「しょうらいのゆめ 一年三くみ 朝日ゆずか。わたしのゆめは、まほうしょうじょになることです! まほうしょうじょになって、こまっている人をえがおにしたいです! 」
小学校の授業参観日、保護者に向けて読まれる作文だ。
幼いゆずかの声が教室中に届くと、他の児童達からは笑いが起こる。
「コイツまだそんなこと言ってんのか」
「まほーしょーじょだってさぁ」
四方からヒソヒソと声がする。ゆずかは顔が熱くなるのを感じて、じっと俯いた。
グシャリ。何度も書き直した跡のある作文用紙に、大きな皺が増える。
その日の放課後、校門で待っていてくれた母親と手を繋いで帰った。黄色いカバーに包まれたピカピカのランドセルが夕陽で輝く。
「おかあさん、まほうしょうじょになりたいのっておかしなことなのかなぁ」
「そんな事ないわ。困っている人を助けたいだなんて、素敵な夢よ。ゆずかは優しいのね」
夕陽に照らされる母の笑みは、ランドセルより眩しく見えた。
なんて事のない普通の日、少しだけ夢を疑ったその日の終わりは、ゆずかにとって、とても暖かかった。
思い出補正のかかった古い記憶。
˙˚°✰
――ピピピピ……
目覚まし時計が規則的な音を放つ。朝だ。
何でか昔の夢を見たような気がする。
ゆずかは寝ぼけ眼で目覚ましを手探りすると、その頭のボタンを押した。今日はやけに近い位置にあったな、と思いながら目を擦って伸びをする。
どうやら今日も晴天だ。オレンジ色の花柄カーテンから春の陽光が漏れ入ってくる。
「おはよう」
「うー、おはよう」
まだ目が霞んでいるが、起床の挨拶を返した。
――誰に?
「はっ! 貴女! 」
「朝から元気ね、この流れ何回やるつもり? 」
途端にはっきりとした意識をベッドサイドに向けると、目覚まし時計を手にしたシオンが呆れ顔で座っていた。
「え? いつから? 何で? 」
言いながら部屋を見渡し、昨日の出来事を振り返る。
ベッド横のスペースには畳まれた簡易机と寝袋。シオンはこれで一夜を過ごしたらしい。
段々と記憶が戻って来た。
そう、あの後部屋に戻った二人は、魔法少女についてもう少し話したのだ。
――「もう! 本当やめてよね! 危うくお父さんの顔にポテサラぶち撒けるところだったよ! 」
「あら、いいわね」「良くない! 」
夕飯後、部屋に戻るや否やゆずかの不満が爆発した。しかし、当のシオンは顔色ひとつ変えない。
「ゆずか? 呼んだか? 」
「呼んでない! 」
一階から浩一郎の声がして、ゆずかはシオンに怒るのと同じトーンで返した。飛んだとばっちりだ。
「はぁ、もう……落ち着いて話そうか」
声量を落とすと、シオンはキョトンとする。
「私はさっきから落ち着いているわよ」
「ええそうでしょうね」
ゆずかはうんざりといった調子で言い返すと、簡易机の前に座ってシオンにもそうするよう促した。
小さくて丸い机を挟んで、二人の少女が正座する。
「一回整理してもいい? まず……シオンちゃんはさ、どうして私の部屋に勝手に入って来たの? 」
ゆずかに問われたシオンは面倒臭そうに欠伸をすると、抑揚の少ない声でスラスラと答え始めた。
「私が普通の人に見えないって事は言ったわよね。だから、玄関から尋ねるのは最初から考えていなかったの。キュゥべえが窓から出ていくのを見ていたし、そこから入る以外思い付きもしなかったわ」
「えー、ナチュラルに不法侵入……」
悪びれる様子の無いシオンにゆずかは頬を掻いた。一呼吸置いて次の質問をする。
「じゃあ、侵入の目的は? 」
「貴女の契約を止める為? 」
シオンはスラリと長い人差し指を顎に当てて、思案顔を見せた。
「何で疑問系なんだよ」
彼女の掴み所の無さに辟易するゆずかが、トンっと机を小突く。
「別に……そこまで本気で止めに来た訳じゃないの。出来れば契約しない方が良いかな、みたいな」
シオンは小首を傾げる。
ゆずかはガクッとずっこける真似をして聞いた。
「え、そんなフワッとした理由なの? なんかもっとこう……『貴女が契約したら世界が滅ぶ! 』みたいなのじゃないの? 」
「ゆずかは、止めて欲しい? 」
「いや、そういう訳じゃ……というか、私名乗って無いよね? どうして名前、知ってるの? 」
「貴女の事、観察していたの」
「キュゥべえとおんなじ事言うんだね。って、私一度に二人からストーキングされてたの⁈ 」
「二人……キュゥべえの事? 二人? 」
「べ、別にそこはいいでしょ。喋るんだし、人みたいなもんじゃん」
揚げ足を取られたゆずかはジトっとシオンを見た。フーッと息吐いて後ろ手にもたれ掛かる。
「なんか疲れたぁ……シオンちゃん、なんか飲む? 」
「ココアがいいわ」「そんな物ありません! 」
机に手を付きながら立ち上がったゆずかは、一階のキッチンへ向かった。
浩一郎も既に自室へ戻ったようでリビングの電気は消えていた。
キッチンの明かりだけ付けて、電気ケトルでお湯を沸かす。
その間に、ティーパックと急須を用意した。ふと、片方だけ使われなくなった夫婦湯呑みが目に入る。いつもは気に留めないのに、どうしてか気になった。
二つの湯呑みの横、自分用と来客用のマグカップを手に取る。
丁度お湯が沸いたので、急須に注いで二階へ戻った。
「お待ち遠様ぁ」
お盆を持ったゆずかが、腕と背中でドアを開けるとシオンが勉強机に向かっていた。
「何してたの? 」簡易机にお盆を置いて、シオンの手元を覗き込む。
「キュゥべえ」
見れば、昨日からずっと出したままだった自由帳に可愛らしいキュゥべえが描かれていた。二頭身でゆるっとした絵柄、吹き出しで『きゅう』と喋っている。
「うわぁ、上手だね! 」
「ゆずかのサビ猫も可愛い」
「えへへ、そうかな」
丸くて大きな目に小さな瞳孔、塗り方の所為で荒れた毛並み、何をしでかすか分からない様子のサビ猫の絵だ。ゆずかは見返した自分の絵に、やっぱり下手くそだなと苦笑いした。
そのまま視界を机の隅に移すと、卓上時計が午後十時を指すところだった。
「え! もうこんな時間⁈ シオンちゃん、お家に帰らないと……一人で大丈夫? 何ならお父さんに……って駄目じゃん! 」
時計を見たり、外を覗いたり、歩き回りながらゆずかが捲し立てる。
「一人で何を言っているの? 」
「あ、いや、もう遅い時間だからシオンちゃんを送ってあげなきゃって思ったけど、お父さんには見えないんだよね……どうしよう。お家はここから近い? 」
ゆずかの問いかけに、シオンは座ったまま上目遣いで首を傾げた。
「家はないわよ? 」
「え⁈ 」
――時は翌朝に戻る。
そうだ。あの後、寝袋を引っ張り出して……私が引き留めたんだった。
昨夜の事を完全に思い出したゆずかはニヤリと笑って「ああ、もしかして私達、一夜の過ちを⁉︎ 」演技っぽく自分を抱擁しながら言う。
昨日、散々揶揄ってくれたお返しをしようという訳だ。
すると途端に呆れ顔になるシオン。
「ちょっと、昨日の事覚えてない訳じゃないわよね。貴女が先に言い出したんじゃない」
良いパスだ。ゆずかは畳み掛けるように言った。
「あーやっぱりそうなんだぁ! 一線を、indirect kiss(インディレクト・キス)以上の一線を、越えてしまったのねぇ! 」
一線というのはドラマで聞き齧った知識なので、意味はよく分からないが、勘違いされると困る事のはずだ。
「アホなの? 」
シオンは心底不思議そうな顔でゆずかを見ると、目覚まし時計をベッドの縁に置き直した。
くっ、効かないか。
ともあれ、今日も学校がある。朝の支度をしなくては。
「ちょっとくらいノッてくれても良いじゃんか」
言いながら立ち上がると、今日は変なちょっかいをかけないようシオンに釘を刺した。
――にも関わらず、支度中のゆずかの側には常にシオンが居た。
顔を洗うゆずかを覗き込むシオン。
ゆずか愛用の化粧水ボトルの裏面を読み上げるシオン。
当たり前のように顔を拭くタオルを渡してくるシオン。
しかし、ゆずかだって負けていられない。また昨日のように場の主導権を握られぬように無視を決め込んだ。
歯を磨く時に目の前で手を振られても、トーストに塗るジャムの種類を指定されても、勝手にプチトマトを食べられたって無視だ。
「ゆずか、なんか今朝は大人しいな。学校、緊張するのか? 」
浩一郎が食パンを手に取りながら聞いた。シオンを無視するのに集中し過ぎたようだ。
「え? そうかな? 全然平気だよ! 由香里ちゃんとも同じクラスになれたし」
危ない、お父さんから見たら私は、完全に変な子になる。平常心、平常心。
ゆずかは心の中でそう唱えた。
「そういや、お婆ちゃんから引っ越しはどうなったかって電話があったんだけど。ゆずかのハガキ、ちゃんと届かなかったらしいんだ」
「え? お父さん、ちゃんと出してくれたんでしょ? 不思議ぃ」
「そうなんだよなぁ。済まないけど、もう一回書いてもらえないか? 」
「うん、大丈夫だよ」
よし、いつも通りの振る舞いに戻せた。
それはそうと、ハガキはどこへ行ったのだろうか。
ゆずかは同じ内容を書き直すのを少し面倒に思いつつも、今度のハガキはもっと豪華にしようと決めた。
家を出た後もシオンはしばらく付き纏っていたが、由香里と合流する前には居なくなっていた。反応の悪いゆずかに飽きたのだろうか。
ゆずかはちょっとだけ寂しく思いつつも、学校にまでは着いて来ないらしい事に安堵した。
「ゆーずちゃん! おはよ」
背後から由香里の元気な声が聞こえて、同時に肩を押される。
「おはよう、由香里ちゃん」
「いひひ、昨日の三択ステーション観たぁ? 」
「ああ、観た観た」
「難易度高くなかった? 特に間接キスの英語」
ゆずかはドキッとした。まさかこんなに昨日の事件にドンピシャな話題を振られるとは。この場にシオンが居なくて良かったと心から思う。
「あったね、それ。indirect kiss(インディレクト・キス)でしょ? 」
「そーそーそれ! ゆずちゃんよく覚えてるね」
覚えるつもりでなくともしっかりと記憶してしまったそれを褒められて、複雑な気持ちになるゆずかだった。
˙˚°✰
放課後、ホームルームを終えたゆずかと由香里は帰宅路を歩く。
今日は今後の授業で使う教科書類の配布があったので、大荷物だ。
「教科書、重いねぇ」
困り顔でリュックを背負い直す由香里に、ゆずかも頷く。
「ほんっとそう! 少しくらい置き勉させてほしいよね」
その行く手、あからさまに不機嫌そうな大きな足音が聞こえて来た。
「おい、お前! そこの朝日ゆずか! 」
声の主はゆずか達と同年代の少女だ。真っ白なブラウスの襟をきちんと閉めて、前髪も綺麗に横流しに整えている。
「え? 私? 」
自分の名前を知っている、三人目の存在にゆずかは驚いた。
「ゆずちゃん、知り合い? 」
横を見遣ると、由香里が怪訝な表情をしている。キュゥべえやシオンと違って、普通に見える存在らしい。
その少女がぶつかりそうな勢いで頭を近づけて、ゆずかに突っ掛かる。
「テメェ、魔法少女でもない癖にシオンと関わんじゃねぇぞ」
噛み殺した声で言う。それからフンっと顔を背けると、強い足音をそのままに歩いて行ってしまった。
振り返り際、青髪のポニーテールがゆずかの顔に当たる。
「痛っ」
「大丈夫? なぁに、アレ! 怖かったねぇ。
確かにあれは地元で有名な名門校の制服だった。規律正しい校風の筈だが、その生徒があんな言葉遣いをするだなんてゆずか達にはチグハグに映った。
遠くからでも目に付く、キャメル色のブレザー姿が遠ざかって行く。
「なんなのよ……」
呆気に取られて髪の当たった頬を撫でていると、由香里がガバッと抱きついて来た。
「ゆずちゃん、ゆずちゃんの事は私が守るからねぇ! 例えゆずちゃんが悪かったとしてもぉ! 」
「ちょ、ちょっと! バランス崩れるって! ってか何で私が悪い前提なの⁈ 」
由香里のお陰で和やかな空気が戻る。
幸いさっきの話しは聞こえていなかったようで、いつも通り他愛のない会話が続いた。
「それじゃ、また明日」
「うん、ばいばい! 」
大通りから少し行った十字路で由香里と別れる。中学に上がってからは小学校時代よりも、長く通学路を共に出来るのが嬉しい。
由香里ちゃんも同じだといいなぁ。
ゆずかはすっかり機嫌を直して家路へ着いた。
˙˚°✰
その日の夜、寝る準備を整えたゆずかの部屋にまたシオンがやって来た。
小さく三回、部屋の窓がノックされる。
「また来たんだ」「どーもー」
わざと不機嫌な顔を作りながらもゆずかが窓を開けると、シオンは軽い挨拶と共に入室した。もちろん手には土足を持っているが、今日は袋に入れて来たようだ。
窓と密接したベッドを踏んで、そのままそこに座る。
「シオンちゃんってさ、瑞学に知り合い居る? 」
ゆずかは、シオンの顔を見て思い出した放課後の少女の事を聞いてみた。ベッドの上、シオンの隣に腰掛ける。
「みずがく……? 」
「あぁ、ごめん私立瑞穂総合学園なんだけど……中高一貫で付属大まであるすっごい学校でさ。その子は制服とエンブレムの色的に中等部の二年生っぽいんだけど」
ピンと来ていなさそうなシオンに、分かっている情報を列挙していく。すると、シオンがハッと閃いた顔をした。
「あ、東雲リンね」
「やっぱり、知り合いなんだ! 」
「リンに会ったの? 」
すぐにいつもの真顔に戻ったシオンが、座り直してゆずかと距離を詰めた。シャンプーの良い香りが鼻腔に届く。
「会ったも何も、放課後詰め寄られたんだよ! 『魔法少女でもない癖にシオンと関わんな』って」
近くなった距離にソワソワしつつ、ゆずかは今日あった不満な出来事を報告する。
「ふーん」
「え、それだけ? どういう知り合いなの? その、リンちゃん? って子、魔法少女の事もシオンちゃんの事も知ってるみたいだったし、魔法少女の仲間……なんだよね? 」
あまりに反応の薄いシオンに対して、だんだん自信をなくして尻すぼみになる。
シオンは少し首を傾げて、何でもない様子で答えた。
「ええそうね。一緒に戦う事もあるし、仲間って言えるかしら」
それを言い終わるのと同時に立ち上がると、窓を開けて「今日は帰るわ。もう遅いし、リンに怒られるもの。あの子の事は気にしないでね、いつも怒りん坊なの」
「え、ちょっと! 何? 今の! どういう意味⁈ 」
リンちゃんに怒られるってどういう意味?
さっきのシオンちゃんの香り、リンちゃんの髪と似ていた様な。
それにあのリンちゃんの怒り方。ま、まさかシオンちゃんが朝帰りしたから怒って……
思考が勝手に回って、その日のゆずかは寝不足になった。