その菊、手折られず   作:もちがゆ

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其九 アイム・ノット・ゼア 2

「起きろ!松本!」

 

 朦朧とした頭にバケツから放たれた水が浴びせ掛けられる。

 しかもその反射で顔を上げた瞬間にもう一発。

 今度は鼻と口にも入り、空気と一緒に吸い込んでしまった私は盛大にむせてしまった。

 

 咳を繰り返し俯く頭を、髪を掴まれ強引に上げさせられる。

 

 ぼやける視界一杯に、二番隊にして刑軍所属の砕蜂の姿があった。

 

「……何故だ……何故夜一様を……夜一様の期待を裏切った!!」

 

 怒号を浴びせながら、再度水の張ったバケツを受け取る砕蜂。

 今度はそれを私の顔の前に置くと……

 

 顔面を水に押し込んできた。

 

 体が暴れるが、殺気石の手錠に拘束され、頭をがっちりと押さえつけられている為効果は微塵も無い。

 それどころか暴れる事で余計に肺から空気が漏れ、又も鼻や口から大量の水が流れ込んでくる。

 

 意識が途切れそうになる寸前で引き上げられると、今度はまた、顔を寄せてきた砕蜂に怒声を浴びせられられるのだった。

 

「いい加減喋ったらどうだ!?既に事件現場のあちこちからお前が犯人だという証拠が挙がってきているのだぞ!!」

 

 砕蜂の顔と入れ替わりで、その証拠とやらが突き付けられる。

 しかし、今の私にそんな目録に目を通す余裕はない。

 

 ただひたすらに、知らないと譫言の様に繰り返しながら、じっと時が過ぎるのを耐えるだけだった。

 

 そうやって折れずに耐え続けられているのは、時が過ぎれば釈放されるという望みがあったから。

 

 

 だって、この日は……

 

 

 

 

 ――そう言えば、なんでこんな事になってるんだっけ……

 

 

 

 

◇◇◇◆◆◆◇◇◇◆◆◆

 

 

 

 

 その日、始業開始と同時に九番隊はちょっとした騒ぎになっていた。

 魂魄消失事件の調査をしていた隊の一つが今朝になっても現れず、音信不通となり、残りの隊から上がってきた調査報告を纏めてみれば……

 

「……おいおい、何の冗談だこれは?!」

 

 報告書を破かんばかりの勢いで六車拳西の拳が硬く握られる。

 

「えっ……噓でしょ?嘘だよねこんなの!?」

 

 いつも飄々としている久南白までもが驚きに目を見張っていた。

 

「どうするの、拳西!?」

「どうするも何も……報告しねえわけにはいけねえだろうが……!」

 

 拳西は一先ず調査報告を三席の笠城平蔵に持たせ、一番隊に届けるよう指示。

 自身は席官を数名引き連れ、消息を絶った調査隊の安否を確認する先遣隊を結成した。

 

「なんでこうも一遍に……厄日か今日は!」

 

 この時漏らした言葉がすぐ後に現実になる事をこの時の拳西はまだ知らなかった。

 

 

 

 

◇◇◇◆◆◆◇◇◇◆◆◆

 

 

 

 

 何かが喉につっかえる様な息苦しさと寝苦しさで、私は目を覚ました。

 

 開いた視界は黒一色の毛玉に包まれ、頭の方では細く柔らかい物が頭頂部をぺしぺしと連打していた。

 

「おはよう……今日はこっちに来てたのね……」

 

 仰向けの姿勢のまま、主を窒息死させようとした不届き猫を前足の両脇を持って天井に突き上げる。

 

「さ、準備するから、出勤前には刀に戻っておいてね」

 

 体を起こし、布団の上に離してやると灰猫は了承したとばかりに一声鳴き、伸びをした。

 

 

 

 昨日は九番隊の代わりに瀞霊廷通信を届け、非行少年を補導して……隊舎に戻った後は遅くまで書類仕事を片付けていた。

 別にいつもそんな残業染みた事をやっているわけではなく、何となくそわそわして寝つけなかったからだ。

 

 

 ――流魂街魂魄消失事件。

 

 片鱗は何日も前から出ていたが、昨日遂に九番隊が動き出した。

 とすれば、今夜辺りに原作の過去篇クライマックスである、仮面の軍勢(ヴァイザード)誕生、そして浦原さんと夜一さん、それから今代の鬼道衆総帥・大鬼道長、握菱鉄裁が現世に逃亡する事件が起きるはずだ。

 

 

 当然ながら後々の事を考えると、私は静観せざるを得ない。

 

 ……しかし、

 

 ローズさん、真子さん、羅武さん、リサさん、拳西さん、白さん、そして……

 

(ひよ里さん……)

 

 曳舟さんの時とは違う……嵌められ、殺されそうになった上での逃亡。

 何も知らない内に尸魂界の敵と見なされる事になる……

 本人たちからしてみれば、長年忠義を誓ってきた組織に、故郷に、裏切られたと思って当然だろう。

 

 しかし私は、そうなる事を知り、彼らが味わう苦痛を知ってて、見過ごさなければならない……

 

「こんなの藍染と変わらないじゃない……」

 

 自嘲と共に吐き出された呟きは誰にも聞かれる事なく、明るい声に塗りつぶされた。

 

「おはようございます、松本副隊長!」

 

 いつの間にか十番隊隊舎まで着いていたらしい。

 

 私は笑顔で挨拶を返すと、そのまま隊舎の玄関をくぐろうとし――

 

「!?」

 

――縛道の八十一 断空

 

 振り向きざまに断空を放ち、私に向けて撃たれた鬼道を相殺した。

 

 

「おお、八十番台詠唱破棄か、流石にやるのう」

 

 降り注ぐ声に顔を上げると、挑発的に見下ろす黄金の瞳と視線がかち合う。

 

「夜一さん……?!」

 

 余りに予想外の出来事に、地に降りた彼女が傍まで歩いて来るのをただ茫然と見ている事しか出来なかった。

 私のその間抜けな有様に何を思ったのか……夜一さんも逡巡するかの様な素振りで沈黙していると、

 

「……軍団長閣下」

「分かっておる」

 

 いつの間にか私の周りを取り囲んでいた刑軍。その内の一人が彼女を促した。

 

「十番隊副隊長、松本乱菊。お主に逮捕状が出ておる。」

「えっ……」

「容疑は連日尸魂界(ソウルソサエティ)を騒がせておる流魂街連続魂魄消失事件、その実行犯じゃ」

 

 私を含め、その場に顔を出してきた十番隊のみんなにも一斉にどよめきが広がる。

 

「真偽はどうあれ、儂としては、この場は大人しく連行されてくれるとありがたいんじゃが……どうじゃ?」

「わ、分かりました……ご同行します」

 

 何とか声を絞り出す私に、夜一さんは頷きで返す。

 彼女が歩き出し、その後に続き足を踏み出そうとした時、背後からの声が漏れ聞こえる。

 

「副隊長……」

 

 声を発したのは一人。しかし、そこに並ぶ顔は皆一様に同じ色をしていた。

 

「皆さんは通常通り業務を。長木曽さん、私が戻るまで留守を頼みます」

「はい、お任せ下さい、副隊長」

 

 力強く頷く三席を頼もしく感じながら、私は夜一さんと共に瞬歩でその場を去った。

 

 こうして私は、今回の事件の容疑者として二番隊に拘束される事になったのだった……

 

 

 

 

◇◇◇◆◆◆◇◇◇◆◆◆

 

 

 

 

「そんなわけあるかボケえええ!!!」

 

 時刻は夕暮れ。

 ようやく緊急の隊首会から、十二番隊の研究室に戻ってきた浦原喜助の首根っこを捕まえて、事の成り行きを聞きだした猿柿ひよ里は喜助の首がもげそうな勢いで揺さぶり叫び声を上げた。

 

「え、ええ、皆さんそう言ってまして……」

「当たり前や!アイツがんな事する訳ないやろ!けったくそ悪い!!」

 

 未だ興奮の治まらないひよ里が、思わず掴んだ実験用の空容器を握りつぶす。

 

「いやあ、ひよ里サンも皆さんも、随分と松本さんを信用してるんスね~」

「なんや、そんなん当たり前やろ!なんか文句でもあるんか!?」

 

 再び浦原の襟首を掴んで揺さぶるひよ里は一頻り彼を揺らして気が済んだのか、アンタがあの娘を知らんだけや、と呟き手を放す。

 

「――ええ、ボクは皆さん程彼女を知りません。ですから、松本さんを人間関係と感情の色眼鏡無しで見れる」

「……何が言いたいんや」

「彼女は過去の言動からも非常に向上心の強い方だ。もし、今回の件が彼女にとって途轍もない利益をもたらすものだとしたら……それこそ今まで構築してきた人間関係を隠れ蓑にして――」

「喜助……」

 

 ひよ里の目が、浦原を射殺さんばかりに鋭く光る。

 いつの間にか白衣は脱ぎ捨てており、その手には斬魄刀が握られていた。

 

「――と、まあ、そういう仮説も成り立つという話っス」

「仮でも冗談でも言っていい事と悪い事があるやろ」

 

 その時、二人の間の張り詰めた空気を引き裂くかの様に、研究室の扉が叩かれた。

 

『失礼します。九番隊第六席、藤堂為左衛門と申します。十二番隊隊長、浦原喜助殿はいらっしゃいますでしょうか?』

 

 珍しい来客に思わず顔を見合わせる二人。

 

『当隊隊長、六車拳西よりの要請をお伝え致したく参りました』

 

 

 瀞霊廷を騒がす醜聞に隠れ、見えざる裏切りが進行していた。

 

 

 

 

◇◇◇◆◆◆◇◇◇◆◆◆

 

 

 

 

 目の前に突き出された証拠とやらが書き記された書類。

 気絶から覚め、ようやく頭がはっきりしてきたところだったが、未だそれに目を通すことは叶わなかった。

 

 「おお、そうか、こんなに暗くては文字も読めんか?」

 

 砕蜂の言う通り、私が入れられた牢は最初こそ日中で薄明るい程度だったが、すっかり日の落ちた今となっては鼻先を突き合わせないとお互いの顔も認識できない程暗くなっていた。

 

 「おい、灯りを持ってこい」

 

 そう言って後ろに控えていたであろう部下から、小さな燭台を受け取る砕蜂。

 それを私の顔と書類の間に差し入れ、再度読めと促してきた。

 

 そんなに読ませたいなら部屋全体を明るくしてくれたらいいのに……

 

 そう思いながらも私はその証拠とやらが書かれた紙に目を通し――

 

 

 

 ――!?

 

 

 

(……そう……そういう事……)

 

 

 

 

「どうだ、貴様の罪を認める気になったか?」

 

 明かりを消し、燭台を脇に置いた砕蜂が再び私の頭を掴んで顔を引き上げる。

 

 

 私は、なるべく悪辣に見えるように……最大限の嘲笑を浮かべて砕蜂に視線を合わせた。

 

「ええ……ようやく思い出せたわ。ごめんなさいね、貴女の愛しい夜一様を取っちゃって……砕蜂ちゃん」

 

 後ろに控えていたらしい数人の後退る音が聞こえる。

 

「貴様……ちゃんと読めたらしいじゃないか……」

 

 憤怒を堪える砕蜂が手にした書類をぐしゃぐしゃに握りつぶす。

 

 そうして――

 

「なら付き合ってやろうじゃないか…貴様がその舐めた口を聞けなくなるまで……な!!」

 

 掴んでいた私の頭を再度水の張ったバケツに突っ込んだ。

 

(わ、分かってても容赦ない、わね……)

 

 引き上げられる度に口と鼻から水を吐き出し、息の整わぬ内にまた水中へ。

 

 ひたすら繰り返されるその行為の中、少しでも苦しみを紛らわそうと私は先程の、

 

 書類に紛れて書き込まれた、夜一さんの手書きのメモを思い出していた。

 

 

 

 ――松本、手荒になってすまなかった。

 此度のお主への容疑には、恐らく四十六室、若しくは更に上の貴族の思惑が絡んでおる。

 現にこれを書いておる最中にもお主の身柄を引き渡すよう、矢の様な催促が来ておる。

 儂は二番隊にてお前を取り調べ、受け渡しはそれが済んでからとなるよう承諾させる。

 だから、よいか、何も喋るな。出来るだけ時間を稼ぎ、その間に真実を探る。

 その場には一番信頼のおける砕蜂を寄こす。

 砕蜂はその道の達人じゃ。安心して身を任せよ。

 

 

 

 バケツから上げられ、激しく咳き込む。

 

 夜一さんのメモの内容、そしてここに来てからの砕蜂の様子から見て、恐らくこの場にもその貴族とやらの間者がいると踏んでいるのだろう。

 だから砕蜂は一切の手抜き無しで、私に拷問をかけて来てるという訳だ……泣けるわね全く。

 

 そう言えば、拳西さんや、救援に派遣されたであろう隊長たちはどうなったろう?

 

 時間は見ての通りの夜中だし、みんなもう虚化に巻き込まれてしまったのだろうか?

 

 みんなも今苦しんでいるんだろうか……?

 

 もし、もしそうだとしら私は……

 

 

 ……そう言えば……

 

 

 これが、貴族の仕業だとしたら……あの時の中級大虚(アジューカス)、は……?

 

 

 

 

◇◇◇◆◆◆◇◇◇◆◆◆

 

 

 

「気絶したか……」

 

 砕蜂は頬を張っても反応のない乱菊から手を離すと、牢に明かりを点けさせた。

 

「しばらく回復を待ちます」

 

 短くそう告げ、砕蜂が濡れた両手を拭っていると、

 

「だが、取り調べを急ぐよう言われているのでは?」

 

 壮年の刑軍隊士が口を挟んできた。

 

「ええ、ですが、殺してしまっては元も子も無いでしょう?」

「それだとしても、態々すり減らした体力気力を回復させてやる必要はないだろう。やり方がぬるすぎるのでは?」

「それは、この場を私にお任せになった軍団長閣下に対する侮辱と捉えますが、よろしいか?」

 

 蜂の一刺しの様な眼光が男の双眸を捉える。

 

(……コイツか)

 

 

「い、いや、私は決してそのような……」

 

 確信を持った砕蜂が後ろ手に暗器を忍ばせながらその男に詰め寄った、その時だった。

 

「内輪揉めなどなさっているから自白の一つも引き出せないのでは?」

 

 いつの間にか開け放たれた牢屋の入り口に男が一人立っていた。

 

「綱彌代家の者です。四十六室がいい加減痺れを切らしましてね。送致に応じてもらいますよ、隠密鬼道さん」

 

 砕蜂は僅かに眉をしかめつつもそれに応じ、ゆっくりと乱菊に歩み寄ると、鬼道をかけ意識を回復させた。

 

(すまん、時間切れだ)

 

 目を覚ました乱菊の耳に口を寄せ、短く呟くとすぐさまその体を引き起こす。

 砕蜂は乱菊が嵌めた殺気石の手錠に縄を取り付けると、その反対を手に持ち、男に振り返った。

 

「凶悪事件の容疑者故、万が一を考え刑軍より私が護送にご同行致します」

「ええ、構いませんよ」

 

 綱彌代を名乗った男は首肯し、乱菊の顔を一瞥すると踵を返して外に出ていく。

 

 縄を持った砕蜂がその後に続き、繋がれた乱菊もまた彼女に引かれる形で表に出た。 

 

 

 低く、白く差し込んでくる曙光に目を眇める

 

 

 夜明けが間もなくまで迫っていた。

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