退院した私は、その後も心療内科に通うことになった。
自分が突発的に死を選ぶほど精神状態が不安定だったのは本当だった。
あの白昼夢は、走馬灯の一種なのだろうか。
だがもう、自死を選ぶ気分には成れなかった。
【そこで、私はこう思ったのです。久しぶりに気分転換に外出でもしよう、と】
私は何かに突き動かされるように、私は電車を乗り継ぎ、あの場所へと向かった。
イグニスの没した、彼女最期の地へ。
到着したそこには、巨大な隕石でも叩きつけられたかのような、圧倒的な暴力の痕跡が口を開けていた。
イグニスが自らの命すらも薪にくべ、全てを捧げて放った最後の一撃。
それは、直径一キロメートル以上にも及ぶ巨大なお椀型のクレーターを、この都市に穿っていた。
すり鉢状になった斜面は、尋常ではない超高温で焼き尽くされたせいだろう。土砂がガラス化して固まり、日の光を浴びて鈍く、ぬらぬらと反射している。
その底知れないすり鉢の奥底は、彼女の命の重さと、喪失の巨大さをまざまざと突きつけていた。
すり鉢の縁に沿うように、人々が内側へ転落するのを防ぐための頑丈なフェンスと、回遊できるスロープが整備されている。
そして、最も見晴らしの良い高台には、白亜の立派な“慰霊碑”が建てられていた。
私がそこに着いた時、スロープには大勢の一般市民が群がり、クレーターの底へ向かって次々と花束を投げ入れていた。
色とりどりの花が、ガラス化した凄惨な大地へと吸い込まれていく。
慰霊碑の周辺には、仮設のテントがいくつか並んでいた。
そこでは献花用の花束だけでなく、生前のイグニスを象ったアクリルスタンドやキーホルダーといった追悼用グッズでが売られていた。
その脇には、売上は諸経費を除き、全額が復興支援と特異事象災害の被害者支援団体に寄付されます。と、書かれた看板が垂れ下がっていた。
私はスロープの手すりに手を添え、慰霊碑の近くでイグニスの穿った巨大な虚無の底を、ただじっと見下ろしていた。
祈りを捧げるためではない。悲しみに浸るためでもない。
ただ物思いに耽り、自分の中に渦巻くこのどうしようもない感情と現実を、少しだけ整理するためだった。
「陽菜、私はどうすれば……」
「ねえねえ、ロイド君、ロイド君!!」
私の呟きは、ひどく場違いな騒音によって唐突に掻き消された。
私のすぐ後ろ──つまり慰霊碑の真正面から、ひどく甲高く、無邪気な声が響いた。
振り返ると、そこには奇妙な二人組がいた。
一人は、ひらひらとした黒いレースのゴシックロリータ風の服を着た、背の高い女の子。
もう一人は、大きなレンズの付いた一眼レフカメラで、慰霊碑やクレーターの底を熱心に撮影している少年だった。
ここは観光地化しているため周囲のざわめきは絶えないが、この二人の声量と異物感は群を抜いていた。
「ここで魔法少女サイネリアのオープニングムービー撮ろうよ!!」
「うるせぇ、こっちは撮影中なんだよ!!」
少女の呼びかけに、少年は撮影に夢中で応じなかった。
「ねえねえ、ロイド君ロイド君!! ドローン飛ばして!! クレーターをぐるって撮影して!! 魔法少女サイネリアも飛んで、爽やかなオープニングを取るの!!」
「そんなもん持ってきてねえぇよ!! 邪魔すんな!!」
「むー、むー!!」
少女はしびれを切らし、撮影に夢中の少年をぽかぽかと叩き始めた。
いや、正直“少女”と表現したけれど、背丈や顔立ちを見る限り、もしかしたら彼女は私より年上かもしれない。
その振る舞いや言動が幼さを強調させているだけなのかもしれない。
カップルの痴話喧嘩なのかなぁ、と私が遠巻きに見ていると。
「ねえねえロイド君!!ロイド君!! 見てみて!!」
「なんだよ……って、お前何してんの!?」
彼女は何と、立ち入り禁止の柵をやすやすと乗り越え、慰霊碑の台座によじ登り始めたのだ。
「降りろ、バカ!!」
すぐさま少年がカメラを放り出し、柵の中へ飛び込んで少女の腕を引っ張る。
「なんで、なんでよロイド君!! 痴漢痴漢、痴漢です!!」
「はあぁ!? ああいいぜ、警察でも何でも呼べよ。お前昨日おねしょしたベッドの写真、ここに居る全員に見せてやるから!!」
「なんでなんでロイド君!! そんな酷いこと言うの!!」
「お前がスナック感覚で俺の人生破壊しようとしたからだろうが!!」
うわぁ、と私は二人の言い争いにドン引きしていた。
彼女の暴挙に、周囲も異変を察してどよめいていた。
すぐに警備員が駆けつけてくる。
「そこの二人、その柵の中に入っちゃダメだよ!!」
「ああッ、すみませんすみません!!」
年配の警備員さんに対し、少年は慣れた様子ですぐさま頭を下げ、平謝りを繰り返した。
「すみません、すぐ退かしますんで!!」
「困るよ、君。ここは公共の場なんだから」
「ああええと、その、あいつはその、これなんです……」
少年は申し訳なさそうにバッグを探り、一冊の“青い手帳”を取り出して見せた。
それを見た瞬間、年配の警備員はさっと表情を変え、何かを察したように少し語気を弱めた。
「ああ、なるほどね……。君が介助者ってことでいいの?」
「ええ。一応資格も持ってます」
「障害を持ってるのは仕方ないからあまり強くは言えないけど、目を離しちゃダメだよ」
「本当にすみません……」
少年が再び深く頭を下げた、その時だった。
周辺から、先ほどとは比にならないほどの大きなどよめきが生じた。
二人の方を見ていた私は、周囲の人々が一斉に見上げている視線の先を追い、──唖然とした。
「ねえねえロイド君!! ロイド君!! ここ高くて綺麗だよ、ここから写真撮ったら?」
ゴスロリの少女は、その様相を変えていた。
何かの花びらを模したピンクのふんわりとスカートと、白いトップスで構成されたドレスを見に纏っていたのだ。
そう、彼女は魔法少女だったのだ。
彼女はふわふわと浮遊しながら、ゆっくりと慰霊碑の上に立った。
「お、お、お前、馬鹿じゃねえのッ!?!?!?!?」
少年の叫び声が、周囲に響いた。
慰霊碑の上の魔法少女は、好奇の視線やスマホのカメラを向けられていることを気にせず、ふんふんと鼻歌を鳴らしていた。
§§§
「お前、なに変身してやがんの!?」
「んん? 理亜は魔法少女サイネリアだよ。だから変身するのは当たり前だよ。変なロイド君」
「人前で、変身するな、って言ってんだ!!」
少年は慰霊碑の柵の外へ引きずり出し、その真横に無理やり座らせて説教を垂れていた。
「なんで? なんで?」
「……ふぅ」
少年は深く、ひどく疲労したような深呼吸をしてから、あからさまな作り笑いを浮かべ、猫撫で声で諭し始めた。
「魔法少女は人々に正体を隠すものだろう?
お前の大好きなアニメは、だいたいそうだった」
「そうだね。でもメロースパークは違ったよ? 皆の前に正体を明かして戦った、すごい偉い魔法少女なんだよ!!」
「理亜。お前はそうじゃねぇって言っているんだよ?」
「なんで? 私、天使様に魔法少女に選ばれたよ。
たっくさんの人、1億1970万人分の42人、この割合は──」
「だから、現実の魔法少女は他人に迷惑を掛けないの!!」
「ロイド君ロイド君」
「なんだよ!!」
座ったまま少女は真っ直ぐに指を差す。
少年が振り返ると、そこには目を輝かせ、スマホを構えた大勢の野次馬が壁のように群がっていた。
「……こんな世界、滅びちまえばいいんだ」
少年の口元から心底ウンザリしたような呪詛が漏れた。
「あ、あのッ、新しい魔法少女ですよね!! 一緒に写真お願いしても良いですか!?」
そして群衆の中から、興奮した声が飛ぶ。
「……」
だが、魔法少女は無反応だった。
能面のように無表情で、まるで石を見るように観光客を見ていた。
「あ、あの……」
「あー。こいつ、人見知りなんです。写真は遠慮してください。絶対にネットにアップしないで!!」
少年が身を挺して魔法少女の前に立ち、必死に周囲へ呼びかけ始める。
すると、彼女は群衆への興味を完全に失ったのか、座ったままの姿勢で急にカバンからスケッチブックを取り出し、猛烈な勢いで鉛筆を走らせ始めた。
奇行に加えて、また奇行。
これには周囲も困惑しっぱなしだった。
なにせ、世間にとって現実の魔法少女とは希望の象徴。
マスコミの前で笑顔を振りまき、ファンには丁寧に対応するのが常だった。
私は何だか心配になって、遠巻きにはらはらと見守っていたのだが。
「ロイド君、ロイド君」
「今度は何だよ!!」
何度目かわからない呼びかけ。少年が振り返ると、彼女は描き上げたばかりのスケッチブックを無造作に掲げた。
そこには、まるで写真と見紛うほど精巧で写実的な人物画が描かれていた。
そして彼女はゆっくりと、人差し指を持ち上げる。
その指先が、群衆を越えて──そう、私を真っ直ぐに指し示していた。
「コールドミスト!! 魔法少女コールドミストだよ!!」
スケッチブックに描かれていたのは、まぎれもなく私の顔と、今はもう着ることのない現役時代の衣装だったのだ。
一斉に、周囲の無数の視線が私へと突き刺さる。
「ひ、人違いです!!」
私はその場から、逃げるように走り出すほかなかった。
【だが、魔法少女サイネリアからは逃げられなかった!!
それも当然でしょう。朝霧 冬華は今、魔法を失ったただの少女なのですから……】
「ねえねえ、コールドミスト!! 魔法少女サイネリアに出演してよ!!」
ふよふよ、と逃げる私に浮遊してぴたりと並走する彼女。
「だからッ、人違いだってッ」
「どうして? ならどうして逃げるの?」
「それはッ」
「ねえねえ、魔法少女サイネリアの師匠ポジションと、ピンチのサイネリアを助けに来る先輩魔法少女ポジション、どっちがいい?」
「勝手な、ことッ、言わないでッ」
魔法を返上した私は、大した体力も無いただの少女に過ぎない。
私はいつしか、息切れして、ぜえぜえと呼吸し立ち止まった。
「わかった!! 選べないから、どっちもが良いんだね!!」
「……はあ、はあ」
「おいこらッ、このバカッ、バカ理亜!!」
底抜けに明るいその笑顔を恨めしそうに睨みつけていると、背後から少年が血相を変えて追いかけてきた。
「すみません、すみませんッ。このバカがご迷惑をッ」
「とにかくッ、人違いだから」
私はそう吐き捨てて、二人に背を向けた。
これ以上、魔法少女の世界に関わりたくなかった。
「う、ううううううあああああああッ」
だけど、すぐに後ろからそんなうめき声のあと。
「なんで、なんでなんでッ、びえぇぇぇぇん!!!」
「ああ、泣きやがった……」
幼児のように泣き叫ぶ声と、少年の魂の抜けたような声が聞こえた。
「コールドミストなのぉぉぉぉ!!!」
「お前、コールドミストがここに来るわけないだろ……」
私の足が止まった。
「ゲダモノが怖くなって逃げ出した魔法少女なんて、そんな恥知らずがイグニスの慰霊碑の前になんて……。どんな顔で来れるって言うんだよ」
私は踵を返した。
「理亜、お前の好きな魔法少女ってのは、敵を前に逃げ出したりしないだろ?」
彼は、私の接近に気づかない。
「だから、コールドミストなんて騒ぐのは止めとけって──」
私は、怒りに任せて少年をぶん殴った。
「……ごめんなさい」
慰霊碑から離れたところにあるベンチに座り、私は膝に手をつき、ひどい自己嫌悪と後悔に暮れていた。
「ね、ロイド君。言ったでしょ」
「なに自分は関係ないみたいな顔してんだよ、お前」
ロイド君というらしい少年は、自販機で買った缶ジュースで頬を冷やしていた。
「でもまさか、本当にコールドミストだったとは。
こいつが他の障害者の皆さんに一緒くたにするのが失礼なアホとは言え、大変失礼をしました」
彼は私に丁寧に頭を下げた。
「……ううん。本当のことだし」
「ねえねえ、そんなことより、魔法教えてよ」
「え?」
私は顔を上げて、理亜ちゃんという魔法少女を見やった。
「……どういうこと?」
「ああ、こいつ上手く魔法を使えないみたいで。
やっぱり魔法ってのは難しいもんなんすかね。イグニスは初戦で大活躍したそうですけど、天才って奴なんすかね」
「そんなわけないよ」
私は断言した。
「魔法少女に変身すると、ゲームの操作画面みたいに、直感的な操作で魔法が使えるようになるんだよ。
上手く魔法が使えないなんて、あり得ないよ」
「わかんない……」
「えッ……?」
「わかんないのぉ!!」
急に、理亜ちゃんは頭を抱えてパニックを起こしたように苛立ちを示した。
「ああ、こいつ、他人の当たり前ってのが出来ないタイプでして……。
お箸とか上手く使えないし、テーブルの上の調味料を取ってとか、そういう感覚がわからないですよ」
私は彼が先ほど、『青い手帳』を見せて場を収めたのを思い出した。
「だって、意味が分からないもん!!」
「意味が分からないのはこっちだボケ!!
なんで箸を持つのに計算機が必要になったり、50㎝先の右から三番目の円柱状の物体の正確な面積と重量を答えないと調味料がどれかわからないんだよ……」
「分からないんだもん!!」
私は彼らの言葉を聞いて、ハッとなった。
「サヴァン症候群……」
「ええ、世間ではそんな大層な名前が付いてるそうですね。
でも結局、そんなのは世間の皆さんが頭のオカシイ奴を理解するために枠組みに入れたいだけなんですよ。
俺は十年以上の付き合いですけど、こいつの性根は理解してるつもりです」
ロイド君は吐き捨てるようにそう言った。
「こいつ、魔法少女になって誰かを救いたいとか、世界を守りたいとか、そんな高尚な感情は微塵もないんです。
ただのロールプレイなんですよ。自分が好きなアニメの真似事をしたいだけで、他人がどうなろうと知ったこっちゃないんです」
「なんで、天使様は彼女に魔法を……」
「俺が知りたいですよ」
魔法少女の“当たり前”が通用しない人間。
そもそも、人間の当たり前が理解できない人間。
サヴァン症候群の人間は、例えば道端に落ちている石ころを避けられないとか、服のボタンを絞められないとか、そう言う事例があると聞いたことがあった。
「……理亜ちゃん」
「なあに?」
「視界の左の魔法一覧の一番下、上から十番目の項目を二秒以上ジッと見つめて」
「……なんか出た」
「そう、それが天使様を呼び出す緊急連絡先。それを二秒以上見つめて」
私がそのように手順を教えると、空間が僅かに歪んだ。
『何か用か、魔法少女サイネリア』
「あ、天使様だ!!」
彼女は無事、天使様を呼び出せたようだった。
「あの、天使様、実は──」
私の方から理亜ちゃんの状態を天使様に説明することになった。
『なるほど。直感的操作が理解できない、と。ではこうしよう』
流石は天使様で、すぐに対応策を打ち出してくれた。
『彼女の魔法の構築術式を逐次完全なマニュアル操作にするようにUIを変更する。
全ての項目を彼女の脳内の演算パターンに専用の仕様に最適化するとしよう』
私は天使様の言っている技術的な詳細までは理解できなかった。
だけど、理亜ちゃんの魔法行使のインターフェイスを彼女専用にカスタマイズする必要があるのはわかった。
「理亜ちゃん、分かるようになったかな?」
「うーん、まだ試してみないとわかんない……」
「飛行魔法は出来てたよね? あれはどうしてたの?」
「魔力の放出量を計算して浮力を出してた」
「それ、魔法でも何でもないじゃん……」
それは言わば、自らの足元に向かって息を吹きかけ続け、その風圧の計算だけで空中に留まろうとするような、異常なまでの演算能力の無駄遣いだった。
彼女の見ている世界は、私達常人には到底理解が及ばない領域にあるらしい。
『コールドミストよ』
魔法を返上し、部外者となったはずの私に、天使様が不意に語りかけた。
『彼女は天才だ。そう魂に定められている』
「天才、ですか?」
『魔法とは才能の世界だ。五十年修行した魔術師が、たった数か月魔法を学んだ人間に追い抜かされるなど、ざらにある話だ』
それは余りにも、残酷な話だった。
『私はこれまで、君達の正義感や使命感と言った要素から、順番に才能に優れた人間を選んできた。
だが、彼女は違う。才能だけで私は選んだ』
彼女は私達と、選考基準がそもそも違うらしかった。
『彼女の才能は、イグニスや君とも比較にならない』
「そんなレベルなんですか?」
『魔法の世界とはそう言うモノだ』
天使様の視線が、私を射抜いているのがわかった。
『コールドミストよ、君に非戦闘員用の魔法プリセットをインストールした』
「……は?」
『どうか魔法少女サイネリアを導いてほしい』
「天使様ッ!? ちょっと待ってください!!」
天使様は、それだけ言ってスッと消えた。
私は思った、押し付けられた、と。
黙って成り行きを見ていたロイド君が、憐れむような視線を向けて来た。
それは、自分の同類を歓迎するような表情ではなかった。
「やった!! 天使様がコールドミストを師匠ポジションにしてくれたわ!!」
そんな中で、理亜ちゃんは無邪気に笑っていた。
「二人共、さっそく魔法少女サイネリアのシーズン1を始めるわ!!」
私はロイド君と顔を見合わせて、がっくりと肩を落とした。
私は、“運命”を恨むほかなかった。
イグニスの相棒編、結局次回まで続きそうです。
サイネリアは運用に補助要員数名を必要とする、ロマン型の魔法少女なのです!!
この作品の更新速度は、日頃の読者の皆様の高評価や感想で成り立っております!!
ぜひ、清き高評価のほどをお願いします!!
ではまた、次回!!