(魔界の)神様(に)転生!そして伝説へ… 作:ぶーく・ぶくぶく
アバンは、ロモスの村々を歩いた。
最初は、疑いの目で見ていた。
魔王軍に制圧された国。
人間の王が残されているとはいえ、実権はハドラーの手にある。
悪魔の目玉が空を飛び、魔物が街道を歩き、魔族の役人がロモスの官吏と肩を並べて帳簿を見ている。
これは占領だ。
その事実は変わらない。
だが、アバンが実際に見たものは、彼の想像よりもずっと複雑だった。
畑では、農民たちとオークたちが一緒に土を耕していた。
はじめ、アバンは目を疑った。
オークといえば、人里を襲う魔物の代表のように語られる。
粗暴で、力任せで、恐ろしい。
そう思われてきた種族である。
だが、目の前のオークたちは鍬を担ぎ、農民と並んで汗を流していた。
「そこは深く掘りすぎるな!」
年老いた農夫が怒鳴る。
「お、おう。すまん」
大柄なオークが、少し肩をすくめた。
「力が強すぎるんだよ、お前さんらは。土を起こすのは助かるが、根を切っちまったら意味がない」
「難しいな、畑というのは」
「戦より難しいぞ」
農夫が得意げに言うと、周囲の人間たちもオークたちも笑った。
アバンは黙ってその光景を見ていた。
別の畦では、オークが重い石を運び、農民が石垣を組む。
人間では一日がかりの作業を、オークは半日で終わらせる。
その代わり、細かい種まきや水の加減は農民が教える。
支配者と被支配者ではない。
少なくとも、その畑にいる者たちは、互いの力を使って働いていた。
村の井戸では、スライムたちが水桶のそばに集まっていた。
子供が柄杓で濁った水を注ぐと、透明なスライムがぷるぷると震えながらそれを飲み込む。
しばらくして、身体の反対側から澄んだ水が落ちた。
「はい、きれいになったよ!」
子供が笑う。
スライムが誇らしげに跳ねた。
そばにいた老婆が手を合わせる。
「助かるよ。前は大雨の後は井戸が濁って腹を壊す者が多かったからねえ」
スライムは、ぷるん、と返事のように揺れた。
アバンは少し身をかがめる。
「これは、ろ過をしているんですか」
村の若い役人が答えた。
「ええ。ザボエラ院から来た指導です。スライムにも種類がありまして、水を綺麗にできる個体を村ごとに配置しているそうです」
「スライムを、村の水管理に」
「はい。最初は皆怖がりましたが、今では子供たちの人気者です」
その言葉の通り、子供たちはスライムを撫でている。
スライムも嫌がる様子はない。
むしろ、撫でられるたびに得意そうに弾んでいた。
村の広場には、悪魔の目玉が浮かんでいた。
監視装置。
アバンは最初、そう見た。
実際、それは間違っていない。
悪魔の目玉は村の様子を王都へ伝え、反乱の兆しも、不正も、異変も見逃さない。
だが、それだけではなかった。
「北の村で熱病が出たそうです!」
悪魔の目玉の瞳に、別の村の映像が映る。
村長が慌てて答えた。
「薬草ならうちに余りがある。昨日、森で採ってきた分だ。すぐ送れるぞ」
悪魔の目玉がまばたきをする。
少し遅れて、王都の役人の声が返った。
『確認しました。街道の安全をクロコダイン隊に要請します。薬草搬送班を出してください』
その日のうちに、村の若者たちが薬草を抱えて出発した。
護衛についたのは、牙のある魔物たちだった。
彼らは街道沿いの獣を追い払い、夜には火の番をした。
かつてなら、人間が恐れた魔物たちが、今は薬草を運ぶ人間を守っている。
アバンはその後ろ姿を見つめた。
魔物が人を守る。
それは言葉にすれば簡単だ。
だが、実際に見ると胸に重く残る。
森の入り口では、別の光景があった。
薬草採りの女たちが、魔物の案内で森へ入っていく。
小柄な魔物が鼻を鳴らし、毒草と薬草を見分ける。
大きな獣の気配が近づくと、魔物たちは即座に前へ出た。
「今日は奥へ行きすぎるな」
魔物の一体が低く言う。
「昨日、牙猪の群れが移動していた。人間の足では逃げきれん」
薬草採りの女が頷く。
「わかったよ。じゃあ、この辺りまでにしておく」
「その赤い葉は採るな。腹を壊す」
「あんた、詳しいねえ」
「ザボエラ院の放送で見た」
女たちが笑った。
魔物も、少し得意そうに胸を張った。
アバンは、その笑い声を聞いて立ち止まった。
ロモスには笑顔があった。
人間だけではない。
魔物にも。
オークが農民に叱られて困ったように笑う。
スライムが子供に撫でられて嬉しそうに跳ねる。
悪魔の目玉が村々を繋ぎ、遠くの困りごとへ即座に手が伸びる。
魔物が薬草を集め、人間を獣から守る。
もちろん、すべてが美しいわけではない。
魔王軍への恐怖は残っている。
悪魔の目玉の監視を嫌う者もいる。
人間と魔物が同じ道を歩くことに耐えられない者もいる。
魔物の中にも、人間を見下す者はいる。
従わぬ者を敵とするハドラーの思想は、確かに危うい。
だが。
だが、それでも。
ここには暮らしがあった。
アバンは、村外れの丘に立って夕暮れを見ていた。
畑から帰る農民たち。
荷車を押すオーク。
水桶の中で揺れるスライム。
空に浮かぶ悪魔の目玉。
その下で走り回る子供たち。
人間の子供が転び、隣にいた小さな魔物が手を貸す。
子供は少し驚き、それから笑って礼を言う。
魔物は照れたようにそっぽを向いた。
アバンは、その光景から目を逸らせなかった。
「……困りましたね」
ひとりごとのように呟く。
魔王ハドラーは危険だ。
それは変わらない。
彼はロモスを武力で制圧した。
従わない者を敵と呼ぶ。
魔のものの生存権を守るためなら、人間の自由を踏みにじる可能性もある。
だが、彼の統治がただの悪だと言い切ることは、もうできなかった。
ここには救われた者がいる。
便利になった暮らしがある。
守られている村がある。
そして、人と魔物の笑顔がある。
「剣で斬るには、あまりにも多い」
アバンは静かに言った。
敵と味方。
人間と魔物。
正義と悪。
そんな単純な線では、このロモスは切り分けられない。
アバンはまだ勇者ではない。
だが、この日、彼は理解した。
いつか自分が剣を取る日が来るとしても、それはただ魔王を倒すためだけでは足りない。
人と魔物が笑える可能性を、壊さずに守るため。
そのための剣でなければならない。
丘の下から、子供たちの笑い声が聞こえる。
人間の子供と、スライムと、小さな魔物が一緒に遊んでいた。
アバンは目を細めた。
「これは……本当に、困りました」
その声には、わずかな笑みが戻っていた。
だが、いつもの軽い笑みではない。
世界の難しさを知ってしまった青年の、少し苦い笑みだった。