「……はあ」
エンバーマーが拠点としているこの不気味な廃病院は、人里離れた山間の高所にある。
雑草が生い茂る中庭のフェンス際からは、はるか眼下に、もう誰ひとりとして住んでいない寂れた廃村が一望できた。
希来里は、朽ちていく家々の屋根が並ぶその寒々しい景観を楽しむでもなく、ただ重いため息を吐いていた。
「どうしたの希来里。あんたがそんな分かりやすい溜息つくなんて、らしくないじゃん」
そんな彼女の背中に、カラッとした明るい声が掛かった。陽菜だった。
希来里が気だるげに視線を向けると、陽菜はそれ以上何も聞かず、ごく自然な動作で希来里の横に並び、共に廃村を見下ろした。
「……陽菜さん。あなたは、昔に戻ったようで安心しましたわ」
先日、こっそりと実家へ帰郷して以来、陽菜には生前の……かつての輝くような笑顔が完全に戻っていた。
希来里と同じように凄惨な死から蘇って以来、彼女の表情はずっと、どこか罪悪感と虚無に陰っていたのだから
「うん。私にはこれまで通りの生き方しか出来ないからね」
陽菜は、ふふっと笑ってフェンスに寄りかかった。
「ゲダモノを斃そう、希来里。全部、全部だ」
「……ええ、それは勿論」
陽菜の言葉に、もはや一切の迷いは無かった。
その力強さに引っ張られるように、希来里も小さく頷き返す。魔法少女として戦い、人々を救うことは、亡き母にも褒められた彼女の誇りある生き方であり、自分で決めた道だ。そこに曇りなどは無い。
「ねえ、陽菜さん。あなたは誰かを殺したいと思ったことはありますか?」
「うーん、無いね」
「私もです。我が一族は代々製薬とその販売を生業にしてきました。
他者の病を癒し、生かすことを誇りとしてきました」
「あー……」
そこまで言われて、希来里の抱える闇を察せないほど、陽菜は愚鈍ではなかった。
彼女がひどく重い物思いに耽っているのは、自分を謀殺した家族を想ってのことだった。
「私を殺したのがお兄様たちの誰かなら、それは一体どんなお考えだったのでしょうか……」
「少なくとも、“御考え”って敬うような思考じゃないんじゃない?」
「……そうでしょうね。今日、お父様との会談の予定です。お父様とお会いできるのは嬉しい筈なのに、気が重いのです」
「うーん、こういう時はアレを試さない?」
「あれ?」
希来里は陽菜の横顔を見やった。
「ようこそ、メロースパークの館へ」
有り余る時間を使って、埃まみれだった廃病院の一室を強引に片付けた自室。
怪しげな布を被せたテーブルの奥で、紫織が仰々しく待ち受けていた。
「またですか、紫織さん……」
希来里は、呆れ果てて若干うんざりしているようにそう言った。
「まあまあ、最近始めたんですよ。占いの勉強を」
「よりにもよって、エンバーマー様に師事してですか?」
そう、紫織は最近占いの才能を見込まれ、エンバーマーに教えを乞うているのだ。
当人も言っていたが、死霊術とは死者の霊と交信して未来を予見する『占い』の一種である。ゆえに、彼女が当然のように高度な占術の技術を会得していたとしても不思議ではないのだが……。
暇つぶしに占ってもらった紫織が、その異常な的中率とロジックに知的好奇心を刺激されて大興奮。それ以来、彼女はすっかり占いに目覚めてしまったのである。
「まあまあ、占いが嫌いな女子は居ないでしょ?」
陽菜は可笑しそうにクスクスと苦笑しながら、希来里の背中を押した。
「それはまあ、そうですが」
「それでは、まずはタロット占いでもいかがですか? とりあえずこれを極めてみようかと」
紫織はタロットカードをシャッフルしながらそう笑う。
「知っていますか? 現在の一般的なタロット占いは18世紀頃に成立したモノで、オカルトブームと共に大衆化したとされています。ですが、エンバーマーさんに教わったタロット占いのロジックは明らかにそれ以前……魔術的な起源に極めて近いものらしくて、どれだけ調べても資料がネットでは出てこないんですよ!!」
紫織のオタク特有の早口な解説が止まらなくなる。
博識で好奇心旺盛な彼女は好きなモノについて語る時はいつもこうだった。
「私は敢えて、今のところは現代のタロット占いの解釈を踏襲していますが、いずれ彼女の持つ未知の占い技術の体系を全て吸収して理論化したいですね!!」
「わかった、わかりましたから!! やるなら早くしてください!!」
紫織の知的なマシンガントークに気圧され、希来里は諦めたように、怪しげなテーブルの前にちょこんと座るのだった。
紫織は恭しい手つきで、テーブルの上にベルベットの布を広げた。
その中央に、年代物のタロットカードがシャッフルされ、置かれる。
この何気ない動作に、当人の魔法的素養と技術が集約されるそうだが、希来里にはちっとも違いがわからない。
「それでは希来里ちゃん。何を占いますか?」
「では、私について占ってください。お父様との会談が、どのように今後に作用するのか……」
「ふむ、なるほどね。じゃあ今日のお父さんとの会談について、『過去・現在・未来』の三点から読み解くスリーカード・スプレッドで見てみましょう。……さあ、左手で三枚、直感で選んでみてください」
紫織は慣れた手つきでカードを扇状に展開していく。
希来里は気乗りしない様子ながらも、促されるままに裏返しのカードを三枚引き抜いた。
紫織はそれをテーブルの中央に並べ、ゆっくりと一枚目を表に返す。
「一枚目、『過去』あるいは前提条件を示すカード。……“女教皇”の逆位置です。解釈が難しいですね、秘められた秘密や神秘を示すカード」
実在しない女教皇ヨハンナがモデルとされる、書物を手にした女性の絵柄が逆さまに現れた。
「女教皇の逆位置は、欺瞞に混乱や表面的な知識を示します。
残酷な物言いかもしれませんが、希来里さんの家族に対する理解はあなた自身が思っているモノとは違うのかもしれません」
「もう既に覚悟の上です」
「では、『現在』を示す二枚目のカードをどうぞ」
紫織に促されるまま、希来里は二枚目のカードを表にする。
「“法王”の正位置。この場合は、良い助言者を得ると私は解釈します。希来里ちゃん、お父様を疑っていますか?」
「……ほんの僅かですが」
「私も彼が希来里ちゃんを殺した犯人だとは思えません。
占いの結果は彼を味方にすることが吉兆だと示しているのかもしれません」
紫織の言葉に、希来里はこくりと頷いた。
「それでは、『未来』を示す三枚目のカードを」
希来里は三枚目のカードを表にした。
それを横目で見ていた陽菜は、うわっ、と声を漏らした。
「三枚目、“吊るされた男”の逆位置」
「これって、首を吊るされるってこと?」
「物理的な死刑というわけではありませんが、このカードは刑死者、死刑囚と呼ばれることもありますね。
ですがウェイト版のモデルは北欧神話のオーディンとされ、絵柄の男は自ら望んで得た苦難であるとされる説もあります」
「その逆位置。意味は?」
「正位置はポジティブな意味を持ちます。逆位置は……徒労、諦め、自暴自棄、無益……そう言ったネガティブな意味合いに転じます」
「そんなぁ」
「私の未熟な知識でどう解釈すればいいかはわかりませんが」
陽菜への解説を切り上げ、紫織は希来里へ向き直り、努めて優しく声を掛けた。
「希来里ちゃんは一人ではありません。私達は一蓮托生なんですから、遠慮なく私達を頼って良いんですよ」
「……ええ、そうですね」
「……」
希来里の返答には、一切の抑揚がなかった。
感情を完璧に押し殺したような、能面のような真顔。それは未来の凶兆に怯えているというより、自らの内に渦巻く冷たい何かを必死に抑え込んでいるようだった。
陽菜が気まずそうに紫織へ視線を向けるが、紫織もまた、不用意に踏み込んでしまった重苦しい空気に言葉を失うことしかできなかった。
「で、でもさ、あれでしょ、“搭”みたいあからさまに悪いカードがでなくてよかったじゃん!!」
これ以上空気が沈むのを嫌がった陽菜が、己の薄っぺらいタロットカードの知識を総動員して、必死にそう励ました。
「お前ら、なにやってんだ。そろそろ時間だぞ。行くぞ」
その時、ガチャリとドアが開け放たれ、エンバーマーが無遠慮に紫織の部屋へ入って来た。
紫織は占いの師匠である彼女に、縋るように目の前のカードを示した。
「あ、エンバーマーさん。あなたならこれ、どう解釈しますか?」
「回数を重ねたり他人の意見で、お前の占いを歪めるんじゃねえ。その結果はお前の感性で引き当てた結果だ」
エンバーマーは短く吐き捨てた。
「はい、その通りです……」
「お前に教えたのはどうとでも取れる市井の占いじゃねえんだ。お前はお前の才能を信じればいいんだよ」
陽菜は思った。本当に師匠みたいなことしてる、とエンバーマーを見て思った。
「……だが私ならこう解釈するね」
エンバーマーは“吊るされる男”のカードを指先で拾い上げ、酷薄な笑みを浮かべて、こう言った。
「──殉教、だ」
三人は、その意味を理解できなかった。その時は。
§§§
四人が飛行魔法を使ってひそかに到着した待ち合わせ場所は、金剛寺グループが所有する、とある大学病院の裏手だった。
人目のつかない夜の搬入口は、ひどく薄暗く、ひんやりとした空気が漂っている。
「待ち合わせ場所はここか?」
「ええ。その筈ですが」
「お嬢様、ですか?」
四人が振り返ると、家政婦の格好をした四十代くらいの女性が信じられないものを見るような顔で駆け寄って来た。
「藤野!!」
「お嬢様、お嬢様!!」
希来里はすぐさま変身を解き、駆け寄って来る彼女をきつく抱きしめた。
藤野と呼ばれた女性も、希来里の背中に腕を回し、泣き崩れるように抱きしめ返した。
「こいつは?」
「私の乳母で、私を産んですぐに亡くなられたお母様に代わりずっと私の身の回りの世話をしてくれた、心から信頼のできる者です」
「ふーん、そうか。ならいい」
「お嬢様……勿体ないお言葉です。本当に、本当に生きておられたなんて……」
藤野は震えるような声でそう言った。希来里から離れて目元を拭い、居住まいを正す。
「あちらの地下搬入口で、弦一郎様がお待ちです」
「ええ、案内しなさい」
「かしこまりました」
藤野は恭しく頭を下げ、四人を案内した。
「来たか、希来里」
「お父様!!」
地下の搬入口の奥で待っていた彼の姿を見て、希来里は息を呑んだ。
ほんの数日前、病室で対面した際の枯れ果てた老人のような姿から、彼は一変していたのだ。
体に完璧にフィットしたオーダーメイドのスーツを着こなし、背筋は真っ直ぐに伸び、白髪混じりの髪もワックスで隙なく整えられている。
まだ退院して数日しか経っていないため、頬の痩せこけなど衰弱の痕跡は隠しきれていない。だが、それでも彼からは、巨大企業グループを牽引してきたベテランの権力者としての威圧感が確実に蘇っていた。
「希来里、まずは検査を受けなさい」
感動の再会や労いの言葉もなく、弦一郎が冷徹に放った第一声に、希来里の身体が硬直した。
「他の皆さんも、一緒に受けるべきだ。そうだろう?」
彼の言葉は娘を労わる父親としてのものだった。
「無論、他言無用だ。あらゆる記録にも残させないし、家族の所在が明らかな信頼できる者だけを集めた」
人選に信頼などという綺麗ごとだけを基準としていない、政治にも影響力のある大企業グループのトップとしての顔がそこにあった。
「……彼の言う通りです。私達は今、自分たちの身体がどうなっているのか、医学的に全く理解できていない。調べる機会があるなら、受けるべきです。
勿論エンバーマーさん。貴女が否と言わなければ、ですが」
「やってみな。面白い結果が出ると思うぜ」
紫織が視線を向けると、エンバーマーは止めるどころか、むしろ挑発的に口角を上げて嗤ってみせた。
「分かりました、お父様。お願いします」
「では、こちらに来なさい」
そうして、エンバーマーを除く三人は精密検査を受けることになった。
数時間後。その結果は驚くべきものだった。
「……まず、なぜ皆様が常人のように行動できるのか、我々には理解できませんでした」
検査結果を前にして口を開いたのは、金剛寺グループが多額の出資をしている大学の教授や、主任格の医師たちだった。
何名も集まり、額を突き合わせて協議した彼らは、誰もがその道では権威と呼ばれる、この国の医学界でもトップクラスの頭脳である。
だが、そんなエリートたちが今、何かの冗談でも見たかのように青ざめた顔で並び──完全に白旗を挙げて、現代医学の敗北を認めていた。
白髪の老教授は、壁に映し出された希来里たちのMRI画像と、いくつもの波形データを指し示しながら、ひどく震える声で口を開いた。
「弦一郎様。……結論から申し上げますと、彼女たちは医学的、生物学的に見て『完全に死んで』います。それも、一週間以上前に」
「どういうことだ。現に希来里はこうして喋り、自分の足で歩いているだろう」
「それが……我々にも、全く理解が及ばないのです」
教授は一枚の脳波データをモニターに映し出した。そこには、残酷なほど真っ直ぐな一本線が引かれている。
「これは脳波計と、脳の血流(fMRI)を調べた結果です。前頭葉を含め、脳は酸素もブドウ糖も一切消費していません。医学的な定義に則れば、彼女たちは重度の『脳死』状態にあります」
「……え?」
自分の脳の画像を見せられた陽菜が、間抜けな声を漏らした。
「心臓の拍動もゼロ、血圧計はエラーを吐きました。血管内には酸素を運ぶ役割を失った、どす黒く凝固しかけた血液──いや、防腐剤のような化学物質が未知の作用で循環しているのみです。ATP……筋肉を動かすための生体エネルギーも完全に枯渇しており、本来であれば、とうの昔に死後硬直と腐敗が始まっていなければならない肉体なのです」
「……」
紫織は自らの手首にそっと触れた。確かにそこには、脈打つ命の鼓動が存在しない。
「しかし現実として、彼女たちの肉体は可動している」
弦一郎が、冷徹な目で教授を促した。
「はい。……信じ難いことですが、彼女たちの細胞の隙間、神経細胞のネットワークを、現代科学では観測不能な『未知のエネルギー場』が置換しているとしか考えられません。脳の命令ではなく、外部からの強力な電磁パルスのようなものが、強制的に筋肉を収縮させ、声帯を震わせている……」
「まるで、精巧なマリオネットですね」
呆然とする少女たちをよそに、部屋の隅で壁によりかかっていたエンバーマーが、愉快そうに肩を揺らして嗤った。
「また、縫合手術の痕跡も理解不能です」
今度は、国内有数の外科医が嫌悪感と共に吐き捨てた。
「脳機能が停止している以上、拒絶反応が出ないのは理解できますが……完全に他人の肉体同士を縫合し、血管や神経を無理やり繋ぎ合わせ、まるで本物の人間のように動かそうとするなど。その狂気は意味不明です。これならまだ、クローン技術の方が遥かに人道的です」
「け、血液検査の結果も異常でしたッ」
続いて、青ざめた顔の研究員が報告を上げる。
「彼女達の体内を循環しているテトロドトキシンを主成分とした血液の代用物は、他にもブフォテニンらしき毒素、スコポラミンやアトロピンといったアルカロイドなどによって構成されていると判明しました……」
「神経毒に幻覚剤の見本市だな」
弦一郎は、専門性のある毒物の名前がずらりと並んだ検査結果を一瞥して、重い溜め息を吐いた。
リストの端から端まで、致死量の劇物が並んでいた。
それは、完全に現代医学の常識を嘲笑う、狂気の検査結果だった。
「そういや、毎年世界中の偉い学者が集まって、『死の基準』をああでもないこうでもないって、決めようとしてんだよな?
私からすれば、そんなのは単純なことだ」
こんな毒物と死体のツギハギの身体を作り、誰がどう見ても人間のように見せている女は生の狭間で右往左往している科学者たちを嘲笑っている。
「真似してみろよ。出来るもんならな!!」
「黙れ外道、こんなものが医療であってなるものか!!」
嫌悪感を示していた外科医が声を荒げた。
医療とは、屍の上に成り立っている。
即ち、目の前の死霊術師がこれを成し遂げるまで、どれほどの犠牲者が必要だったか、想像を絶するのだ。
「もういい」
「しかし、弦一郎様!! 御身のご息女がッ」
「私はもういい、と言った」
しん、と弦一郎の言葉にその場は静まり返った。
「私の目の前で全ての記録を処分しろ。
無論、先の契約書通りこの場の事は他言無用、お前たちは家に帰って明日にはすべて忘れろ」
「……御意に」
彼らは忠実に弦一郎の命令を実行し、退散していった。
「お父様、私達は……」
「お前は私の娘だ。それ以上でもそれ以下でもない」
「はい、はいッ」
希来里は目元を拭った。
弦一郎には娘が本当に生きているようにしか見えなかった。
「場所を変え、食事にしよう。味はわかるのだったね?」
「ええ」
「ではそうしよう。店は予約して車は用意させている」
そう言ってから、彼はエンバーマーを見た。
その表情からは感謝を述べれば良いのか、よくも娘を冒涜してくれたな、と怒鳴れば良いのか、複雑な感情と葛藤が見て取れた。
「彼らの誰ひとりとして、私達の『復活』を奇跡として捉えなかった。それが救いでしょうね」
「あー。私達って“現物”があるもんね。試したいって思うのも無理ないよね……」
紫織はどこか安堵していた。彼らが真っ当な医師だったからだ。
それは陽菜も同じだった。
「この身体は、あくまでゲダモノと戦う為の仮初のモノに過ぎません。
お父様、私はその為にここにおります」
「ああ、希来里。君のしたいようにしなさい」
希来里の気高いその言葉に、弦一郎は妻の面影を見るのだった。
昔、雨の日に事故って以来、雨の日はどうにも調子が出ず、最近の長雨に創作意欲がダダ下がりでしたが、何とか続きを書けました……。
次回はもっと早く更新します。
感想や高評価をお待ちしております。
ではまた!!