(魔界の)神様(に)転生!そして伝説へ… 作:ぶーく・ぶくぶく
大魔王バーンは、原作という名の未来を破壊したつもりでいた。
アバンは勇者になっていない。
カール王国の若き使者であり、学者肌の剣士ではあるが、少なくとも今の彼は世界を救う勇者ではない。
魔王ハドラー討伐の旅もなく、凍れる時の秘法もなく、あの形でのアバンの使徒たちも生まれない。
ロカとレイラは出会っていない。
ならばマァムも生まれない。
マトリフは、ヨミカイン古代図書に封じられたまま。
あの偏屈で強烈な大魔道士が表舞台に出る可能性は低い。
ディーノは魔界に保護され、ソアラとバランのもとにいる。
デルムリン島へ流れ着かず、鬼面道士ブラスに拾われることもない。
ゆえに、ディーノはダイにならない。
竜の騎士バランは地上に絶望しつつも、魔界とテランに細い糸を残している。
原作のように全てを憎み、地上を滅ぼそうとする道からは遠ざけた。
そして、ヒュンケル。
原作において、魔王軍最強の騎士バルトスに拾われ、育てられ、やがてアバンへの憎しみを抱くことになる男。
そのフラグも、潰したはずだった。
なぜなら、この世界のハドラーは原作とは違う。
地底魔城に籠もる魔王ではない。
ロモス王国を制圧し、その王宮を政庁として使い、必要に応じて鬼岩城を地上戦略の要として動かす、地上橋頭堡の支配者である。
魔王軍も、単なる破壊集団ではない。
ロモスを統治し、交易を守り、魔物と人間の共生を進め、魔界の未来のために地上を使う軍政組織へ変わりつつある。
だから当然、バルトスの立場も違う。
地底魔城の地獄門を守る番人ではない。
六本の腕に刀を持つ、鎧兜の骸骨騎士。
がいこつけんし族の地獄の騎士。
ハドラーの魔力によって生きるアンデッドモンスター。
かつて魔王軍最強の騎士と呼ばれたその武人は、今もハドラーの側に仕えている。
ロモス王宮での政務中は謁見の間の脇に立ち、鬼岩城に入れば中枢区画の警護を担う。
ハドラーが戦場に出れば、六刀を携えてその背を守る。
ハドラーからの信頼は絶対であった。
バルトスは強い。
だが、強いだけではない。
騎士道精神と武人気質を持ち、敵であっても敬意を抱くべき相手には礼を尽くす。
弱者を踏みにじることを好まず、心根を重んじる。
だからこそ、ハドラーは彼を側に置いた。
そのバルトスに関する報告が、バーンパレスの玉座の間へ届いた。
悪魔の目玉が映像を開く。
映し出されたのは、ロモス王宮の内郭であった。
ロモス王シナナが使う王宮とは別に、魔王軍の軍政区画として整えられた一角。
石造りの広間に、魔物兵と人間官吏が行き交い、悪魔の目玉が空中を滑る。
その奥に、ハドラーがいた。
傍らにはガンガディア。
そして、ハドラーの少し後ろに、バルトスが立っている。
六本の腕を持つ骸骨騎士。
鎧兜の胸元には、小さな紙の星が下げられていた。
星の勲章。
幼い子供の手で折られた、不格好な紙の星である。
その隣に、少年がいた。
年の頃は六つほど。
銀色の髪。
まだ幼さの残る顔。
だが、目には妙に強い光がある。
少年はバルトスの外套を片手で握り、もう片方の手で木剣を抱えていた。
恐れている。
しかし逃げない。
知らない相手へ警戒心を向けながら、それでも真正面から映像の向こうを見ている。
その顔を見た瞬間、バーンは理解してしまった。
違う。
違うはずだ。
この少年は、原作のヒュンケルではない。
ホルキア大陸で拾われた赤子ではない。
魔王軍の侵攻で焼けた村に置き去りにされた子ではない。
地底魔城でバルトスに育てられた子でもない。
この子はロモスで捨てられた赤子だ。
ハドラーがロモスを制圧し、王宮と行政を押さえ、村々に悪魔の目玉を配置していた頃。
王都近郊の古い祠の陰に、布に包まれて捨てられていた赤子。
人間側の混乱の中で捨てられたのか。
貧しさゆえか。
魔王軍統治を恐れた親が置いていったのか。
あるいは別の事情があったのか。
詳しいことはわからない。
ただ、その赤子を見つけたのがバルトスだった。
巡回中、泣き声に気づいた。
近づくと、人間の赤子がいた。
寒さに震え、飢え、しかしまだ生きていた。
バルトスはそれを拾った。
魔王軍最強の騎士が、人間の赤子を抱えてロモス王宮へ戻った。
魔物兵たちは戸惑った。
人間官吏たちはさらに戸惑った。
だが、ハドラーは咎めなかった。
バルトスが拾った命ならば、バルトスに預ける。
それだけだった。
以後、その子はロモス王宮の魔王軍区画で育った。
城の外に自由に出ることは難しかったが、閉じ込められていたわけではない。
王宮の中庭を走り、魔物兵の訓練場を覗き、スライムにじゃれつき、悪魔の目玉を追いかけた。
最初はぎこちなかった周囲のモンスターたちも、次第にその子を受け入れた。
オークが肩車をし、骸骨兵が木剣の相手をし、ガーゴイルが高い棚の菓子を取ってやり、悪魔の目玉が絵本代わりに遠い村の映像を見せた。
そしてバルトスは、その子を実の息子のように育てた。
剣を教える前に礼を教えた。
強さを教える前に、弱き者を踏みにじってはならぬと教えた。
敵であっても、敬意を払うべき相手はいると教えた。
ある日、少年は折紙で星を作り、バルトスへ贈った。
星の勲章。
バルトスはそれを首から下げ、今も大切にしている。
そこまではよい。
魔王軍にあるまじき酔狂ではあるが、この世界のロモスならばあり得る。
人と魔物が共に働き始めた国で、人間の孤児を魔物が育てる。
それは象徴としても悪くない。
問題は、その少年の名だった。
『その子は』
老バーンが問う。
映像の中で、バルトスが膝をつく。
『我が養い子にございます』
『人間の子か』
『はい』
『名は』
バルトスは、迷いなく答えた。
『ヒュンケル、と名付けました』
玉座の間の空気が、ほんの一瞬だけ止まった。
ヒュンケル。
その名。
その銀髪。
その目。
状況的に見れば、別人のはずだった。
原作と同じ経緯ではない。
拾われた場所も違う。
時代の流れも違う。
ハドラーの立ち位置も違う。
バルトスの役割も違う。
なのに、どう見てもヒュンケル本人に見える。
六歳前後の幼い姿。
まだ少年らしい柔らかさはある。
しかし銀色の髪と、芯の強い目と、どこか影を抱えた雰囲気。
顔立ちだけではない。
立ち方。
警戒の仕方。
バルトスの後ろに隠れながらも、決して目を逸らさないあの気質。
バーンだけが知る未来のヒュンケル。
あれに似すぎていた。
老バーンの表情は変わらない。
大魔王の顔に、動揺など浮かべるわけにはいかない。
だが内心では、静かに天を仰いでいた。
世界の修正力すげぇな。
どうしてもバーンを殺したいのか。
アバンは勇者ではない。
マァムはいない。
マトリフは封じた。
ダイもいない。
バランは魔界に保護した。
そこまでやった。
そこまでやってなお、ヒュンケルという名が現れる。
しかも、バルトスの養い子として。
場所も状況も違う。
原作の経緯とは無関係のはず。
それなのに、見た目も気配も配置も、あまりにも同じ方向へ寄っている。
偶然と言うには、あまりにも露骨だった。
老バーンは、玉座の肘掛けに指を置く。
『ヒュンケル』
名を呼ばれた少年が、びくりと肩を震わせた。
バルトスの外套を握る手に力が入る。
だが、逃げない。
少年はぎこちなく膝をついた。
『だ、大魔王さま……』
声は幼い。
けれど、目だけは強かった。
バーンはその目を見た。
原作の未来で、幾度も死地から蘇り、正義と闇の狭間で戦い続ける不死身の戦士。
その片鱗が、六歳の少年の目にある気がした。
気のせいであってほしい。
だが、こういう勘は大抵外れない。
『バルトス』
『はっ』
『その子を、どう育てるつもりだ』
バルトスは迷わなかった。
『まずは人として育てます』
六本の腕を静かに伏せる。
『その上で、剣を望むなら剣を。学びを望むなら学びを。騎士としての道を望むなら、我が持てるものを授けます。ただし、憎しみを与えて育てるつもりはありません』
『復讐の道具にはせぬか』
『断じて』
バルトスの声は固かった。
『この子は親を失いました。だからといって、憎しみを糧にせよとは教えませぬ。強くあれとは教えます。だが、強さを憎悪に預けてはならぬとも教えます』
バーンは黙って聞いた。
このバルトスは、原作でヒュンケルの根幹となる騎士道そのものを持っている。
敵であっても女性を殺さず、卑劣な手段を嫌い、武人としての誇りを捨てない。
そうした精神の種は、ここで確かに育っている。
つまり、危険だ。
非常に危険だ。
だが同時に、希望でもある。
原作のヒュンケルは、バルトスの死と誤解によって憎悪へ落ちた。
アバンを父の仇と誤認し、人間への憎しみを芽生えさせ、魔王軍六大団長として人間を敵に回した。
だが、この世界では違う。
アバンはハドラーを倒していない。
ハドラーは死んでいない。
魔力供給は途絶えていない。
バルトスも、ヒュンケルの目の前で灰になる予定はない。
ならば、ヒュンケルの憎しみは発生しない。
少なくとも、原作と同じ形では。
それでも油断はできない。
世界がこの名を再び出した以上、何らかの役割を持たせるつもりなのかもしれない。
バーンは静かに言った。
『よかろう』
ハドラーが顔を上げる。
『バーン様』
『バルトスが拾った命だ。バルトスに育てさせよ』
『はっ』
『ただし、記録は残せ。出自、発見場所、成長、魔力、剣才、交友。すべてだ』
ガンガディアが一礼する。
『承知しました。行政記録ならびに軍務記録の双方に残します』
『ザボエラにも診せよ。病、呪い、血統異常の有無を調べる』
『はっ』
『そしてハドラー』
『はっ』
『その子を、粗末に扱うな』
ハドラーの目がわずかに細くなる。
バーンの声は変わらない。
『人間であろうと、魔の者であろうと、拾った命をどう扱うかで国の器は決まる。バルトスが守ると言うなら、守らせよ』
ハドラーは深く頭を下げた。
『御意』
その後ろで、ヒュンケルがバルトスの外套を握りしめていた。
まだ六歳ほどの小さな手。
だが、その手は確かに地獄の騎士の衣を掴んでいる。
バルトスは六本の腕のうち一本を伸ばし、少年の銀髪にそっと触れた。
骸骨の騎士と、人間の子。
魔王軍にあるまじき光景。
だが、そこには確かに親子がいた。
通信が終わる。
悪魔の目玉の映像が消え、玉座の間に静寂が戻った。
ミストバーンは、変わらず玉座の傍らに立っている。
「バーン様」
「何だ」
「何か、気にかかることでも」
老バーンは、しばらく黙っていた。
やがて、低く笑う。
「いや」
その笑みは、大魔王としてのものだった。
「世界というものは、時に面白い形で帳尻を合わせると思っただけよ」
ミストバーンはそれ以上問わなかった。
バーンは玉座から、白亜の大魔宮の外を見やる。
地上にはギアガの大穴が開いた。
魔界には地上の水が落ちている。
ロモスでは人と魔物が共に働き始めている。
バランは魔界に保護され、ディーノはダイにならない。
アバンはまだ勇者ではない。
原作は、確かに壊した。
だが、物語は消えない。
別の道を通って、似た名が現れる。
別の土地で、似た縁が結ばれる。
潰したはずの役者が、形を変えて舞台袖から顔を出す。
ヒュンケル。
ロモスで捨てられ、バルトスが拾い、育てた銀髪の人間の少年。
状況だけなら別人のはず。
だが、どう見ても本人に見える。
この子が何になるのか、まだわからない。
ただ一つだけ、バーンには確信があった。
放置してよい存在ではない。
殺すべきか。
一瞬、その選択肢は浮かんだ。
だが、すぐに消した。
六歳の子供を殺してまで未来を恐れる大魔王など、器が小さすぎる。
それに、そんなことをすれば、かえって世界のどこかでより悪い形の修正が起きるかもしれない。
ならば、見る。
記録し、育て、取り込み、必要ならば導く。
世界がどうしてもヒュンケルを必要とするなら、こちらの物語の中で育ててやればいい。
バーンは静かに目を細めた。
「よかろう、世界よ」
誰にも聞こえぬほど低い声で、大魔王は呟いた。
「その名を再び出すというなら、余も見届けてやろう」
白亜のバーンパレスは、空に浮かんでいる。
その下で、原作とは似ても似つかぬ世界が広がり始めていた。
だがその片隅で、ヒュンケルという名だけが、静かに息を吹き返していた。