あれ、どういう意味だったんだろう。
由香里を家に運ぶのを手伝って貰い、二人の魔法少女と別れた後。ゆずかは、まだ眠りこけている由香里の横で暇を持て余していた。
簡易机に突っ伏して、二人分のお茶から漂う湯気を眺め、リンの言葉を思い出す。
『コイツはな、願いで自分の父親を消しただけじゃない。そのせいで、お前の母親は死んだんだぞ? 』
『そんなに正義の味方をやりたいんなら、ゆずかに言ってやりゃ良いんだ! お前は私が居なければ産まれてすら来なかったってな!』
リンが嘘を言うとは考えられない。でも、その言葉が何を表しているのか分からない。
そもそも、シオンの『本当の事』というのはリンが言ったことで全てだとも思えなかった。
ゆずかは大きく息を吐いて体を起こす。伸びを一つすると、横で微睡む声が聞こえた。
いけない、今は由香里ちゃんに集中しないとだよね。
ゆずかはリンの言っていたもう一つの言葉を思い出して、ベッドの上の親友に膝を向けた。
間も無く、眠たげに目を擦って起き上がった由香里へ、ゆずかはいつものトーンを心がけて話す。
「あ、やっと起きた! 由香里ちゃん、うちに着くなり寝ちゃうんだもん。私退屈しちゃったよ」
「へ? そうだっけ? ゆずちゃんごめん」
もちろん嘘だ。本当の事なんて言えるわけがない。
「お茶、入ってるからね」
「うん、ありがとう」
由香里は湯呑みの一つを手に取る。遊びに来るといつも使う、来客用の中でも絵柄が一番可愛い物。
「……あ、あのね」
そう言ったのはゆずか。正座の上に乗せた両手をそわそわと揉みながら。
「私さ、最近付き合い悪かったよね。その……ごめんね」
魔女は心の隙に漬け込む。リンが言っていた事。
この数日で、由香里が二度も結界に取り込まれたのには何か理由があるのかもと、ゆずかは思った。もし、それが自分の所為なら――
「そんな! 謝らないでよ。まぁ、ちょっと寂しかったのはあるけど……」
すっかり温くなった湯呑みを膝の上で摩って、恥ずかしそうに目線を泳がせた由香里は続ける。
「私、いつもゆずちゃんに助けて貰ってばっかりで……運動も勉強もダメダメで、方向音痴だし背も低いし……ゆずちゃんにとうとう愛想尽かされたのかもって……思って」
最後になるにつれて、声が震えていた。
「ちょ、泣かないでよ! 悪いのは私なの。本当にごめんね」
「じゃあ、ずっと友達でいてくれる? 」
由香里の潤んだ瞳が漸くゆずかを見た。
「もう、そんなの当たり前でしょ? 由香里ちゃんはいつも明るくて、みんなに優しくて、私の自慢の親友なんだから」
立ち上がったゆずかは、湯呑みを挟んでそっと由香里を抱きしめる。そのまま後頭部を撫でてやれば、「ゆずちゃんのスパダリぃ」といつもの軽口が飛んで来た。
˙˚°✰
「学校、行かなくて良いの? 」
「……うーん、行かない」
リンの部屋、シオンはベッド脇に足を伸ばして座っている。
一晩明けて今日は水曜日だというのに、リンがいつもの時間に起きて来ない。アラームも付けていないようだった。
朝型のシオンは先に目を覚まして朝食まで摂り終えた。
リンはというと、うつ伏せで布団を頭まで被って、顔が全く見えない。
「学校には連絡した」
いつもの鋭さがすっかり抜けた寝起きの声が、布団越しにくぐもって聞こえる。
「具合が悪い? 」
「……悪くない」
「行きたくないの? 」
「……行く理由が無くなったから」
もそりと布団が動く。シオンに背を向け、壁側に寝返りを打ったらしい。
「行く理由って、あの魔女の事かしら」
返事はない。代わりにもう一度布団が動いた。
暫しの沈黙。壁掛け時計の秒針を煩く感じ始めた頃、リンが口を開いた。
「あのさ……昨日はごめんな。アタシ、最低な事言ったよね……」
「気にしてないわよ。いつまでも黙っていられると思っていた私も悪いもの。今度、ゆずかにちゃんと話すわ」
「そうかよ……」
それからまた、少し間が空く。
意を決したように布団の中で深呼吸したリンが、息を吐きながら言った。
「アタシ、もう終わりにしようと思うんだ」
「えっと、何を? 」
「あの魔女を……倒しに行く」
その答えと同時に、リンは布団を剥いだ。ゆっくり伸びをして、床に裸足を踏み出す。一瞬よろめいて壁に手を付いたが、何事も無かったようにドア付近のクローゼットへ向かった。
服を見繕うリンを目で追って、シオンも立ち上がる。
「私も行くわ」
あの魔女というのは勿論、チビを喰らい由香里を襲った魔女だ。最初は旧校舎の裏に現れ、公園の公衆トイレへ移動している。
「探す当てはあるの? 魔力探知があるとはいえ、あの速度で移動する魔女を探すのは骨が折れるわよ」
グレーのパーカーを羽織ったシオンが、前を歩くリンに話し掛ける。
「アイツの行く場所なんて、大方予想がつく」
リンは振り向かずに答えた。足取りに迷いはない。
暫く歩くと見えて来たのは市立図書館。その前で足を止めたリンは、シオンにやっと聞こえる声で「きっとここに居る」と呟いた。
敷地内の駐輪場は木々の影が心地よく、午前中の日差しを防いでくれている。
卵型のジェムに意識を集中させて、辺りの魔力を探る。シオンはリンの背後からひょっこり顔を覗かせて、一緒にそれを眺めていた。
淡い光が自転車に反射する。
「やっぱり」リンは短く言うと、魔力を確かめるようにゆっくり進んだ。
図書館の脇にある駐輪場を、通り越した建物の裏。魔女の結界が、人目を避けるようにしてひっそりとその口を開けている。入り口は歪み、痛々しく蠢いていた。
間違いない、あの時の魔女だ。旧校舎裏でシオンに負わされた傷の修復が、まだ済んでいないのだろう。
「行くか」「ええ」
短く言葉を交わして、変身する。いつもの流れだ。
結界に入ると、すかさずリンの鞭が足場を創り出した。
リンが制圧、シオンが止め。株分けされた同じ魔女を何度も倒して辿り着いた、最適化された役割分担。
相変わらず翼の付け根からドブ色の体液を垂れ流す白鳥は、苦しそうに飛び回っていた。
鞭が伸ばされる。正確に首根っこを捕まえて、次に嘴も。魔女は完全に制御を失い、釣り糸のようにピンと張った鞭を振り回している。その背中にシオンが飛び込もうとした。これも、いつもの流れの筈だったが――
「待て」
肩に手を置かれて、シオンが振り向く。
「今日は、止めもアタシにやらしてくんないか」
シオンは一瞬表情を曇らせたが、リンの顔を見てそれを了承した。
「分かったわ、気を付けて」
「お前が来るまでは一人でやってたんだ、心配には及ばねぇよ」
言い終わると、身体を翻したリンは魔女に繋がる鞭に後から出した短い鞭を掛けて、ジップラインのように滑り降りた。
その様子をシオンは足場から見守る。
リンが巨体の背中に降り立つと、激しい鳴き声を上げた魔女が暴れ出す。
リンは激しく身体をしならせる魔女の背中で体勢を崩しかけるが、すぐに整えて首根っこまで回り込んだ。
魔女の首に手を回すと新しく鞭を形成。短く作ったそれは魔女の首に掛けられている。
柔らかな鞭は硬く変化し、ワイヤー状に。それが更に変形して、鋭く平たい刃物状になった。
リンは、両手にぐっと力を込める。
――逞帙>逞帙>逞帙>
抵抗を強めた魔女が大きく頭を振りかぶり、リンが再び体勢を崩してしまった。魔女の背から落ちて、刃物状にした鞭で宙ぶらりんになっている。
リンの体重で食い込んだ刃先に、黒い体液が滲んでいるのがシオンからも見えた。
体液が鞭を伝って、ドロリとリンの腕に垂れて来る。
「リン! 」
魔女より上空の足場に居るシオンが飛び降りようとした。
「来るな! 一人でやるから! 」
「でもっ」
「次は躊躇わない」
リンは身体を振り子にして魔女の胸部に足をつけると、力一杯鞭を引いた。
「ごめんな……ひなみ。もう楽になるからっ」
――繝ェ繝ウ縺。繧?s蜉ゥ縺代▲
先程と比べ物にならない、凄まじい轟音。鮮やかな紙吹雪と泥のような液体が撒き散らされて、青空に花火が上がったみたいだった。首と胴に別れた魔女の身体は、それぞれに解け散って青空に馴染んでいく。
やがてその青空も溶け、深緑の景色が戻った。
建物裏の木々の間、ポツンと落ちて来たグリーフシードをリンが手に取る。黒く輝くそれを眺めて、深くため息を吐いた。
「リン、大丈夫? 」
「……あぁ」
少し俯いてからシオンを見て、今拾ったばかりのグリーフシードを投げ渡す。
「それ、あんたが使ってくれ」
危なげなく受け取ったシオンは、小首を傾げた。
「今回は私、何もしてないわよ? 」
「……アタシに、それを使う資格はない」
木漏れ日に包まれたリンの表情は、笑っているとも泣いているとも取れなかった。
「何よ、それ……昨日からずっと何なの? ちゃんと説明してよ」
シオンの声音が微かに震える。
リンは少し考える素振りをして、失笑するように言った。
「わーったよ、取り敢えず場所変える」いつもと変わらぬように、指の先で頭を掻いて。それから、シオンが付いて来るのを確認せずに歩き出した。
˙˚°✰
「ココアでいいな? 」「ええ、ありがとう」
リンの家のリビングダイニング。シオンはアイランドカウンターのハイスツールに腰をかけた。
ココアを淹れたリンもその横に座る。
「やっぱり、お前にはちゃんと言っておかないとだよな……無関係って訳でもないし」
カップの淵を撫でるリンに、シオンは無言で続きを促す。
「どこから話そうか……」
リンは向かい合うコンロの上、ウォールキャビネットの辺りを見上げてゆっくり語り出した。
「前に、アタシの戦友の話はしたよな」
「『
「あぁ、そのひなみが引っ越したってのは嘘だ……アイツは魔女になったんだよ」
「え? 何言って……」
時が止まったようだった。二人の間だけ真空状態になったようで、耳が鈍く鳴って音が聞こえづらい。
頬がピリつく感覚を覚えながら、先に口を開いたのはシオン。
「それって、つまり」「ああそうだ」
リンは俯いて、吐き出すように言う。
「魔法少女は、魔力を使い果たすと魔女になる。ひなみだけじゃない。アンタもアタシもいつかはそうなる」
「そんな……それじゃあ、私達が今まで倒してきたのは」
「まったく、上手いこと考えられてるよな……アタシ達が魔女を狩る、そのアタシ達が魔女になる。すると、また別の魔法少女がそれを狩るんだ」
「そんなのって、とんだマッチポンプじゃない」
「はっ、そんな言葉知ってんのかよ」
リンは苦々しく笑った。
少し間があった。ココアはまだ手が付けられない熱さだ。
「今倒した魔女がひなみ、だったんだ」
「そういうことだったの。全部繋がったわ」
「案外飲み込みが早いな。もうちょっとショックを受けるものかと……」
「ショック、受けてるわよ。かなり」
「それで? マジかよ」
表情の乏しいシオンとリアクションの大きいリン、一瞬だけいつもの空気が戻って来る。息が吸いやすくなったような気がした。
リンは続きを話し始める。
「ひなみはさ、虐められてたらしくて……アタシは隣のクラスで何も知らなかったけど、結構酷かったらしいんだ」
「……そう」
先程までの空気に戻さぬよう、軽い口調で語るリンにシオンは必要最低限の相槌を返す。
「それでさ、アイツ、いじめっ子をどうにかすりゃいいのに、全く真逆で『みんなと仲良くなりたい』だなんて願ったんだと」
リンは息継ぎするように一度切って、更に続ける。
「さっきの図書館、あそこでよく勉強してたんだけどさ。その時ひなみに初めて話しかけられて、お互い魔法少女だって知って、願いの事もさ、色々話したんだ」
「良い子だったのね」
シオンの言葉に、リンは少し口角を上げた。
「良い子なんてもんじゃなかった。今よりずっと小さかった頃のチビを、連れて来たのもひなみなんだ。錆猫ってあんま人気ないらしくて、でかい段ボールに一匹だけ取り残されてたって言って……」
そこで言葉を切った。飲み頃のココアを両手で包む。
「いや、違うな。ただ思い出話をしてる場合じゃない」
沈黙、窓の外で鳴る救急車のサイレンが大きく聞こえた。
「ひなみが魔女になった日、文化祭の日だったんだ。旧校舎の裏に魔女が出て、当番抜けて二人で退治に行ったんだ」
「旧校舎の裏って」
「あぁ……ビビったよ。やっと魔女を倒したってのに、ひなみが苦しみ出して、そこから魔女が出て来たんだから」
リンは手元に目線を落として、すっかり冷めてしまったココアを見つめた。
「その後、アイツは……ひなみだった魔女は、たまたま迷い込んだ生徒を丸呑みにしたんだ。ひなみを虐めてたクラスメイトだった」
「……そんな」
シオンはその先の言葉を紡げなかった。カウンターに置いた掌に、大理石の冷たさが伝わる。
「アタシさ、思ったんだよ。やっぱりひなみも、いじめっ子は死んだ方が良いって思ってたんだって」
カップに添えられたリンの手が震えている。乱れた呼吸を整えて、続けた。
「アタシは……アイツを殺せなかった……だからせめて、他の誰かを傷つけないで済むように、死んでも良いって思う奴を、わざと食べさせてたんだ」
シオンの瞳に映ったリンは、泣いてはいなかった。その鋭い瞳孔の向く先はシオンでは無い。
「いじめっ子に痴漢、ポイ捨て。探さなくてもゴロゴロいる……最近、行方不明のニュースがよくやってるだろ? あれ、アタシの仕業なんだ」
昼下がりの日が差し込むリビングは、暗く静まり返っていた。