今日は待ちに待った入学式。幼い頃から制服に憧れを持っていた
「なんか変じゃないかな」
「大丈夫、すぐに慣れるさ」
居間の姿見の前に並んだ父娘。わしゃりとゆずかの頭を撫でた父――浩一郎は、朝食の準備を再開させるべくキッチンへ向かった。
「もう、お父さん! 折角髪とかしたのにぃ」
頬を膨らませるゆずかに、遠くから適当な謝罪が飛ぶ。
小さく愚痴を溢しながら、ゆずかは折角留めたヘアピンを外して髪型を整え直す。母親譲りの柔らかな癖っ毛は、幾ら櫛を入れても形状記憶のように元通り跳ねるのだが。
暫くして、鏡の前で頷いたゆずかはヘアピンを留め直す。柚子の花があしらわれた小さなヘアピンは、母親からプレゼントされた物で、ゆずかの一番のお気に入りだ。
「……これでよし! 」
「ゆずか、ご飯出来たぞ」
ダイニングからの呼び掛けに振り返ると、オレンジベージュのセミロングヘアがふわりと揺れた。
「いただきまーす」ダイニングにゆずかの元気な声が響く。
ソファ越しのテレビからは朝のニュースが流れていた。
『昨日未明、市内の高校に通う二年生の生徒の行方が分からないと家族から警察に通報がありました。警察は、市内で相次いでいる失踪事件との関連についても――』
「何だか物騒だな」
箸を持ったままテレビを眺めていたゆずかは浩一郎の声で食卓へ意識を戻した。
「どうせ引越しするなら、思い切って学区も変えた方が良かったか」
続けて、弱気なことを言う父親に汁椀を置いたゆずかが言う。
「何言ってるの、そんなこと言ったらキリが無いよ。それに学区が変わると由香里ちゃんと学校別になって嫌だから、態々近所で探したんでしょ」
「はは、まぁそうだな。でも、くれぐれも登下校は気を付けるんだぞ。中学に上がると帰りも遅くなるだろうからな」
そう言って、ソーセージを齧る浩一郎。ゆずかは分かってると気の無い返事をした。
˙˚°✰
入学式の帰り道、ゆずかは上機嫌だった。
仕事の忙しい浩一郎は休みが取れず、他の生徒達が保護者と記念撮影に勤しむ中、プラプラと暇を潰していた。そこに声を掛けてくれたのは幼稚園児の頃から仲の良い
小学校ではクラスを離されがちだった二人だが、中学では同じクラスに振り分けられた。
「ゆずちゃんも一緒に写真撮ろ! 」
出会った頃から変わらず無邪気な由香里は、ゆずかを見つけると全力疾走でその手を取りに来た。
トレードマークの短いおさげがピョコピョコ跳ねている。
小学三年で母親を事故で亡くしたゆずかは、その一見無神経にも見える振る舞いに、いつも救われる思いがしている。
「ありがとう、でも良いのかな」
「良いに決まってるでしょう? ささ、二人くっついて」
聞き覚えのある声に目を向けると、フォーマルな装いに身を包んだふくよかな中年の女性が歩いて来たところだった。
彼女は
当然連絡先は交換済みの為、直ぐに今撮った写真が共有された。
「えへへ、中学入って初めてのツーショゲットぉ」
嬉しそうに、写真を自分のスマホに保存する由香里に習い、ゆずかも端末を開いた。
桜の華やかなピンク色に、負けないくらいの二人の笑顔がそこに写る。
これから親子で予定があると言う由香里と別れた後、信号待ちでスマホを開いたゆずかは、先ほどの写真をまた眺めてはニヤついていた。
信号が変わったのを確認すると、スマホをポケットにしまって歩き出す。
入学式におあつらえ向きな春日和、道の隅に落ちた桜の花びらが追い風に舞った。
サラリと真新しいプリーツスカートが靡くと、ゆずかは何となく後ろを振り返る。
桜並木と点滅する青信号、なんて事ない街並み。その中に、白い影が見えた。
たった今渡って来た横断歩道の向こう側、大きな尻尾を陽炎のように揺らして歩いている。
「ん? ん⁉︎ 何あれ、UMA⁉︎ 」言うが早いか、ゆずかは横断歩道へ引き返す。
しかし信号は赤に変わり、そのタイミングで右折して来たトラックに視界を塞がれてしまった。
「あぁ、もう! 」
ゆずかは居ても立っても居られずに足踏みした。トラックが通り過ぎると、そこに先ほどの白い生き物はもう居ない。気の所為だったと、諦めて帰る事はゆずかには出来なかった。
猫くらいのサイズ感、真っ白な身体に大きな尻尾と赤い模様。明らかに普通ではない容姿の生き物は、ゆずかに一つの可能性を提示したのだ。
――きっと、魔法少女のパートナー妖精だよ!
信号が変わるとスタートダッシュで渡りきり、曲がり道や建物の隙間まで全て覗いて回る。
まだそう時間は経っていない。きっと近くにいるはずだ。
「何を探しているんだい? 」
「うーん、猫? じゃないんだけど……」
背後から聞こえた声に無心で返事をしつつ振り返ると、そこには小さな獣が座っていた。
白い毛皮に長い耳、間違いなく先程見失った生き物だ。それは、赤くてまあるい目を
「い、今、貴方が喋ってるの? 」
「そうさ! 」
嬉しそうに尻尾を揺らした白い獣に、流石のゆずかも少し後ずさった。しかし、幼い頃から夢に見た不思議との遭遇。みすみす逃す彼女ではない。
「うわぁ……本物? 魔法少女の相棒的な奴、だよね? 」
挙動不審に彼方此方目を泳がせて手揉みするゆずかに、獣はまた尻尾を揺らす。
「あれ? ち、違いました? 」
「いや、否定するほど間違ってはいない。何処で情報を得たのか知らないけど、話が早くて助かるよ」
ゆずかは喉の奥から甲高い音が込み上げてくるのを必死に堪え、白い生き物を素早く抱き抱えた。
そのまま家へ突っ走る。
「お母さんただいま! 」
履き慣れないローファーを玄関にほっぽり投げつつ、居間の仏壇へ挨拶を飛ばす。
勢いそのままに、二階の自室へ駆け込むと抱えていた獣を漸く腕から解放した。
「きゅっぷぃ……一体どうしたんだい? ゆずか」
しなやかに回って体制を整えた獣は、当たり前の様にゆずかの名を口にする。
「わぁ、私の、名前まで存じていただいていたとは……」
「少し前から君の事を見ていたんだよ。今日はお願いがあって声を掛けたんだけど、こんなに積極的な子は珍しい」
口だと思われる小文字のオメガの様な部位があるにも関わらず、それを動かさずに言葉を発する謎生物。彼? は続けてゆずかへ語りかけた。
「僕はキュゥべえ。僕と契約して、魔法少女になって欲しいんだ」「待ってました! 」
にっこり笑うキュゥべえと名乗った生物に、ゆずかは食い気味に手を叩いた。
「はい、なりますとも! こんなの誰が断るって言うんですか! 」
小さな簡易机に乗った彼に顔を近づけるゆずかへ、キュゥべえは魔法少女とは何たるかを説明する。
「やる気があるのは良い事だけど、その前に願い事をひとつ聞かせてくれるかい? 大概の子はこの願いを目当てに契約するんだ。そして願いを叶えた代償として、魔女と戦って貰っているんだよ」
「へぇ、そんな特典が……魔女っていうのが敵なんだね」
思ってもいなかった条件に細い声を上げたゆずかは、少し考えてから質問した。
「因みにその願いってのは、どんな物でも叶えられるの? 」
「正確に言うと、叶えられる願いは各々の因果律に左右されるんだけど……大体の事なら叶えられるよ」
キュゥべえに近付けていた顔を引っ込め、きちんと正座する。
「例えばだけど……死んだ人を生き返らせる、とかでも? 」
先程までの勢いをすっかり失い、真面目なトーンで言ったゆずかに、キュゥべえは変わらぬ軽い口調で答えた。
「そのくらい、造作も無いだろうね」
˙˚°✰
結局、悩みに悩んで決断出来なかったゆずかは、キュゥべえに一度帰って貰う事にした。
願いが決まったらいつでも呼んでくれて構わないよと言うキュゥべえは、二階の窓から軽々と飛び出して行く。
一気に静まり返った室内に、ゆずかの溜息だけが漂った。
「願い事……ひとつ……」
キュゥべえに言われた言葉を反芻させて、また溜息を吐く。
ゆずかの願いはほとんど決まっている様な物だった。小学三年の頃、別れも告げられずに突然死んでしまった母親、
それでも即決しなかったのは、自分の道徳がそれを正しい事だと思えなかったから。
もしも、生き返ったお母さんがそれを望んでいなかったとしたら? 一度死んだのに、生き返ればいつかはもう一度死ぬ事になる。それはお母さんにとってどれほどの苦しみなのだろうか。
母に逢いたい気持ちは切実で、それが叶うと言われたのに、ゆずかの心は深い霧に覆われたようだった。
午後六時に仕事を終えた浩一郎が、家路につくのは七時半から八時の間。ゆずかはそれまでに、入浴と宿題を済ませておく約束になっていた。
悩み事に頭を持って行かれたまま惰性で入浴を済ませ、生乾きの髪で自室に戻る。
居間に居ると、母親の遺影と目があってなんとなく気まずかったのだ。
当然、入学式に宿題は出ていないが、ゆずかは学習机に向かった。
ふぅっと息を吐きながら机に突っ伏して、広げたままの自由帳を眺める。
そこに描かれているサビ猫に我ながら下手くそな絵だなと思いつつ、シャーペンを手に取った。
サビ猫の横にキュゥべえを描き足す。
「んー、あれ? こんなだったかなぁ」
単純そうな見た目をしておいて、描いてみると案外難しい。顔のバランスが少し違えばキュゥべえには見えないし、何より耳の構造が思い出せない。
「難しいな……」
シャーペンのお尻で頭を掻いて、曖昧なキュゥべえを消しゴムで消す。
「何が難しいの? 」
背後から声をかけられ、独り言の延長のように返事をする。
「うー? キュゥべえの耳ってさぁ――」
そこまで言って気が付いた。今、この家には一人しかいない筈。
デスクチェアを勢い良く回して振り返ると、そこには小首を傾げた少女が立っていた。黒くてダボダボのパーカーをワンピースのようにして、同じく黒色のニーハイソックスを履いている。薄紫のウェーブがかった長髪は、上部をくま耳のような二つの団子状にしている。その姿は暖色で揃えた部屋に目新しく映った。
それを眺めていた刹那、ゆずかの座るデスクチェアは肘掛けに乗せた手を挟んで机の角にぶつかる。
「いっタァ! 」「大丈夫? 」
よく見ると後ろ手に土足を持っているらしい少女は、少し前のめりになってゆずかを心配している。
彼女の髪が簾の様にサラサラ視界に揺れて、痛みと驚きでゆずかはもうわけが分からない。
「い、あ、貴女誰⁉︎ 」
「やっぱり見えるみたいね……私はシオン」
少女は何故か残念そうな呆れた様な表情をして答えた。
「どうしてここに居るの? というか、ここ二階なんだけど? 」
まだヒリヒリする右手の甲を摩りながら、当然の疑問をぶつける。
「鍵、空いてたから入ったの」
痛みの所為かこの状況の所為か、怪訝な表情を浮かべるゆずかに対してシオンはあっけらかんと言う。
それから、先ほどよりももっと前のめりにゆずかに顔を近づけて続けた。
「朝日ゆずか、キュゥべえに会ったわよね? 契約は? したの? 」
涼しげな声色を崩さずに居るシオンだが、その圧は充分だ。
シュンとなったゆずかに対して、形勢逆転とでもいうように質問を畳み掛けた。
「会ったよ、キュゥべえ。でも、契約はまだ……」
「そう……」
ゆずかの答えにシオンは大きく息を吐きながら顔を引っ込めた。
距離が出来て、安心したゆずかは調子を取り戻す。
「本当に何なの? もしかして、貴女は魔法少女? 」
「ええ……そうよ」
無遠慮にゆずかのベッドに座りながら少女が答えると同時、玄関から音が聞こえた。
それは浩一郎が鍵を開ける音だったようで、間を開けずに活気ある声がする。
「ただいま! 」
「あ、お父さん! お帰りなさい! 」
「浩一郎さん、お帰りなさぁい」
シオンはゆずかに続いて、のんびりと挨拶した。
「ちょ、ちょっと!」
「大丈夫よ、貴女のお父さんに私は見えないから」
シオンは慌てて口を塞ぎに来るゆずかを滑稽そうに見ると、ベッドに寝転がった。
「見えないって……何それ」
立ち上がってシオンを見下げるゆずか。シオンはうつ伏せになって足をバタつかせながら言った。
「キュゥべえは魔法少女と、その素質のある子にしか見えないでしょ? 私はそれと同じで、キュゥべえが見える人間にしか見えないし、認識もされないみたいなの」
「え! キュゥべえって誰にでも見えるわけじゃないの? 」
「そこから? 」
――階段の軋む音が近づいて来る。
「ゆずか? お父さん帰ったぞ」
言いながら、ノックも無しにドアが開けられた。思春期の娘が居る父親として、致命的な失敗である。
「おっとうさん、お帰りぃ」
咄嗟にベッドの前に立ちはだかるゆずか。出来たばかりの一人部屋に父親が侵入して来た事なんて、気にする余裕がある筈ない。
優雅に寝そべって寛ぐシオンを隠しきれている訳がないのだが、浩一郎はそれを気にも留めない。
「自分の部屋が嬉しいのは分かるけど、あんまり篭られたらお父さん寂しいなぁ」
「いやぁ、ごめんごめん」
なるべく自分の面積を広げて後ろを隠そうと、大袈裟に手を後頭部に回すゆずかに浩一郎は続けて言った。
「今日は時間がなくてお弁当だから、お腹空いてるんならお父さんがお風呂の間に食べちゃってていいからな」
「はーい!」
態とらしく愛想の良い返事をして、ドアを閉める。それから、ドアを背にしてヘナヘナ座り込んでしまった。
「お疲れね」「誰のせいだと思ってるの……」
ジトっとシオンを見上げても、彼女は表情ひとつ変えない。うつ伏せのままで、またバタ足をしていた。
「でも、本当にお父さんには見えてないみたいだったね。どういう仕組みなの? 」
ゆずかはドアの前に座ったまま、体制を整えた。
「仕組み? そりゃ魔法だと思うけれど、誰でも私みたいになる訳じゃないわ」シオンはベッドの上で座り直して続ける。
「私が今の……専業魔法少女状態になったのには、契約内容が関わっているの」
「契約内容……それとは如何に? 」
生唾を飲んで続きを煽るゆずかだが、「まぁ、契約するのなら精々気をつける事ね」とはぐらかされてしまった。
˙˚°✰
ゆずかが、そっと階段を降りると浩一郎はまだ入浴中の様だった。
シオンには聞きたい事が山程あるが、浩一郎に怪しまれる訳にはいかない。彼女に部屋を出ないよう言い付けて、漫画や自由帳などの暇つぶしグッズを宛てがえて来た。
ダイニングテーブルには袋に入った焼き肉弁当とハンバーグ弁当。どちらとも二割引きシールが貼られている。
「おとーさーん! これ、どっち食べたらいいの? 」
脱衣所から声を掛けると「好きな方でいいぞ! 」と、風呂場のドア越しに返される。
ゆずかは少し悩んでから、ハンバーグ弁当を電子レンジに入れた。
レンジ内で弁当が回り始めたのを確認して、冷蔵庫から麦茶を取り出す。ピッチャーを持ったまま食器棚を開け、コップを二つ取り出すとダイニングに並べた。
自分の分と、すぐに風呂から上がって来るであろう浩一郎の分にもお茶を注ぐと、レンジから音が鳴る。
レンジの戸を開けると、ジュワジュワ音を鳴らしたハンバーグが良い匂いの湯気を放っている。
先に敷いておいた鍋敷に弁当を置くと、袋から割り箸を取り出した。
「いただきます」きちんと声に出して言う。そうしないと、浩一郎が煩いのだ。
「お、ハンバーグにしたんだな。そっち選ぶと思ったんだ」
ゆずかが弁当に口を付ける前に、入浴を終えた浩一郎がフェイスタオルで髪を拭きながらやって来た。そして、流れるようにさっき入れられた麦茶を手に取ると、一気に飲み干す。
いつもの流れだ。これを見越して先にお茶を注ぐのが、ゆずかのルーティーンになっている。
「えー、予想してたの? すごい迷って選んだんだけどなぁ」
ゆずかはそう言いながら、空のコップを受け取ると並々注ぎ直した。
浩一郎は自分の弁当をレンジに入れ、テレビを付けてから食卓に着いた。
なんとなく付けたテレビから、クイズ番組が流れ出す。必ず観たいほどでもないが、放送時間が丁度いいので毎週観ている『クイズ 三択ステーション』だ。
「これはAだろ」
テレビを見ながら浩一郎が話す。
「えー、Bでしょ? 」
ゆずかは、弁当の中でついでに温められたポテトサラダを食べて応える。
「これはCよ」
――C? 聞こえる筈のない三人目の声。横を見ると、そこにシオンが居た。
ブッ。口に含んだポテトサラダが飛び出そうになり、ゆずかは慌てて口を塞いだ。
「大丈夫か? 」
「ちょ、ちょっと咽せただけ」
浩一郎からの問いかけに、必死に誤魔化すゆずか。その目の前に移動したシオンが、浩一郎の頭の後ろにピースして角を生やしている。
ゲホ、ゲホ。ゆずかは吹き出そうなのを咳き込みで誤魔化す。
するとレンジが鳴って、浩一郎が立ち上がった。その席にちゃっかりシオンが座る。
ここでシオンの透き通る声が一言「間接お尻」
ブホッ。意味が分からない。ゆずかは完全に決壊した。
「どうした? そんな面白いか? 」
テレビに笑っていると思っているのか、浩一郎が弁当を持って席に着こうとする。
「ああ! ちょっと! 」
このままではシオンが浩一郎の下敷きだ。
そんなゆずかの心配を他所に、シオンはスルッと立ち上がり、直接お尻を回避した。
どっかりと座った浩一郎が言う。
「吹き出す程の事かなぁ」
その時テレビは『間接キス、英語で言うと? 答えはCのindirect kiss(インディレクト・キス)』と流れていた。
はぁ最悪だ……。
未だ手を付けられていないハンバーグに目を落としたゆずかは、肩を震わせながら艶めくデミグラスソースを見つめる事しか出来なかった。