(魔界の)神様(に)転生!そして伝説へ… 作:ぶーく・ぶくぶく
その日の悪魔の目玉放送は、いつもの魔界開拓中継とは少し違っていた。
王都ロモスの広場。
港町ソフィアの酒場。
ネイル村の集会所。
そして密かに悪魔の目玉を吊るした他国の酒場。
あちらこちらで、人々がその放送を見上げていた。
映し出されたのは、魔界の荒野ではない。
地上だった。
深い森。
柔らかな陽光。
畑。
井戸。
木造の家々。
そして、森の際にある小さな村。
『本日の特別番組は、ロモス王国、魔の森のネイル村よりお送りします』
悪魔の目玉から、少しぎこちない解説の声が響く。
『魔界開拓で水路と畑を作り続けているジオウ衆が、地上の農業を見学し、村の皆さんと共同作業を行います』
画面の中央に、ジョウが立っていた。
土木作業着のような丈夫な衣をまとい、腰には工具袋。
背後にはタイコ、ロヒサ、グッチ、ヤモトたちジオウ衆の姿もある。
彼らの前には畑が広がっていた。
魔界の痩せた土とは違う。
黒く、柔らかく、湿り気を含んだ地上の土。
その上には青々とした葉が揺れ、畝の間には小さな虫が動いている。
ジョウはしばらく黙って畑を見ていた。
そして、しゃがみ込む。
手で土をすくった。
指の間から、柔らかい土がこぼれる。
ジョウはその土をじっと見つめた後、何を思ったか、それを一口、舌に乗せた。
周囲の村人たちがぎょっとする。
「お、おい、食うな食うな!」
ロカが慌てて声を上げた。
ジョウはもぐもぐと口を動かし、真顔で頷いた。
「良い土や」
悪魔の目玉が、その顔を大写しにする。
「地上の土地は、こんな豊かなんやな」
その声に、笑いはなかった。
ジオウ衆の仲間たちも、畑を見つめて黙っていた。
魔界では、土は死んでいることが多い。
瘴気を抜き、石を砕き、光苔を植え、水路を通し、ザボエラの改良菌を混ぜ、何年もかけてようやく作物が根を張る。
だが、地上の畑は違う。
最初から命を抱いている。
土が柔らかい。
水がある。
虫がいる。
草が育つ。
それがどれほど贅沢なことか、魔界の開拓者であるジオウ衆には痛いほどわかった。
放送を見ていたロモスの村人たちの中にも、笑いかけた顔を止める者がいた。
地上の土が豊かである。
そんな当たり前のことを、魔界の者は土を舐めて感動する。
その事実が、妙に胸へ残った。
ジョウは立ち上がり、手を払った。
「今日は、この畑の麦でパン焼くんやろ?」
レイラが頷いた。
「ええ。粉はもう挽いてあります。村の窯を使いますから、皆さんにも手伝ってもらいます」
「任せとき。練るんは得意や。土も粘土も石灰も、似たようなもんやしな」
「パン生地を土木材料みたいに言わないでください」
レイラの鋭い返しに、村人たちが笑う。
ロカも腕を組んで笑っていた。
「まあ、力仕事なら助かる。こいつら、見るからに腕はありそうだ」
「腕だけならあるで」
ジョウは笑い、ジオウ衆を振り返った。
「ほな、やるぞ。今日は魔界式やなくて、地上式を教わる日や」
作業は賑やかに始まった。
レイラが粉に水を加え、塩を入れ、酵母を説明する。
ジョウたちは真剣に聞いた。
「粉に水を入れすぎると、まとまりません。少しずつです」
「少しずつな。水路と同じやな。一気に流したら崩れる」
「発酵には時間がかかります」
「時間か。魔界ではそこが難しいんや。温度も湿りも安定せん」
「ここでは布をかけて、暖かい場所に置きます」
「なるほどなあ。地上は発酵まで優しいんか」
ジョウがしみじみ言うたび、村人たちは笑った。
だが、ジオウ衆は本気だった。
彼らにとって、パン作りはただの料理ではない。
粉が膨らむこと。
酵母が働くこと。
窯の熱が均一に回ること。
水と土と麦と火が、一つの食べ物へ変わること。
それらすべてが、魔界を豊かにするための知識だった。
やがて、生地がまとまり始めた。
ロカが袖をまくり、力強く生地を練る。
「こんなもんか?」
「もう少しです」
レイラが言う。
するとジョウが横から手を出した。
「ちょっと代わってみ」
ロカが場所を譲る。
ジョウは生地へ両手を置いた。
そして、一気に押した。
台が軋んだ。
「台! 台が壊れる!」
「おっと」
ジョウは慌てて力を抜く。
周囲からどっと笑いが起きた。
「魔族の力でパンを練るな!」
ロカが腹を抱えて笑う。
ジョウは真面目な顔で頷いた。
「地上の台、繊細やな」
「違う。お前が強すぎるんだ」
村人たちは笑い、ジオウ衆も笑った。
悪魔の目玉は、その光景を余すところなく映していた。
魔族と人間が、同じ粉に手を入れている。
同じ窯の前で汗をかいている。
同じ失敗で笑っている。
それは、魔王軍の布告よりも雄弁だった。
次に始まったのは、バター作りだった。
レイラが瓶に乳を入れ、布で口を縛る。
「これを振り続けると、脂肪分が固まってバターになります」
ジョウが瓶を受け取った。
「振るだけでええんか?」
「ええ。ただ、結構時間がかかりますよ」
「時間かかるだけなら得意や」
そう言って、ジョウは瓶を振り始めた。
しゃかしゃか。
最初は軽快だった。
十分。
二十分。
三十分。
普通の人間なら腕が疲れて休むところを、ジョウは平然と振り続けた。
しゃかしゃかしゃかしゃか。
村人たちがだんだんざわめく。
「まだ振ってるぞ」
「腕、疲れないのか?」
「魔族ってすごいな……」
四十分。
五十分。
タイコが横から別の瓶を受け取り、同じように振る。
ロヒサも続く。
グッチは両手に一本ずつ持ち、ヤモトはリズムを取りながら振り続けた。
完全に力業だった。
レイラが呆れたように笑う。
「そんなに振らなくても、途中で休んでいいんですよ」
「休んだら負けや」
「何にですか」
「乳にや」
ジョウの真剣な返答に、村中が笑った。
悪魔の目玉の向こうでも、ロモスの酒場で客たちが腹を抱えていた。
「乳に負けるな!」
「振れ! ジョウ!」
「魔界式バターだ!」
密輸された悪魔の目玉が吊るされたベンガーナの港酒場でも、商人たちが笑っていた。
「馬鹿馬鹿しいが、目が離せんな」
「ロモスの放送は妙に面白い」
「しかし、あの魔族ども、力だけは本物だ。あれだけ働けるなら、土木も進むわけだ」
笑いながら、商人たちは情報を受け取っていた。
魔族は働く。
人間と笑う。
地上の土を羨む。
ロモスでは魔物と村人が同じ窯を囲む。
それは商人たちの心にも、少しずつ染み込んでいく。
一時間を過ぎた頃、瓶の中身が変わった。
液体の音が鈍くなる。
ジョウが瓶を開けると、中には淡い黄色の塊ができていた。
「できた!」
子供たちが歓声を上げる。
レイラが覗き込み、笑った。
「ええ。ちゃんとバターになっています」
ジョウは誇らしげに胸を張る。
「見たか。魔族は乳にも勝つ」
「だから何に勝ってるんだ、お前は」
ロカが突っ込み、また笑いが起こった。
やがて、窯からパンが焼き上がった。
丸く、少し不揃いで、香ばしい匂いを立てるパン。
村人たちとジオウ衆が一緒に練り、発酵させ、焼いたパン。
レイラが熱いパンを布で包み、割った。
湯気が上がる。
そこへ、作りたてのバターを乗せた。
バターはゆっくり溶け、パンの白い中身へ染み込んでいく。
ジョウはそれを受け取り、しばらく見つめた。
「これが、地上の麦と、地上の乳と、地上の火で作ったパンか」
レイラが言う。
「ジオウ衆の皆さんも手伝ってくれましたよ」
「せやな」
ジョウはパンを一口食べた。
沈黙。
そして、目を細めた。
「……うまいなあ」
その声は、やけに静かだった。
「魔界でも、いつかこんなん焼けるようにしたいな」
レイラは少しだけ表情を和らげた。
「できますよ」
ジョウが顔を上げる。
「畑を作って、水を通して、麦を育てて。時間はかかるでしょうけど」
ロカもパンをかじりながら言った。
「力仕事なら手伝える。魔の森の開墾で世話になってるしな」
「おおきに」
ジョウは笑った。
「ほな、今度は魔界の麦で焼いたパン、持ってくるわ」
「楽しみにしています」
レイラが言う。
ロカは笑い、村人たちも笑う。
ジオウ衆も、ぎこちなく、けれど確かに笑っていた。
最後には、村の広場で皆がパンを食べた。
人間の子供が、魔族の職人にバターを塗ったパンを差し出す。
ジオウ衆がそれを受け取り、礼を言う。
ロカが笑いながらジョウの背を叩く。
レイラが追加のパンを切り分ける。
魔の森の木々の向こうで、スライムが跳ねる。
悪魔の目玉は、その光景を映し続けた。
王都ロモスの広場で。
港町ソフィアの酒場で。
他国の密輸酒場で。
多くの者が、その場面を見ていた。
魔族が地上の土に感動する姿を。
人間と魔族が一緒にパンを焼く姿を。
力任せに一時間以上瓶を振ってバターを作る馬鹿馬鹿しい姿を。
最後に皆で同じパンを食べ、笑う姿を。
それは、ただの娯楽番組だった。
少なくとも、表向きは。
だがガンガディアは、ロモス王宮の軍政区画でその反応を記録させていた。
「視聴者反応は」
「良好です。笑いが多く、警戒発言は少なめ」
「他国酒場では?」
「ベンガーナ港酒場で商人が魔族労働力に関心。パプニカ方面では織物商が魔界染料との取引可能性に言及。カール方面の神官は不快感を示しましたが、同席の客は放送を最後まで見ています」
「結構」
ガンガディアは眼鏡を押し上げた。
「次回は、魔界の痩せ地に地上式の堆肥を入れる実験を組み込みましょう。比較映像があれば、説得力が増します」
配下の魔物が頷く。
「番組名はどうしますか」
ガンガディアは少し考えた。
「そうですね」
壁の映像には、まだネイル村の笑顔が映っていた。
「『地上の畑と魔界の鍬』でよいでしょう」
その夜、ロモス各地の酒場では、焼きたてのパンとバターがやけに売れたという。
そして他国の酒場でも、客たちは笑いながら言った。
「ロモスの魔物は、乳にも勝つらしいぞ」
笑い話として広がったその言葉の裏で、もう一つの印象もまた静かに広がっていた。
魔物は、ただ人を襲うだけではない。
魔族も土を耕し、パンを焼き、うまいものを食べれば笑う。
その認識は、小さな種のように地上へ落ちた。
やがて芽を出すかどうかは、まだ誰にもわからない。
だが、その種を撒いたのが悪魔の目玉であることだけは、確かだった。