月曜日、すっかり元気になったゆずかはいつも通り登校した。
「ゆーずちゃんっ! パラレルレコード見た? 昨日は四話の放送だったんだけど」
まずい。とてもまずい。
滞りなく授業を受けて、昼休み。由香里が先週話した漫画の話を振って来た。
本来なら土日の間にサブスクで内容を追おうと思っていたが、色々あってすっかり忘れていた。
「あー、あれね。えーっとねぇ……し、終盤辺りヤバかったよね」
何がヤバいのか。一番ヤバいのは一ミリも内容を知らない、アニメの話を当てずっぽうでやり過ごそうとしている自分である。
何でもない間がやけに長く感じる。由香里は怪訝な顔をしていないだろうか。
「……そーなの! まさか三話で死んじゃった先輩が生きてただなんてねぇ」
いけた! 由香里が私の思っている通りの単純な子で助かった。
幼い頃からその天真爛漫さに助けられて来たが、今日ほど感謝した日もないかも知れない。
「うんうん、びっくりしたよね」
「そー、それでね」
後は適当に相槌を打っていれば由香里が先を話してくれる。会話だけでパラレルレコードの予習が済んでしまいそうな程詳しく解説してくれた。
ゆずかは少しの罪悪感を残しつつ、楽しげに話す由香里を可愛いなと眺めるのだった。
˙˚°✰
「えー、今日も駄目なの? 」
「ごめんね、寄らなくちゃいけない場所があって」
「それって私が着いて行っちゃいけないの? 」
「だ、駄目なの。本当ごめん」
放課後、ゆずかは一緒に帰ろうとせがむ由香里を撒こうとしていた。
今日の由香里はかなりごねる。流石に金曜から続けてだと怪しまれているようだ。
「埋め合わせって言ったら何だけどさ、明日私の家に遊びに来ない? 引っ越しが済んだら1番に来たいって言ってたでしょ? 」
本当は先にリンとシオンを招いてしまっているのだが、黙っておく。
「うーん……分かった」
「よし! それじゃまた明日ね」
ゆずかは、手を振る由香里を背に早足で教室を出た。
今日、こんなに急いでいる理由は瑞学に寄るため。
金曜日にスカートを汚してしまったお詫び、もといクリーニング代をリンに渡すつもりなのだ。
前と同じように校門で待って、封筒を渡したらすぐに帰るつもりだった。
しかし、小さな誤算があった。
「あら、貴女は……東雲さんのお友達よね? 」
金曜日、リンと共に校門を出て来た女子生徒に声をかけられた。
「あ、えっと、たしか……」
「
学校指定のスクールバッグを両手で持った彼女は、落ち着いた笑みを湛えて自己紹介した。
「瀬戸さん……えっと、私は朝日ゆずかっていいます! リンちゃ……東雲さん、とは、お友達というか……」
同年代とは思えない、余裕のある瀬戸の立ち振る舞いにゆずかはしどろもどろに応える。
「ええ、とっても仲が良さそうでしたわね。羨ましいわ」
手を口元に添えて上品に笑った瀬戸は、思い付いたように続けた。
「そうだわ、東雲さんに会いたいのなら校内に入った方が良いんじゃないかしら。今日は用事があるって、まだ中に残っているのよ」
瀬戸は口元から頬に手を添え直す。
すると、ゆずかの背後でエンジン音がした。振り返ると、黒くて大きな車が、校門横の車寄せに停まるところだった。
「迎えが来たわ。それでは、私はこれで」
後部座席の扉が自動で開く。乗り込んだ瀬戸の長い髪が肩から落ちて、ゆずかはそれを綺麗だと思った。
「ご機嫌よう」
開けた車の窓から手を振る瀬戸に、ゆずかも手を振り返す。心なしか瀬戸の真似をしながら。
逡巡の末、ゆずかは来訪者受付へ向かう事にした。リンに早く会って用事を済ませたいのもあるが、単純に名門私立学校の内部に興味があったのだ。
待っていた校門から敷地内に入ると、すぐに受付の案内を見つける。それに従って進むと、良く手入れされた玄関口が現れた。
案外普通の校舎なんだな。
小綺麗ではあるものの、特段物珍しい風貌ではない校舎にゆずかは拍子抜けしてしまった。
ゆずかの学校にもある緑の玄関マットを踏んで中へ入ると、受付の事務員さんが出迎えてくれる。
少し緊張したが、友達に用事がある旨を伝えると快く来訪者証を出してくれた。
貸し出し表に名前を書く時、字が縮こまってしまって少し書き直したくなったが仕方がない。
ゆずかは、その『VISITOR』と書かれたカードの赤い紐を首から下げた。
で、リンちゃんは何処だろう。
そこまで来て気が付いた。リンの居場所を知らない。
こんな事なら瀬戸に聞いておけば良かった。ゆずかは自分の不甲斐無さにため息を吐いた。誰もいない廊下に声が響く。
あまり時間を掛けていては浩一郎の帰って来る時間までに入浴と宿題を済ませられなくなってしまう。
もう全員下校してしまったのだろうか。通りかかった教室を覗いて見ると、机と椅子が隅に片付けられている。他の教室内も、大きな模造紙が広げられていたり物置のようになっていたり。
この辺りって普通の教室じゃないのかな?
階段の踊り場、漸く見つけた校内案内図によるとここは旧校舎で部活動や特別授業の為の建物になっているようだ。
新校舎に行かないと駄目なのかも。
ゆずかは面倒に思いながらも、新校舎への渡し道である中庭に向かった。
しかし、そこで出会ったのは人では無く――
ニャー……
「あ、チビちゃん! 」
以前一緒に魔女結界へ巻き込まれた、リンがチビと呼んでいた錆柄の子猫だった。
「どうしてこんな所に? 」
近づくとチビは逃げるように脇道へ向かって行く。ゆずかは追いかけながら、いつかの由香里みたいだなと思った。
あの時は突然追いかけて行くなんて子供っぽいなって思ったけど、ちょっと気持ち分かったかも。
チビは植え込みの中まで入って行った。
ミャン、「おっと、ごめん」
突然立ち止まったチビを踏まないよう、つんのめる。
チビはゆずかを見上げて、思い出したように一声鳴くと近寄って来た。さっきまで逃げていたのに、今度は足元に絡み付いて来る。
「ふふ、私の事思い出してくれたのかな」
ゆずかは蹲んでチビの頭を撫でた。ぐいぐいと掌に頭を押し当てて、喉を鳴らす振動がくすぐったい。
でも、どうして野良猫である筈のチビが学校の中庭に居るのだろうか。
「チビちゃん、どこから入って来ちゃったの? 私と一緒にお外に出る? 」
もしも職員にでも見つかってしまえば、追い払われるか最悪は捕まってしまうかも知れない。そう思ったゆずかはチビを抱きかかえた。
大人しく腕に収まってくれたチビに安心していると、見覚えのある後ろ姿が見えた。
後毛一本残さず綺麗に纏められた青髪のポニーテール、リンだ。
植え込みの中で蹲み込んだゆずかに気が付かず、そのまま歩いて行ってしまう。
「リンちゃんだ、チビちゃんのお陰でリンちゃんに会えたね」
チビを抱えている手前、大声を出せなかったゆずかはリンの後を追って植え込みから出た。
チビが暴れ出さないように歩いて後を追っていると、リンが角を曲がって旧校舎の外壁に隠れてしまった。
すぐに追いついて角を曲がる。
「……あれって」
リンが歩いて行く先にあったのは、歪んだ何か。周りの空気が吸い込まれて、何処か異界へ繋がっているような。中心は塗り潰されたように黒くて禍々しい刻印が光っている。絶え間なく辺りを吸い込み続けているようなそれが、校舎裏の空いた空間に浮かんでいた。
ゆずかはそれに既視感を覚えた。
似ている。路地裏で空間が歪んだ、地面が溶けて行った時の空気と。
リンは歩速を緩めずにその歪みの中へ入って行った。一瞬、大きくなったそれはリンを完全に飲み込むと元の形に戻る。
「リンちゃん、行っちゃった……どうしよう」
魔法少女にとって、これは日常的な出来事なのだろうか。でも、自分が助けてもらった時、リンは一人ではなかった。このまま放っておいてもしもの事があったら。
「そうだ、シオンちゃん! あ、でも……」
シオンを呼ぼうとして、彼女の居場所もまた、把握していない事に気が付いた。
私って駄目だな。いつでも、何にも出来なくて。
ニャーン
チビがその場で足踏みするゆずかを見上げて鳴いた。
「行ってみよう……」
足手纏いになるのは分かっていた。一緒に居るチビまで危険に晒してしまうかも知れない事も。
それでも、あの淀んだ場所に足を踏み入れようと思ったのを、ゆずか自身にも説明出来ない。
一歩ずつ足を進めると、小さな砂利を踏み締める音がやけに大きく聞こえた。暗い穴は日陰のようにひんやりとして、息を呑む。
ぐにゃりと視界が歪み、眩しい青色が溶けた空気の隙間から溢れ出して来た。
˙˚°✰
落ちる。落ちる。
雲ひとつない青空にカラフルな紙吹雪が舞っている。地面は無く、ゆずかとチビはどちらが上かも分からぬままに風を受けて落ちていた。
ミャーーン!
「チビちゃん、捕まっててね! 」
浮遊感から一気に湧いた恐怖心を押さえ込んで、ゆずかはチビを抱く手に力を込めた。
大丈夫だ。知っている。ここに来た事がある。
紙吹雪がぶつかって、顔を腕で払う。視界の隅々までリンを探した。
見つけたのは四角い建造物のような物。落下して行く方向にポツンと浮かんでいる。
「教室? 」
少し近づくとその輪郭がはっきりして来て、学校の教室のような場所だと分かった。
教卓と黒板がある面以外の壁は無く、地面には机や椅子がぐちゃぐちゃに積み上がっている。
所々で色とりどりに見えるのは、絵の具だったり折り紙だったり。まるで飾り付けの途中みたいだ。
段々近づいて良く見えるようになっていく。机と椅子の山の合間、人影すらもしっかり見えた。
あれ、リンちゃん!
そのままどんどん近づいて――
「ぶつかる! ごめんなさーーーい! 」
「な、お前! 」
見上げたリンと視線があって、見覚えのある鞭に身体を包まれた。
「何でこんなとこに居んだよ! 」
視界まで覆っていたしなやかな鞭がシュルシュルとリンの手元へ帰って行く。見えたリンの顰めっ面にゆずかは安堵する。
「ごめん、リンちゃん。クリーニング代渡したくて学校まで来たんだけど、リンちゃんまだ中に居るって聞いたから」
「クリーニング代? 」
「ほら、金曜日に私が鼻水付けちゃったやつ」
ゆずかは自分の鼻を指差した。
「あー、あれか。別にそんなの気にする事ないのに。翌日仕上げで出したから、もう帰って来てるしな」
リンは何でもない風に言った。魔法少女衣装の、かぼちゃパンツをトントンと手で払う。
制服をクリーニングに出すのなんて、リンにとっては当たり前過ぎていちいち覚える程でもないのかも知れない。それでもゆずかは義理を通したかった。
「二千円、足りるか分からないけど……」
自分の部屋で見つけた、一番可愛らしいポチ袋を差し出す。
「別にいいって、それより早く出ろ。ここじゃマズイ」
――繝ェ繝ウ縺。繧?s縲?♀縺カ??
上空から轟音が響く。
ゆずかが咄嗟に上を向くと、巨大な翼を広げた紙細工の白鳥が見えた。前に見た物と似ているが、それよりも大きくて装飾も華やかだ。
ゆずかは腕の中のチビの感触を確かめながら言う。
「あれって魔女だよね」「クソ、来ちまった」
ゆずかの声に答えるでも無く、独り言のように言ったリンはゆずかとチビを自身の鞭で再び包んだ。今度の拘束は強い。太ももに鞭が食い込んで軋みを上げていた。
「っ痛い、リンちゃん! チビちゃんが潰れちゃうよ! 」
もう一度、更に近くで轟音が鳴って、大きく振り回される感覚だけが伝わって来る。顔まで鞭で塞がって、外で何が起きているのかゆずかには分からなかった。
「止めろ! 止めてくれ! 」
リンの声。
「どうして? もう少しで危なかったじゃない」
そしてこれは、シオンの声だ。
「それは……そうだけど」
リンの声が沈んでいる。
鞭の拘束が解かれ、自由になったチビが飛び出した。少し離れて目一杯伸びをしている。
「シオンちゃん! 」
ゆずかは、リンと向かい合う魔法少女姿のシオンを視界に捉えた。
「ゆずか、どうしてここに? 」
シオンは首を傾げて、ゆずかと周りで自由にしているチビを交互に見る。
しかし、答えようとしたゆずかが口を開く前に強風が吹き荒れた。続けて轟音、かなり近い。ゆずかの身体が衝撃で浮き上がった。
「ゆずか! 」
シオンが大きく飛んで、教室外に放り出されるゆずかを抱き止める。
「チビちゃん? チビちゃん! 」
シオンの腕の中からチビを探すゆずか。やっと見つけたその小さな錆色は、既に上空へ舞い上がっていた。身体をくねらせて捕まれる場所を探している。
「リン! 」
シオンが机の陰にゆずかを降ろし、辺りを探すと開けた場所で立ち尽くすリンが居た。小さく舌を鳴らしたシオンは上空のチビを目指して再び飛んだ。
――縺翫d縺、??
上空で小さく見えるシオンと、更に小さなチビ。二つが触れ合う直前、巨鳥が視界を切った。
「ひっ……」
食べられた?
喉の詰まる感じがして、ゆずかには自分の息を吸う音が大きく聞こえた。
轟音。真っ直ぐに飛んでいた鳥が激しく暴れ出して、口から何かを吐き出した。
シオンだ。
鳥の背にはリンが居る。鞭をその首根っこに巻き付けて、落ちて行くシオンを追えないように制御している。
教室に激突する前に体勢を整えたシオンがゆずかの横に着地した。
「ゆずか、行くわよ」
「大丈夫なの? チビちゃんは? 」
シオンは答えず、ゆずかを横抱きして教室から飛び降りた。
じわりと青が滲んで、砂利混じりの茶色い地面が現れる。
気が抜けたように膝を曲げたシオンがゆずかを地面に降ろした。
そして変身を解く。
「シオンちゃん! 怪我してるの⁉︎ 」
通常の衣服に戻って分かりやすくなった、シオンの白いニーハイに血が滲んでいた。
ゆずかが手を添えようとすると、すぐに脚を退けられた。
「大丈夫よ、すぐ治せるわ」
膝を立てて座り直したシオンが、卵型のソウルジェムを患部に翳すと柔らかに紫色の光を放った。
「これで治ったの? 」
ゆずかは滲んだままの血を見て不思議に思った。
「見てみる? 」
「え⁉︎ 遠慮、しようかな」
そう、と言って立ち上がったシオン。視線の先の結界が揺れて、リンが出て来た。
俯いたリンが変身を解く。
「チビは? 」
シオンが聞くと、リンはゆっくりと首を横に振った。