(魔界の)神様(に)転生!そして伝説へ… 作:ぶーく・ぶくぶく
その日を、バーンは待っていた。
数百年。
魔界の荒野を耕し、水路を掘り、ザボエラに土と命を研究させ、ジオウ衆に岩盤を読ませ、オトギリ姫に海底の民を移住させ、ハドラーに地上の橋頭堡を築かせた。
すべては、この日のためである。
魔界の奥深く、バーンの城。
玉座の間には、巨大な黒水晶が浮かんでいた。
その中に映るのは、魔界の別大陸。
冥竜王ヴェルザーの領域。
そして、竜の騎士バランとの戦場であった。
黒雲が渦巻いている。
大地は割れ、山は砕け、空には雷と瘴気が絡み合っていた。
竜の咆哮が魔界の空を震わせ、竜闘気が闇を裂く。
ヴェルザーとバラン。
魔界における、二つの怪物の戦い。
玉座の前には、ミストバーン、ハドラー、ガンガディア、ザボエラ、ジオウ衆の長ジョウ、そして海底宮殿から呼ばれたオトギリ姫が控えていた。
誰もが無言だった。
ただ一人、バーンだけが玉座に座り、黒水晶の中の戦いを見つめていた。
彼は知っている。
原作知識。
この世界の未来において、冥竜王ヴェルザーは竜の騎士バランを葬るため、黒の核晶を使う。
魔界の大陸を一つ消し飛ばすほどの悪夢の兵器を。
そして、バランは生き残る。
ヴェルザーは自らの領土を吹き飛ばし、得るべき勝利すら得られぬ。
その愚行は、魔界に刻まれる。
ならば利用する。
バーンは、そう決めていた。
黒の核晶。
魔力を無尽蔵に吸う黒魔晶を呪術加工した、忌まわしき超破壊兵器。
悪人ですら恐れ、邪悪な魔物ですら使うことをためらう地獄の火種。
それが今、二つ存在している。
一つはヴェルザーの手に。
もう一つは、地上の大海の底。
ギアガの大穴予定地、その中央。
オトギリ姫が海底の民を移住させ、ジオウ衆が爆圧誘導の術式を刻み、バーン自身が結界の骨格を編み込んだ場所に、ひそかに沈められている。
玉座の間に、悪魔の目玉からの報告が重なる。
『ギアガ予定海域、移住完了』
『海底外郭結界、展開待機』
『黒の核晶、魔力充填率、臨界前安定』
『オトギリ姫配下、周辺海域封鎖中』
『ジオウ衆、爆圧誘導陣、異常なし』
ジョウが小さく息を吐いた。
「ほんまに、やるんやな」
バーンは答えない。
黒水晶の中で、ヴェルザーが咆哮した。
その巨体の胸元に、黒い光が脈打っている。
バランも気づいた。
竜の騎士の顔が険しくなる。
それは剣でも魔法でもない。
ただの攻撃ではない。
世界を殺す兵器。
黒の核晶。
ハドラーが低く唸った。
「忌まわしい伝説の超爆弾……本当に使う気か、ヴェルザー」
ガンガディアが眼鏡の奥で目を細める。
「使いますな。あれは支配者ではなく、敗北を恐れた者の顔です」
ザボエラは額の汗を拭った。
「使えば自分の領土も消えるというのに……愚かにもほどがあるわい」
バーンは静かに言った。
「だからこそ、余の隠れ蓑となる」
玉座の間が沈黙する。
ヴェルザーの黒の核晶が、黒水晶の中で光を増していく。
遠い戦場からでもわかるほどの、異常な魔力反応。
それは魔界の大気を震わせ、天界の目を引き寄せる。
神々の監視は、今この瞬間、ヴェルザーへ向かう。
バーンは知っていた。
天界は見る。
竜の騎士と冥竜王の戦いを。
黒の核晶という悪夢の兵器を。
魔界の大陸を巻き込む破滅を。
だから、その瞬間に重ねる。
「ミスト」
バーンが呼んだ。
「御前に」
「ギアガ側の術式を起動準備」
「はっ」
「ジョウ」
「はいな」
「爆圧誘導陣を開け。下へ抜く。一切、横へ逃がすな」
ジョウの顔から軽さが消えた。
「了解や。海も島も巻き込ません。穴だけを抜く」
「オトギリ姫」
「はっ」
「海の者を退かせたな」
「予定円内、生存反応なし。周辺海域の封鎖も完了しております」
「よい」
バーンは黒水晶を見つめた。
ヴェルザーが吠える。
バランが竜闘気を高める。
黒の核晶が、完全に臨界へ入った。
バーンの目が細くなる。
「来るぞ」
次の瞬間。
魔界の一角が、白くなった。
音は遅れてきた。
いや、音というにはあまりにも巨大すぎた。
光。
熱。
魔力。
衝撃。
冥竜王ヴェルザーの大陸が、中心から膨れ上がる。
山脈が消え、城砦が消え、谷が消え、竜の眷属も、魔物の群れも、土も岩も歴史も、すべてが白い破壊の中に呑まれていく。
天界の目が、そこへ釘付けになる。
その瞬間、バーンは玉座から立ち上がった。
「今だ」
ただ一言。
それが合図だった。
地上の海底。
ギアガ予定地の中央に沈められていた黒の核晶が、起爆した。
海の底で、太陽が生まれた。
ただしそれは、命を育む太陽ではない。
地獄の火種が放った、黒き破壊の太陽である。
海底に刻まれた結界陣が一斉に輝く。
爆圧は横へ広がろうとした。
海を蒸発させ、島を砕き、周辺海域を滅ぼそうとした。
だが、その力をバーンの結界が押さえ込む。
横ではない。
下へ。
地上の海底と魔界の境界へ向けて、黒の核晶の破壊力が槌のように叩き込まれる。
海底が割れた。
岩盤が砕ける。
世界の底が悲鳴を上げる。
海溝が開き、闇が裂け、そのさらに下にあるはずのない空間が口を開ける。
ギアガ。
地上と魔界をつなぐ、神の孔。
まだ完全ではない。
まだ安定していない。
だが、穴は開いた。
地上の海が、底を失った。
最初に落ちたのは、海底の泥だった。
続いて、岩。
砕けた珊瑚。
深海魚の群れ。
そして、海水。
膨大な海水が、轟音と共に下へ向かって崩れ落ちる。
それは滝ではなかった。
海そのものが落ちていた。
地上の大海に、巨大な渦が生まれる。
円形の海域が陥没し、波が内側へ引きずり込まれ、白い泡と黒い穴が混ざり合う。
だが、移住は終わっている。
周辺海域は封鎖されている。
オトギリ姫の海魔たちは、円の外で水流を読み、逃げ遅れた生物を押し出していた。
それでも、光景は地獄だった。
海が落ちる。
大瀑布となって、魔界へ。
魔界側では、ヴェルザーの黒の核晶によって消滅した大陸の跡地が、巨大な空白となっていた。
そこにはもう、山も城も森もない。
ただ、焼け焦げた大地の残骸と、底知れぬクレーターだけが残っている。
その空へ、地上の海水が降り注いだ。
最初の一滴は、誰にも見えなかった。
だが次の瞬間、空が裂けたように見えた。
轟音。
白い柱。
地上の海水が、魔界へ落ちる。
大陸の消えた跡地へ。
ヴェルザーが自らの愚行で空けた、巨大な傷口へ。
そこへ、バーンが開けたギアガの大穴から、海が降る。
黒焦げの大地に水が叩きつけられた。
熱で蒸気が爆発する。
魔界の空に、白い霧が立ち上る。
蒸気は雲となり、魔界には存在しなかった雨の気配を帯び始める。
魔界が揺れた。
地上も揺れた。
大陸を失った魔界の震動と、海底を抜かれた地上の震動。
二つの世界が同時に悲鳴を上げる。
地上の王たちは、何が起きたかわからず空を見た。
海辺の漁師は、沖合に生まれた巨大な渦を見て腰を抜かした。
ロモスの港町ソフィアでは、海の魔物たちが一斉に沖へ向かい、船を湾内へ押し戻した。
魔界では、遠くの山々から魔族たちが空を見上げた。
暗い魔界の空に、白い柱が落ちている。
水。
信じがたい量の水が、天から降っている。
いや、天ではない。
地上から。
ギアガの大穴から。
玉座の間では、黒水晶が激しく震えていた。
ヴェルザーの大陸消滅。
バランの竜闘気。
黒の核晶の破壊反応。
そして、それに重なるギアガ開通の衝撃。
天界の監視は混乱している。
すべてがヴェルザーの黒の核晶による余波に見える。
魔界の大陸消滅も、空間の歪みも、地上側の海底異変も。
ヴェルザーがやった。
そう見えるように、バーンは時を合わせた。
ミストバーンが低く言う。
「成功です」
ジョウは膝に手をつき、深く息を吐いた。
「穴は開いた……けど、まだ暴れとる。海が全部落ちる前に支えなあかん」
ザボエラが叫ぶ。
「魔界側の水蒸気が想定より多い! 疫病対策班を動かすぞい!」
オトギリ姫は震える声で言った。
「深海に……光が……」
彼女の視線の先。
地上の海底側では、黒い穴の縁から、不思議な光が漏れ始めていた。
魔界へ落ちる光。
そして、魔界から反射する青白い輝き。
深海に、太陽の筋が通る。
バーンは玉座の前に立ったまま、静かに片手を上げた。
ここからが本番だった。
穴を開けるだけなら、黒の核晶で足りる。
だが、海を支えるにはバーンの力が要る。
大結界。
地上の海を落とさず、必要な水だけを魔界へ導くための、世界規模の結界。
バーンの魔力が広がる。
城が軋む。
魔界の空が震える。
ギアガの大穴の縁に、黄金と黒の光が走る。
落ちる海水の量が、わずかに絞られていく。
崩壊する渦が、形を持ち始める。
無秩序な落下が、制御された大瀑布へ変わっていく。
バーンは笑わなかった。
勝利に酔うこともしなかった。
これは破壊ではない。
始まりだ。
地上の海底は抜けた。
魔界の消滅大陸跡には、海水が降り注いだ。
ヴェルザーの愚行は、バーンの神業の隠れ蓑となった。
だが、ここから数百、数千の調整が必要になる。
水路を開く。
蒸気を逃がす。
疫病を防ぐ。
海の民の新天地を整える。
地上の諸国への説明を捏ね上げる。
天界の疑いをそらす。
そして何より、海を支え続ける。
バーンは静かに告げた。
「ギアガの大穴、開通」
その声は玉座の間に落ち、やがて魔界全土へ伝わっていく。
魔界に、初めて地上の海が降った日。
ヴェルザーの大陸が消えた日。
天界が冥竜王の愚行に目を奪われた日。
そして、大魔王バーンが地上と魔界の運命を一つに縛り始めた日。
後の世に、その日はただ一つの名で呼ばれる。
Xデー。
魔界に水が落ちた日である。