澄んだ朝の空気を切り裂く様な悲鳴が上がった。
定例集会を開いていた副隊長たちは、その声に昨夜の戦時特例が一様に過り、血相を変えて声の主のもとへと急いだ。
「どうしたんだ雛森くん!?何が――」
いち早くその声が雛森桃のものである事を察した吉良イヅルが、目の縁に涙を溜めて震える雛森に声を掛ける。
それと同時に、視界の上端に映り込んだ、鮮烈かつ凄惨な光景も――
「あ……」
藍染隊長!!!
再び、雛森の口から絶叫が上がった。
瀞霊廷の特に背の高い白壁に、藍染は胸をひと突きにされたまま串刺しになっていた。
そこを流れたであろう血の滝の跡へ、よろよろと向かっていく雛森。
彼女の縋りつくような声だけが全員の耳を打つ。
集まった副隊長の誰もが、動くことも、言葉を発する事も出来ずにいた。
「貴方たち、何してるの!早く藍染隊長を下ろしなさい!」
止まってしまった時を動かすかのように、凛とした声音が響いた。
一同、そして雛森までもが、後方へと首を巡らせる。
そこには、毅然とした面持ちで立つ松本乱菊の姿があった。
彼女は一喝するや否や、藍染のもとへと飛び上がった。
胸に突き刺さったままの刀を抜き取り、落下する身体を抱き止め、そのまま雛森のもとまで降りてくる。
「勇音、お願い」
乱菊に名を呼ばれ、虎徹勇音はようやく我に返った。
弾かれたように駆け寄ると、藍染の身体へと手を伸ばす。
「……残念ながら……」
藍染の脈拍や魄動、瞳孔の反応などを一通り確認した勇音が、沈痛な面持ちで首を横に振る。
「そん、な……」
力が抜け、崩れ落ちる雛森を、乱菊が抱き止めた。
その様子を目にして、吉良と阿散井恋次も、床に貼りついていたかのように動かなかった足をようやく引き剥がした。
「雛森くん……!」
「おい、雛森、しっかりしろ!」
ガラス玉のようになってしまった瞳を藍染へ向け続ける雛森に、吉良と恋次が必死に声を掛ける。
乱菊はそんな彼女を二人に託すと、その場にいた他の副隊長たちへ次々と指示を飛ばしていった。
「じゃあ、私は四番隊へ行って卯ノ花隊長を――」
「待って……いえ、待って下さい、松本隊長」
絞り出すような小さな声が、動き出そうとした一同の耳を打った。
「あら……どうしたの――」
勇音。
乱菊の声に、今度は一同の視線が彼女へと向かう。
そこには、瞳を揺らしながらも険しい表情を浮かべた虎徹勇音が立っていた。
その手には、先ほど乱菊が藍染の胸から抜き取った刀が握られている。
「この斬魄刀は……朽木ルキアさんの物ではないですか?」
誰かが、驚愕に呻くような声を漏らした。
「彼女が尸魂界へ送還されてすぐ、隊舎牢に入れられた際に取り上げられ、三番隊で保管されていたはずです。私は、朽木さんの検診に来たときに、それを見ています」
再び、一同の視線が乱菊へと向けられた。
今度は、先ほどとは明らかに違う色を帯びている。
「それがどうして、藍染隊長の胸に刺されていたのか……お話を聞かせて頂けませんか……できれば拘束の上で」
意を決したように勇音が最後の言葉を吐き出すと、乱菊は瞳を閉じ、長く息を吐いた。
「わかったわ……」
「……でしたら、五番隊の特別拘禁牢へ」
いつの間にか、雛森が立ち上がっていた。
その幽鬼さながらの足取りに、傍にいた吉良と恋次がギョッとする。
「そんな怖い顔しないで、二人とも。流石に今すぐ乱菊さんを犯人と決めつけたわけじゃない……冷静に考えれば、乱菊さんがそんな事するはずないもの」
「それを聞いて安心したよ……」
「でも、藍染隊長の無念は、私だけじゃなくて五番隊のみんなも晴らしたいはず。だからお話を聞くなら五番隊で……松本隊長も、それでいいですか?」
「ええ、もちろんよ……」
乱菊が頷くと、雛森が先導して二人は五番隊の方へと歩いて行った。
その後ろを、雛森に頼まれる形で、吉良と恋次が続く。
乱菊が頷くと、雛森が先導するように歩き出し、二人は五番隊の方へと向かっていった。
その後ろを、雛森に頼まれる形で吉良と恋次が続く。
やがて、去っていく四人の姿が見えなくなる。
それでも、虎徹勇音だけは、その姿をじっと目で追い続けていた。
◇◇◇◆◆◆◇◇◇◆◆◆
四番隊・綜合救護詰め所。
地下救護牢〇七十五番。
目を覚ました石田雨竜は、自分が生きていること、そして傷の手当てまで施されていることに気づき、戸惑っていた。
「何故……敵である僕に治療を……」
「状況が変わったんだ」
深く染入るようなバスボイスに、雨竜が咄嗟に顔を上げる。
「茶渡君!!」
そこには、自分と同じく包帯を巻かれ、手錠を嵌められた茶渡泰虎がいた。
「看守たちの会話を聞いていて分かったんだが……今朝、瀞霊廷内で隊長が一人、暗殺されたらしい」
「今朝」という言葉に、雨竜は牢の天窓へと目を向ける。
差し込む光は茜色。
照らし出された二人の影も、床の上で長く伸び始めていた。
「俺たちはその重要参考人というわけだ」
「じゃあ、あの後、井上さんも捕まった可能性が高いか……」
雨竜は、先刻の薄気味の悪い隊長との死闘を思い起こす。
「残るは夜一さんと一護、それから――」
「あの女か……」
残る三人が来る事を信じ、傷の回復に専念しようと話し合う二人の会話を、外を通りかかった何者かが偶然耳にする。
彼らが口にした、ある人物の名前。
聞き間違いではない。
今、確かに聞こえた。
胸の奥を覆っていた、凍てついた雲が揺れる。
ここ数刻の間、拭い去れずにいた疑念。
居ても立ってもいられなくなった彼女は、足音を響かせ、旅禍たちの牢へと駆け出す。
「すみません!今話していた人のこと、詳しく教えてくれませんか!?」
突然現れた大柄な女性に、目を白黒させる雨竜たちであった。
◇◇◇◆◆◆◇◇◇◆◆◆
乱菊の取り調べの前に、藍染の詳しい足取りを掴んでおこう。
そう話し合った雛森たち三人は手分けして五番隊隊舎を調べていた。
「おい、雛森。こっちだ……!」
隊首室を訪れていた恋次は、室内の別の場所を調べていた雛森を呼び寄せる。
「これ……藍染隊長の字だ……!」
恋次が手に取り、開いて見せた手紙。
そこには、雛森が幾度となく目にしてきた、丁寧で細やかな藍染の筆跡が並んでいた。
「――そんな!?」
「おいおい……マジかよ!?」
そこに記されていた衝撃的な内容に、二人は揃って絶句する。
書かれていたのは、藍染自身が語る一連の騒動の真実。
そして――彼を殺したであろう人物の名だった。
「雛森くん!阿散井くん!大変だ!!」
驚愕に立ち尽くす二人へ、追い打ちをかけるように、吉良イヅルが血相を変えて隊首室へ飛び込んできた。
「た、隊長が……松本隊長が脱走した!!」
凶報に、お互いが顔を見合わせる。
その凶報に、二人は互いの顔を見合わせる。
藍染本人が残した手紙を目にしてなお、半信半疑だった憶測。
それが今――最悪の形で、確信へと変わりつつあった。
逃げだした松本乱菊であったが、意外にもすぐに発見することが出来た。
いや――そう仕向けられていたのか。
あからさまに残された痕跡を、雛森が鬼道で追い、導かれたのは三番隊の屋外修練場。
その中心に立ち、乱菊は雛森、吉良、恋次の三人を待ち構えていた。
「どうしたの三人共?まるで藍染隊長の部屋で重要な証拠でも掴んだみたいな顔して……」
口の端を吊り上げ、せせら笑うように息を漏らす乱菊。
「そんな……じゃあ、あの手紙の内容は本当に……?!」
「本当に松本隊長が、藍染隊長を……?」
「何故だ!?答えろよ、乱菊さん!」
愕然と――
戦慄し――
激昂して――
三人がそれぞれに問いかける。
それを、冷たい笑みを浮かべたまま見つめていた乱菊は、静かに頷いた。
雛森が、ひっと短く息を呑む。
吉良も思わず息を呑み、二の句が告げない。
そんな二人に代わるように、恋次が再び吼えた。
「どうしてだって聞いてんだよ!」
「……手紙に書いてあった通りよ」
「じゃ、じゃあ……本当に双殛を使って、
「そう、それよ……」
乱菊の軽薄な受け答えに、恋次はすっと目を細めた。
そして斬魄刀を構えると、正面を見据えたまま、愕然として動けずにいる二人を叱咤する。
「構えろ、二人とも。コイツは俺たちの知ってる乱菊さんじゃねえ」
「で、でも……」
「相手が誰であれ、尸魂界に弓引こうってんなら、叩き潰すのが俺たち護廷の死神がやるべき事だろうが!」
張り上げた声が、闇を切り裂き、二人の心を奮い立たせる。
「弾け――『飛梅』!」
「面を上げろ――『侘助』!」
三人から刃を向けられても、乱菊は澄ました顔のまま、笑みを崩さない。
「咆えろ――『蛇尾丸』!」
その声とともに、恋次が踏み込む。
解放された蛇腹剣を、渾身の力で乱菊へと叩きつけた。
◇◇◇◆◆◆◇◇◇◆◆◆
「何、松本が脱走した!?」
地獄蝶からの伝令を受け、十番隊隊長・日番谷冬獅郎は、思わず手にしていた書類の束を執務机へ叩きつけた。
「まさか……藍染は本当に、アイツが……!?」
駆け出そうとした日番谷の目に、四つ折りにされた一枚の紙が映った。
どうやら、先ほどの衝撃で机から落ちてしまったらしい。
日番谷はそれを拾い上げると、改めて紙を開き、その内容に目を通す。
――何があっても雛森から目を離さないこと。
簡潔に、ただそれだけが記されていた。
その手紙はいつの間にか、差出人の名すらない封筒に入れられ、執務机の引き出しへと忍ばされていた。
だが、日番谷には、この手書きの文字に見覚えがあった。
十番隊で席官を務めるようになってから、幾度となく目にしてきた筆跡。
「くそっ……本当に、何がどうなってるっていうんだ……!?」
日番谷は紙を再び折りたたみ、懐へしまう。
そして、そのまま執務室を後にした。
◇◇◇◆◆◆◇◇◇◆◆◆
金属同士が激しくぶつかり合い、甲高い音が夜闇に響き渡る。
弾けた火花ごと吹き飛ばされた恋次が、幅広の刀身を盾にするように構えたまま地面を滑り、土煙を巻き上げた。
ようやく衝撃を殺し切ると、再び蛇尾丸を構え、相手を睨みつける。
その視界の端には、既に気を失い、地面に転がっている雛森と吉良の姿が映っていた。
「恋次~、始解じゃ埒が明かないわよ~。二人みたいに叩き伏せられたくなかったら、さっさと使ってきなさい」
手甲越しに、挑発するように手招きをしてくる乱菊に対し、恋次は眉を僅かに動かした。
「いいぜ……そんなに見たきゃ見せてやる……後悔すんなよ!」
どのみち、三人がかりでも破れなかった相手だ。
力を出し惜しみしている場合じゃない。
そう判断した恋次は、今一度、手にした己の魂そのものとも言える斬魄刀へ意識を向けた。
そして――写し取られた己の力、その神髄を解放する。
―― 卍解 ――
『狒狒王蛇尾丸』
恋次の霊圧が爆発的に膨れ上がり、周囲へと吹き荒れる。
巻き上げられた土煙の向こうから、やがて巨大な影が姿を現した。
恋次の髪と同じ緋色のたてがみを生やした、骨の大蛇。
「それが貴方の卍解……」
「ああ……まさかアンタがこいつの一番最初の相手になるなんてな……」
「あら、もらっちゃっていいの?貴方のハジメテ」
「ほざけ――!!」
恋次の怒声と同時に、顎を開いた巨大な蛇の頭骨が乱菊へと突進する。
乱菊は、残像が残るほどの瞬歩でそれを躱し、そのまま上空へと飛び上がった。
だが、大蛇はそれを正確に捉える。
躱された位置から垂直に身体を折り曲げると、逃げる乱菊へと執拗に追い縋った。
乱菊は灰を固めて作り出した等身大の盾でその牙を受け止めながら、後方へと退く。
そして――噛みついたまま追いかけてくる狒狒王蛇尾丸を、眼下に広がる屋外修練場周囲の森へと引きずり込んだ。
「無駄だ!」
恋次が吼え、手元の刃節を横薙ぎに振るう。
すると大蛇の身体全体が大きくしなり、周囲の木々を薙ぎ倒しながら乱菊へと迫った。
「スピード、パワー共に申し分無しって感じね……でも――」
余裕の笑みを崩さない彼女の手から灰の濁流が生まれる。
無数の細かな灰が刃節に纏わりつき、継ぎ目へと入り込んでいく。
骨の大蛇は、見る見るうちにその動きを鈍らせていった。
「これでおしまい」
乱菊が細腕を軽く払いのけるように振る。
その瞬間、大蛇の骨の身体が、バラバラに吹き飛んだ。
「さて、恋次。もうネタ切れかしら?」
地響きを立てながら降り注ぐ巨骨の雨に背を向け、乱菊が恋次へと歩み寄っていく。
しかし――
そんな彼女を待ち受けていたのは、意外なほど冷静な恋次の顔だった。
「燼・灰猫……聞いた事があるぜ。無数の灰を操って攻撃する……朽木隊長の千本桜にそっくりだ……」
手に残った柄型の骨を素早く振り抜く。
「俺が一体――誰と卍解の修行をしたと思ってんだ!!」
刃節から刃節へ。
次々と恋次の霊圧が伸びていき、あっという間に大蛇は再びひと繋ぎの姿を取り戻した。
――しかし。
「そう言えば、最近の隊士たちには見せた事なかったわね……」
乱菊が、ぽつりと呟く。
元の姿を取り戻したはずの狒狒王蛇尾丸。
だが、その様子は明らかにおかしかった。
「燼・灰猫は灰で攻撃する能力じゃないわ」
刃節のあちこちに亀裂が走っている。
それだけではない。
堅固な硬骨が、先端から徐々に崩壊を始めていた。
「なん……だと……」
(灰が付着していた箇所が腐食されてるみてえだ……そして――)
「うぐ……」
(刃節に流してる霊圧も……片っ端から吸い取られていく!?)
「霊力を食う……能力かよ……!」
(思ったよりも浸食が早え……!?)
たまらず片膝をついた恋次が、卍解を解除する。
肩で荒く息をし、手にした斬魄刀は、もはや始解すら維持できていない。
それでも恋次は刀を構え、乱菊と対峙した。
「へえ……まだ向かってくるの?」
乱菊が口の端を吊り上げる。
「大人しく寝てればいいのに。他の二人みたいに」
貼り付いた乱菊の顔が嗤っている。
「……アンタ……乱菊さんじゃねえだろ……」
女から、薄ら笑いが消えた。
「何ですって……?」
「霊圧も、斬魄刀も、記憶も……確かに本物の乱菊さんと同じだ」
「じゃあ、本物ってことでしょ?」
「でも……違うって言ってんだよ……」
「誰が?」
「誰でもねえよ……」
恋次の、なけなしの霊圧に火が灯る。
――ただ俺の――
「魂がだ!!!」
瞬間、霊力が爆発的に噴き上がった。
しゃがみ込んだ姿勢から、雷光のような刺突が奔る。
さしもの乱菊もその表情は驚きに染まり――
「本当に……一番厄介だったわね……」
女は、再び嗤った。
「惣右介の言う通り――」
恋次の刃よりも速く、手甲が彼の腕と交差する形で、その顎を砕いた。