一方その頃、ビブラでは冷凍組と永住組で住む場所を決める為の長きに渡る争いが漸く終結していた。
エーコは冷凍組、ヨメネは永住組へ。決まり手は永住組に降り注いだ数多の不幸。ビブラのリソースの大部分は冷凍組の精神維持と守りの壁に回され、永住組の思考に一定の思考制限を実施。ビブラの全体構造は東京と似たような二重防壁構造に変わっていた。
「疑問なのだが、ここから101階まで降るのはどれだけの時間が必要なのだ?」
階段を淡々と登っている最中、「幻想具現」を無事に覚えた師匠が使い勝手を確かめながら、そんな事を阿佐美に聞いた。
[迷宮2F
現在居るのは2Fのコンクリートの階段と、風景は見えず閉ざされている団地の道を組み合わせた立体迷路の中。時折り団地の号室に繋がる扉が点在する、実に現代的な迷路だ。
そういった部屋に入ると魔物が居たりアイテムが落ちてたり、かなり迷宮らしいフロアだ。生活感があるのは頂けないけどね。
「心配してる事は分かるぜ。安心しな、律儀に1階ずつ降るような仕様じゃねーから思ったより早く着く」
「それは何よりだが、具体的に何日かは分からんのか?」
「さてな。50より大きな数字は毎回道が変わるものでね。壁をぶち抜いても崩落しない場所なら早く終わって、そうじゃなきゃ今歩いてるように地道な道のりになる。そこは運次第だが、長くても半月程度で到着するだろうよ」
1Fはほぼ直線で歩き魔物にも遭遇してないのに15分は歩いた。
2Fは入り組んだ道の答えを既に知っている阿佐美と一緒に2時間歩いても次に行けない。
師匠が心配するのも分かる話だ。出逢う魔物も真っ黒な人影か蟲影ばかりで不思議と不安になって来るし、ダンジョンで大事なのは戦闘力じゃなく精神力なのかもね。
ビリデスの時に潜った時は洞窟から直で10階の図書館エリアに行ったから、こうして改めて歩くのは新鮮な気持ちになる。
[↑誰かの記憶 推奨Lv.3]
「それにしても不思議だね、この階だけ頭上じゃなくて足元にネームプレートが出て来るのは」
階段の先に現れた蜘蛛の影が動く暇もなく師匠に真っ二つにされているのを眺めていると、ふとそんな言葉が出てきた。
いつも下向きの矢印が上を向いているのだ。些細だけどこのフロアの特徴なのかもね。
「目の付け所がいいな。その発想はダンジョン探索じゃいい線いってるぜ。事実、上下の正しさは矢印が正しいんだからよ」
因みにネームプレートの文字は常にプレイヤーが見易い向きになる仕様だと阿佐美は補足した。
矢印は常に海全体から見て下を示してるとも。
「へー、じゃあ私達は天井を歩いてるってこと?」
「だとすると僕らが歩いてる階段に蛍光灯がなきゃ可笑しい事になるな」
「建物も重力も逆さまなのだろうよ。超大型ショッピングモールに行った時と似た感覚じゃな。重力を自在に変える設備があり、壁も天井も
安易な発想に阿佐美が矛盾を突きつけ、師匠が代わりに答え言う。
確かにそれなら矛盾はしないが……ここはそんな超大型商業施設ではなくダンジョン……もっというと古臭い作りのコンクリートの通路だ。
こういう居住区が万が一の災害に備えて重力を変える設備は置かれない。各階層に基となる人の夢があるのなら……いや夢ならあり得るかな。その辺りはどうなのだろうね?
何となく違和感ならあるんだけどね。
例えば蛍光灯が全部壊れてるのに明るいとか……これ洞窟の時も同じ事言ったな。
「大方そんな所だろーな。基になった誰かさんの夢でお出かけ先と帰り道が結び付いてこうなった。全然あり得る話だぜ」
「特別な日の記憶だったのだろうなあ。住処を見るにあまり裕福でなし。晴れの日の体験として赴いたなら、夢に見ることもあろう」
二人がそう言って納得していたけど、それにしては良い夢らしさの無い空間だよね。
蛍光灯壊れてるし、出て来る記憶の影はやたら蟲が多い。時折り見つけられる部屋は全て同じ構造な辺り自室なんだろうけど……真っ黒なものが多すぎる印象を受けた。
触れても別の階層に行かなかったし、別に入り口というわけでも無い。
夢の世界を歩んだ経験からして、これは"欠けた悪夢"だ。
「……描いてみるか」
なので筆を取ってみることにした。一応メインジョブは絵師だし、丁度新しく【夢物語】なんて面白そうなユニークもポップした。ここまでパーツが揃っていればコンボを決めたくもなるというもので、俺は興味本位で絵師という
夢の世界で欠けたものを埋めるなら、絵の具ほど汎用性のないものは無かったからね。
「あ? 急に何してんだバイアクヘー」
「補彩」
この空間に元となる人物がいると言うのなら、この空間を辿っていけば"その人"がこの夢を見るに至った瞬間を演じるのは容易い。少なくとも歴史上の人物の能力を名前から演じるよりは楽だ。
そしたらあとはゲームの絵師としての補正と「記憶を思い起こし絵にする演技」を組み合わせればい。
どれだけゲームの中では演技がナーフされてるとしても、それは外側に出す場合の話。内面に留まる内は問題ないと、これまでゲーム内で演じた経験が答えを出している。
「違えよ。"なんでそんな事をやろうとしてんだ"って聞いてんだ。行為じゃなく動機を答えろ」
「"私は知らない"。ただ、そう振る舞えと
「電波かよ」
「サブ職が声の請負人だからね」
動機としては単に何となくやってるだけだが、そこを深掘りするなら「役割通りに空気を読んで動いている」という答えしか返せないね。
ビリデスの時は教師探しを優先したけど、今の俺は絵師だ。そしてここには題材と筆があり、未完成の
ならやるべきだろう。復元を。丁度絵の具を自在に取り出せる「幻想具現」も使えるようになった事だし。
後は……この
「────"2037、「重力光」、蛾と蜘蛛、秘匿処理、GY社創立理念"」
被った
そして必要とされ続ける欠けた色がずっと赤なのは……うーん、よく分からないね。血が出るような殺し合いや事故が起きる要素なんて無いと思うんだけど。
持ち帰った重力が暴走した所で打撲が精々じゃないの?
「"解禁"」
記憶とは少しのキッカケがあれば全容を思い出せるものだ。
夢が記憶から作られたものならば、その性質を受け継いで然るべきだろう。
幾ら忘れ入り組んでようと、一度思い出し整理されれば途端に元の形を取り戻す。
どうやら何かが上手く嵌ったらしい。かつての記憶を完璧に取り戻したのか、あんなにも長く入り組んでいた階段と廊下は一階分にまで纏まっていた。
俺達が居た階段も途端に短くなって、数段登れば血濡れの外廊下が変哲もなく続いているね。
要するに、普通のマンションの一階層に変わっていた。
「……バイアクヘー、ダンジョン攻略に使えるか判断する為に見守っちゃいたが、後で何やったかマルっと説明しろよ。"迷宮をただの宮殿に戻すような真似をしたんだからよ"」
「なに、足場が変わる程度は夢の世界ならままあることよ。それより急する問題は──」
師匠が抜刀し上段で構える。俺達の誰よりも前に出ていた。
俺達の前には、姿が揺らいでいる一人の男性が居たから。
『蛾は光に向かって飛び立ち、蜘蛛はそれを狙い巣を張る』
[↑「重力光」 推奨Lv.???]
黒にも白にも見えるパーカーとジーンズを着ていた。
無精髭を生やし、目元は黒く見えない。中背中肉の肉体。多分この空間の元にされた人物だろう。
意味がありそうな言葉を呟いていたが、会話は成立しそうには無かった。
『昔から寝れば決まって同じ光景を見た。蛾は何処までも飛べる羽があるのに、光に向かって落ちていく。蜘蛛だけが得をしていた。光という重力を便利に使う為の、糸の地面を創り出していた』
「そこのお主! 理性があるならば名前と所属を言え!」
『未来を定める時、俺には2つの道があった。蛾のように獲物なるか、蜘蛛のように狩人なるか。
だけど結局、どちらも光が消えればそれまでの存在なんだよな。だから、1番強いのは光を創る奴なんだ。だから俺は紐を引いて消したら、蛾と蜘蛛が襲ってきた』
「……ミコ殿、あやつは敵になると思うか」
「さーな。そうなったら苦戦するのは間違いねーぜ」
二人がいつでも殺し合えるようにしても、男は構わず語っていた。
分かるよ、夢ってそういう自分勝手なものだからね。
さて、そういうことなら場所も狭い事だし、俺は後ろでサポートに回るとしよう。
『なあ、俺はどうなった? ずっと明るいんだ。消した筈なのに』
──ふと、目が合った気がした。
なら仕方ない。問答をする役割をすべきならそう振る舞おうね。
答えなんて知らないけどなんとかなるだろう。後は役が勝手に喋ってくれる。
「大体の生き物は自分の全容を自力で見れないという。
蛾と蜘蛛が光を求めるのなら、お前は光源になったんだろう。
手足のように出した光は見えても、それが自分が出したものとは分からないんだ。
だからお前は強いものでも弱いものでもなく、"必要なものになった"んだ。
ただ其処にあるだけでいいだけの、"やる事に価値なんてない存在"にだ」
思ったよりも煽るような言葉が出てきたね。どうしよう、戦うことになるかも知れない。
『重力が変わって欲しい者は居ない』
……と思ったが、意外にも男はその言葉を最後に俯き動かなくなった。
何だったんだろうね。俺が被った役がどうしてこんな言葉を言ったのか分からないけど、どうも酷く突き離した言葉に思えてくる。
昔の話だから答えは出なさそうだが、こういうのが100個も重なってるとなると……成程、全部巡るとなると相当な冒険になるだろう。とても大変そうだ。
「……説き伏せたか」
「どういう道理か不明のままだがな……俯いてるコイツ、急に暴れたりしねーよな? 重力光なんて物騒な名前が出て、その上推奨レベルが3桁の奴だぜ?」
「問題無かろう。もう此奴には先ほどまであった僅かな意思すら感じられぬ。ただ其処に在るだけの抜け殻じゃ」
師匠が刀の峰で男の頭を叩くと、人を叩いたとは思えない金属音がカンカンと鳴った。
……けれども反応はない。腕や足を動かそうとしても全くで、持ち上げようとしても山のように動かなかった。何となく、触れると身体が重くなる気はするが。
「もう動くことはないみたい。誰かが中身を入れたら別だろうけど」
「嫌なこと言うなよバイアクヘー。生き人形じゃねーんだから」
「ふむ……失礼、奴にちょいと刃を入れても?」
「あー?……まあやってみな。背後からアンブッシュされるより先手を打つのは悪い話じゃねー」
どうやらもう人では無くなったらしい。確かに師匠の言う通り、ただ其処に在るだけの物になっていた。
一先ず安心して良いと分かった阿佐美がホッとしていると、ずっと男を観察していた師匠が徐に男の首に刃を当てがった。
「……ああ、やはりそうか」
するりと男の首を斬り落とし、切先をそのまま其処らの壁に向けて振るうと──当たってもないのに壁は深い斬痕を切り刻まれた。特に特別な技術で振り抜いた訳でもない、何でも無い動作で。
そのまま師匠は何かを心得たように頷くと、落とした頭を刃で刺して拾い器用にも元に戻して、すると男の首元は切り口なんて無かったかのように元通りになった。
うーん……何してるんだろうね?
「……師匠?」
「ああすまん、気になる事があってな。もう検討は着いた故、儂は引っ込むとしよう」
「何が分かったんですか?」
そう尋ねると、師匠は短くこう言った。
「お主が前に話した剣理、形無きものの絡め方と斬り方、その片鱗よ」
どうやら剣の参考になる何かを掴んだみたいだった。
はて……師匠は俺に教えたんだからとっくに知ってる筈なのに、どうして改めて知る必要があったのだろうね。うーん……そもそも男は普通に形があると思うんだけど。
「待たせて済まないなミコ殿。先を行こうぞ」
「僕の目に狂いがなきゃコイツ、首切れてもくっ付いたように見えたんだが?」
「どうも奴は質量の代わりに「重みのある光」で出来た身体であるらしい。現実に存在しないとされるので気付くのに遅れたがな」
3人揃って軽く会釈をして横を通り、次の階層に続く道を探しに向かう。
地形が変わったのでどれが何処に繋がるか分からないが、代わりにどれも3分も歩けば辿り着ける場所にあった。
「あの男の姿がある場所に殆どが密集しているが、末端はこの階層全体に……もしやすると迷宮全域に薄らと広がっておるな。お陰で儂らは光源がなくとも先を見通せて、ある程度規則正しい重力の恩恵を得られているようだ」
「マジかよ」
「アレを殺すとは最低でもここら全ての光と重みを殺すのと同じ。「幻想具現」があれば出来る範疇だが、相当骨の折れる仕事になろうよ」
文字通り光と重力、その両方が敵になりかねなかったらしい。
……うん、これは迂闊に空間の復元とかやっちゃダメだね。道に迷わなくなる利点に対してリスクがあまりに大きい。
「……で、どうやってその確信を得たんだ? 僕にはアレの頭で遊んでたようにしか見えなかったが」
「斬り結び相手を知るのは剣の大路なり……と言えれば良かったが、儂は単にアレと似たような物に触れた事があっただけじゃ。単なる経験よ」
「ほう、それはなんだい? 滅多な事であんな埒外な奴と同じものに出会えるとは思えねーが」
幾つかの入り口の前に立ち、阿佐美がその度棒の装置を突っ込んでは手元の数値を眺めるのを繰り返す事6回。
どうやら目的の入り口を見つけたようで、親指で師匠に対し先導するように指示した。
頷き、裸刀のまま師匠が潜り……暫くしてから俺達も中に入る。
[迷宮57F
「──GY社。重力操作の大企業の新兵装展覧会にて、切った物の重さを自在に変ずる刀の試し切りをした経験」
荒れた畑、灰色の空、遠目に荒屋が点在する、何処までも続く農地。
俺達が出現したポイントの近くに、皮と骨ばかりの痩せかけた農夫の魔物で出来た山が築かれていて、師匠はその上に立ち空を見上げていた。
……いや。
「アレに刀が触れた途端、使い心地はずっと悪いが同じ様な──儂の意思に反応し「重力素」を操れるようになる感覚を覚えた。そして、事実としてあの時の儂は武器の力だけで「重力素」を操れた」
正しくは、"空に浮かぶ大きな骸骨の指先"に、刀の先を当てていた。
骸骨が無重力になったのに驚いたのか身体を振るわせど、地面を掴めるには微妙に距離が足りない……いや、段々地面から離れていっているし、地面に触れようとした部位がガクンと上に引っ張られているのだ。だから触れられない。
「確信するには十分と思わんか? それにほれ、久方ぶりに思い出したお陰で「幻想具現」でその刃を再現出来るようになったしのう。便利じゃぞーこれは。触れた空気は飛ぶ斬撃に、無重力にすれば無力化も容易く、空に落とせば容易に殺せる。
効果が及ぶのは刀に触れた時間に比例するが、重力の向きは離れていても効果時間内なら自由自在。一振り6000万とお高いからのう。夢の中ゲームの中ではあるが、こうして使えるとなると中々どうして。興奮してしまうのう!」
山から降りて「幻想具現」で再現した兵装を片手に師匠が熱く語る。
どうやら使ってみて相当強かったらしい。その足場に違和感があったので農夫の山を捲ってみれば、表面とは比べ物にならない数の皮と骨が圧縮されて山になっていた。成程、道理で山が揺らがない訳だ。
……ふむ、切ったものをブラックホールみたいにすることも出来るってことかね。
それで農夫みたいな魔物を一掃し、骸骨を空に打ち上げたと。すごいね、単体も範囲も完璧に対応してるじゃん。流石現代の武器、その実体験から来る再現だ。
「……二満月、もしや武器マニアだったりだったりするのかい?」
「将来使いたいと眺める事は少々。とはいえ以降はこんなふうに現代の武器を出して使うのは控えようかと」
「ほう、その心は?」
「武器頼りでは修練になりませんからなぁ。件の101以降は遠慮なく使いますが、それまではゲームの範疇に留めようかと思う次第」
「そりゃいいね、惜しみなく自分を鍛えるその姿勢には好感が持てるぜ」
そうして魔物の山を確認している俺の背後で、阿佐美が師匠の深掘りをする。
それは何かを話題にするのを誤魔化しているようにも感じたが、ナニから逸らしているかまでは分からなかった。
「わっはっはっは」
「クカカカ」
分かるのは、二人がちょっとわざとらしい会話を暫く続けていたという事だけである。
うーん……配信向けっていうのは大変なんだね。
重力光…重さのある光であり、夢の世界から得られる戦利品の一つ。ただし手に入れられるのは一度までであり、とある男は偶然それを手にする選択を選んだ。迷宮に居た彼はその模倣品であり、会話に失敗した場合戦うことになる舞台装置でしかない。