「結局、日を改めて、か」
外界から遮断された特別病棟を後にし、夜の街へと降り立った四人。
希来里の父・弦一郎から言い渡されたのは、「後日、ちゃんとした場所で改めて話し合おう」ということだった。
「仕方ありませんわ。お父様のお加減が優れないのは本当でしたもの」
「まあ、深夜にアポ無しで押しかけてしまいましたからね」
紫織が苦笑混じりにフォローを入れる。
あの苛烈な降霊術の後、憑き物が落ちたように少しだけ顔色が戻った父の姿を見られただけでも、希来里は心の底から安堵していた。
別れ際、弦一郎は『これで当面の必要なものを揃えて好きに使いなさい』と、自身の財布から一枚のクレジットカードを娘に託していた。
それは、街灯の光を吸い込むようなマットブラック。安っぽいプラスチックではなく、チタン合金特有の重厚な冷たさと鈍い輝きを放っている。
「ブラックカードなんて……都市伝説じゃなくて、本当に実在するんだね……」
手渡されたその小さな金属片が放つ、圧倒的財力を前にして一般家庭出身のイグニスは、現実逃避するように遠い目で夜空のどこかを見つめていた。
「さて、お父様から連絡があるまで、次の予定はありますか?」
「無い」
希来里の問いに、エンバーマーは欠伸交じりに即答した。
「死人に用事なんて有るわけないだろ」
「それも、そうですわね。今更学校に戻るわけにもいきませんし……」
エンバーマーの身も蓋もない言葉に、希来里はふと伏し目がちになった。
もはや自分には、朝起きて制服を着て、友人と笑い合うような明日は来ない。
己が彼岸を超えて戻って来た死者であるという残酷な事実を、改めて自覚させられるようだった。
「とりあえず、私は今日起きたゲダモノの現場を見てこようと思ってる。
後処理の現場を指揮してる人に、上に話を通して貰うためにね」
「紫織さんは、結構偉い人に顔が利くんだっけ?」
「ええ。特対庁の広報課にですけど」
イグニスの何気ない言葉に、紫織は頷いて見せた。
頻発する特異事象災害に対し、現内閣が総理大臣直轄として新設した公的機関──それが『特異事象対策庁(通称:特対庁)』だった。
生前、日本を代表する魔法少女として、人々に希望を与えるための広報活動に協力していた紫織は、そこの広報課と極めて強い繋がりがあった。
「現場の人間だと、事象整理課に行くんじゃないのか?」
「ああ、それは大丈夫です」
事象整理課は、要するに事後処理係だ。
壊されたインフラの被害規模や死者の数を推定し、遺体やゲダモノの残骸を処理する部署だ。
だから現場の者に言っても、部署が違うから意味が無いのでは、とエンバーマーは言ったのだが。
「特対庁に私のファンじゃない人間はいませんから」
紫織は己の成してきた実績に、微塵の疑いもない自信を持ってそう答えた。絶望的な災害の最前線で、彼女の存在にどれほどの政府職員が勇気づけられてきたか。
わぁ、と。イグニスはそのあまりの自信満々っぷりに、呆気に取られて声を漏らした。
「何を呆けた顔をしているんですか。陽菜さん、貴女だってそうですよ」
「……そうなのかな」
「ゲダモノによる日本人の死者は、現時点で五万人ほどとされています。
一度の特異事象災害で平均して五百人は無くなっているらしいですが、今はそれを上回っている。
魔法少女イグニスが居た頃には、平均して死者五百人を上回るのは考えられなかった数字です」
「……」
「貴女がいなかったら、死者数は一万人は増えていたでしょう。それ以上も考えられます。
だから貴女は英雄なんですよ、陽菜さん」
広報課に出入りしていた紫織は、彼女の功績を誰よりも知っていた。
だが大まかな数字を出されても、イグニスの気分は晴れなかった。救った数よりも、救えなかった命の重さが彼女の肩にのしかかる。
「私ひとりの力じゃないよ」
「それは勿論ですわ。陽菜さんと共闘した時の六割は私の功績の筈ですから」
湿っぽくなりかけた空気を切り裂くように、希来里がなぜか自信満々に胸を張ってそう言った。
これには、しんみりしていたイグニスも毒気を抜かれ、何か言いたげにジト目を向ける。
「だからこそ、死体になったからと言って腐っている場合ではありませんわ」
「うん、希来里ちゃんの言う通りだよ」
「お前らは今日の現場に行くんだな? じゃあ私はアジトに戻るわ」
「ええ、分かりました」
これ以上のお喋りは退屈だとばかりに、エンバーマーは三人に背を向け、手をヒラヒラと振りながら飛行魔法で夜の闇へと飛び去って行った。
「それじゃあ、私達も行きましょう」
「……うん」
「わかりましたわ」
現場へ赴く三人もまた、地上を蹴って空へと飛び立つ。
冷たい風が、彼女たちのツギハギの身体をすり抜けていく。時刻はもう日付が変わり、深い深夜になろうとしていた。
§§§
今回の特異事象災害の被災地では、炭化したゲダモノの残骸がまだプスプスと不気味な熱を帯びていた。
アスファルトの道路やコンクリートのビル群は、ゲダモノの体液が発する異常な高熱によってドロドロに溶解し、さらに魔法少女たちの激しい魔法攻撃によって完膚なきまでに破壊され尽くしている。
見渡す限りの焦土。こんな悪夢のような光景が、もはや日本各地に点在しているのだ。
ゲダモノは人口の密集地に現れる。もはや死者数という直接的な被害以上に、都市機能やインフラの喪失が国の体力を削り、経済が悲鳴を上げているのが現実だった。
そんな地獄の釜の底のような現場を、重装備の防護服を着た事象整理課の職員たちが泥臭く動き回り、まだ生きているゲダモノの細胞組織が残っていないか、文字通り這いつくばるようにして丁寧に確認している。
ゲダモノから千切れて飛んだ炭化の手足や、原形をとどめない肉塊をスコップで掘り起こしては、中がまだ“生”ではないか一つ一つ目視で確かめて回る。神経をすり減らすような作業だ。
「わ、ああぁ、と!?」
灰の塊の山に登っていた防護服の職員が、脆くなったところに足を取られてバランスを崩した。
「おっと。大丈夫ですか?」
転げ落ちそうになった彼をガシリと支えたのは、豚面の巨漢だった。
奇妙なことに、はち切れんばかりに膨れ上がった肉体に、全くサイズの合わない窮屈な学生服を着込んでいる。彼はアルスレギオンが呼び出した“ブタさん”の一人だった。
「ああ、ありがとう」
「いえ。お互いに頑張りましょう」
学生服のオークは、巨大な手で器用にスコップを操り、自身も黙々と灰の塊を掘り起こしていく。
ゲダモノが完全に沈黙したと確認できるまで、この作業を昼夜問わず、何十人もの人数を投入して行うことになるのだ。
「なあ、部隊長さんよ。タバコある?」
現場を囲む規制線の外、指揮車両に寄りかかってそう声をかけたのは、オークたちのリーダー格と目されるオークだった。
イタリアンマフィアを思わせる白いスーツを着こなすその“伊達オーク”は、豚の鼻から器用に息を吐く。
政府の役人らしいスリーピースのスーツを着崩した事象整理課の現場指揮官は、懐から煙草を取り出すと、一本だけ抜き取って彼に差し出した。
「おお、ありがたい。シャバでこれが楽しみなんだ」
伊達オークはライターも借りて、うまそうに一服し始めた。
「今回は学生服姿の者もいるな。
一体なにを仕出かしたんだ?」
自衛官上がりの指揮官は、遠くでスコップを振るう学生服オークを見やりながら、そんな言葉を投げかけた。
「ヤク漬けにされて、それをネタに脅されて色々やらかしちまったんだと。若いのに可哀想に。奉仕活動30年だと」
「あんたは何年だったか? 元マフィア」
「ははは、奉仕活動1356年だってよ!!」
その桁違いな年数に、元自衛官も呆れた様子だった。
「いやあ、あの地獄の女神様は俺のこと赦してくれたんだけどなぁ。
次の扉の先でまたおっかねぇのが詰めてきて、お前が殺した人間の残りの人生の分だけ、人類に奉仕しろ、だとよ!!
しかもこんな姿にされて、豚扱いさ」
「まあ、お天道様はちゃんと見てるってわけだ」
大声で笑う伊達オークの隣で、元自衛官も煙草を咥えて火を点けた。
アルスレギオンが現場に出る度に顔を合わせる彼らは、立場の違いを超え、過酷な現場を共有する戦友のような顔見知りになっていた。
「あんたら、別の、並行世界の地球にも呼び出されてるんだよな?
……他の世界はどうなってるんだ?」
「ひでぇもんさ」
伊達オークは、豚面を歪ませてそう答えた。
「この間は、ステージ4を見ちまった。
あっちの天使様は、もうこれ以上は現地で対処不可能ってことで、地表を全部焼き払うことを決めた。終末のラッパが吹かれるってのは、ああなんだろうな。
大勢の天使様が現れて、“浄化”が始まった。人もゲダモノも全部消えてった」
「……ゲダモノ野郎がッ」
彼の語る終末は、他人事ではなかった。
この世界、この地球もまた、どこかにきっと終末のラッパを携えた天使が控えているのだ。
「……あの」
そこで、指揮車両の側に折りたたみ椅子にちょこんと座って不測の事態に備え待機している、魔法少女ヴェスタが声をあげた。
「寄生体のステージ4は大災害だと聞いています。
天使様も、そうなったらもはや私達の犠牲を前提にするほかない、とも。
一体どう言う状態なんですか?」
「……」
伊達オークは口元から紫煙を揺らしつつも、気まずそうに目を伏せた。
「現時点で、この世界ではステージ4は確認されていない。
世界各地の魔法少女……聖女、ヴァルキリー、仙女、呼び方は国によって様々だが、彼女達の尽力のお陰でな。
だから我々も、紫織ちゃんが語る天使様の言葉でしか知らないわけだが……」
その裏の犠牲を想いながら、元自衛官はそう言った。
顔見知りの顔ぶれが変わることを、彼は実感する立場だった。
「俺らもよくはわからねぇ。
だが、アレは空に孔が開いたなんてもんじゃなかった。
地上が真っ赤な、腐ったパエリアみてぇになっちまった。
あれに立ち向かって死んでいったマジックガールは、神が顕現したって表現してたな……」
白い帽子を目深に被り直し、伊達オークはそう語った。
「神様は残酷さ。俺達は死んでも次に呼び出されれば復活する。
なんであんなものの対処を、俺達にさせねぇんだ。あんな、小さなガキどもに……」
彼の咥える煙草が、根元まで急速に燃え尽きていく。
「……」
「もう一本、吸うか?」
沈痛な表情で俯くヴェスタを見て、たまらず元自衛官は煙草をもう一本差し出した。
「ああ、ありがてぇ」
伊達オークがそれを受取ろうとした、まさにその時だった。
規制線の中、灰の山の中心部から、赤黒い粘液が間欠泉のようにブチ撒かれた。
職員がスコップで、まだ“生”のゲダモノを掘り当ててしまったのだ。
「指揮官、ゲダモノの残存を確認!!」
「ヴェスタちゃん!!」
指揮車両で現場のサーモグラフィをモニタリングしていたオペレーターの声に、元自衛官が叫ぶ。
だが、指示よりも先にヴェスタは既に動いていた。
彼女は飛行魔法の力を借りて高く跳躍すると、杖の先端からドリルのように炎を螺旋状に纏わせ、隕石のごときスピードで現場へと降下した。
轟音と衝撃。
地面に杖を深々と突き立てるような姿勢で、魔法少女ヴェスタが着弾する。
彼女の放った灼熱の炎によって、噴き出していたゲダモノの粘液と肉塊は瞬時に沸騰し、今度こそ完全に焼き尽くされた。
“生”を掘り当てた職員は、間一髪のところで学生服オークに庇われ、爆風と共に後方へ吹き飛ばされていた。
「あ、ごめんなさい!! すみません、慣れてなくて……」
「ああ……いえ、対処ありがとう。気にしないでください」
学生服オークに支えられながら立ち上がり、真っ青な顔で平謝りをするヴェスタに対し、防護服の職員は安堵の息を吐きながら手を振ってみせた。
「サンダーメロウちゃんの雷魔法が全体に伝わってると思って油断してた。次はもっと念入りにやらなくちゃ……」
彼女は反省点を洗い出し、己の未熟さに拳をぎゅっと握る。
アルスレギオンの、自分達の活動は失敗しました、なんて言えないという言葉の意味を噛み締める。
「ヴェスタちゃん。念のために、この辺り一帯を焼いてくれないか?」
灰の塊を登り、指揮官である元自衛官が声を張った。
「わかりました。もう一度念入りにやります!!」
「了解、総員退避!!」
ぞろぞろと、職員やオークたちがゲダモノの灰から距離を取る。
退避が完了したのを見計らい、ヴェスタが再び空中に浮かび上がった。彼女の杖から放たれる火炎魔法が、灰の山を舐めるように、念入りにローストし始める。
「あの子だっけ、イグニスの後継者って言われてるの……」
「ああ。まだ三度目の現場だってのに、よくやってるよ」
「ホントにな。変身してる間は大丈夫だってみんな言ってるが、心配だよ。俺なんて最初吐いたぜ……」
退避した職員たちはヴェスタを遠目に見ながらそんなことをはなしている。
「そういや、イグニスと言えば、知ってるか?
死んだはずの彼女が、怪人を倒しに現れたって話」
「あれヴェスタちゃんだって聞いたぜ。デビュー戦の直後だったらしいし」
「俺も気になってさっき休憩中に聞いてみたんだ。でも彼女否定してたぞ」
真夜中の作業中、炎の熱気に包まれた現場でありながら、そんな雑談をしていた職員たちの背筋がぞわりと冷たくなった。
「……なにも死んでまで、ゲダモノと戦わなくたっていいのにな」
「ああ。彼女のような日本人の英雄が、死後の安息が無いなんて報われない……」
「本当にな……」
それは、ゲダモノという理不尽に立ち向かうことすらできない大人たちの、無力感に満ちた心からの憐憫だった。
「この特異事象災害はともかく、怪人の対処ぐらい自衛隊でどうにかならないのかね。
アメリカじゃ、そっちは軍隊が対処してるって聞いてるぞ。なにせ、銃弾が効くからな」
「はは、アメリカらしいな」
「でも犠牲者はその分多いって聞いたぞ。怪人は個体差が大きいからな」
「……子供の犠牲を許容するのと、どっちがマシなんだろうな」
それは答えの無い問題だった。
現場はそんな矛盾を抱えながら、魔法少女の作業を見守っている。
「隊長さん、お久しぶりです」
現場の視線が、奮闘するヴェスタへと一点に集中している、その時だった。
背後から唐突に掛けられた声に、元自衛官の隊長はハッと振り返る。
そこに立っていたのは、一人の『魔法少女』だった。
──いや、魔法少女であるということ以外、何一つとして情報が脳で処理できない。
声の高さも、髪の色彩も、身長も、身に纏う衣装のディテールすらも。まるでそこだけ空間にモザイクが掛かったように、認識が滑り落ちていく。
「……君は誰かな?」
強力な『認識阻害』の魔法。それ自体は、正体を隠して活動する魔法少女にとって決して珍しいものではない。変身した姿であっても、人前に一切の固有情報を露出しない者はそれなりに居る。
だが、目の前の存在が放つ気配は、あまりにも異質だった。
「最後に話したのは、今年の初めでしたね。
まだ寒いのに、ゲダモノには三が日なんて関係無いようで。
あの時は隊長さん、仰っていましたよね娘さんは私のような魔法少女になりたい、と」
「……ッ」
その言葉を聞いた瞬間、百戦錬磨であるはずの元自衛官の背筋が、文字通り氷のように凍りついた。
そんなはずはない。あり得ない。
彼女が生きて、ここに居るはずがないのだ。
他でもない自分自身が、あの凄惨な現場で、血に染まった物言わぬ彼女の遺体をこの目で確認し、事後処理を行ったのだから。
「非常に秘匿性の高い事案です。これを広報課の課長さんに」
「……何か、深い事情があるのは理解した」
「ええ。お願いします」
彼は喉の奥まで出かかった問いを飲み込み、口を噤んだ。
彼も軍人だ。これ以上踏み込んではならない領域、知るべきことと知らぬべきことの境界線は、理解している。
だからこそ、震えそうになる手を抑え、ぬらりと差し出された無地の封筒を無言で受け取った。
「では、またお会いしましょう」
認識の曖昧な“魔法少女”が、夜の闇に溶けるようにゆっくりと歩み去っていく。
隊長は、足音すら立てずに消えていくその背中を、ただ静かに見守る他なかった
「お彼岸にはまだ随分と早い筈だったが……」
ただの幻覚ではない証拠として、手の中には封筒の確かな重みがあった。
夜風に吹かれながらこの不可解な接触は、絶対に公式の報告書には書けないなと、彼は深くため息をつくのだった。
三話連続で病院もあれなので、今回は紫織のコネと現場の方を描写しました。
この作品の更新速度は、皆さんの感想や高評価で維持されます。需要があると確認できると作者も喜びますので、よろしければどうぞ。
ではまた、次回!!