(魔界の)神様(に)転生!そして伝説へ… 作:ぶーく・ぶくぶく
バーンパレスの玉座の間には、今日も悪魔の目玉が浮かんでいた。
白亜の柱の間を、いくつもの眼球が静かに漂う。
それぞれが地上各地の映像を映し出し、ロモス、カール、パプニカ、ベンガーナ、ランカークス、そして魔の森の様子を、玉座の主へ伝えていた。
大魔王バーンは、その報告を黙って見ていた。
まずはロモス。
魔の森のネイル村。
そこに、ロカとレイラの家があった。
ロカはカール王国を出奔した。
理由はいくつかある。
カール宮廷の重苦しい空気。
戦士としての自負。
まだ勇者ではないアバンとのすれ違い。
そして本人の性分。
自由を求めたのか。
己の剣を試したかったのか。
あるいは、誰かに導かれるように城を出たのか。
いずれにせよ、ロカはカールを離れ、流れ流れてロモスへ入った。
そして、魔の森のネイル村でレイラと出会った。
そこはもはや、かつてのような単なる危険地帯ではない。
キギロの管理下で緩やかに広がり、クロコダインの縄張りとも接し、人と魔物の境界が曖昧になりつつある土地。
村の周囲には、普通の森と魔の森が混じり合うように広がっている。
畑の端にスライムが跳ね、木陰には魔物避けと魔物招きの札が並び、村人たちは警戒しながらも、その奇妙な均衡の中で暮らしている。
そのネイル村で、ロカとレイラは家庭を築いていた。
悪魔の目玉が映すのは、粗末だが温かな家だった。
薪が積まれ、軒先には洗濯物が揺れ、壁には手入れされた剣が掛けられている。
そして、そこには小さな子供がいた。
マァム。
もう生まれている。
まだ幼い。
だが、母の腕の中で元気に手足を動かし、父の声に反応して笑っている。
レイラがその子を抱き、ロカが不器用な顔で覗き込んでいる。
戦士の手は大きく、赤子を抱くにはぎこちない。
それでもロカは、慎重に、壊れ物を扱うように娘を抱いた。
マァムは泣きもせず、父の胸元を掴んだ。
ロカが笑う。
レイラも笑う。
ネイル村の小さな家に、家族の空気が満ちていた。
バーンは、玉座の肘掛けに指を置いた。
ロカ。
レイラ。
マァム。
原作通りではない。
カール王国でもない。
勇者アバンの旅の果てでもない。
魔王討伐後の平和な村でもない。
ロモスの魔の森。
魔王軍の統治下にある土地。
人と魔物が奇妙に共存し始めたネイル村。
だが、名前と縁は繋がっている。
世界は、また帳尻を合わせていた。
次の映像は、ベンガーナからランカークスへ移った男を映していた。
ジャンク。
ベンガーナを出奔した鍛冶師。
商人と職人と武器屋の匂いを併せ持つ男。
その男は、ランカークスで小さな武器屋を開いていた。
店先には剣、槍、斧、杖、鎧、盾。
乱雑だが、品は悪くない。
店主は客に口うるさく文句を言いながらも、武器を見る目だけは確かだった。
そして、その店の奥に小さな子供がいた。
ポップ。
まだ幼い。
悪戯っぽく、落ち着きがなく、父親の目を盗んでは店の道具に触りたがる。
魔法使いとしての才は、まだ表に出ていない。
だが、いる。
ポップも、いる。
バーンの目が細くなった。
ヒュンケルは、ロモスで捨てられた赤子としてバルトスに拾われた。
状況的には別人のはずなのに、どう見てもヒュンケル本人だった。
ロカはカールを出て、ロモスの魔の森のネイル村でレイラと家庭を築いた。
マァムは既に生まれている。
ジャンクはベンガーナを出て、ランカークスで武器屋を開いた。
ポップもそこにいる。
ディーノはダイにならない。
そのはずだ。
デルムリン島へ流れ着かず、ブラスに拾われず、魔法も剣も島の魔物たちから学ばない。
バーンパレスで父母に守られ、竜の騎士の血を持つ王子のように育っている。
それでも。
それでも、世界はどこかで勇者の一行を揃えようとしているのか。
アバンは勇者になっていない。
だが、アバンはいる。
ロカもいる。
レイラもいる。
マァムもいる。
ジャンクもいる。
ポップもいる。
ヒュンケルもいる。
ディーノもいる。
駒は、形を変えて盤上に戻ってきている。
バーンは静かに息を吐いた。
その膝元で、小さな手が玉座の装飾に触れた。
「ばーんさま」
幼い声が響く。
ディーノだった。
金色の瞳に、竜の騎士の血を思わせる澄んだ力がある。
まだ小さく、柔らかく、世界の悪意など知らぬ顔をしている。
だが、その内側には竜の力が眠っている。
バランとソアラの子。
本来ならデルムリン島でダイと名乗り、勇者となり、大魔王バーンの前に立つはずだった少年。
その子が今、白亜のバーンパレスの玉座の傍らにいる。
バーンは片手を伸ばし、ディーノを抱き上げた。
ミストバーンがわずかに身じろぎしたが、何も言わない。
大魔王の膝の上に、竜の騎士の子が座る。
地上の神官が見れば卒倒しかねない光景である。
ディーノは玉座の高さが面白いのか、きょろきょろと周囲を見回した。
「たかい」
「うむ。高いぞ」
バーンは静かに答えた。
「この城は空にある。地上も、海も、魔界も、ここから見える」
「うみも?」
「見える」
悪魔の目玉の一つが、ギアガの大穴の映像を映した。
巨大な海の渦。
制御された大瀑布。
魔界へ落ちる水と光。
その周囲に輝く大結界。
ディーノは目を丸くした。
「おみず、おちてる」
「そうだ。地上の海が、魔界へ落ちている」
「こわい?」
「怖いものだ」
バーンは言った。
「だが、恐れるだけでは世界は守れぬ。力ある者は、怖いものを見て、それをどう扱うか考えねばならぬ」
ディーノは意味をすべて理解してはいない。
だが、真剣な顔で頷いた。
バーンはその幼い頭に手を置いた。
柔らかな髪。
この子をダイにしてはならない。
そう思った。
ダイとは、名ではない。
運命だ。
孤独に島で育ち、勇者に憧れ、仲間と出会い、父と戦い、世界のために己を燃やし尽くす。
あの少年は美しい。
だが、美しすぎる。
美しい勇者とは、世界が最も都合よく消費する供物である。
ディーノを、その供物にはしない。
バーンは、悪魔の目玉の映像を消した。
玉座の間に、白い静寂が戻る。
「ディーノ」
「なあに?」
「今日は、竜の騎士の話をしてやろう」
ディーノが顔を上げた。
「ちちうえのはなし?」
「そうだ。お前の父、バランの話だ」
ディーノの目が輝く。
幼い子にとって、父の話はそれだけで特別なものだった。
「ちちうえ、つよい?」
「強い」
バーンは即答した。
「この世界で、最も強き者の一人だ」
「ばーんさまより?」
ミストバーンがわずかに反応した。
玉座の間の空気が一瞬だけ固くなる。
だがバーンは笑った。
「余とは違う強さだ」
「ちがう?」
「うむ」
バーンはディーノを膝に乗せたまま、ゆっくりと語り始めた。
「竜の騎士とは、ただ強い戦士ではない。人と竜と魔、三つの力を宿し、世界の均衡を守るために生まれる者だ」
「きんこう?」
「世界が壊れぬようにすることだ」
ディーノは首を傾げた。
バーンは少しだけ言葉を変える。
「たとえば、強い者が弱い者を全部踏み潰したら、世界はつまらなくなる」
「うん」
「逆に、弱い者が数だけを頼りに強い者を恐れて殺そうとしても、世界は歪む」
ディーノはまだ完全にはわからない。
だが、アルキードの広場を知る者なら、その言葉の意味は重い。
「竜の騎士は、そのどちらにも傾きすぎぬための剣だ。強すぎる者を止め、愚かな者を戒め、世界の流れを守る」
「ちちうえ、すごい」
「そうだ」
バーンは頷いた。
「お前の父は、冥竜王ヴェルザーと戦った。魔界の竜の王だ。強大で、残忍で、己の勝利のためなら大地一つを黒の核晶で吹き飛ばすような男だった」
「くろの……?」
「黒の核晶。恐ろしい爆弾だ。軽々しく触れてよいものではない」
ディーノは小さく身を縮めた。
「こわい」
「怖いと思え。それでよい。真に恐ろしいものを恐れぬ者は、勇敢なのではない。愚かなだけだ」
バーンは淡々と続けた。
「お前の父は、そのヴェルザーを止めた。地上と魔界を守った。世界を救ったのだ」
「ちちうえが?」
「そうだ」
「じゃあ、ちちうえは、ゆうしゃ?」
その言葉に、バーンは少しだけ目を細めた。
勇者。
世界が好む言葉。
世界が人に与え、そして人を燃やす称号。
「勇者と呼ぶ者もいるだろう」
バーンは言った。
「だが、竜の騎士は勇者である前に、竜の騎士だ」
「どうちがうの?」
「勇者は、人々の願いを背負う」
バーンの声は低い。
「竜の騎士は、世界の重みを背負う」
ディーノはじっと聞いていた。
「人々の願いは美しい。だが、時に勝手だ。自分たちを守れと言い、怖くなれば守った者を化け物と呼ぶ」
ソアラの名は出さなかった。
アルキードの名も出さなかった。
だが、バーンの声には冷たい響きがあった。
「だからディーノ。覚えておけ」
「うん」
「誰かに勇者になれと言われても、すぐ頷くな」
ディーノは瞬きをした。
「ゆうしゃ、だめ?」
「駄目ではない」
バーンは幼子の頭を撫でた。
「だが、勇者という名は甘い毒だ。皆が称え、皆が頼り、皆が縋る。その果てに、勇者だけが血を流す」
ディーノは小さく眉を寄せた。
難しい話だ。
けれど、バーンはあえて話した。
幼い頃から聞かせるべきだと思った。
この子には、勇者への憧れではなく、竜の騎士としての自覚を植え付ける。
世界を救う供物ではなく、世界を見定める者として育てる。
「お前はディーノだ」
バーンは言った。
「ダイではない」
ディーノは不思議そうに首を傾げた。
「だい?」
「遠いどこかに置いてきた名だ」
「ぼく、でぃーの」
「そうだ」
バーンは満足げに頷いた。
「お前はバランとソアラの子、ディーノ。竜の騎士の血を引く者。誰かの都合で名を奪われ、役目を押しつけられる子ではない」
ディーノはよくわからないまま、けれど嬉しそうに笑った。
「ぼく、でぃーの」
「うむ」
「ちちうえのこ」
「そうだ」
「ははうえのこ」
「そうだ」
「ばーんさまの……?」
そこでディーノは言葉に詰まった。
バーンはわずかに目を細める。
「余の庇護下にある子だ」
「ひご?」
「守っている、ということだ」
「じゃあ、ばーんさまのこ?」
ミストバーンが完全に沈黙した。
玉座の間に漂う悪魔の目玉たちも、心なしか動きを止めた。
大魔王バーンは、しばし黙った。
そして、低く笑った。
「そう思いたければ、そう思うがよい」
ディーノは満足したように頷いた。
「うん」
そして、小さな手でバーンの衣を握った。
それはあまりにも無防備な仕草だった。
竜の騎士の子。
未来の勇者になるはずだった少年。
大魔王を討つ刃になるはずだった存在。
その子が、大魔王の膝の上で安心しきっている。
バーンは、もう一度悪魔の目玉を見た。
映像の向こうには、ロモスの魔の森がある。
ネイル村で、ロカとレイラがマァムを抱いている。
ランカークスには、ジャンクの武器屋がある。
その奥にはポップがいる。
ロモス王宮には、銀髪のヒュンケルがいる。
バルトスに育てられ、まだ憎しみを知らない少年。
世界は役者を揃えようとしている。
勇者パーティ。
いずれ、そう呼ばれる者たちが集まるのだろうか。
アバンが勇者でなくとも。
ディーノがダイでなくとも。
原作の道を潰しても。
世界はなお、別の道から物語を組み上げるのだろうか。
バーンは、ディーノの小さな背を支えながら考えた。
ならば、こちらも物語を書き換え続けるだけだ。
ヒュンケルには憎しみではなく騎士道を。
ポップには逃げではなく別の憧れを。
マァムには怒りではなく選択を。
アバンには勇者ではなく観察者の道を。
そしてディーノには、ダイではなく竜の騎士ディーノとしての誇りを。
勇者を作るのが世界ならば。
勇者を必要としない世界を作るのが、バーンの仕事だった。
ディーノが眠たそうに目をこすった。
「ばーんさま、つづき」
「続きか」
「ちちうえ、うぇるざー、やっつけた?」
「うむ。だが、その話は長い」
「きく」
バーンは静かに笑った。
「よかろう。ならば聞け、ディーノ」
白亜の玉座の上で、大魔王は幼子を抱いたまま語り始める。
「竜の騎士とは、神々が作った剣である。だが剣にも心がある。怒りも、悲しみも、愛もある。お前の父バランは、そのすべてを持って戦った」
ディーノは真剣な顔で頷いた。
バーンはその幼い瞳を見下ろす。
この子がいつか剣を取る日が来るとしても。
その剣の向かう先を、世界の都合で決めさせはしない。
玉座の間の外には、雲海が広がっている。
その下には地上があり、さらに下には魔界がある。
そして世界は、まだ懲りずに物語を動かそうとしている。
バーンはディーノを抱いたまま、誰にも聞こえぬほど低く呟いた。
「足掻くがよい、世界よ」
その声には、笑みがあった。
「勇者を揃えるというなら揃えよ。余はその一人一人に、別の生き方を与えてみせる」
大魔王は、眠りかけたディーノの髪を撫でる。
「この子を供物にはせぬ」
白亜の不死鳥は、静かに空を飛んでいる。
その玉座で、大魔王バーンは未来の勇者を抱きしめながら、竜の騎士の物語を語り続けた。