まず感じたのは、何かに服の裾がひっかる感触。
次に引っ張られ、引きずり込まれる感覚。
抵抗しようにも応えてくれる手足は無く、夢うつつな意識のまま身を任せるだけ。
ただ、息苦しさはあった。
それは引きずられていた方向と逆に引っ張り合うような力が加わると、更に増していった。
お互いが離すまいと力を籠め、手足も胴も頭も無いのに引き裂かれそうになる。
体は無いから痛みは無い。
ただ痛覚のないこの身を息苦しさだけが襲っていた。
いよいよ二つの力に振り回され、揉みくちゃにされだすと、酸欠が頂点に達した。
未だ判然としない意識に、しかし強い恐怖、怒り、焦燥が沸き起こり激しく身悶えする。
ひたすら、ただがむしゃらに無いはずの両腕を振る。
すると不思議なことに細く小さな腕が生えた。
振り払おうと体を振る。
それを支えようと踏ん張る。
次々と今まで存在しなかったはずの体が現れる。
「――このおおお!!」
遂に口ができ、下手人を眼で捉えると――
俺は、いや私は、その首を斬り飛ばしていた。
「ふぅ……」
月の明かりだけが差し込む森の中、走りに走った末に見えた池の水で俺は体を洗っていた。
「これって、やっぱりそうだよな……」
返り血の赤が水に溶け切ると、静かな水面には青白い光に照らされた少女の姿が浮かび上がる。
闇夜でもなお輝く金色の髪。
清水を讃える水底よりも静謐な青い瞳。
流魂街出身の、それもまだ少女だというのに均整の取れた身体。
そしてその右手には、先程殺した相手から奪った赤い靄のような掌大の不定形な玉。
“俺”の記憶によれば、水面から見つめ返してくるこの娘は幼少期の松本乱菊。
漫画BLEACHに登場する死神で、護廷十三隊十番隊の副隊長。
恐らく市丸ギンとの出会いの場面で何故か襲撃者を返り討ちにし、逆に奴が持っていた魂魄の塊を奪った……
なぜまだ死神の力を扱えない“私”が勝てたのか……
あの時の様子を思い出そうとする私に応えるかのように両手が薄ぼんやりとした緑色の光を灯す。
――
霊王の欠片を身に宿した人間が使える術。
“俺”が見たBLEACHでは松本乱菊は先程の場面で魂魄の大半と霊王の爪を奪われるはずだった。
それが阻止されたことで
「それにしても、死神に襲われて完現術が目覚めるなんて皮肉な話……」
ぽつりと独り言がこぼれると同時に、手の平の魂魄が
「霊圧が……上がった?」
“俺”の知識から概念を知り得た事で、私は霊圧を感知できるようになっていた。
それが、たった今魂魄を取り込んだ事で増加した自分自身の霊圧に反応したのだった。
「これが私の完現術の能力、なの?」
原作未登場の完現術。
俺の知り得ないBLEACH。
その言葉を反芻する内、まだ幼い少女の体がゾクゾクと粟立っていった。
どれだけ強く自身を両腕で抑えつけてもドクドクと脈打つ胸の高鳴りを止められなかった。
見たい。
この先を。
変化する物語を。
そして、
俺が知る死神とは変わってしまった“私”――
私が知る今までの自分から変異した“私”――
松本乱菊の行く末を。
とは言え……。
「あ~、お腹すいた……」
あれから数日が経っていた。
私はあの近辺に留まるのは危険と考え、昼夜逆転生活で森の中を移動し続けていた。
その傍らに自身に発現した完現術の訓練も行って。
『バッドランズ・プレデター』
私はこの力を死神代行消失篇の完現術者たちに倣ってそう名付けた。
有する能力は、触れた物の霊子を奪う事。
そして奪った霊子を自分の霊力に変換する事。
この二つだ。
まだ把握していない能力があるかもしれないし、今後、原作の一護や織姫たちみたいに能力が成長、又は進化する事もあるかもしれない。
でも、現状で把握できたのはこれだけ。
ああ、でも完現術の基礎的な力である物質の魂に働きかけ、使役するってやつも使えたか。
地面に使って高速で走ったり、高く飛び上がったり、銀城がやっていた、酒に飲みこむ手伝いをさせるアレだ。
まだ死神になっておらず、瞬歩や空中歩行が使えない私にはこれも非常にありがたい力だった。
以上を踏まえた3つの力をものにしようと試行錯誤を繰り返していたのだ。
その甲斐あってか、霊子を奪う方の力は大分様になってきたように思う。
例えば手刀を岩に当てる。
手が触れている所から岩の霊子を奪っていくと、その分岩の構造が削れていく。
そうすればただの手刀がギコギコはせずにすーっと岩を通り抜けていき、終いにはスッパリと両断されるという訳だ。
覚醒した時の、死神の首を切断したのはきっとこの原理だったんだろう。
……より霊圧密度の高い相手に通用するかは分からないけど。
問題は変換の方だった。
奪った霊子は霊力に変換して自分に吸収できる。
実際、襲撃者が持っていた流魂街の人たちの魂魄、あれを吸収してしまった時は霊圧が上がっていた。
しかしこの力、あれから一度も成功していないのだ。
水や草花、石や土と色んな物に試してみた。
しかし、あの時のように霊圧が上がる感覚は無い。
しかも霊力を取り込んでいるはずなのに空腹が満たされない。
お陰で食料になるものを自分で動き回って獲らざるを得ず、この世界以前も含めてサバイバル経験なんて皆無の私は、気配に敏感な野生動物を捕まえる事など出来るはずも無く、たまたま見つかる木の実や果実を採るのがせいぜいだった。
「あ~、だめ……頭グルグルしてきた……」
考え事をして空腹を紛らわそうとしてきたが、いよいよそれも限界を迎えていた。
霊子変換についてまともな改善案なんて出るはずも無く、お腹が空きすぎてイライラする頭で手当たり次第にその辺りの木や岩から霊子を奪っていく事しか出来ていない。
そんな状態だったから、いつの間にか数日間も身を隠していた森を抜けていた事も気づいていなかった。
「――ハッ、え、ここどこ?」
辺りを見回すと白い壁の建物群。
あちらこちらに強い霊圧の反応……
(まさか、瀞霊廷まで来ちゃってた……?!嘘、私森にいたわよね?!?!)
慌てて踵を返そうとするが、意志に反して足が地面に貼り付いたかのように動かない。
なぜなら、目の前の建物、その開け放たれた窓から見えたのは……
「……ゴクッ」
夢にまでみた肉、魚、白米、汁物といった御馳走の数々。
しかも湯気が立った、人の手で作られた料理。
ダメ。見つからない内に早く逃げなきゃ……
頭では分かっているのに、鼻腔をくすぐる香ばしい匂いが、一歩また一歩と体を引き寄せてくる。
「あぁ……」
遂に扉を開け、調理台に所狭しと並べられた料理の前まで辿り着いてしまった。
恐る恐る手が端にあった骨付きの肉まで伸びていくと……
後はもう止まらなかった。
ガツガツと音がしそうな勢いで料理が消えていく。
最初は扉の取っ手にかけていた手も、今ではもう片方と一緒になって食べ物を口に運んでいる始末。
そんな状態だったから、当然この場に近づいてくる気配になんて気づくはずもなく――
「なにしとんねん、こんガキゃあああああああ!!!!!」
顔面にドロップキックを受け、まだ手付かずだった料理も巻き込み、盛大に吹き込んだ私は襲撃者の顔を見る間も無く意識を失った。