前回の冒頭、文章の保存ミスで調整前のままでしたので手直ししました。
具体的には、真白が紫織と面識がある、という描写を加筆しました。不手際を失礼しました。
「あああうう!! がああうううッ!!」
希来里をなんとかモルグの手術台に拘束することに成功した三人。
正気を失った彼女は、がたがた、と拘束具を絶え間なく引きちぎろうと獣の叫び声を上げながら身じろぎしている。
理性のリミッターが外れた人間一人を閉じ込めるという大仕事に疲れ切った三人はモルグ前の暗い廊下に座り込んでいた。
「あれは、一体どういうことなんですか?」
壁に背を預けた紫織が、壁に背を預けているエンバーマーに問うた。
「私の魔術は、錬金術の思想が下地にあると言ったな」
彼女は説明するのも億劫そうだったが、投げ出せる空気ではないことは理解しているようだった
「人間は魂・肉体・精神の三つで構成されているとされている」
「なんかすごい大雑把……漫画でももっと多かったわよ」
廊下に倒れているイグニスが茶々を入れる。
そんな彼女を無視して、エンバーマーは続ける。
「今重要なのは、このどれかが欠けると人間は不安定になり、死へ近づくことになる。分かりやすいのは肉体の欠損だな。
精神と魂だけの状態の事を、まあ霊体などと呼ぶこともある」
「つまり、希来里ちゃんは完全な死を迎えていなかった、と?」
「結論を急くな」
まだ説明の途中だと、エンバーマーは紫織に肩を竦めてみせた。
「私達はあの世、死後の世界を直接この眼で見た。
それから察するに、人間の死後は何らかの方法で選り分けられ、精神と魂の状態でリェーサセッタの元に向かう。
だが現世への強い未練や執着心、他にも恨みや憎しみがあると、しばらくの間、地上に留まることになる」
扉の奥の咆哮が、彼女の言葉を裏付けていた。もはや二人は息を呑むばかりで、もはや二人は彼女の説明を遮らなかった。
「希来里は魔法少女だ。碌な死に方はしなかっただろう、世を憎んで亡霊となって地上を彷徨うこともあるだろう。
だが、この状態が長引くと、精神を摩耗する。
そして、怨霊になる」
絶望的な沈黙が、重い鉛のように棄てられた病院に流れた。
「……助ける方法はありませんか?」
「そんなもんはねぇよ。コーヒーは入れたては美味いが、時間が経てば酸化して飲めたもんじゃなくなる。それを入れたてに戻すようなもんだ」
金剛寺 希来里は、人間として完全に死亡している。
それが事実であり、真理であった。
「クトゥルフ神話TRPGで言うなら永久的狂気、キャラロストだ。
あいつはもう他人を害するモンスターとしてでしかシナリオに登場できない。いい加減、あの女のところに送ってやろう」
エンバーマーは冷酷に言い放ち、立ち上がった。
「ちょっと待ってよ!!」
弾かれたように、イグニスが上半身を起こす。
「そんなに簡単に諦めないでってば!!」
彼女は血を吐くような声で必死に必死に食い下がった。
「私、希来里とは顔見知り程度の交友しかないけど、戦友なんだよ!?
あいつは派手好きで、目立つのが好きで、SNSで自分の素性を匂わせてるような自信過剰な奴で……。
でも、この世を恨んで死ぬような子じゃないよ!!」
「そうか。じゃあその程度の交友関係で、お前はあいつをなにも理解していなかったってことだな」
エンバーマーはイグニスの必死の訴えを、氷のように冷たく淡白な声で切って捨てた。
生前の印象がどれほど明るかろうと関係ない。降霊した当人の魂は、すでに修復不可能なほどに損壊し、正気を失っているのだ。
「私からもお願いします。何か方法はありませんか?」
「くどいぞ、お前ら」
どうにか頼み込もうとする紫織を、エンバーマーは苛立ちを隠せない冷めた表情で見下ろす。
「お前らは何も理解していねぇ。
身体を失って現世に留まることがどれだけの苦痛か分かるか!!
お前らだって元々の身体を失って、常に違和感を抱いてるだろうが!!
希来里の苦痛はそれとは比にならないッ」
ついには感情的になってまで、エンバーマーは二人を叱咤した。
「私は霊体の人間に、何を感じているか聴取したことがある。
──寒いんだそうだ。何の温かみも感じられず、ただ何もできずに佇むしかない、ってな」
あの状態を維持することは死者の尊厳を奪い、地獄の責め苦を与えることと同義であるとエンバーマーは語った。
希来里が受けていた孤独と恐怖を想像し、二人は思いつめた表情で、自身の膝の上で強く拳を握りしめた。
「魔法少女に選ばれるほどの素養なら、他人を害することも出来ただろう。
だがこいつは最期まで理性を失ってまでもそうしなかった。今は肉体を与えられて混乱しているんだろう……落ち着いたらあの世に送る」
それが多くの死者に触れたエンバーマーの、彼女なりの慈悲による判断だった。
「お前達も弁えろ。私は神様じゃねえんだ、出来ることは限られる」
二人は失念していたのだ。
エンバーマーは確かに死者を蘇らせられる。
だが、自分達と同じ、人間なのだと。
「……神様じゃない?」
その言葉に、ふとイグニスが虚空を見つめながら呟いた。
「なら、リェーサセッタ様ならどうなの?」
彼女は一縷の望みに縋るように、死後の世界で罪人を裁定するあの絶対的な女主人の名を挙げた。
「私達をこの世界に転生させた、あの御方なら……」
「陽菜。お前、自分には来世があるって言ってたよな」
エンバーマーははひどく険しい顔で目を細める。
「私があの女なら、そんなことを頼んでくるような奴は地獄行きにする。
可能か不可能かなら、恐らく可能だろう。あいつはギリシャ神話で例えるならオリュンポス十二神級の大神に違いない、冥府を管理するってのはそれほどの地位が必要とされるしな」
ギリシャ神話でも冥府の神であるハデスは、オリュンポス十二神と同格とされる。
それほどの女神の怒りを買うぞ、とエンバーマーは忠告をしている。
「……いいよ、地獄行きでも」
「陽菜ちゃん!?」
「私のからっぽな人生で、誰かを蘇らせられるのなら、安い代償でしょ」
イグニスは、自嘲的などこか空虚な微笑みを浮かべて言った。
「陽菜ちゃん、早まらないでください!!」
紫織は立ち上がり、イグニスに叫んだ。
「早まって無いよ。私が出来ることなんて、これぐらいしかないし。紫織さんとは違うもん」
「違います、生前の貴女は本物の英雄でした。
私を含めた多くの人間が、その輝きに希望を持ったんです!!」
はっとして、イグニスは目を見開いた。
血の通わない身体で、紫織は涙を流していた。
「……その全てを、からっぽだなんて言わないでください」
「ごめん」
「いいえ、許しません。私を独りにしないでください」
「うん」
紫織は泣き崩れるように、イグニスの細い身体を壊れ物を扱うようにそっと抱きしめた。
「……陽菜にはああいったが、悪くねぇアプローチかもしれねぇ。それに──」
腕を組んで思案をしていたエンバーマーが、そう呟いた。
「あの女の底を見てみてぇ」
彼女の目に宿っていたのは、魔術師としての純粋な好奇心と、神の領域に土足で足を踏み入れることへの昏い愉悦交じりの探求心だった。
「元来、死霊術とは死者を通じて神託を受ける為の、占いの側面が強かったとされる。
希来里をどうするかはおいておいて、試してみる価値はあるだろう」
「……ありがとうございます、エンバーマーさん」
紫織はイグニスを抱きしめたまま、深く頭を下げた。
「気にするな。私がやって見たくなっただけだ」
そう言って、エンバーマーは準備を始めるべく、動き出した。
§§§
「古来より、神への嘆願の儀式は供物を必要とされる」
イグニスと紫織の二人は、エンバーマーが持って来た“供物”に絶句していた。
「あの女が好きそうなモノは何かと考えて……“これ”にしたわけだ」
エンバーマーが床に転がしたのは、幾重にも巻かれた白い拘束具で全身を厳重に覆われた、紛れもない
「い、生け贄にするの!?」
「供物ってのはそう言うモノだぜ」
常軌を逸した凶行に怯える怯えているイグニスに、あっけらかんと彼女は答えた。
「あの御方が好みそうなモノ……罪人ですね?」
「ああ。前々から目をつけてたんだ。こいつは何人もの女性を強姦し、親の力でもみ消した正真正銘のクズだ。しかも襲った相手の前に後日現れて、堕胎を迫るような趣味を持ってたんだと」
その胸糞の悪い経歴を聞いた瞬間、イグニスの表情から恐怖や怯えがスッと消え失せ、その名に反する絶対零度の侮蔑が浮かんだ。
拘束され、猿ぐつわを噛まされたまま床の上で芋虫のようにもがく“供物”を、紫織もまた一切の共感を含まない冷ややかな目で見下ろしていた。
「どうだ、あの女が好きそうな野郎だろ?」
「法を軽視するつもりはありませんが……。法も全能ではありません。
ですが、きちんとした裁きを受ける機会があるなら、そうするべきでしょう」
「と、言うわけだ」
エンバーマーは血で描かれた魔法陣の中心に供物を蹴りだした。
その目の前には、リェーサセッタ様の肖像画がイーゼルに立てかけられていた。
「冥府の女主、女神リェーサセッタよ。どうかこの供物をお納めください」
エンバーマーが、油絵に向かって恭しく祈りの姿勢を取った。
イグニスも紫織も同様に、冷たい床に膝を突き、その場に相応しからぬ敬虔さで手を組んだ。
『────お前達は、勘違いをしている』
その時だった。
ただの油絵に過ぎなかったはずの肖像画の口元が、にわかに歪んで動いた。
部屋の空気が急激に凍りつき、脳髄に直接響き渡るような重圧を伴う声に、思わず儀式に参加していたイグニスと紫織が顔を上げる。
『これでは私が罪人を喰らう化け物のようではないか』
苦言を呈するその物言いとは対照的に、カンバスの中の赤い瞳は昏く輝き、描かれた口元は三日月のように吊り上がって笑みを浮かべていた。
『とは言え、これは貰っておこう。この男は女に変えて、インキュバスの群れにでも放り込んで産みの喜びと素晴らしさを教えてやらねばなるまい。地獄行きはその後だ』
床に描かれた血の魔法陣が泥沼のように変質し、そこから無数の青白い手が這い出て“供物”の身体に纏わりついた。
“供物”は恐怖に目をひん剥いて必死にもがくが、まるで底なし沼に沈み込むように、無数の手に引きずり込まれて床の下へと消えていった。
肖像画から、昏い愉悦の笑い声が漏れる。
『さて、改めて名乗るとしよう。罪人は数が多すぎるからどうしても雑になる』
肖像画の中の女が、ゆっくりと腕を組む。
ただそれだけの所作で、部屋の重力が倍加したかのような、息の詰まる神威が空間を支配した。
『我が名はリェーサセッタ。邪悪と悪逆を司る者である』
死後の世界に座する女主人は、自らをそう称した。
「悪逆、ですか?」
『多くの人間は復讐と解釈する。だが、その範囲は広い。
例えば理不尽な命令を受けた兵士が上官の背を撃つこと。母親に日常的に暴力を振るわれている子供が包丁を手にその身を守ること。悪政を敷く政権を革命を以って排除すること。
そうした、生きる為の“悪”を為すモノを、私は赦そう』
なるほど、と紫織は納得したように頷いた。
『お前達の望みは理解している。
金剛寺 希来里の精神を治癒することなど、私にとっては造作もない』
「ほ、本当ですか!?」
イグニスは希望に顔を輝かせ、目の前の女神にそう言った。
『だが、お前たちの願いは聞き届けられない』
「……なぜだ?」
『死化粧屋。私と私の盟友は、人類の創造と管理を行っている。
私とその彼女の間で取り決めがあるのだ。つまるところ、死者の蘇生などと言う安っぽいことはしない、と』
それは、エンバーマーを明確に揶揄していた。
お前の所業は安っぽい、と嘲笑っている。
「じゃあなぜ、私を地獄に送らなかった。
お前が私をこの世界に転生させたのは、私の能力を期待してのことだろうが!!」
エンバーマーは祈りの姿勢から立ち上がり、そう叫んだ。
『それは、私はお前を気に入っているからだ』
「なんだと?」
『私とお前は似ている。お前は気に入らないだろうがな』
「……」
エンバーマーは、神からの不本意極まりない好意に、心底嫌悪するように顔をしかめて見せた。
「リェーサセッタ様。どうしても、希来里ちゃんの心を治療してあげることはできないのですか?」
紫織が再び床に膝をつき、切実な声で懇願する。
『なぜだ? どうしてその必要がある?』
「なぜって……」
『金剛寺 希来里は14歳の少女だ。そんな小さな子供が非業の死を遂げ、苦しみながら現世に囚われた。
なぜその苦しみを癒し、また苦しみを長続きさせるようなことをする必要があるのだ?』
「それは……」
紫織は言葉に詰まった。
目の前の存在は、罪人に容赦が無いだけで意外なほど慈悲深い。
『お前達に、彼女の魂の安息を奪う権利がなぜあるのだ?
私からすれば、死は人間に、生命に約束された権利なのだ。人間に残された最期の安息なのだ。
どうしてそれを奪えようか?』
二人は何も言えなかった。
化け物と戦って死に、もう一度戦ってくださいと、小さな少女の善性に縋って強いる。
それが残虐な行為ではないと、誰が言えるだろうか。
「こいつらに同じ説教はしてある。結論は、出来ない、で良いんだな?」
『出来ないのではない。しないのだ』
「同じことだろ。カミサマ」
エンバーマーの毒づくような言葉に、肖像画の女は面白そうに顎に手を当てて、考える素振りを見せた。
『ではこうしよう。
死化粧屋よ、蘇らせるのはお前だ。金剛寺 希来里の心も癒そう。だがそれは、私に“供物”を捧げるためだ』
「ま、まだ罪人が必要なんですか……?」
生け贄という言葉に、再びイグニスの身体が震える。
『ああ、まだ言ってなかったな』
肖像画の女主人は、愉快そうにこう言った。
『金剛寺 希来里の死因は他殺だ……。ゲダモノではない』
その言葉に、その衝撃的な事実に三人は目を見開いた。
魔法少女が戦うゲダモノは、知性のない純粋な災害だ。空から降るそれに巻き込まれて死のうが、進化体である怪人によって殺されようが、政府の扱いはすべて『特異事象災害による事故死』になる。
だが、この女神は、総ての悪を知る者は今、彼女の死因を他殺だと断言した。
『我が権能は、罪人を選定し、悪を行った者を赦し、悪によって傷ついた者を癒すことにある。
彼女の心を癒そう。ただし、彼女を殺した罪人を我が元にくべよ』
それが、死者蘇生は行わないと言った女神の提示した迂回路だった。
『精々、私を愉しませることだ』
その言葉を最後に、部屋を支配していた重圧は嘘のように霧散し、イーゼルの上の肖像画は、ただの不気味な油絵へと戻っていた。
「そんな、希来里ちゃんの死因が、他殺なんて……」
あまりにも理不尽な真実に、紫織はへなへなと冷たい床へと崩れ落ちた。
「確か、希来里は重傷を負って、回復魔法で応急処置をして病院に運ばれて行ったんだよね?
その後、その傷が原因で亡くなったって聞いたけど……」
「そんなことは、本人に直接聞けばいいんじゃねえの?」
エンバーマーの声に、イグニスはハッとなって紫織と顔を見合わせる。
「あの女の力が本物なら、あいつはモルグで拘束されたままだぜ」
「すぐに行きましょう!!」
紫織は弾かれたように飛び起き、血相を変えてモルグへと向かって行った。
二人もそれに続く。
「希来里ちゃん、大丈夫? 私がわかる?」
モルグの扉を開けると、そこには不気味なほどの静寂が横たわっていた。
あれほど狂乱し、獣のように叫んでいた声はもう聞こえていない。
モルグの冷たい手術台に拘束されていた希来里の束縛を、紫織はひとつずつ解いている。
「……なぜですか?」
「希来里ちゃん?」
「なぜ私を、正気に戻したのですか?」
絞り出すようなその声は、絶望に満ちていた。
己の数奇で残酷な境遇の悲哀にくれた、少女の血の涙を流すような嘆きだった。
「イグニスさんもいますわね……」
「……うん」
「狂っている方がよかった……。正気になど戻りたくありませんでした……。恨みます、紫織さん。恨みますわよ、皆さん……」
「ごめん、ごめんね。私達が身勝手で……」
紫織は懺悔するように何度も謝りながら、身体を起こした希来里の、冷え切ったツギハギの上半身をきつくかき抱いた。
イグニスは掛ける言葉も見つからず、ただ無力に立ち尽くすだけだった。
「……あの御方の、
やがて、ぽつりと。糸の切れた操り人形のように感情の見えない虚ろな瞳で、希来里が言った。
「為すべきことを為せ、と。なんて残酷なことを仰るのでしょう」
「教えて、希来里ちゃん。誰が貴女を殺したの?」
女神は既に恩寵を与えた。三人、いや四人に“供物”を捧げないという選択肢は無い。
「……わかりません」
希来里は力無く首を横に振った。
「ただ、私は実家御用達の病院にあるVIPルームに入院した筈です。
そこに入れるのは、お医者様たちと……」
身内の犯行。
あるいは、極めて近しい者の裏切り。
途切れた彼女の言葉を聞いて、三人はすぐに最悪の可能性を察した。
あの慈悲深くも残酷な女神が課した試練。
それは彼女自身に、自らの手で血を分けた家族を生け贄に捧げろと言う、血塗られた悲劇の演目だった。
えー、悲しいお知らせですが、今度こそ完全にネタ切れですね!!
でもほぼ毎日で十一話も書いたし、頑張ったよね……。
次回以降はどうしようか、うーん未定です。次回は評価バーが赤くなったら、なんてね。
ではまた!!