

 ならば早く伝えるか。

 

 それも危うい。

 ヴェルザーが計画を奪おうとするかもしれない。

 あるいは、バーンより先に利用しようとするかもしれない。

 黒の核晶を使うような主である。

 何を思いつくか、読めたものではない。

 

 だが、何より問題なのは。

 

 ヴェルザーがこの計画を気に入ってしまうことだ。

 

 魔界が豊かになる。

 地上への通路が開く。

 支配の価値が増す。

 

 ならば、バーンを殺すな。

 

 少なくとも、計画が完成するまでは殺すな。

 

 そう命じられる可能性がある。

 

 そして計画が完成すれば、今度は本当に殺せなくなる。

 

 前門の大魔王。

 後門の冥竜王。

 

 その間で、キルバーンは道化のように笑うしかない。

 

「困った、困った」

 

 声音は楽しげだった。

 

 だが、仮面の奥の目は笑っていない。

 

 キルバーンは歩き出した。

 

 回廊の先には、バーンの玉座へ続く道がある。

 

 今のところ、彼はいつも通り振る舞わねばならない。

 軽口を叩き、冗談を言い、何も知らぬ顔で大魔王の近くにいる。

 

 それがキルバーンの役目だ。

 

 暗殺者は焦りを見せない。

 道化は素顔を晒さない。

 

 たとえ、盤面そのものが書き換えられつつあるとしても。

 

 その時、回廊の奥から、かすかな光が差した。

 

 魔界には似つかわしくない、白い光。

 

 ギアガの大穴予定地の幻を映す魔法映像だった。

 

 暗黒の大地に、地上の光が落ちる。

 海水が巨大な柱となり、魔界へ注ぐ。

 水路が走り、荒野が濡れ、瘴気の谷に霧が立つ。

 

 魔界が変わる。

 

 その光景を見て、キルバーンは黙った。

 

 美しい。

 

 そう思ってしまった。

 

 それが、なおさら腹立たしかった。

 

 バーンを殺すためにいる自分が、バーンの計画に魅せられている。

 

 魔界の暗殺者ではなく、魔界に生きる者として、この計画の成功を見たいと思ってしまう。

 

「……本当に困ったなあ」

 

 キルバーンは笑った。

 

 仮面の笑みは変わらない。

 

 だが、その指先はわずかに震えていた。

 

「バーン様。あなたは強いだけじゃない」

 

 誰にも聞こえぬ声で、彼は呟く。

 

「殺す理由と、殺せない理由を、同時に作るんだから」

 

 そしてキルバーンは、いつもの調子で歩き出した。

 

 道化として。

 処刑人として。

 冥竜王の密命を帯びた暗殺者として。

 

 だがその胸の奥には、初めて生まれた迷いがあった。

 

 ヴェルザーに伝えるべきか。

 

 バーンを止めるべきか。

 

 計画を見届けるべきか。

 

 それとも、暗殺者としての役目に徹し、世界の未来ごと刃を突き立てるべきか。

 

「ボクはどうするべきなのかな」

 

 答えはまだ出ない。

 

 ただひとつだけ、確かなことがある。

 

 ギアガの大穴が開く日までに、キルバーンは選ばねばならない。

 

 バーンを殺すのか。

 

 バーンを生かすのか。

 

 あるいは、そのどちらでもない、第三の道を探すのか。

 

 道化の仮面は、今日も笑っている。

 

 けれどその奥で、暗殺者は初めて焦っていた。

 

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