それは事件の翌朝、実況見分のために大石さんの車に乗せられ、今日は休校になっているはずの雛見沢分校へと向かっている途中のことだった。
「おやぁ~? なんでしょうねぇ、あの人だかり」
「自分、ちょっと聞いてくるっす!」
大石さんが車を停めると私の隣に座っていた熊谷さんが飛び出していき、人だかりを押し返そうと四苦八苦している様子の駐在さんに何事か尋ね、慌てて車に駆け戻ってくる。なんだろ。ずいぶんお年寄りが多いみたいだけど……そういえば、ここって。
「大石さん、大変っす! 15分前にこの上の境内で、古手梨花の死体が発見されたって!」
「なにっ!?……そりゃほんとか!熊ちゃん!」
その名を聞くなり、私は車から飛び出していた。
「梨花ちゃんが死んでるって、本当ですか!」
「あ、いや……その、」
私が梨花ちゃんとクラスメイトであることをいまごろ思いだして、しどろもどろになる熊谷さん。
埒があかない、そう判断した私はその脇をすり抜けた。
「竜宮さん、ダメです!……熊ちゃん、何ぼっとしてんの、追いかけるんだっ!」
慌てて運転席から出る大石さんの声を背中に聞きながら私は雑木林の中を突っ切り、石段の途中に出るとそのまま境内まで駆け上がった。
まだ通報から間がなくて、鑑識もなにも来ていない。下にいたのは連絡を受けて駆けつけた駐在さんで、とりあえず署に応援を要請したところ……かな。
ここしばらくですっかり嗅ぎ慣れてしまった匂い……血の匂いが、漂ってくる。私はそれに吸い寄せられるみたいに賽銭箱のほうへと歩き、……見てしまった。
白いキャンバスに赤い絵の具をぶちまけたみたいな、色彩の洪水。
胸が、早鐘を、打ち鳴らす。
……大丈夫。
死体を二つも解体した経験をもついまの私は、この程度では冷静さを見失わない。短時間でその酷たらしい死体の身長や体型、顔立ちを分析して、結論する。
「梨花、ちゃん……」
あたりに飛び散った血の渇き具合を、経験から判断する限り……梨花ちゃんが死んだのは、まだ1~2時間前、夜明け頃だろうか。発見が15分前なら……ダメだ、犯人はもうとっくに姿をくらましていておかしくない。
……だいたい、梨花ちゃんが殺される理由なんて、どこにあるだろうか?
すぐにお金に換えられるような財産を持っているわけでもなく、村で一番慕われてるくらいだから怨恨の線もまずない。梨花ちゃんを殺す理由がある人間なんて、……そう、昨日までの私くらいしか思いつかない。学校の屋上で無理矢理目を覚まされるその瞬間まで、私はあの梨花ちゃんを宇宙人が姿を変えた偽物だと思っていたから、学校で私の前に立ちふさがったときは本気で殺すつもりだった。梨花ちゃんが思ったよりもずっと戦い慣れた立ち回りを見せたせいで、傷ひとつ負わせられなかったのには驚いたけど……。
とにかくあのときの私のような、精神的におかしくなっている人間でもなければ梨花ちゃんを殺すなんてことは思いつきもしないはずなんだ。
……なら、何故。誰が、どうして……。
「竜宮さん」
大石さんが息を切らせながら背後に立つ。
「……ごめんなさい、逃げる気はありません」
私には、この目で梨花ちゃんの死を確認することしかできなかった。仇をとることも、真相を暴くことも、なにも、できない……。
「えぇ、わかっていますよ……我々の、不注意です。車に……戻りましょう」
大石さんにそっと背中を押されてその場を離れる。
「現場に行くの……明日にしましょうか?」
「いえ……。大丈夫です」
泣いてなにかが変えられるなら、いくらでも泣こう。
謝ればこの壊れてしまった世界を変えられるなら、何万回でも謝り続けよう。
……でも、私が罪を犯したことも、梨花ちゃんが誰かに殺されてしまったことも、もう変えられない。
絶対に、変わらない……!
でも。
運命は、私のそんな覚悟さえ嘲笑うほどに過酷だった。
その翌日、署内が騒然とするなかで目が覚めた私は、大石さんにテレビの前に連れていかれた。
「……これ、どういうことですか」
大石さんは答えない。彼自身も、信じられないものを見るように、あるいは、やり場のない怒りを必死で堪えているかのようにその映像に見入っていた。
未曾有のガス災害。避難勧告。猛毒の火山性ガス。雛見沢地区住民千数百名の生存は絶望的。自衛隊。
「どういうことですかこれっ! ガス災害ってなんなんですか! 雛見沢のみんなは、圭一くんたちは……!」
私は、無力だった。
できるのは狂ったように叫び続け、もう誰に問うているのかさえもわからない問いかけを続けることだけだった。
その場にいる刑事さんたちは誰もが疲れたような、沈痛そうな、それとも泣きだしそうな表情を浮かべるだけで、誰も私の問いに答えてなんかくれなかった。
「……間もなく、この地区にも避難勧告が出ます。我々と来ていただけますね、竜宮さん……」
大石さんの虚ろな声音は、まるで死刑宣告だった。
私の問いには、一つだって私の聞きたいような答を返せないという、残酷な意味でしかなかった。
失った。
全部、失われてしまった……。
私の守りたかったものは、なにもかも。
梨花ちゃんは殺されていた。沙都子ちゃんはどうしただろう。魅ぃちゃんに謝りたかった。お父さんとちゃんと話したかった。先生やクラスのみんなにも、ごめんねって言いたかった。圭一くんに……もう一度、会いたかった。
村のみんなが、私の生活の全てが、もう一度幸せを紡ぎ出すために必要な全てのかけらたちが、たった一夜で悪魔の気まぐれに押し流されて、木っ端微塵に砕けてしまった。
それは、……世界が、私を否定したということ。
足元から、私の世界が崩れてゆく。
音を立てて、なすすべもなく。
絶望という名の奈落に、呑み込まれてゆく。
「うわぁああぁぁああぁあぁああぁあぁああ……!!」
叫ぶことしか……、できなかった。
少年は、仲間を信じられなかった。
だから少女は、少年を救えなかった。
少女は、最後に少年に救われた。
けれど少女は、仲間を救えなかった。
それが少女の罪だとすれば、
……相応しいのは、どんな罰?
Frederika Bernkastell.
ひぐらしのなく頃に 時明し編
「……ぁ、」
不意に、私の声が途切れる。
歪んでいた景色が、別のものに変わっていた。
「ぇ……?」
見覚えがある。毎日見ている景色だ。
自分の部屋。
雛見沢の自宅、毎朝見ている薄暗い部屋。
……ゆっくりと見回して、その意味が脳にじわりと浸透していき、いままで自分が夢を見ていたのだと気づく。
じっとりと下着が肌に張り付いていて気持ち悪い。
乾ききっていない涙が、頬を濡らしてべとべとする。
全身に残る恐慌の残滓、後悔の余韻、気怠い絶望の感触。
……夢?
あれが本当になにからなにまで夢だというなら、私はもう一度行きたくもないお医者さんに通う必要がありそうだ。そしてそこできっとあれは夢じゃない、そう主張して、また病気だと判断されるんだ。
……だって、生きているんだから。
梨花ちゃんは誰にも殺されてない。ガス災害も起こってない。
お父さんも、魅ぃちゃんや沙都子ちゃんも、……圭一くんだって、生きているんだから。
そう、前原圭一くん。
昨日初めて会ったばかりの男の子。
ずぅっと前から村で噂になってた前原屋敷に越してきた、私と同い年の、東京から来た転校生。
昨日は沙都子ちゃんのトラップや魅ぃちゃんの問題発言に翻弄されて戸惑い気味だったけれど、きっと本来は元気で奔放な男の子なんだろうって思う。
……違う、私は知っているんだ。
圭一くんが本当に元気で、明るくて優しくて仲間思いなのを知っている。どれだけ傷つきながらこの村にやってきたのか、そこから自分を変えようと強く決意しているのかを知っている。どんなことが起こっても、口先だけじゃなくて、仲間のために全力で戦ってくれるたのもしい人なんだってことを知っている。
喧嘩が強いわけじゃない、多分普通にやったら私にだって勝てやしない。心が強いわけじゃない、時には誰かを疑ってしまったり、傷つけてしまったりする弱さもある。
……でも、ほんとうに強い人。
こうと決めたなら、まっすぐに突き進む。信じると決めたなら、どこまでも信じてくれる。……あのまっすぐな瞳が、私を闇から引き戻してくれた事実を、私は知っている。
……だから、あれは夢なんかじゃない。
じゃあ予知夢?
……馬鹿馬鹿しい。梨花ちゃんならともかく私にそんな神懸かりな奇跡なんて起きるわけがないし、あの未来は決して現実になんかならない。
……だって、私はもう二度と仲間を疑わないから。
だから愚かな過ちなんて、犯さない。
今度はきっと仲間に相談するし、お父さんともちゃんと話し合える。どうひっくり返ったって、あの夢のようなことは起こり得ない。
……ただし。
気になることも、ないわけじゃない。
私の過ちとは無関係に起きた最後の二つ、梨花ちゃんの死と……雛見沢を襲う理不尽な災害の記憶。あれだけは私がどう努力しても、そもそも私が起こしたことではないから、絶対に起こらないっていう保証なんかない。
「……とにかく、学校にいかなきゃ」
小さく息をついて、お布団を出る。
朝はご飯の支度やお弁当の準備で忙しい。
いつまでもぼぅっとはしてられない。
それに、今日はいっぱい汗をかいてしまったからシャワーだけでも浴びておきたかった。
「わ、いっけない」
それらを全部済ませて家を出たのは、いつもよりも5分ほど遅い時間になってからだった。慌てて飛び出して、すこし小走りになっていることに気づく。
……そんなに時間に余裕がないわけじゃない。魅ぃちゃんが5分や10分遅れて待ち合わせ場所に現れるのはいつものことだから、今からゆっくり歩いていってもちょうどいいくらいかもしれない。
……なのに、気がつくと小走りになっていた。
せっかくシャワーを浴びたのに、また汗をかいてしまうのは嫌だな。
そう思いながら、その場所まで来たとき、自然に足を止めてしまっていた。
あの……夢といえばいいのか、ありえないはずの記憶の中で、私が毎朝、彼を待っていた場所。
あぁ……なんだ。
自分が急いでいた理由がようやくわかった。
『お寝坊したら、圭一くんを待たせちゃうじゃない』
彼と合流して魅ぃちゃんとの待ち合わせ場所に行くには、もうぎりぎりの時間だったからなんだ。
……でも、私がそんなこと言うと、彼は笑って返すんだ。
『そんときゃ置いてく。きりきり置いてく』
普段の彼はちょっぴり意地悪で、私を焦らせたりからかったりして楽しむ悪い癖があるから。でも、そうして彼が笑ってくれると、私もちょっぴり嬉しくて……、
「あれ?」
背後から声をかけられて、びくりと身をすくませる。
おそるおそる振り返ると……そこには、制服姿で通学鞄を肩にかけた彼が立っていた。
圭一くん。
「……えっと、竜宮……さん、だっけ。おはよう」
つっかえながら私の名前を思い出しつつ、軽く手をあげていまの私にとっては他人行儀に過ぎる挨拶をする。そして数秒ほどその場で立ち止まっていたけど、気まずそうに視線を彷徨わせてから、
「じゃ、学校で」
そう告げて、私の横を通り過ぎていこうとした。慌てて、彼の服の裾をつまんで引き止める。
「え?」
彼が振り向く。怪訝そうに私の顔を見つめる。
私はどうにか顔をあげて、胸に詰まっている言葉やら何やらを決死の思いで吐き出そうとしてうまく言葉にならず、結局は、ただの挨拶を口にした。
「ぉ、ぉはよ……、けけけ、圭一くん」
いけない、声が震えている。……おかしい、なにこれ。
顔も火照ってるし、足も笑ってるし、目も潤んでるし、手首がじわっと熱くて、頭もぼぅっとしてる。
……はぅ☆
「けけけの圭一って、俺はどこぞの妖怪小僧かよ?」
「ぁ、ご、ごめんねっ、その、あのっ」
絶対におかしい。クールになれ、竜宮レナ。
私はもっと、自分の表情とか態度とか、コントロールできていたはず。
どうして、こんな……、こんなこんな……。
「あれ……顔、赤くないか? 熱でもあるんじゃ……」
恥ずかしい。赤くなっているのを見抜かれちゃった。鈍い癖にどうして気づくんだろ。でも熱があると思ってるみたいだから鋭くもないかな。そんなところはやっぱり圭一くんらしくて……あぁ、なんだろ。胸がじんとして、立っているのがつらくなる。あたたかな気持ちが全身を満たしているのに、どこか居心地の悪さを感じているような……不思議な感覚。
その緊張感の糸が……、不意に切れた。
「なっ!?」
すぱぁん、という快音が響いて、私のおでこに無造作に手を伸ばそうとしていた姿勢のまま圭一くんが綺麗に後ろへ吹き飛ぶ。尻餅をついた圭一くんは、なにが起きたかわからずに、呆然と私を見上げていた。
……何が起きたかわからないのはこっちだよ。
痛くなかったかな。怪我しなかったかな。……き、嫌われちゃうかな。
そう思うと……急に、怖くなった。
「け、けけけ、圭一くん、ぇと……ご、ごめんねっ!」
私はそれだけ告げて……その場を走り去るしかなかった。