魔法少女ゆずか⭐︎マギカ   作:アルマジロヒップ

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9、もう良いか

『昔は優しい良い人だったのよ』

 それがママの口癖だった。

 しかし、シオンにとってその人は回避不可能の地雷原そのもので、『優しい父親』というのはきっとUMAやおとぎ話の類いに違いないと思っていた。

 それなのにママはいつもパパの肩を持つ。シオンがその人、闇名久彦(あんなひさひこ)を『パパ』と呼ぶのもママの言い付けだからだ。

 他にも、保証人になった相手が失踪しただとか、会社で理不尽な嫌がらせに遭って退職に追いやられただとか聞いたが、シオンにとってはどうでも良い事だった。

 今の方が大切だ。昔がどうとか関係ない。前に優しかったからといって、ママにあんな仕打ちをして良い筈がない。

『パパはね、今はあんな風だけど本当は優しい人なの。色々あって疲れちゃったのよ』

 色々って何? 大変な目に遭ったら家族を虐めても良いの?

 シオンはママの事が大好きだったが、ママの気持ちは微塵も分からないで居た。

 

「おい、飯」

 遅くに帰ってくるなりパパが言う。ダイニングテーブルに大きく音を立てながら鞄を置いて、今日も不機嫌らしい。

「お帰りなさい、すぐ準備するわね」

 ママが穏やかに言うと、パパの声色は一層威圧的になる。

「はぁ……普通、俺が帰って来るまでに準備するだろ」

 ほら、また始まった。

「ごめんなさい、すぐ出来るから」

 こうしてママが謝って済めばまだ良い方。パパの虫の居所が悪い日はママが打たれる。

 だからシオンはダイニングと寝室を隔てる襖に耳を当て、その日の動向を伺うのだ。それが夜の日課になっていた。

 シオンの居る、この狭い寝室に家族が全員で寝ている。1LDKのマンションの一室に三人で暮らしていると、プライベート空間なんて物は作れやしない。

 川の字に並んだ布団の真ん中がシオンの寝ぐらで、唯一自由に使っても怒られない空間だった。そんな唯一の憩いの場から、布団を半分だけ被って耳を澄ませる。

「なんだこれは」

「肉じゃがだけど……」

「他には? 」

「……えっと、サラダが」

「それだけ? こっちは疲れて帰ってきてるんだぞ、誰の金で暮らしてると思ってんだ! 」

 ガシャン!

 食器の落ちる音。この感じは、鍋が落とされたに違いない。

 シオンは一つ、息を吐くと、平静を装って襖を開けた。

「パパ、お帰りなさい」

 欠伸をする振りをして、目を擦る。

「……ほら、シオンが起きただろうが! 片付けておけよ」

 捨て台詞のように言って、パパはお風呂へ向かう。

 今日は上手く行ったみたい。

「ママ大丈夫? 一緒に片付けるわ」

「ごめん、ごめんねシオン。大丈夫だから」

 本当は大丈夫じゃない癖に。シオンは、泣きもせず自分に謝り続けるママの顔を見るのが苦手だった。どうしていつも謝ってばかり居るのか、どうしてあの人に笑顔で話しかけられるのか、シオンには全然理解出来なかった。

 幸い、零れなかった分から一人前の肉じゃがを盛り付ける事が出来た。

 パパはお風呂から出ると、さっきまでが嘘みたいに大人しくなっていて無言でそれを平らげた。

 パパが気持ち悪かった。どうして怒るのか、どうして黙るのか、何も解らなくて怖かった。

 パパもママも変だ。ずっと二人の事を見て育ったのにこんな事を思うなんて、本当は自分の方が変なんじゃないか。シオンは時々そんな事を考えて、思考をぐるぐる回していた。

 学校にいる間だけは、シオンも他の生徒と変わらないただの中学生だ。その時間がある意味で休憩時間のようになっている。だから、数ヶ月おきにやって来る子供にとっての一大イベントが近づいて来るのが億劫でたまらなかった。

 

 中学三年に上がる直前、春休み。

 クラスメイト達が口々に休みの予定を話し合っているのを聞いて、シオンは不思議な気持ちになっていた。

 長期休みは苦手だ。みんなが待ち望んでいたイベントを自分は忌々しく感じている。クラスメイトの頭の中を想像すると、なんだか心が何処かへ飛んで行く気がした。

 置き勉の教科書を全て鞄に詰めて、帰り支度をする。賑やかな教室は嫌いではない。自分がその輪に入れなくとも、楽しげな会話を聞いて悪い気はしない。

 だから、友達が居なくても学校は苦にはならない。

 重くなった鞄を肩に掛けて教室を出る。明日からはどうやって過ごそうか。

 やる事がない。学年が上がるので宿題もなく、勿論遊びに行くような場所も知らなかった。

 パパの仕事には春休みがないみたいで、いつも通り遅くまで帰っては来ない。でも発泡酒の空き缶が散乱するタバコ臭い部屋に居ると、パパの事が頭から離れてくれなくて気分が沈む。

 だからシオンは、休み期間中も早起きして外に出掛ける。どこに行くでもなくウロウロ歩き回って、公園のベンチに小一時間座ったりする。

 小さな子供を遊ばせている主婦達が、時折りこちらを見て来るが話しかけられる訳ではなかった。

 木陰で風を受けているこの時間も悪くはない。少し離れた遊具で遊んでいる子供を見ていると、今の流行りが分かったし退屈ではなかった。

 長い間ぼんやり過ごして、五時のチャイムがなると帰路に着く。

 パパが帰って来る前にお風呂やご飯を終わらせて、寝室に入らないといけないからだ。

 ママの痣をこれ以上増やさない為に。

 少なくとも、シオンが視界に映っている間のパパは暴力を振るわない。それを理解していたシオンは、ママの生きる盾となる事を自分の家庭での役割にしていた。

「おかえりなさい、シオン」「ただいま」

 夕日の差し込む寝室で、ママは洗濯物を畳んでいた。

 電気くらい付ければ良いのに。シオンは部屋の入り口で照明のスイッチを押してから手を洗いに行った。

 ママが自分から電気を付ける事はあまりない。ずっとこの場所に居ると、少しずつ暗くなるのに気が付かないんだと前に言っていた。

 ママと一緒に残りの洗濯物を畳んだら、お風呂に入る。それから夕飯。

 食べ終わったら自分の食器を洗う。言われた訳ではないが少しでもママの負担を減らそうと、毎日そうしている。

 全て終わったら寝室に向かう。

 パパが帰って来る頃、シオンは寝ている事になっているので部屋の電気は付けない。

 テーブルランプの灯りを頼りに勉強したり絵を描いたりする。

――ガチャリ

 玄関ドアの開く音。鍵は予めママが開けている。

 シオンは慌ててランプを消すと、そっと襖に近づいた。

 今日はいつもより帰りが早い。

「おい、友美子ぉ」

 ママの事を名前で呼んでいる。機嫌が良いのだろうか。

「お帰りなさい、今日は早く帰れたのね」

「なんだ悪いか? 」

 パパの声がいつもより柔らかい。

「そんな事ないわ! 嬉しいの」

 ママの声が明るくなる。今日はシオンの出る幕はないかも知れない。

「……ん、やめて」

 抑えた声のママ。

「良いだろ? 俺の女なんだから」

「違うの……私、生理中で」

「あ? もう子供も産まない癖に何調子こいた事言ってんだ! 」

「ごめんなさい。本当に今日はダメなの……シオンが起きちゃう」

 様子がおかしい。

 シオンはいつもとは違う、ただならぬ空気を察知して襖を開けた。

「お帰りなさい」

 ダイニングテーブル越し、ママに抱き付いたパパと目が合う。

「ああ、そうか」

 どういう意味? どうしてそんな顔をするの?

 パパは笑っていた。今までに見た事のない不気味な笑顔。

「シオンももうすぐ三年生だもんなぁ。じゃあ……もう良いか」

 ママの腰から手を離して、襖に手をかけるシオンへ近づいて来る。

「パパ? 」

 パパの手がシオンの肩に触れる。お酒と煙草の臭い。息が詰まる。

 そのまま押し倒されて、布団の上に沈められた。馬乗りになったパパが、重くて息が出来ない。

 何が起きているのか分からなくて、それでも必死に抵抗した。

 とにかく手を動かしてパパを払い除けようとすると、その手を掴まれる。

 シオンの細い両腕はパパの片手に収まって、頭の上で押さえつけられた。

 顔が近づく。パパの顔が吐息のかかる距離まで来て、シオンは目を固く瞑った。 

 その時――

 突然身体が軽くなった。

 目を開けると、ママが灰皿を持っている。パパがいつも使っているそれが赤く染まっていた。

「テメェ! 」

 頭を抑えたパパが今度はママに飛び掛かる。

 ママはフローリングに叩き付けられて、その上にパパが覆い被さった。

「逃げて! 」

 ママの声がした。

 シオンは呆然とその場に座り込んでいた。

「お願いシオン、早く逃げて! 」

 二度目の声でハッとして、気が付いたら走り出していた。

 鍵の掛かっていない玄関を飛び出す。靴を履いている余裕はなかった。

 行き先も分からず、夜の街をただひたすらに走って、走って、走って。

 疲れ果てた時、目の前に見えた公園の公衆トイレに駆け込んだ。

 薄暗い個室、鍵を掛けた。中に灯りはなく、隙間から漏れ入る街灯だけが頼りだ。

 乱れた息が反響して煩い。

 あんなに走ったのに、パパが近くまで来ている気がする。

 呼吸を抑えたくて、服の袖で口元を覆う。息が苦しくて心臓が痛いほど鳴っていた。

 便器の横に座り込んで膝を抱えると、靴下に血が滲んでいるのに気が付いた。

 床の角には風で集められた埃と虫の死骸の塊があった。アンモニア臭も酷かったが、もはやそんな事はどうだってよかった。

 

 暫くじっとしていると息が整って、鼓動も元に戻って来た。身体はまだ震えるが、もう大丈夫そうだった。

 これからどうしたら良いんだろう。

 トイレから出る事も出来ず、ぼんやりドアの隙間を見上げる。青白い街灯の明かりに蛾が飛んでいる。

 大きく息を吐いて今度は下を向いた。血と泥でぐちゃぐちゃの靴下を見て、足を動かしてみるとさっきよりも痛い気がした。

「こんなところで何をしているんだい? 」

 何処からか声が響く。パパやママの物ではない。子供のような声だった。

「誰? 」

「ここだよ」

 辺りを見渡したシオンは、さっき見上げたドアの隙間からその声の主を見つける。

 白くて耳の長い生き物。不思議と恐怖は感じなかった。

「あなた……何なの? 」

「僕はキュゥべえ。君にお願いがあって来たんだ、闇名シオン」

 そう言った白い生き物は、ドアから飛び降りて便器の蓋に着地した。

 猫程の大きさで長い耳の先に金の輪っかがはまっている。あれはどうやってくっ付いているのだろう。

「どうして、名前を知っているの? 」

「君の事を見ていたんだよ」

 便器の蓋に座って尻尾を揺らしたキュゥべえ。外からの光が顔の半分だけを照らしている。

「闇名シオン、僕と契約して魔法少女にならないかい? 」

 にっこり笑って首を傾げるキュゥべえ。シオンは突然ファンタジーな事を言って来る白い獣に、口をぽかんと開けた。白い獣と言葉を交わしているだなんて、その時点で十分変だしきっと夢か幻に違いないが。

「魔法少女? 」

「ああ、そうさ。もちろんタダでとは言わない。契約してくれるなら何でも一つ、願いを叶えてあげるよ」

「願い……本当に何でも叶うの? 」

「厳密にいうと何でもとはいかないんだけど、君の望む事なら大体叶えられると思うよ。魔法少女になって、魔女と呼ばれる存在と戦う運命を背負う。そうなって構わないと思えるほどの願いが、君にはあるんじゃないかな」

 床に押し倒されるママの事が浮かんだ。

「そうね……そうかも……」

 少し考えて、シオンが再び口を開く。

「そのお願いって、例えば誰かの事を殺したりする内容でも良いの? 」

「構わないよ、ただ君の望んだ結果を得るためには正確に願う必要がある。さぁ、シオン。君はどんな願いでその命を輝かせるんだい? 」

 最初に思い浮かんだのはパパを殺す事。でもそんな事をしたらママはきっと悲しむだろう。

 では、絶対に誰にも見つからないように消してしまうのなら?

 これもきっと駄目。ママはパパを探し続けるに決まっている。

 そうか、分かった。

「決めたよ、願い事」

 シオンは横向きに座っていた身体をキュゥべえに向き直して言った。

「私のパパ、闇名久彦を最初からこの世に居なかった事にして」

「本当にそれで良いんだね? 」

「うん、これで叶うの? 」

「契約は成立だ」

 キュゥべえがそう言うと、狭い空間が眩い光に包まれた。

 パパとママは出来ちゃった結婚っていうやつなんだって。最近はおめでた婚ともいうらしいけど。

 それって、私が産まれなければママはパパとは結婚しないって事。パパがいなければ、私も産まれないって事。

 そうしたらママは他の人と幸せになれたかも知れないじゃない?

 この願いを叶えれば、自分もパパも消えて全部綺麗になる筈だから。

 

     ˙˚°✰

 

 目が覚めると、外が明るくなっていた。

 もうキュゥべえは居なくて、やっぱり昨日の事は夢だったんじゃないかと思った。

 足が痛くなくなっていて、靴下を脱いでみるとすっかり傷が治っている。

 寝違えた身体をゆっくり起こすと、外に出てみた。

 公園の時計を見れば、今は七時半。

 ゆっくりと伸びをすると、自分の指に見慣れない物が嵌っている事に気が付いた。

 左手の中指で輝く指輪。繊細な模様が入っていて、小さな石が付いている。それが何なのかは分からなかったが、ひとまず嵌めたままにしてシオンは家に帰った。

 他に行く当てもないのだ。仕方がない。

 

 『406』、玄関の扉を開くと違和感がある。まず、タバコやお酒の臭いが少しもない。三和土にいつも出しっぱなしになっている筈のつっかけや、シオンの運動靴もない。ごちゃごちゃと仕舞われた傘やチラシの山は、綺麗に整頓された飾り棚になっていた。

 部屋を間違えた? 

 一度ドアを閉じて、表札を確認する。

 確かに406だ。でも、その下に付いている表札は『闇名』ではなかった。

「鈴木……? 」

 頬がピリピリする。

 一体何が起こっているのだろう。

 もし万が一、パパとママがシオンを置いて昨晩のうちにこの家を出て行ったとする。シオンはほんの少しくらいあり得るかも知れないと思った。でも、それから何時間も経たないうちに別の住人が住み始めるなんて事は流石に有り得ない筈だ。

 玄関のドアノブを持ったまま固まっていると、階段を上る音が近付いて来た。

 シオンは慌ててドアを離れると、何でもない振りをして廊下を歩く。

 間もなく上がって来たのは、スーツ姿の中年男性。慣れた様子で『406』に歩いて行ってドアを開けた。

「ただいまぁ」

 疲れた声が閉じかけた扉から聞こえた。

 朝帰り? 夜勤明け? いや、そんな事よりも!

 本当に、つい昨日までシオンの家だった406号室は今日、鈴木さんの家になってしまっているようだった。

 どういう事? パパとママは?

 頭をフル回転させたが、全く分からない。

 そんなシオンに背後から声が掛かった。

「君は、魔法少女だよね? 」

「キュゥべえ? 」

 声の主は思った通りキュゥべえで、マンションの細い廊下で尻尾をピンと立てていた。

「僕の事を知っているんだね。それなら君もまた、僕と契約を交わした魔法少女で間違えなさそうだ」

「何なの? 何を言ってるの? 」

 困惑するシオンに、キュゥべえは「僕には君と契約した記憶がないんだ」と言った。

 

     ˙˚°✰

 

 マンションを出て歩きながら話す。

「なるほど。それなら君は、願いを叶えた事で世界から切り離されたのかも知れないね」

 シオンが願いの事を話すと、キュゥべえは納得したようだった。

「切り離されたって? 」

「君が君の生物学的父親を消し去った事で、君はこの世界では産まれなかった事になったんだ。でも、君が産まれなければ、父親もまた消される事がなくなる。そうなると、また君が産まれるよね。親殺しのパラドックスってやつだ」

 キュゥべえはシオンを見上げて更に続ける。口を動かさないで、どうやって喋っているのやら。

「そこで、この無限ループを止める為に、君はこの改変された世界に『証拠』として取り残される形になった訳だ」

 シオンはキュゥべえの長々しい説明を、どこか他人事のように聞いていた。

「私が、世界を変えた証拠……」

「僕の憶測が正しければ、今のシオンはこの世界の人間から感知されない筈だよ」

 

 特に当てもなく歩いていたのに、気が付けば駅まで来ていた。丁度良い、キュゥべえの言った事が本当なのか確かめてみよう。

 駅前の大通り、行き交う人々に片っ端から声を掛けた。

「あの、すみません……」「少し道を聞きたいんですが……」

 気の弱そうな学生、手押し車のお婆さん、スーツ姿の男の人。

 どんな人に声を掛けても、ただ素通りされた。

 何人かなら無視する人もいるかも知れないが、こうも続くと流石におかしい。

「言った通りだったろう? 」

「そうね、これは……あなたの事を信じるしかないみたい」

 キュゥべえの事を信じる、というのは自分が『魔法少女』だなんてミラクルな存在になってしまったというのを認める事でもあった。

 シオンは内心、夢だと思い込んで勢いで契約した事を後悔した。でも口には出さない。

 こんなところでキュゥべえと言い合いするつもりはないし、きっともう元に戻る事も出来ないのだろうから。

 そうとなったら、確かめなければならない事がある。

 ママの行方だ。

 本当にシオンの願いが正しく叶えられているというのなら、ママは別の人生を送って幸せにしている筈。

 シオンは記憶を頼りにお婆ちゃんの家、つまりママの実家に向かう事にした。

 誰にも見えないシオンに電車賃は必要ない。どさくさに紛れて改札を通り抜け、まだ出勤ラッシュの続く急行電車に乗る。

 車内はぎゅうぎゅう。勿論シオンも揉みくちゃにされたが、周りからはどう見えているのだろう。

 シオンは人を避けて頭の上に避難しているキュゥべえに聞いてみた。

「ねぇキュゥべえ、私って見えないのに触る事は出来るのね」

「そうだね。恐らくだけど、今のシオンは『見えない』んじゃなくて『認識出来ない』状態なんだと思う。だから君が触ったり動かした物も、周囲の人々には違和感のない形で辻褄合わせされるんだろう」

「ふーん、あなたって頭がいいのね」

 

 幾つかの電車を乗り継ぎ、お婆ちゃんの家まで辿り着いた。

 ひとまず、家の風貌や表札に変化はない。

「多分、インターホンを押しても意味がないって事よね? 」

「そうだろうね、やってみるかい? 」

 キュゥべえは電車から降りても、まだシオンの頭の上に乗っている。

 ピンポーン。高い音が鳴る。

 しかし、やはりというべきか、返事はない。

 辺りを見渡したシオンはポストから手紙が漏れているのを見つけた。ポストを開けて、手紙を確認する。

「どうするんだい? シオン」

「ママ宛の手紙とか入ってないかなって」

 一枚ずつ手紙やチラシを確認していると、気になるハガキを見つけた。

 『朝日 浩一郎、ゆずか』見覚えのない差出人。裏には拙さの残る字で、こう書かれている。

 『おばあちゃんへ。すっかり春らしい陽気になりましたね。おばあちゃんはいかがお過ごしですか? 荷解きがひと段落したので、報告をかねて新しい住所からお手紙を書きました。今度遊びに来てね! ゆずかより』

「どういう事? 」

 知らない子供が自分の祖母の事をおばあちゃんと呼んでいる。もしかしたら、運命が変わったママが新しく築いた家庭だったりするのだろうか。

 もしそうなら差出人にママの名前が入っていないのが気になったが、他にめぼしい手掛かりもない。

 お婆ちゃんは留守だったし、ママは一人っ子だから兄弟の家庭という事もないだろう。

 

 シオンは考えた挙句、ハガキにある住所に行ってみる事にした。

 この朝日ゆずかという子が何なのか分からないが、お婆ちゃんの知り合いならママとも繋がりがあるかもしれない。

 どうせ時間はたっぷりあるのだ。シオンはぼちぼち歩き出した。

「今度はどこに行くんだい? 」

「この住所に行ってみようと思うの」

 頭の上のキュゥべえに、ハガキが見えるよう掲げる。それから、駅へ戻る道を歩き始めた。

「君は本当に冷静だね。自分の置かれている状況に動揺したりしないのかい? 」

「動揺、してるわよ」

「そうなのかい? 」

「あなたみたいなのに言われたくないわね。まるで、人間の言葉を話す宇宙人みたいよ? 」

「否定しないでおくよ」

 シオンの頭上でくるりと回ったキュゥべえは尻尾を枕にして寝そべった。

 

     ˙˚°✰

 

「ここで間違いないわね」

 シオンはハガキと家を見比べた。

 表札には『朝日』の文字。こじんまりとした赤い屋根の一軒家だ。

 外装から得られる情報は特になく、シオンは向かいの家の屋根に登って様子を伺う事にした。

「凄い、こんなにジャンプ出来るなんて……」

「魔法少女になると身体能力も強化されるんだ」

 流石のキュゥべえも頭から降りて、シオンの横に座る。

 

 暫く、屋根の上でぼんやりしていると朝日家の玄関が開く。

「お父さん行って来ます! 」

 出て来たのはオレンジベージュの髪の少女。この子がゆずかだろうか。それなら、見送ってドアを閉めているあの男の人がきっと浩一郎。

 シオンは屋根の上で前のめりに二人を見ていた。

「ハガキにある二人は確認出来たけれど、ママは居ないわね……」

「いっそのこと、もっと近くまで行ってみたらどうだい? 」

 シオンは屋根から飛び降りて、朝日家の敷地に入る。玄関ドアを左に曲がるとリビングの大きな窓があるが、当たり前にカーテンが閉じられていた。

「近くに来たって中は見えないわよ」

 ジトっとキュゥべえを見ると「僕に言われても仕方がないよ」と返された。

 他に手はないかと思案していると、風に揺れるカーテンが目に入る。見ると、窓が数センチ空いていて、網戸が閉められていた。換気しているのだろう。

「ここ、空いてるわ」

「行ってみるかい? 」

 シオンは深呼吸して、網戸に手を掛けた。

 ガラガラ。立て付けの悪い網戸が想像以上の音を鳴らして、シオンの心臓を跳ね上がらせる。

 大丈夫だ、周りには見えも聞こえもしないのだから。自分に言い聞かせ、中へ踏み込む。

 一瞬、靴を脱ごうとして元々履いていなかった事を思い出す。

 一応、忍足で辺りを探索した。

 ダイニングとリビングが一緒になった造りで、淡い日差しの入る南向きの部屋だ。

 三人がけソファとローテーブル。壁掛けテレビ。その後ろのダイニングテーブルは、キッチンカウンターにぴったり付けられている。

 シオンがドラマで観た家そのものだった。

 そんな整頓された白を基調とした家具の中で、一際目を引く物あった。

 ダイニングテーブル横の壁沿い、家具の中で唯一黒色で、差し込んだ陽の光を反射して眩しく見える。そっと近づくと、それが仏壇だと分かった。

 観音開きの中には位牌やお供えのお菓子、そして遺影。そこに笑顔で写るのは容色(ようしょく)に優れた女性だった。

「……何で……ママ……? 」

 髪型も、服装も、全部シオンの知らない、それでも間違えるはずのない女性。シオンの大好きな、救いたかった、母親だった人物。

 シオンは力が入らなくなって、仏壇の前で崩れ落ちた。

 上手く息が出来なくて、胸の奥が急激に冷えていく感覚に身体が震える。何とか耐えようとして胸を押さえた。

 そこに、背後で足音が近づく。逃げなければ。

 シオンは動かない身体を無理やり起こし、元来た窓から外に飛び出した。

 そのまま訳も分からないうちに足を動かす。

 どれくらい進めたか、遂に一歩も足を踏み出せなくなって再び膝を突く。

 蹲って胸を強く押さえる。

 どうして? ママが死んだ? 私は一体何をしたの?

 昨日までそこに居た、あのママはもう居ないの?

 苦しい、嫌だ、どうしてこんな――

 胸の内側は冷えていく一方で、もう指先の感覚が無かった。もう直ぐ四月だというのに凍え死んでしまいそう。

 遂に耐えられなくなって、熱いアスファルトに身体を横たえた。

 頭がぐるぐる回っている気がして、暗くなる視界の隅に誰かが映った。

「おい! 大……か、しっ……しろ! 」

 あなたは誰? どうしてそんなに慌てているの?

 必死に何かを叫んでいる知らない声を聞きながら、シオンの意識は途切れた。

 

     ˙˚°✰

 

 柔らかい布の感触、人工的な良い香り。シオンはゆっくり瞼を開けた。

「お、目ぇ覚ましたか」

 声の元を見て、身体を起こそうとする。

「まだ寝ときな。何があったか知んねぇけど、だいぶ消耗が激しかったからな」

 そこに居たのはシオンと年頃の変わらなそうな少女だった。青い髪をきっちりポニーテールにして、流した前髪から意志の強そうな吊り目が覗いている。 

 ベッドの脇に座って、何やら小難しそうな参考書を読んでいたらしい。

「ここはどこ? あなたは誰? どうして私の事見えるの? 」

「はっ、そんな漫画みたいな台詞、ほんとに言う奴居るんだな」

 少女は笑って、シオンが横になるベッドにどっかり腰を下ろした。

「アタシは東雲リン、ここはアタシの(うち)。取り敢えず安心しなよ、アタシも魔法少女だからさ。で、アンタは? まさか今度は『私は誰? 』とか言い出すんじゃないよな」

 リンは冗談っぽく言う。

「そう、あなたも……私、シオンよ」

「苗字は? 」

「……もうないわ」

 リンはシオンの顔をチラッと見る。シオンが顔を逸らすと、それ以上は追求しなかった。何事もなかったように話を戻す。

「あっそ。アンタ見ない顔だけど、最近契約したのか? 」

「えっと……昨日の夜って事になるかしら」

「飛んだヒヨッコじゃねぇか! まさか、まだグリーフシードも獲った事無かったりして」

「その、グリーフシードって? 」

「そこからか! 」

 魔法少女になった翌日。長く、劇的なこの日から、シオンはリンの家に居着く事となる。ゆずかと対面する、その日まで。

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