(魔界の)神様(に)転生!そして伝説へ… 作:ぶーく・ぶくぶく
ハドラーは、地上の地図を見下ろしていた。
卓上にはロモス王国を中心に、周辺諸国の国境線、街道、河川、砦、旧戦場、魔物の生息域が細かく記されている。
その地図を囲むのは、ガンガディア、キギロ、そして数名の魔王軍幹部たちだった。
ハドラーは指でロモスを示した。
「ロモスは一気に落とす」
その声に迷いはない。
「時間をかければ、諸国が援軍を出す。地上の王たちは普段は互いに疑い合っているが、魔王軍が相手となれば腰を上げる可能性がある。だから、ロモス攻略は短期決戦だ」
ガンガディアが眼鏡を押し上げた。
「王都を直接叩きますか」
「叩く。だが、国を壊すな」
ハドラーは即答した。
「城壁、倉庫、井戸、街道、官吏、兵站。使えるものは残す。王都を灰にすれば、勝っても統治に三倍の手間がかかる」
かつてのハドラーなら、こうは言わなかった。
敵を焼き、王を斬り、城を砕き、己の力を示す。
それが魔王の証だと考えただろう。
だが、今の彼は違う。
バーンに教えられた。
奪うだけでは国は保てぬ。
恐怖だけでは民は働かぬ。
支配とは、殺すことではなく、動かすことである。
ハドラーはロモス王都に指を置く。
「国王は斬首しない」
幹部の一人が驚いた顔をした。
「よろしいのですか。王を残せば、反乱の旗印になる恐れが」
「斬れば、もっと面倒だ」
ハドラーは言った。
「王を殺せば、諸国は殉教者に仕立てる。ロモスの民も恨みを忘れん。ならば生かす。玉座に座らせたまま、我らの命を布告させる」
ガンガディアがうなずいた。
「名目上はロモス王国の継続。実権は魔王軍。人間の官僚機構を温存し、税と兵糧をそのまま吸い上げるわけですな」
「そうだ」
ハドラーは周辺国境へ目を移した。
「その間、各国の国境線に遊撃隊を出す」
キギロが細い目を楽しげに光らせる。
「嫌がらせかい?」
「ただの嫌がらせではない。人間同士を揉めさせる」
ハドラーは複数の国境線を指でなぞった。
「ロモス救援の兵が出ようとする前に、国境で小競り合いを起こす。国境侵犯の痕跡を残せ。旗、矢、足跡、焼かれた監視小屋。どの国がやったのか、確信できぬ程度でよい」
ガンガディアが低く笑った。
「疑心暗鬼を作るのですな」
「人間の王たちは、魔王軍の脅威を理解していても、自国の国境を無視できん。隣国が動いたとなれば、兵を外へ出せなくなる」
「救援どころではなくなる」
「そうだ」
ハドラーの指が地図を叩いた。
「諸国が国境侵犯でもめている間に、ロモスを統治する。王都を押さえ、街道を押さえ、兵糧庫を押さえ、官吏を掌握する。民には告げる。税を納め、秩序に従う限り、命も畑も奪わぬと」
幹部たちが沈黙した。
魔王軍としては、あまりに奇妙な命令だった。
だが、ガンガディアだけは満足げにうなずいている。
「恐怖と安心を同時に与える。逆らえば死ぬ。従えば昨日と同じ朝が来る。占領統治としては実に堅実です」
「バーン様の地上橋頭堡だ。廃墟では意味がない」
ハドラーは言った。
その言葉に、場の空気が引き締まる。
地上橋頭堡。
それは単なる侵略拠点ではない。
いつかギアガの大穴が開く時、地上側から大計画を支えるための楔。
魔のものが光の下で生きるための最初の国。
ハドラーは次に、地図の端に描かれた古戦場を示した。
「ここへ行く」
ガンガディアが目を細める。
「古戦場ですな。死者の気配が濃い」
「禁呪法を使う」
その場の空気が重くなった。
禁呪法。
命なきものに命を与える、危険な術。
使い手の魂の在り方を映し、時には制御不能の怪物を生む。
「死者の怨念を使うのですか」
「違う」
ハドラーは首を振った。
「怨念では駄目だ。俺が欲しいのは、憎しみだけで動く亡者ではない。守るべきものを知る騎士だ」
彼は古戦場の印を見下ろした。
そこではかつて、多くの兵が死んだ。
人間も、魔物も、名前すら残らぬ者たちも。
その地に残る武の記憶を素材にする。
「地獄の騎士を生む」
ハドラーは言った。
「名はバルトス。俺の剣となり、盾となり、ロモス統治の守護者となる者だ」
ガンガディアはしばらく黙った後、静かに頭を下げた。
「ハドラー様の禁呪法ならば、ただの怪物にはならぬでしょう」
「当然だ」
ハドラーは短く答えた。
「俺はバーン様の名代として地上へ出る。俺が生み出す者もまた、ただ殺すだけの魔物では足りん」
そして、彼の視線は地図上の深い緑へ向かった。
魔の森。
キギロが支配する魔の森とは別に、地上にも古くから魔物が住む森がある。
その森には、ひときわ強大な獣王がいた。
クロコダイン。
「魔の森のクロコダインを訪ねる」
ハドラーが言うと、キギロが少し楽しげに笑った。
「あの獣王をスカウトするのかい」
「そうだ」
「力はある。誇りもある。だが、ただの力自慢では動かないだろうね」
「だから俺が行く」
ハドラーは地図を閉じた。
「ロモス攻略の前に、あの男を得る」
数日後。
ハドラーは魔の森にいた。
木々は太く、空を覆うほどに枝を広げている。
湿った土の匂い。
獣の気配。
人間の街道とは違う、魔物たちの領域。
その奥で、クロコダインは待っていた。
巨体。
鋼のような筋肉。
片手には巨大な斧。
その眼差しには、獣の獰猛さと武人の落ち着きが同居している。
「魔王ハドラーか」
クロコダインの声は低い。
「俺に何の用だ」
「力を借りに来た」
ハドラーは正面から答えた。
「ロモスを落とす。だが、ただ焼き払うためではない。地上に魔のものの国を作るためだ」
クロコダインはじっとハドラーを見た。
「魔のものの国、だと」
「そうだ」
「人間を皆殺しにする国か」
「違う」
ハドラーは即座に否定した。
「従う者は生かす。働く者は守る。王も殺さぬ。国を壊さず、国の形を使う」
クロコダインの眉が動いた。
それは魔王軍の言葉としては異質だった。
「では、ハドラー殿はどんな国を作ろうと言うのか?」
問いは静かだった。
だが、その奥には試す響きがあった。
力だけで従うつもりはない。
恐怖だけで膝をつくつもりもない。
クロコダインは、自分が仕えるに足る相手を見極めようとしていた。
ハドラーはその視線を受け止めた。
そして、ゆっくりと言った。
「魔のものが光の元で生きる国だ」
森が沈黙した。
クロコダインの目が細くなる。
「光の元で……」
「魔界には光がない。水も乏しい。弱き魔物は奪われ、強き魔族も飢えに苛まれる。俺もかつては、そんな世界を捨てて地上で魔王になるつもりだった」
ハドラーの声は低い。
「だが、バーン様は言われた。神々が見捨てようとも、余はこの世界を見捨てぬと」
クロコダインは黙って聞いている。
「バーン様はいずれ、魔界へ光と水を導く。だが、その前に地上に楔がいる。魔のものが地上の光の下で生き、ただ奪うだけではなく、守り、耕し、国を作るための楔だ」
「それがロモスか」
「そうだ」
ハドラーは頷いた。
「ロモスは最初の橋頭堡となる。魔物のためだけではない。人間も、魔物も、従う者は秩序の中で生かす。だが、魔のものがただ闇へ追われる時代は終わらせる」
クロコダインの手が斧の柄を握る。
「大きな夢だな」
「夢ではない」
ハドラーは言った。
「戦略だ」
その答えに、クロコダインは低く笑った。
「面白い」
森の空気が少し変わる。
「力で奪うだけなら、俺は従わん。弱い者を踏みつけるだけの魔王にも興味はない。だが、魔のものが光の元で生きる国……」
クロコダインは巨大な斧を肩に担いだ。
「その言葉、偽りでなければ見届けてみたい」
「ならば来い、クロコダイン」
ハドラーは手を差し出さない。
武人に対して、安易な握手は不要だった。
「俺の軍に加われ。獣王として、ロモス攻略の一翼を担え」
クロコダインはしばし沈黙し、やがて深く頷いた。
「よかろう。ハドラー殿。俺の力、しばし預けよう」
「しばし、か」
「本当にその国を作る男かどうか、見極めるまではな」
ハドラーは笑った。
「それでいい」
その答えに、クロコダインもまた笑った。
獣王クロコダインが魔王ハドラーの陣営に加わった瞬間であった。
その頃、古戦場では禁呪法の準備が進んでいた。
地に刻まれた魔法陣。
戦死者たちの武具。
ハドラー自身の魔力と武人としての魂。
そこから生まれる地獄の騎士バルトスは、やがてロモスの新たな秩序を守る剣となる。
国境では遊撃隊が動き始めていた。
ある砦では隣国の矢が発見され、別の街道では別国の旗を持つ魔物が目撃される。
人間の王たちは互いに疑い、兵を動かすことをためらい始めた。
そしてロモスは、まだ知らない。
魔王ハドラーが迫っていることを。
だが、その魔王が望むものは、単なる破壊ではない。
魔のものが光の元で生きる国。
その第一歩として、ロモスの運命は静かに包囲されつつあった。