(魔界の)神様(に)転生!そして伝説へ… 作:ぶーく・ぶくぶく
アバンは、しばらく港町ソフィアを歩いていた。
魔物がいる。
人間もいる。
商人が荷を運び、悪魔の目玉が港の混雑を整理し、海の魔物が船を護衛している。
異様な光景だった。
だが、虐殺の気配はない。
略奪の炎もない。
魔王軍に制圧された国とは思えぬほど、港は動いていた。
それでも、アバンの胸に引っかかるものは消えなかった。
彼はまだ勇者ではない。
カール王国に仕える若き使者であり、学者肌の剣士であり、どこか飄々とした青年だった。
剣も使える。
魔法も学んでいる。
知識もある。
だが、世界を救う者として名を上げたわけではない。
今の彼は、ただ見に来たのだ。
ロモスを落とした魔王ハドラーが、何をしているのか。
魔王軍の統治とは、本当にただの恐怖支配なのか。
それとも、もっと別の何かなのか。
ロモス城で、アバンはハドラーと対面した。
「あなたが魔王ハドラーですね」
「カールのアバンか」
ハドラーは玉座の間ではなく、軍議室で彼を迎えた。
卓上にはロモスの地図と、周辺諸国の国境線が広げられている。
アバンは柔らかな笑みを浮かべていた。
「いやあ、噂よりもずっと政治がお上手で驚きました。ロモス王を殺さず、役人を使い、交易まで維持している。魔王というより、なかなかの統治者ですね」
「皮肉か」
「半分は」
アバンは笑った。
「もう半分は本心です」
ハドラーは鼻を鳴らした。
「剣を抜きに来たのではないのか」
「抜くべきかどうか、見に来たんですよ」
その言葉に、部屋の空気がわずかに張り詰めた。
ガンガディアが眼鏡の奥で目を細める。
クロコダインは黙って腕を組み、バルトスは静かに控えていた。
ハドラーはアバンを見据えた。
「見て、どう思った」
「難しいですね」
アバンは正直に言った。
「あなたはロモスを滅ぼしていない。民も不必要には殺していない。王を残し、行政を動かし、交易を守っている。それは認めます」
「ならば何が不満だ」
「あなたの国が、自由な国かどうかです」
アバンの笑みが、ほんの少しだけ薄くなった。
「あなたの言う“魔のものが光の元で生きる国”に、人間の自由はありますか?」
ハドラーは即答した。
「従う者は守る」
「従わない者は?」
「敵だ」
アバンは静かに笑みを消した。
「そこが、あなたと私の違いですね」
その言葉に、ハドラーの目が鋭くなる。
「何故だ?」
声に怒気が混じった。
「人間は、魔というだけで我らを殺すではないか?」
アバンは黙った。
ハドラーは続ける。
「魔物が森にいれば討伐だ。魔族が姿を見せれば邪悪だ。人間の村に近づけば、理由も聞かずに剣を向ける。魔のものが光の下に立つことを、お前たちは許してきたか?」
部屋の空気が重くなる。
「人間に害をなした魔物を討つ。それはよい。俺も秩序を乱す魔物は斬る。だが、人間は魔であるというだけで殺す。魔界から来たというだけで敵と決める。姿が違うというだけで化け物と呼ぶ」
ハドラーの拳が卓上を叩いた。
地図が震える。
「それでなお、人間の自由だけを問うのか、アバン」
アバンは答えなかった。
答えられなかったのではない。
受け止めていた。
ハドラーの言葉には、怒りだけでなく、長い歴史の重みがあった。
魔界の飢え。
地上への憧れ。
魔のものが地上で生きることを許されなかった年月。
人間から見れば魔物は脅威であり、魔物から見れば人間は光を独占する者だった。
「俺はロモスの民を皆殺しにはしなかった」
ハドラーは言った。
「王も殺さなかった。畑も焼かなかった。港も守っている。従う者は人間であろうと守る。だが、俺の国を否定し、魔のものが光の下で生きることを拒む者は敵だ」
ハドラーはアバンを睨んだ。
「それの何が間違っている」
アバンはゆっくり息を吐いた。
「あなたの怒りは、わかります」
「わかるだと?」
「ええ。少なくとも、理解しようとはしています」
アバンは視線を逸らさなかった。
「人間は魔のものを恐れてきた。そして恐れは、しばしば剣になります。魔物であるというだけで討たれた者もいるでしょう。話し合う前に殺された者もいたでしょう」
「ならば」
「ですが」
アバンの声が、静かにハドラーの言葉を遮った。
「だからといって、従わない者をすべて敵とするなら、あなたも同じことをしている」
ハドラーの目が細くなる。
「同じだと?」
「はい」
アバンは言った。
「人間が“魔だから敵”と決めつける。あなたは“従わないから敵”と決めつける。理由は違っても、相手に選択を許さないところは同じです」
「詭弁だ」
「かもしれません」
アバンは少しだけ寂しそうに笑った。
「でも、私はそこにこだわりたい」
ハドラーは黙った。
「あなたは強い。統治もできる。魔のものが地上で生きる道を作ろうとしている。それは、ただの破壊よりずっと大きなことです」
アバンは言葉を選ぶように続けた。
「けれど、人間にも恐れる自由があります。疑う自由があります。従わない自由があります。あなたの国を認めない自由もある」
「その自由で、我らを殺すなら?」
「止めます」
「どうやって」
「剣で」
その答えに、ハドラーは一瞬だけ目を見開いた。
アバンは静かに言った。
「人間が魔のものを不当に殺すなら、私は止めます。魔のものが人間を不当に殺すなら、それも止めます。どちらか一方だけを正しいとは言いません」
「理想論だ」
「ええ」
アバンは頷いた。
「でも、理想を捨てた剣士は、ただの暴力装置です」
ハドラーは低く唸った。
その言葉は甘い。
あまりにも甘い。
だが、目の前の男はその甘さを自覚している。
そのうえで、捨てないと言っている。
「アバン」
「はい」
「お前は、魔のものが光の元で生きる国を認めるのか」
アバンは少し考えた。
「認めます」
ハドラーの眉が動く。
「ただし、それが魔のものだけの国で、人間を従属させる国であるなら、私は反対します」
「では、どうしろと言う」
「共に生きる国にすることです」
部屋に沈黙が落ちた。
ハドラーは笑わなかった。
ガンガディアも、クロコダインも、バルトスも、誰も笑わなかった。
あまりにも困難な言葉だったからだ。
ハドラーはやがて、低く言った。
「人間は、そこまで魔を受け入れられるか」
「わかりません」
「無責任だな」
「はい」
アバンは苦笑した。
「でも、わからないからこそ、私は見に来たのです。あなたが本当に何を作ろうとしているのか。そして、人間がそれをどう受け止めるべきなのか」
ハドラーはしばらくアバンを見ていた。
剣を抜けば、戦いになる。
この男は弱くない。
軽薄そうな笑みの奥に、鋭い刃を隠している。
だが今ここで斬るべき相手ではない。
ハドラーはそう判断した。
「よかろう」
魔王は言った。
「見ていけ、アバン。俺の統治を。ロモスの変化を。魔のものが光の元で生きる国が、どのようなものになるかを」
「ありがとうございます」
「だが、忘れるな」
ハドラーの声が重くなる。
「俺は魔のものの生存権を守る。そのために剣を取る。人間がそれを踏みにじるなら、俺は敵と見なす」
アバンは頷いた。
「私も忘れません。あなたが民を守る限り、私はあなたをただの悪とは呼びません。ですが、自由を踏みにじるなら、私はあなたの前に立ちます」
二人はしばし見つめ合った。
魔王と、まだ勇者ではない若者。
だが、この時点でアバンは、ただの使者でもなくなりつつあった。
彼はまだ世界を救う名を持たない。
だが、目の前の魔王が掲げる理想と危険を見て、自分が何を守りたいのかを少しずつ知り始めていた。
魔のものの生存権を背負うハドラー。
人間と魔の双方の自由を守ろうとするアバン。
どちらも譲れぬものを持っている。
だからこそ、いつか必ずぶつかる。
その予感だけが、ロモス城の軍議室に静かに満ちていた。